夢見る頃を過ぎても

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第12話 穏やかなひと時

公開日時: 2021年3月23日(火) 07:31
文字数:5,860

そしてエステサロンを出た三人はブティックに直行し、清香はとっかえひっかえ試着させられた挙げ句、かなり露出度の高い水着を買い与えられる事になった。それで一気に精神疲労度が増した清香を恭子に任せ、頃合いを見計らって迎えに来た清人と共に、真澄は正面ロビーから続く通路を歩き出した。


「野点なんて、良く準備出来たわね。このホテルに常備ってわけじゃ無いでしょう?」

 綺麗に整えられた南国風の庭園を抜けていくガラス張りの回廊を、別館に向かって進みながら真澄が当然の疑問を口にすると、清人が苦笑で応じる。


「今回は気が利く上に、すこぶる仕事が早いアシスタントを同行させているもので」

「それなら後から恭子さんに、お礼を言わないとね」

「そうして下さい」

 くすりと笑って応じた真澄に、清人も笑って頷く。そして幾つかの話をしているうちに、歩いていた別館の突き当たりに辿り着いた清人は、スラックスのポケットから鍵を取り出して外に通じるドアを開けた。


「本来なら、客は足を踏み入れない場所だそうです。その分人目が無くて静かだと思いますよ?」

「その代わり、このホテルで庭園に入って好き放題したなんて、口外しちゃ駄目って事ね?」

「ええ、お願いします」

 打てば響く様に返ってくる言葉に満足しながら、清人は真澄を先導して職人の作業時に使われている植え込みの中の細道を進んだ。

 すると唐突に庭木と絶妙に配置された岩に囲まれた、芝生の空間が唐突に現れ、真澄が驚きに目を見張る。そこに周囲の青々とした芝生とは対照的な三畳ほどの大きさの緋毛氈が敷かれ、その一角に茶釜と細々とした茶道具が配置されていた。それを認めた真澄は半ば唖然としながら横の清人を振り返り、感想を述べる。


「ここ? 確かに凄いわね……。あそこにホテルは見えるけど、見事に人気は無いし」

「気に入って貰えましたか?」

「ええ」

 周囲を見回しながら笑顔で頷いた真澄を、これまた嬉しそうな笑顔で清人が促す。


「それでは早速どうぞ」

 そうして清人は靴を脱いで緋毛氈に上がり込み、真澄も大人しく後に続いた。そうしてホテルの側に背を向ける格好で、清人とは直角の位置に正座する。

 清人は無言のまま、移動式の電熱器に乗せて程良く沸きかけている茶釜の具合を確認し、引き出し式の二段重ねの弁当箱から箸で練りきりを取り出して懐紙の上に乗せ、違う引き出しから取り出した菓子用の楊枝を添えて真澄に差し出した。


「どうぞ。少しだけ待っていて下さい」

「ありがとう。ゆっくりで構わないわよ?」

 受け取って早速菓子を小さく切り分け、口に含んだ真澄は、周囲の景色を物珍しそうに眺めながらも、流れる様な清人の動作を視界の隅に収めていた。

 そして茶入れから茶杓で抹茶を入れた茶碗に清人が釜の湯を柄杓で注ぎ、茶筅を手に取った所で、手元の茶碗に視線を向けたまま菓子を食べていた真澄に声をかける。


「真澄さん、最近、ちゃんと休みを取ってますか?」

「……それなりにね。どうして?」

 若干後ろめたい感じの返答が返って来た事に舌打ちしたいのを堪えながら、清人は茶碗の中身を茶筅でかき回し、泡立て始めた。


「先月会った時、多少、顔色が良くない様な気がしたので」

 その指摘を誤魔化す様に、真澄が幾分茶化す様な口調で答える。

「それは、まあ……、何と言っても何年か前に三十路に突入しているし? 普段清香ちゃんみたいな若い子を見慣れてる清人君から見たら、多少肌がくすんだり荒れてたりしてるように見えるのは」

「真澄さん? 俺は真面目な話をしているんですが」

 途端に手の動きを止め、険しさを含んだ視線を向けて来た清人に、真澄は僅かに俯く。


「すみません」

 神妙に詫びを入れた真澄に、清人は小さく溜め息を吐いてから、手の動きを再開させた。


「仕事熱心なのは結構ですが、限度は越えない様に注意しないと駄目ですよ? 食事もきちんと三食バランス良く取って、睡眠時間も確保すること。分かりましたね?」

「それは十分、分かってはいるつもりだけど……」

「何ですか?」

 何やら口ごもっている真澄に、まだ何か反論や弁解をするつもりかと、清人が無意識に眉を寄せた。そして使い終えた茶筅の泡を切り、緋毛氈に立たせた所で、もう一言厳しく言うべきかと顔を上げた清人に、しみじみとした真澄の声がかけられる。


「清人君って、世間一般のお母さんみたいね」

「……は?」

 唐突に言われた内容に、流石に清人も一瞬思考が付いて行かず、間抜けな声を上げた。それに対し真澄が淡々と話を続ける。

「お母様は『真澄はしっかりしてるから大丈夫よね』って、細かい事に口を挟まない放任主義だから、そんな風に口煩く言われた事無いもの」

 そう言って小さく肩を竦めた真澄に、清人は頭痛を覚えた。


「玲子さんが真澄さんに対して、絶大な信頼を寄せている事は分かりましたが……、せめてお父さんにしてくれませんか?」

「う~ん、これで傍若無人な言い方だったら、頑固親父ってタイプだわ。柔らかな物言いが身に付いてて良かったわね?」

「相手によりますが」

 苦笑いするしかない清人に、真澄も釣られた様に笑う。そしてまだ幾分笑いを含んだ顔で、清人が真澄の前に茶碗を差し出した。


「どうぞ」

「頂戴します」

 軽く一礼して茶碗を左手に乗せ、真澄は静かに右手で手前に2度まわして静かに茶碗を傾けた。

 飲み終わった後で、自然に人差し指と親指で飲み口を清めた真澄が懐紙を持っていなかった事に気付いたが、それとほぼ同時の絶妙なタイミングで、清人が無言のまま畳まれた懐紙を真澄に向かって差し出す。茶碗を置いてそれを受け取った真澄が指先を清めてから、改めて清人に申し出た。


「美味しかったわ。もう一杯いただける?」

「構いませんよ?」

 互いに笑顔でのやり取りの後、受け取った茶碗にお湯を少しだけ入れて濯ぎ、中身を建水に入れて空にしてから、清人は再び茶入れを取り上げた。そして茶と湯を入れてかき混ぜ始めた時、一連の動作を黙って見ていた真澄が、徐に口を開く。


「一度、きちんと聞きたかったんだけど……」

「何です?」

 口調を改めて尋ねてきた真澄に幾らか緊張しながら、しかしそれは全く面には出さず清人が応じた。すると真澄が同じ口調のまま言葉を継いでくる。


「忙しいのはそちらもでしょう? どうしてそんなに稼ごうとするの? 作家としての収入だけで、楽に暮らしていけるだけのお金は入っている筈なのに」

(やはりバレてるか……。そんなに必死に隠していたわけでも無いしな……)

 探るような視線を向けつつ僅かに非難を込めた口調で追及してくる真澄に、半ば諦めの心境に至った清人は開き直りつつ手を止めて顔を上げ、幾分軽い口調で応じた。


「どうしてって…………、単に、手元不如意な幼少期を過ごしたもので、金に汚いだけですよ。稼げるうちにできるだけ稼いで、安心したいだけです」

 これで相手が納得するとは思わなかった清人だが、案の定真澄は僅かに目つきを険しくした。


「じゃあ、一体どれだけ稼げば、安心できるって言うの?」

「さあ……? 自分でも良く分かりません」

「そう……」

 自嘲気味に本音を漏らした清人に、真澄は何かを感じたのかそれ以上突っ込んで尋ねるのを止めた。そして清人が再び茶碗の中身をかき混ぜるのを見ながら、軽く念を押す。


「……とにかく、清香ちゃんに心配かけちゃ駄目よ?」

「そうですね……」

 そう言いながら手を止めて茶筅を茶碗から出した清人は、顔を上げて真澄の顔を見詰めた。その視線を受けて、真澄が怪訝そうに尋ねる。


「何?」

「いえ、なんでもありません」

 何やら言いたげだった清人だが、それ以上余計な事は口にせず、再び茶碗を真澄の前に差し出した。


「だいぶ日が落ちてきましたが、やはりまだ蒸し暑いですね。エステに行ってすっきりしてきた筈なのに、また汗をかいて嫌ではないですか?」

 その問いかけに茶碗を受け取り、一口茶を啜った真澄が笑顔で応じる。


「あら、平気よ。それに夏は暑いのが当たり前でしょう? 休みの時位、気持ち良く汗をかきたいわ。仕事中は一日中エアコンの風に当たってるもの」

「そうですね」

 清人が小さく笑って頷くと、真澄は再び茶碗に口を付け、中身を全て飲み干してから改めて眼前に広がる景色を眺めた。


「それに……、こんな風に色が変わっていく空を、ゆっくり見上げるなんて久しぶりだわ。いつも気が付いたら真っ暗になっているから、味気ないったら」

 如何にも忌々しげに呟く真澄に、清人は思わず笑いを誘われた。そして記憶の底から、過去に交わした会話を引っ張り上げる。


「そう言えば……、昔、青空も良いけど夕方の空が一番好きだと言ってましたね」

「覚えてたの?」

 ちょっと驚いた表情を見せた真澄に対し、清人は淡々と告げる。


「真っ赤な夕焼けも綺麗だけど、薄曇りで段々くすんでいく経過も良いとか、独特の感性を披露していたので、覚えていたんですよ」

「……馬鹿にしているの?」

「とんでもない」

 軽く睨んだ真澄に、清人は小さく肩を竦めた。

 そこで真澄は手元の茶碗の中に視線を落としたが、何を思ったのかポツリと呟いた。


「さっきの話だけど……」

 そう声をかけられても、咄嗟に何の話か分からなかった清人は、怪訝な顔で問い掛けた。


「何の事ですか?」

「正直に言うと、確かにちょっと強引に休みをもぎ取った感はあるわ」

 白状した感の真澄の台詞に、清人は満足そうに顔を緩める。

「真澄さんは、それ位で丁度良いんですよ。いつも周り優先で、自分の事は後回しなんですから」

 宥める様に言われて、真澄は苦笑しつつ頷く。


「部下の何人かには泣きつかれたんだけど、……やっぱり来て良かったわ」

「そうですか、それは良かったです。お土産を持たせてあげますから、職場で頑張ってる部下の方達に配って下さい」

「ありがとう、そうするわ。……ところで、このお茶道具一式は購入したの?」

 ここで笑顔を引っ込め、唐突に真顔になって話題を変えてきた真澄に、清人は不思議そうに首を振った。


「いえ、ここの地元の教室からお借りしてますが、何か気になる事でも有ったんですか?」

「……あの豚も借りたの?」

 そう真澄が指差す先には、緋毛氈の四隅に重石代わりとしてはちんまりとした蚊遣り豚が一つずつ置かれており、中から蚊取り線香の煙が緩やかに立ち上っていた。それを認めた清人が、淡々と説明を加える。


「いえ、あれは川島さんが手配して、こちらに送ったおいた荷物の中に入ってましたから、恐らくこの時期の庭と言う事を考慮して、ヤブ蚊対策に買った物だと思いますが。それが何か?」

「じゃあ恭子さんに聞けば、あれをどこで買ったか分かるわね」

 そう言って満足そうに頷いた真澄に、清人は何とか笑いを堪えながら申し出た。


「欲しいなら差し上げますよ?」

 その途端、真澄が目を輝かせ、座ったまま身を乗り出す。

「本当!?」

「ええ、家に四つも要りませんし」

 清人がそう告げると、真澄はソワソワと周囲を見回しながら、困った様に言い出した。


「うわ、どれにしようかしら? どれも可愛いし……」

「全部進呈しますが?」

 当然と言った感じで清人が告げたが、真澄は真顔で反論した。

「だって一つあれば足りるし、幾つも貰っても全然使ってあげなきゃ、可哀想でしょう?」

「確かにそうですね」

 真面目腐って頷いた清人の前で、真澄が四方に目を向けながら真剣そのものの顔で悩む。


「うぅ、迷うわ……。白地にピンクの筋模様が入ってるのが、全体的に一番可愛いと思うんだけど、水色にアクセントに白星入りのも素敵だし、山吹色の物が正面から見ると、色合いと目と口のバランスが絶妙なのよね? でもやっぱり薄黄緑色の物が、目がガラス玉っぽいのを埋め込んでて惹かれるかも……」

 ぶつぶつとそんな独り言を呟きながら自分の世界に入り込んでいる真澄から目を逸らし、何とか笑いを堪えていた清人は、(喜んで貰っている様で良かった。しかし相変わらず、変な所で可愛い人だな……。見ていて飽きない)などとしみじみ考えていた。


 そんな風に、日本庭園の一角で堂々と野点などをしている二人を咎める従業員は皆無だったが、その光景をガラス越しに眺められるホテルの通路の一角で、庭園を鑑賞しながら寛ぐ為に設置されているソファーに男女四人が座り、外で和んでいる二人について論評していた。


「兄さんって、茶道の心得があったんだ」

「はい、家に道具は無かったんですけど、免状を持ってたお母さんが、近くのお寺でお茶を教えてた奥さんの後を引き継いだんです。それで『これなら私が清人君に教えてあげられるわ』って嬉々として連れ込んで、生徒さんと一緒に教えてました。あと勉強もそうですけど、日舞と華道と書道もですね」

「そうなんだ」

(兄さん……、本当に色々苦労してそうだよな……)

 密かに少年期の清人に同情しつつ、聡は意識を別な事に切り替えた。


「清香さん、この蒸し暑い中、わざわざ外でお茶を点てて飲む意義ってあると思う?」

 その根本的な疑問に対し、清香は平然と答えを返す。

「せっかくのお休みですし、真澄さんは非日常的空間にどっぷり浸りたいんじゃないんですか?」

「……そういう見方からすると、真澄さんには十分満足して貰えるだろうね」

 些か呆れ気味に、聡が自分自身を納得させる様に呟くと、向かい側に座っている浩一が、誰に言うともなく呟く。


「俺としては……、野点云々はともかく、あの緋毛氈の四隅に置かれた置物が気になるんだが……」

 その言葉に、恭子が説明を加えた。


「あれですか? あれはお茶の道具を借り出す手配をする時、ヤブ蚊対策にどうせなら真澄さんの好みに合いそうな物をと思って調達した蚊遣り豚です。一つだと足りないかもしれないので、どうせなら四隅に置く様に、四種類揃えようかと思いまして」

「真澄さんの好み……」

「姉さんの、ですか?」

 揃って怪訝な顔を見せた男二人に、恭子は淡々と続けた。


「ああ見えて真澄さんって、可愛い物好きですよ? 加えて洋風より和風好み、インドアよりアウトドア派です。これまでの付き合いで、大体の趣味嗜好は把握してましたから、今回凄く助かりました」

「……はあ」

「そうですか……」

 にこやかにそう告げてくる恭子に、浩一と聡はあまり納得していない様な顔付きながらも、取り敢えず小さく頷いた。


 その後、庭から引き上げてきた真澄が白地にピンク色の模様が入った蚊遣り豚を一つだけ抱えて合流し、「恭子さん! これ貰っても大丈夫!?」と、期待に満ち溢れた表情で確認を入れてきたのを見た男二人は、清香共々(やっぱり侮れない……)と恭子の手腕について再認識したのだった。


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