夢見る頃を過ぎても

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第41話 衝撃

公開日時: 2021年4月12日(月) 22:02
文字数:5,633

「先輩? 奇遇ですね、こんな所でお会いするなんて」

「きよっ」

「ひっ……」

「何です? まるで化け物にでも遭遇したような顔をして」

 一番会いたくない人物がいきなり登場した為に、柏木会の全員が頭が真っ白になって固まったが、その反応に清人は怪訝な顔をした。更に店内を見回して、軽く目を見開く。


「あ、イケメン作家のご登場だ~! 清人く~ん、一緒に飲も~っ! これ、美味しいわよ~!」

 カウンターの真澄から、グラス片手に陽気にぶんぶんと手を振られた清人は、座敷席に見慣れた面々を発見し、殺気の籠もった視線を向けた。


「……誰だ。あんなになるまで、真澄さんに飲ませた奴は?」

 その恫喝に、身の危険を感じた面々は、口を噤む約束をした浩一と清香を含め、全員が一斉に柏木会の面々に視線を向けた。それを受けて、清人が四人に冷え切った視線を向ける。


「先輩?」

「いや、これにはわけが……」

 ダラダラと冷や汗を流しながら弁解しかけた達也だったが、それを脳天気な声が遮った。


「ねぇ、ちょっと! どうしたの~? 私の酒が飲めないって言うわけ? けしから~ん!」

 そう言ってケラケラと笑う真澄の声に、清人は深い溜め息を吐いてから、達也達に冷たく言い捨てた。


「話は後日、ゆっくりお伺いします。お引き取り下さい」

「あっ、ああ」

「失礼……」

 どこかふらつきながら達也達が出て行くのを見送ってから、清人は踵を返して清香達の席の方へやって来た。


「お兄ちゃん? どうしてここに?」

「門限破りとは良い度胸だな、清香」

 狼狽しながら清香が尋ねると、清人が腕を組んで見下ろしながら睨み付ける。それに清香は腕時計を確認しつつ、慌てて反論した。


「え? だってまだ十時じゃないけど!?」

「ここから帰るなら、今から出ても十時には間に合わないが?」

(しまった。話に夢中になってて、引き上げる時間を見計らうのを失念してたわ)

 移動時間から逆算するのを忘れていた清香が自分の迂闊さを恨んだが、ふと気になった事を口にした。


「それはともかく……、今日ここに来るって、お兄ちゃんに言ってたっけ?」

「言ってはいないが、それがどうした」

 平然と言い切られて、清香と聡の顔が揃って引き攣った。そして周りの面々は何となく清人から視線を逸らす。


(うわぁ、開き直ってるよ、この人)

(当然の如く、尾行か発信機付けてるのを、認めた様なものだろ)

 そんな微妙な雰囲気の中、清人は清香に背を向けながら宣言した。


「帰る支度をしておけ。これから門限は八時だな」

 そのまま真澄の方に歩いていく清人の背中に、清香の憤慨した声が突き刺さる。


「ちょっとお兄ちゃん! 今年やっと門限が九時から十時になったのに、前より早くなってるってどういう事!? 一回遅れただけで横暴よ!」

「うるさい。ちょっと黙ってろ」

 煩わしそうに清香にそう告げてから、真澄の横に立った清人は僅かに上半身を屈め、一人で酒を飲んでいた真澄に声をかけた。


「真澄さん、随分ご機嫌ですね?」

「清人君も一緒飲みましょ? はい、グラス」

「ちょっと真澄さん! 店の物を勝手に取らないで下さい!」

 さっさとカウンターの中に手を伸ばし、グラスを取り上げて清人に手渡そうとした真澄に、困り顔で対応していた修が慌てて窘める。それを見た清人は無言で真澄の手からグラスを取り上げ、修に手渡した。

 すると真澄は幾分ムッとした顔付きになったものの、再び無言でグラスに口を付ける。


「真澄さん、少し飲み過ぎですよ? それにその酒は、そんな風に飲む代物ではありませんから」

 不愉快そうに眉をしかめながら指摘した清人だが、真澄は平然と言い返した。


「そんな事無いわよ?  チビチビ飲んで何が楽しいのよ。第一、まだまだ飲めるしね~」

「もう駄目です。身体を壊しますから。浩一に連れて帰って貰います」

「い~や~よ」

「真澄さん」

 些か強い口調で迫った清人に、真澄は小さく笑いながら告げた。


「だって浩一ったら、辛気臭い顔をしてるんだもの。せっかく楽しく飲んでるのに、あんなのと顔突き合わせて帰ったら、余韻が台無しだわ。清人君が家まで送ってくれるって言うなら、帰ってあげても良いけど?」

 そう言ってクスクスと笑いながらグラスを傾けた真澄に、清人は色々諦めた表情で溜め息を吐いてから口を開いた。


「分かりました。俺が送って行けば、素直に帰ってくれるんですね?」

「そうね~。そうだ。ついでに部屋まで抱えて運んでくれる? 階段を上るのが面倒で」

「嫌だ」

「…………」

 恐らく何気なく呟いた真澄の台詞を即座に短く遮った清人の一言に、その場の空気が凍った。

 言われた真澄は顔を強ばらせて清人を凝視したが、清人も自分が無意識に何と反応したのかを一瞬遅れて認識し、微動だにせず一切の表情を消す。そして事の成り行きをハラハラしながら見守っていた面々も、驚愕の色を隠さずに小声で囁き合った。


「おいっ! 今の聞いたか!?」

「初めてだ……。真澄さんの頼みを、清人さんが断るなんて」

「しかも『嫌だ』だぞ?」

「普通ならもっと柔らかい表現で窘めたり、断りを入れる程度だよな?」

「あれ絶対、反射的に口にしただろ?」

 常には見られない清人の反応を、驚きと困惑が入り混じった表情で皆が評していると、固い表情をしていた真澄が清人から視線を外し、グラスの中身を見下ろしながら誰に言うとも無く小さく呟いた。


「へぇ? ああ、そう、良く分かったわ」

「真澄さん……」

「別に、あなたに面倒見て貰わなくても平気よ。とっとと帰って。好きなだけ飲んだら一人で帰るわ」

 清人から顔を背けたまま真澄が口元にグラスを運ぼうとすると、その手首を掴んだ清人が強引に、しかし慎重にカウンターにグラスを戻させた。そして幾分強い口調で言い聞かせる。


「こんな状態の真澄さんを、置いて帰れません。さあ、いつまでも我が儘を言ってないで、帰りますよ?」

「一々五月蠅いわね、離しなさいよ! せっかく人が気持ち良く飲んでるのに!」

「駄目です。もう飲み過ぎですから、真澄さん」

 強く手首を掴んだまま離さない清人と押し問答になった真澄は、苛立って左手に持っていたグラスを右手に持ち替えた。


「余計なお世話よ! さっきから放っておいてと言ってるでしょう!?」

 真澄がそう叫びながら右手を翻すと、コップの中に入っていた酒が、盛大に清人の顔面に浴びせられた。


「…………っ」

「あっ……」

 至近距離から受けた為咄嗟に避ける事もできず、清人は辛うじて目を閉じてそれを受けた。そして乱れた前髪や顎からポタポタと酒を滴り落としている清人を見て、真澄は一気に酔いが覚めた様に真っ青な顔で固まる。しかしそれは、その場面を目にした全員も同じだった。


「きゃっ」

「うわ……」

「清人さんっ!」

 浩一達が蒼白になって微動だにせず見守る中、無言の清人は真澄に顔を向けたまま、掌とジャケットの袖で濡れた顔を拭った。

 一方の真澄は、清人の腕辺りに少しかけて脅かす程度のつもりが、まともに顔面に浴びせる事態になって激しく動揺した。そして無表情に見下ろしている清人に怖じ気づきながらも、何とか謝罪の言葉を口にする。


「あ、あのっ……、ごめっ、きゃあっ! ちょっと止めてっ!」

「お兄ちゃん! 何するの!?」

 真澄に最後まで言わせず、清人はカウンター上の真澄が飲んでいた一升瓶を取り上げ、それを彼女の頭上で逆さまにした。当然その中身が真澄に降りかかり、彼女が頭に手をかざして悲鳴を上げ、清香が非難の叫びを上げる中、あっさりと瓶の中身が空になって真澄の髪とスーツが台無しになる。

 あまりと言えばあまりの事態に、額にかかった髪からポタポタと酒を落としながら真澄が茫然自失の態で清人を見上げると、清人は感情を切り捨てた様な冷たい視線で、小さく吐き捨てた。


「きよ」

「飲んだくれてる女の姿なんて、醜悪そのものだな」

「…………っ!」

 それを聞いて僅かに見開かれた真澄の両眼から、頭からかぶった酒の雫では無い物が頬を伝いながら零れ落ちる。すると清人が真澄を見ながら、ジャケットのポケットに両手を突っ込んだ。


「清香、ちょっと持ってろ」

 そう言うなり、相変わらず視線を真澄に合わせたまま、清人はポケットの中身を清香達が座っている座敷席の方に放り投げた。次々飛んでくる財布、車や家のキー、免許証入れ、携帯等に、とても一人では受け止められない清香が悲鳴を上げる。


「え? きゃあっ! ちょっと待って!」

「危ないっ!」

「兄さん! 何するんですか!?」

 清香の側にいた浩一や聡が顔色を変えて何とか受け取って安堵の溜め息を吐いたが、その間に清人はジャケットを脱いで真澄が頭から被る様に着せ掛け、清香達の元にやって来た。


「お兄ちゃん! 幾ら何でもあれじゃあ真澄さんが可哀相」

「寄越せ」

「お兄ちゃん!」

 清香から引ったくる様にして財布を手に取ると、一万円札を何枚か浩一の目の前の座卓に叩き付ける様に置き、冷たく言い捨てた。


「浩一、服のクリーニング代だ。新調するなら請求書を俺に回せ。清香、帰るぞ」

 そう言って清香の手を取り、引きずる様にして立ち去ろうとした清人を、慌てて清香が足を踏ん張りながら引き止める。


「ちょっと待ってお兄ちゃん! せめて真澄さんに謝ってから」

「どうして俺が謝る必要がある。本当の事を言って、迷惑な酔っ払いに当然の処置をしたまでだ。行くぞ」

「お兄ちゃん! ……聡さん、ごめんなさい。また今度」

「ああ、気をつけて」

 これ以上は無理だと悟った清香は、諦めて聡が差し出してきたバッグを受け取り、慌ただしく店を後にした。

 そしてピシャリと引き戸が閉まる音と共に、カウンターの方から微かな物音が浩一達が居る座敷席の方まで伝わってきた。


「……っ、……ふぇっ、……、……うっ……ふぅっ」

 明らかに頭からジャケットを被ったままの真澄が発している泣き声に、殆どの人間が固まる。


(姉さん!?)

(げ! 真澄姉、泣いてる?)

(おいおい、マジかよ……)

(清人さん、あなたって人は……)

 そんな中、真澄達のやり取りにヒヤヒヤしながら接客していた奈津美が店の奥からタオルを持ってきて真澄に差し出しつつ声をかけた。


「真澄さん? タオルを持ってきましたから、どうぞ使って下さい。それにうちでお風呂を使って行って下さい。お酒が付いたままだと、髪が酷いことになりますよ?」

「…………」

 何やら口にしたらしい真澄の顔を覗き込む様にしながら奈津美は二言三言交わし、タオルで顔を押さえた真澄を、抱きかかえる様にして立ち上がらせ、店の奧へと誘導した。


「え? ……ああ、そんな事は気にしなくて良いですよ。さあ、立って。修さん、ちょっと抜けるわね? 明良君、お願い」

 夫と義弟に声をかけて奈津美は真澄を連れて奥の扉に向かった。接客担当の女性はもう一人存在していたが彼女だけでは心許なく、さらに一連の騒動で気まずすぎる空気に耐えかねて席を外す機会を窺っていたらしい客が会計に列を作り始めているのを見て、明良と玲二が腰を上げる。


「分かりました、奈津美さん。真澄さんを宜しく」

「ええ。……じゃあ行きましょうか」

「兄さん、じゃあ配膳は俺がやるから」

「ああ、頼む。これは四番卓、これは二番卓にな」

「あ、じゃあ俺、会計に入ります」

「すまないな、玲二」

「いえ、どういたしまして」

 そうして開店時や繁忙期に何度も手伝いに入っていた明良や、客商売に従事している玲二は、手慣れた様子で「すみませんね、お騒がせして」「いつもは落ち着いた良い店ですから。今後とも宜しく」などと愛想を振りまきながら店内を行き来し、それ程時間を要さずに店内に喧騒が戻り始めた。



「お兄ちゃん! やっぱりあれは、ちょっと酷いんじゃない!?」

 手を掴まれて駐車場に移動しながら清香は精一杯訴えたが、清人は前を向いたまま聞く耳持たなかった。


「真澄さんは……、あんな無様な姿を人前に晒して良い人じゃないんだ。頭を冷やして、即刻帰らせるべきだろう」

「じゃあ家まで、送ってあげれば良いじゃない! 真澄さんは『送ってくれれば帰る』って言ってたんだし!」

「浩一が居ただろう」

 ボソッと弁解した清人に、清香が思わず足を止めた。


「清香?」

「浩一さんじゃ駄目だと思う」

「どうして?」

 俯いて断言してくる清香に、清人が怪訝な顔をすると、清香が顔を上げて真顔で告げた。


「だって……、お兄ちゃんがお店に入って来たのが分かった時、真澄さん、一瞬凄く嬉しそうな顔をしたんだもん」

「その前から上機嫌だったんじゃないのか? 俺とは無関係だ」

 僅かに視線を逸らしながら反論した清人に、清香は恨みがましく言葉を継いだ。


「そんなに……、おじいちゃんの家に行くのは嫌?」

「そんな事は無いが、行く必要性を認めないだけだ。行くぞ」

 そう言って踵を返して再度歩き出した清人の背中に、思わず清香が声をかける。


「そんな意気地無しのお兄ちゃん、嫌い」

 それを耳にした清人は、再び足を止めた。そして前を向いたまま独り言の様に呟く。


「清香に『嫌い』と言われたのはこれで二度目だが、あまりショックはないな。……少しは耐性が付いたらしい」

 そう言って自嘲気味の口調で清人が冷静に分析すると、どこか傷付いた様な気配を察知した清香は慌てて一歩踏み出した。そして清人の手や腕に手を伸ばしかけて少し躊躇した結果、控え目に清人のシャツの腰の辺りを摘み、心持ち引っ張りながら告げる。


「あの……、お兄ちゃん。さっきの『嫌い』って言うのは嘘だから」

「そうか」

「お兄ちゃんの事は、いつでも大好きだから……」

「それは嬉しいな」

 清香の囁き声に、清人も前を見たまま優しい声で言葉を返したが、次の清香の台詞で口調を一変させた。


「それで……、私、真澄さんの事も大好きだから、お願いだから仲良くして?」

「……ああ」

 途端に感情を欠落させた声音で応じる清人に、清香は不安な顔をしつつ、控え目に念を押す。


「後から、ちゃんと謝ってね?」

「分かった。いい加減帰るぞ」

「うん……」

 そうして《くらた》の存在する方向を一瞬振り返ってから、清香は前を歩く清人の後を追いかけて行った。


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