はい。生きとし生ける者達よ、こんにちは。コトリです。音量、どうですか? だいじょうぶかな? …………
独りでに紡がれていくテキストに、私は目を見張った。かつてこの世に存在していたという「大学」という施設の一室に、私と「彼女」は並んで座っている。目の前には巨大なモニターがあり、彼女はどこか楽しそうな瞳で、構築されていく文字をうっとりと眺めていた。
「これは、すごいですね」
私は思わず彼女に問いかけた。
「もう何回リプレイしているんですか?」
「さあ。実験をはじめてから毎日。もう千回を越えたところで数えるのをやめましたから」
彼女はモニターから目を離さずに答えた。私よりずっと年上である彼女の髪には白髪が混じっていたが、それでも、その横顔はこの世の者とは思えないほどに美しい。こんな女性を虜にするなんて、このプログラム人格の元である『小森飛鳥』という人間は、相当の男だったのだろうと野暮に思う。
「きっと次はうまくいくんです」
自信に満ちあふれた声で彼女は言った。
「すべて思い出した、本当の『彼』に出会えるはずなんです」
「すごい自信ですね」
「前回のリプレイで、私は「私」が生きていることを彼に明かしました。つまり、わたしは彼に「会いに」行ったのです。現実世界でそうだったように」
「なるほど」
「これで、彼は思い出すはずです。私を助けてくれたことを」
熱に浮かされたように、彼女の頬は赤く染まる。
「私のヘッドホンが外れた瞬間……彼が、自分のイヤフォンを外して私の耳に差し込んでくれたことを」
しかし私はどうしても、彼女に聞きたいことがあった。同じ研究者としての反論と言っても良いだろう。そのために今日、私は遙々ここまで馬を走らせやってきたのだ。様々な危険を顧みず。
「しかし、このプログラムが『小森飛鳥』のテキストから生成された人格だったとしても、『小森飛鳥』そのものではないでしょう」
「どうして?」
「だって、人間はテキストだけで出来ているわけではない。肉体があり、言葉じゃ表せないことはこの世に沢山ある」
「『言葉に表せないこと』という表現だって、言葉がないと表現できないわ。それに、」
彼女の怪しく光る瞳が、私を貫いた。
「生身の『小森飛鳥』になんて興味がない」
「え?」
「彼がその身で何を考え、何を思っていたかなんて、私にはどうでもいいこと」
「それは、どういう」
「だって私が知っているのはテキストで紡がれた『彼』だけだから。私は、私が知っている『彼』に会いたいだけ」
「……ということは、あなたは自分の欲求を満たすためだけの存在を作ろうとしているわけですね」
「ええ。これはただの、承認欲求なんです。でもこれは死活問題なんですよ」
「偽りの彼に承認されることが、生きることにつながると」
「そう」
彼女は楽しそうに、まるで鍵盤を叩くかのようにキーを打ち込みながら、歌うように続けた。
「知ってます? 人の言葉って、実はラブソングからできたっていう仮説があるんです」
「ラブソング?」
「小鳥のさえずりって、求愛の歌でしょう。あれと同じように、ヒトもかつては歌をうたって行動を示していた。求愛時の歌、狩りをする時の歌、食事をする時の歌……」
「はあ」
「それがやがて分節化して、それぞれで共通する部分が単語、つまり言葉になった。『言葉の歌起源説』って言うんですって」
「なかなかロマンチックですねぇ」
「でもそうやってできた言葉のせいで、私たちは世界から切り離された。わたしと、あなた。あなたと、わたし。私たちは別々の存在だと、言葉によって切り離されてしまったんです。本当はこの世界は、あのモザイク達のように同一の存在だったのに」
そう言って、彼女は大きな窓の外をみた。かつては「人間」というラベルが張られていた、今は世界と一体化してしまった「モザイク」達が、そこにひしめいている。その頭上を、大きな鳥が優雅に舞う。鳥の鳴き声は聞こえない。防音が施されたこの講義室に、言葉が満ちあふれたこの部屋に、本当の「世界」の音は聞こえない。
「私は一人だから、ここで歌ってるの」
「歌う……」
「もう一人の自分にむかって。私たちは言葉を得てから、誰かにむけて表現し続けなければ生きられなくなった。自分の生き様という芸術を。だから私は彼を作ります。自分自身のために、無駄なものをつくる。小鳥の歌がやがて求愛ではない、自分自身への芸術表現に変わるのと同じように」
「……そうですか」
「これが私の芸術なんです。生きるために必要な、愛すべき、無駄なんです」
チカチカと、モニターにはテキストが紡がれ続けている。光る点滅と共に。それはまるでリズムをとっているかのように、ラブソングを歌っているかのように、私の瞳には映ったのだった。
(「旅人の手記」――― 作者不明)
2RE:play〜ふたりプレイ〜(終)
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