「おいおい、少女漫画じゃねーんだからよ……」
玉城はベッドに寝転んだまま、スマホにダウンロードした大量のボーイズラブ漫画を片っ端から読み漁っていた。
たまたま相手が自分のことを好きだったという、いわゆるご都合主義の急展開については漫画特有なので許せるとしても、出てくる男子がかっこよく描かれている描写や、想われる側のふわふわとした心理描写は日頃、玉城が読んでいる少女漫画そのまんまだ。なるほど、これなら女性が夢中になるのも無理はない。
三田村からは、読んでおいたほうがいい代表作、ボーイズラブ漫画が特に充実しているダウンロードサイトなどを教えてもらい、他にも男同士のセックスにおいて挿れる側を『攻め』挿れられる側を『受け』と呼ぶことなどもご教授頂いた。
それを夢中になってダウンロードしていたら、いつしか徹夜明けの眠気も吹き飛んでしまっていた。
結局、三田村とは午後八時くらいまでボーイズラブの話で盛り上がった。三田村のスマホに家族から夕食を作って待っている旨の連絡が来なければ、自分たちは夜通し話すことだってできたかもしれない。
「今日はたくさんBLの話ができて楽しかった!」
「そうか。それはよかった」
どうやらリラックスしてくれたようだ。
「また遊びに来てもいい?」
「毎日だっていい」
「え」
「あ、いや、気軽に来てくれって意味で」
うっかり本音を垂れ流してしまった。いっそ三田村を籠に入れて飼いたい。愛でたい。しかし天使を飼うなんて罰当たりもいいとこだから、却下だろう。
「おまえは普段クラスの女子とこういう話をしてるんだろ」
「それはそうだけど、やっぱり女の子とは見ているところが違ったりして、玉城くんと話しているほうが話してても楽しかったんだ!」
「お、おう」
自分と話すほうが楽しいと言われると、つい嬉しくなって頬が緩む。少なくともクラスメイトの女子よりは、着眼点が描く側の目線になっていたかもしれない。
「なんか、お宝ももらっちゃって申し訳ないね」
玉城があげたキャララフのことだろう。相当嬉しかったらしく、三田村はその場で大事そうにクリアファイルにしまっていた。
「他になんかあるか探して……あ、探してもらっておくよ」
あぶないあぶない。うっかり探しておく、と言いかけた。自分はまきじゅんの知り合いという設定だった。
「ううん、そういうんじゃなくて! 僕……普通に玉城くんとお話できるだけで充分楽しいから」
「俺と?」
「ご、ごめん! 僕、何言ってるんだろうね。じゃあ、また明日学校で!」
天使はキラキラとした笑顔の欠片を玄関にバラまきつつ、ドアを閉めた。そのあと、自分が膝から崩れ落ちたのは言うまでもない。今日が命日になってもいいと本気で思った。我が人生に悔いはないという言葉は、こういうときに使うのだと知った。
そして今、自室のベッドでボーイズラブ漫画を読み漁りながら、時々二人で過ごした時間を反芻し、頬をだらしなく緩ませては、いかんいかん、とスマホ画面に戻るを繰り返していた。
「つーか、BLがこんなに巨大市場だったとはな」
もとからボーイズラブという漫画のジャンルがあることは知っていたが、姉はいち早く同人誌という形態でコミケに参入した。そのときも「BLのビッグウェーブが必ず来る」と言っていたので、姉の嗅覚はすさまじいなと感心しきりだ。
今、自分に必要なことは多くのボーイズラブ漫画を読み、様々な展開を頭に叩き込むことだ。実際問題、男同士はどこまで進めてしまっていいのか不安だったが、そんな心配は無用だったと思うくらい、ボーイズラブには様々なバリエーションがあることを知った。漫画の世界では、現実世界と同様に男同士の結婚が法律的に許されていなくとも、養子縁組をする、パートナシップが認められている国へ移住する、など様々なエンディングが存在していた。
「オメガ、バース? 発情期? なんでもありなのかよ」
中には結婚を飛び越えて、男同士で妊娠をする設定などもあった。
「でも結局のところ、ハッピーエンドが基本なのは少女漫画と同じか」
もちろん描いているキャラたちには幸せになってほしいと常々思っている。自分をモデルに生まれたはずの淳(あつし)は、笑顔溢れるイケメンで優しくて、涼平に対していつだって優しい。相手を想う気持ちは自分も淳も対等だと思うけれど、それ以外の容姿や正確やら何やら自分とは逸脱している。本来、理想というのはそういうものだ。
両想いになった男女の恋人同士はその先、キスをしてセックスをするのが普通だ。もし読者が自分の作品に対してもそんな展開を望んでいるならば、自分もいわゆる男同士でそうなる、ボーイズラブ展開が描ける作者にならないといけないだろう。
そういえば今日、何度か近距離で見た三田村の顏は、長い睫毛に優しげな垂れ目、男にしてはぷるぷるとした唇がキスしたら感触が良さそうだと思った。
「三田村とキス……とか! 俺は何を考えているんだ!」
玉城は慌ててうつ伏せになり、ぼふんと枕に顔を埋めた。三田村のことを見ているだけで幸せだったのに、クラスメイトとしての挨拶以上に話ができて、家に呼んで二人きりの時間を過ごして、あわよくばその先を考えるなんて、自分はなんて欲深い生き物なのだろう。
「三田村は純粋にボーイズラブというジャンルが好きなんだな」
話していて気づいたが、三田村は読者にしとくのはもったいないくらい、しっかりした着眼点を持っていた。ボーイズラブの代表作を玉城に紹介しながらも、三田村なりのその作品についての見解を聞かせてくれて、その熱心な姿に自分は惹きこまれていた。
男にしておくにはもったいないほどの可愛らしい容姿である以外に、好きなものに対してまっすぐ誠実に向き合う一面を垣間見た。漫画が好きなだけじゃなくて、作品にも作者にも敬意を払う。三田村のような読者に見つけてもらって、愛されているまきじゅんは本当に幸せだと思う。そして、まきじゅんをうらやましく思う自分もいる。
――俺も、三田村に想われたい。
作品に出てくる淳のように、自分もまたそんな気持ちを抱いてしまう。
しかし三田村がいくらボーイズラブ好きとはいえ、実際の恋愛もそうとは限らないだろう。そもそも男は女を好きになるのが普通だし、世間でいうところのホモとかゲイが、そんなに身近にいるとは思えない。そう思っていても、もし三田村に彼女ができたと聞いたら、きっと自分は地の果てまで落ち込んでしまうだろう。
いや、たとえ三田村の恋愛対象が男だったとしても、わざわざ悪人面の自分を選ぶ可能性は低い。何より、あの天使の隣に並ぶ自分が想像できない。あの神々しいオーラの前では自分は浄化されて燃え尽きてしまうだろう。あちらが天国なら、自分は地獄のほうが似合っている。
「いや、今はそんなことより漫画を完結することだ」
三田村は雑念を振り払うかのようにベッドから立ち上がり机に向かった。今日は、至近距離で"三田村充"できたので、この脳内のイメージを忘れないうちにスケッチしておきたい。
パソコンを立ち上げると、今朝までやっていた原稿の下書きがデスクトップに散乱していた。今朝、原稿を仕上げたあと、あやうく遅刻しそうになり急いで学校に向かったことを思い出す。もとから自分は几帳面な性格のせいか、作業場はきれいにしておきたい方だ。これから天使をスケッチするなら、なおさら綺麗にしておかなくては。
三田村は、姉と共有しているネットワークハードディスクにアクセスし、手元のファイルと参照して不要なものは破棄する作業を始めた。これは本来なら原稿が終わったあとに行っていることだ。そこにふと、"アイコ"という名前のフォルダが目に留まった。これは姉が描いているボーイズラブ漫画の原稿データが格納されている場所で、自分はあまり中身を見ることがない。もともと、姉のボーイズラブ漫画については、背景やモブ、トーンなどの手伝いしかしていないので、作品の一部分しか知らず完成作品も読んだことがなかった。
玉城の手の中のマウスは、そのフォルダに向かって動かしていた。
「これは確認だ。ちょっと……ちょっと見るだけだ」
迷いつつも、気づけばそのフォルダのアイコンをダブルクリックしていた。しかし、自分はまだ高校生なので、姉の描いている成人指定の同人誌は読むことはできない。それは理解している。だから少しだけ、のぞいてみるだけだ。
今日、三田村から様々なボーイズラブ漫画のレクチャーを受けたこともあり、姉がどんな漫画を描いているのか、興味があったのだ。
展開されたフォルダの中身は今まで頒布された同人誌の完成データが作品ごとに格納されていた。そしてひとつのファイルをダブルクリックしたその先に、血のつながった姉のおそろしい性癖を垣間見てしまった。
表示された漫画データは、自分のように目つきの悪い強面のヤクザが、警察官の制服を着た男に犯されていた場面で、玉城は絶句したのだった。
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