別荘に来て三日目の夜も更け、寝る支度を整えた真澄だったが、その日一日の事でまだ興奮覚めやらぬ状態で眠れなかった為、パジャマの上にカーディガンを羽織り、備え付けの机で眠くなるまで本を読む事にした。しかし、すぐに顔が緩んでしまう。
(清人君が作ってくれたお料理がとっても美味しかったし、楽しかったわ)
清人の本を読み始めたものの、ページを捲る手がすぐ止まってしまい、一人笑顔で色々な考えを巡らせる。
(明日も一日付き合ってくれて、都内まで車で送ってくれるって言ってたし。それから誕生日プレゼントって、本当に何かしら?)
そんな事を考えていた時、真澄の携帯が着信を知らせた。
ちょっと驚いた表情を見せてから真澄がそれを取り上げ、発信者名を確認して応答する。
「もしもし? 由香里?」
「そうよ。真澄、お誕生日おめでとう。ちょっと時間が遅くなっちゃって、ごめんなさい」
「それは構わないわよ? まだ一時間近くは誕生日だもの。でも由香里にしては珍しい時間にかけてきたわね。今日は何か有ったの?」
不思議そうに問い掛けた真澄に、幼稚園から高校までを一緒に過ごした友人は、苦笑しながら事情を説明した。
「大した事じゃ無いけど。今日は久しぶりに一家五人で一日中遊びに出掛けたものだから、一番下が興奮してなかなか寝付いてくれなくて、この時間になっちゃったの。久しぶりに真澄と落ち着いて話がしたかったしね」
それを聞いた真澄は、さも有りなんと笑って頷いた。
「ご苦労様。最近ご主人が忙しくなって、なかなか家族総出で遊びに行けなかったんでしょう? 息子さん達、よっぽど嬉しかったのね」
「本当に、仕事が無かった時は暇だけどお金が無くて、売れ始めたら時間が無いなんて上手くいかないわね。まあ、こんな事を笑って言える様になっただけ、幸運って事だけど」
「同感だわ」
そうしてどちらからともなくクスクスと笑い合ってから、由香里が何気なく話題を変えてきた。
「真澄は相変わらず、柏木産業で頑張っているんでしょう?」
「勿論よ。……それしか能が無いもの」
些か自嘲気味に呟いた真澄だったが、由香里が真面目に話を続ける。
「本当に凄いわよね。一部上場企業で課長としてバリバリ働いているなんて」
「……半分、親の七光りだけど」
「あら、そんな事は無いでしょう? 真澄って相変わらず謙虚よね。見た目が派手だから、ちょっと見にはそうは思えないんだけど」
「何か、酷い事を言われた気がするわ」
苦笑するしかない真澄だったが、久しぶりの友人との会話を楽しみながらも、その内容で自分の気持ちが段々重くなっていくのを、はっきりと自覚していた。
(真澄さん? もう寝たんじゃ無かったのか?)
台所や浴室の始末を済ませ、部屋に引き上げてノートパソコンで仕事をしていた清人は、ふとドアを開閉する音や廊下や階段を移動する微かな物音を耳にして、反射的にドアの方に目を向け、僅かに眉を寄せた。しかしすぐに再び音がして、真澄が部屋に戻った事が分かる。
(喉が渇いて、水でも飲みに行ったのか?)
そんな事を考えて仕事を続行させた清人だったが、それに一区切りつけて寝ようとした時、何となく気になって真澄の部屋に行ってみた。するとドアの隙間から、微かに明かりが漏れているのが分かって、思わず顔をしかめる。
(まだ起きてるのか? それとも照明を点けたまま、寝てしまったとか?)
そう思いながら、寝ていたら起こさない様にと静かにドアを開けてみた清人だったが、目に飛び込んできた光景に思わずドアを全開にして声を荒げた。
「真澄さん!? 何をやってるんですか!」
ベッドの脇にペタリと座り込み、傍らにウィスキーとミネラルウォーターのボトル、アイスペール完備でグラスを傾けていた真澄は、どこか焦点の定まらない、とろんとした目つきで乱入して来た清人を見上げた。
「…………だぁれ?」
その反応に、清人は舌打ちしたい気持ちをどうにか抑え、片膝を付いて真澄と目線を合わせて問いかけた。
「俺が分かりませんか?」
「誰か」
端的に答えた真澄に、清人は真澄の体の横に置かれている物を再度見やって溜め息を吐いた。
「全く……、何をやっているんですか。第一、どうしてこんな物持ってるんでか?」
「うふふ……だぁってぇ、陰険ババァと二人きりなんてやだなぁって、こっそり飲もうと持ってきたの~。バランタインの三十年物よ~? 美味しいわよ~? 清人君がマメで、水も氷も有ったしね~」
中身が半分程入ったボトルを持ち上げながら、ニコニコと脳天気に訴えてきた真澄に、清人は今度こそ頭を抱え、あらゆる事態を想定して準備を揃えておいた、自分自身を呪いたくなった。
「まさか未開封の物を、これだけ一気に飲んだわけじゃ無いですよね?」
「ちょっぴり飲んだだけ~」
(下手すると飲んだな……)
再度溜め息を吐いてから、清人は真澄の右手に手を伸ばし、グラスに手をかけた。
「さあ、真澄さん、お酒はおしまいです。遅いですからもう休んで下さい」
「いや」
グラスを離さないままツンとそっぽを向いた真澄に対し、清人が困った顔で言い聞かせる。
「嫌って……。あのですね、そんな我が儘言わないで大人しく」
「うるさいの。清人君みたいでキライ!」
「…………」
拗ねた様に言われて、思わず清人は黙り込んだ。すると真澄が両手でグラスを抱え込む様にして、その中身を見下ろしながら呟く。
「この前も、飲んでたらお酒をかけられたの……」
どことなく涙声っぽいその声音に、清人は色々諦めて妥協案を出した。
「……分かりました。じゃあこのグラスの中身を飲んだら本当におしまいですよ? 良いですね?」
「うんっ! 清人君と違って優しいのね、ありがとう!」
「……どういたしまして」
喜色満面で頷かれ、清人は半ば呆れながら真澄の横に並んで腰を下ろした。肩が触れるか触れないかの距離に落ち着いてから、横で静かにチビチビと酒を味わっている真澄に声をかける。
「真澄さん、どうして急にお酒を飲んでるんですか?」
「飲みたくなったから」
「……じゃあ、どうして飲みたくなったんですか?」
「高校時代の友達から、お誕生日おめでとうの電話があったの」
「はぁ……」
答えになっていないその答えに、(やっぱり酔ってるな)と清人が再認識していると、いきなり真澄が口を開いた。
「その子ねぇ、うちには負けるけど、結構良い所のお嬢様なの。でも、大学在学中に付き合い始めた人が、貧乏な舞台俳優でねぇ。どうなったと思う?」
問われた清人は(どこかで聞いた様な設定だな)とは思ったものの、大人しく一般論として答えた。
「どう……、って。親御さんにしてみれば言語道断って感じですよね。良いお家だったら尚更」
「ピンポーン! そうなの~、大反対の末、自宅に軟禁されちゃって~。私達からの電話も取り次いで貰えなくなったのよ? おじさまとおばさまったら、おーぼー!」
明るくそう言った真澄が床にグラスを置き、両手でお腹を抱え込む様にしながら、両足をバタバタさせて盛大に笑い出した。
(今の話のどこに、そんな笑うポイントがあるんだ?)
全く意味が分からないまま清人は真澄を眺めていたが、幾らか笑って気が済んだのか、笑いを収めた真澄が真顔で話を続けた。
「それでね? そんな時、彼女の二十歳の誕生パーティーに招待されたの~。おじさまは結婚相手候補を何人も呼び寄せて、由香里に恋人を諦めさせつつ、候補を絞らせようと思ってたらしいけど……、読みが甘いわぁ」
「何かあったんですか?」
「お・お・あ・り! パーティーの真っ最中に屋敷地下の配電盤と自家発電機とボイラー室がほぼ同時に炎上して、屋敷中停電になった挙げ句、警備システムもダウンしてその隙に由香里が逃げ出して、その日のうちに恋人と合流して婚姻届を出しちゃったの~。ほら二十歳になったから、保護者の同意は要らないし? 婚姻届は二十四時間受付可能だし? 傑作ぅぅ~っ!」
今度はベッドの方に向き直り、ベッドを叩きながらケラケラと笑う真澄を眺めた清人は、冷静に問いを発した。
「ひょっとして……、今言った事は、彼女の恋人が仕組んだんですか?」
「ううん」
クルッと清人の方を振り向いて真澄が首を振りつつ即答すると、清人は僅かに顔を強張らせながら、問いを重ねた。
「……まさか、真澄さんですか?」
密かに(この人ならやりかねない)と頭痛を覚えながら尋ねた清人だったが、それに対する答えは清人の予想範囲外だった。
「ううん、由香里」
「は?」
「彼女、幼稚園の頃から、ちょっと変わってて~。目覚まし時計分解して、遊んでたの~」
「……そうですか」
清人は思わず微妙な顔付きで黙り込んだが、真澄は淡々と当時の状況説明を始めた。
「後から聞いたら、誕生日が八月だったから『招待客に花火を披露しましょう』って提案して、打ち上げ花火手配させて、その中から必要な分をくすねてバラして火薬をゲットして、タイマー付き発火装置を作っておいたって。凄いわね~」
「凄いわね、じゃなくて。流石に危なすぎるでしょう、それは」
呆れて思わず窘める口調になった清人だったが、真澄は冷静に話を続ける。
「それはそうだけどね~。あ、それから、電話が取り次いで貰えないし携帯も取り上げられたから、恋人とは時間を決めて懐中電灯でモールス信号で連絡しあってたって~」
「……類友」
「え? るいとも? 『るいとも』ってなに~?」
「いえ、何でもありません。それで? その方がどうしたんですか?」
思わず呟いてしまった言葉に真澄が嬉々として反応し、清人はそれを誤魔化そうと話の続きを促した。すると益々清人の予想外の方向に話が進んでいく。
「それで~、結婚相手が貧乏だけど実家から勘当されて頼れないし、最初の頃、もの凄~く苦労してたの~。本人ははっきり言わなかったけど、出産費用にも事欠く位だったみたいでぇ~」
「そうですか……」
「でも現金を渡すと気を遣わせると思って~、仲の良い友達と相談して、出産祝には育児に必要な物を色々分担して贈る事にしたら、見事に皆、失敗しちゃってね~」
そこで溜め息を吐いた真澄に、清人が幾分興味深そうに尋ねる。
「どんな失敗をしたんですか?」
「う~んとねぇ、確か~、新生児用の一番小さいサイズの紙オムツを一年分とか~、粉ミルク缶を一年分とか~、新生児用の衣類を一年分とか纏めて贈っちゃった~」
それを聞いた清人は、思わず遠い目をしてしまった。
(ありえない。やっぱり類友だ)
恐らくそう広くはない部屋に、使い切れないであろう山ほどの荷物を運び込まれ、友人達の好意を拒絶する事も出来ずに、途方に暮れたであろう妊婦の姿を想像して、清人は心の底から当時の彼女に同情した。しかし真澄を真正面から窘める事も憚られ、遠回しにその失敗の原因を指摘する。
「皆さん、身近に出産した方が居なかったんですね」
「そうなのよね~。産まれたばかりの赤ちゃんが育っていくのを見た事があれば、サイズがすぐに変わる事位、分かったのに~」
「……そうですね」
「それを贈った直後に、偶々叔母様にその話をして指摘されるまで気が付かなくて~。叔母様が事情を説明して購入店と交渉して、一度返品の上、定期的にサイズを変えて配送してくれる様に、手配してくれて助かったわ~」
清人は、それを感慨深く聞いた。
(香澄さん、学習の成果を発揮してくれたみたいで、俺はとても嬉しいです……)
香澄が清香を妊娠していた当時、「安いから買っておくわ!」と常識外れのまとめ買いをしようとする度に、清人が懇々と言い諭して《指導》した過去があった為である。
「本当に……、無駄にならなくて良かったですね」
「うん。それから偶然叔母様の最寄り駅から、二駅の所に住んでいたから、叔母様が出産後に手伝いに行ってくれたり、健診や予防接種や、地域の育児サークルや育児用品のレンタルサービスやフリマの事とかも懇切丁寧に教えてくれたって。『香澄さんには凄くお世話になった』って言ってて、お葬式にも子連れで行ったんだって~」
「お葬式……」
そこで軽く目を見開いた清人は、数瞬迷って該当すると思われる人物の名前を、記憶の底から引っ張り上げた。
「ひょっとして……、その『ゆかり』さんって言うのは、春日公康さんと、由香里さんのご夫婦の事ですか?」
「あれ? あなたの知り合い? 本当に、世の中広いようで狭いわねぇ……」
キョトンとして真澄が清人を見やると、清人は一人納得した。
(やっと分かった……。あの時、小さい子供を連れた夫婦に『お母様にはお世話になりました』と頭を下げられたが、全然見覚えのない顔の上、記載された名前にも聞き覚えが無かったから、どういう関係かと思ったんだ。そんな事をしていたのか……)
そんな事を清人が考えていると、真澄が思い出したように唐突に言い出す。
「そう言えば、由香里に『香澄さんのお墓参りに行きたい』って場所を尋ねられたけど、清人君ったらまだお墓作って無いのよ~。お金はある筈なのにどうしてかな~。どうしてだと思う?」
そう真顔で尋ねられると、清人は瞬時に表情を消して話題を逸らしにかかった。
「……さあ、どうしてでしょう。ところで、その由香里さんがどうしたんですか? お誕生日のお祝いの電話をくれたんですよね?」
「……うん」
大幅に逸れた話を元に戻した清人だったが、その途端真澄が元気なく俯いてグラスの中を黙って見下ろした為、これまで真澄が半ば意図的に話を逸らしていたのを察した。その為、慎重に声をかけてみる。
「他人には言いにくい事ですか?」
「ううん、お互いに近況を話し合っただけ」
「そうですか……」
相変わらずグラスを見詰めながら、微動だにしない真澄を問い詰めても無駄だと判断した清人は、再びベッドの側面に背中を預けて黙って真澄の次の言葉を待った。すると何分か経過してから、真澄が徐に口を開いた。
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