世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第69話

公開日時: 2022年9月3日(土) 08:22
文字数:8,809

 遠く離れたコンベンションセンターが一斉に消灯すると、プスタスクの街を一望できるカレンデュラ邸からはすぐに分かる。


 邸宅三階の私室からそれを認めたリールー・カレンデュラは、窓の外に広がる夜景に向かって指笛を吹くと、ハニーバジャーを手に部屋を飛び出した。階段を駆け降りてエントランスに出ると、セルーがネネリを連れて、玄関へ向かっていた。


「警部から合図があったよ……って、母さんどうしたの?」


 リールーは母親の姿を見咎めた。橙色の民族衣の上にフードのついた黒地のコートを着た姿は、CIAの工作員として叔父の手伝いをする時の出で立ちで、大抵は暗殺や粛清のためにどこかへ赴くための格好だ。


「合図があったか。なら、予定通りに進めてくれ」


「うん……母さん、どこ行くの?」


「裏切り者を始末してくるだけだ。すぐに終わる」


 淡々と質問を躱したセルーの瞳は陰っていた。自身にも授けてくれた鮮やかな橙色は、まるで夕焼けのように色を濃くして、威圧的で陰険な色合いを見せていた。


 セルーがCIAの工作員として活動するようになって数十年。何度見ても、リールーはこの眼に慣れることができない。


「留守は任せた、ネネリ」


「畏まりました」


 ネネリが恭しく頭を下げる。


 セルーは右手をかざし、呪詛を紡ぐ。黒い空間の歪みが現れると、そこへ入っていく。


 やがてセルーを飲み込んだ歪みが霧のように消えると、


「お嬢様も、どうかご無事で」


 ネネリが振り返って、また頭を下げた。


 ドアを開けると、軒先には相棒のジャルマンオオトカゲが待機していた。いつも装備させているミニガンは外していて、代わりに足下に大型の爆弾を置いている。


 八〇〇キロの変異石を使ったこの爆弾を、コンベンションセンターに落とす。それがこの作戦の最終段階であり、リールーに与えられた使命だ。


「行くよ、パンジャ!」


 ジャルマンオオトカゲに呼びかけると、力強い咆哮が返ってきた。リールーが背中に飛び乗ると、翼を羽ばたかせ、爆弾を持ち上げて紺色の夜空に舞い上がった。


     ◇


 電磁パルスが起爆した直後、ヘンドリクセンとサイモンは非常階段を駆け上がって二階に戻り、そこで見知ったダークエルフと鉢合わせた。


「よぉ、ケチクソエルフ。お前一人で何してんだ?」


 単身通路を走ってきたヒースクリフが足を止めると、それを見咎めたヘンドリクセンが訊いた。


「そういう貴様らは? 隊長はどうした?」


「我々は人質を避難させていました。隊長とは別行動でしてね」


 サイモンが落ち着いた声で答える。


「で、お前は何してたんだよ? 皇帝官房の捜査官と一緒じゃねぇの?」


 猜疑心を隠そうともせずに追及するヘンドリクセンに、ヒースクリフは肩をすくめる。


「司令室のモニターで殿下を探していたところだ。皇帝官房の日本人は、マキシマを先に見つけたから追跡させた」


「宰相閣下の行方に心当たりは?」


「ない。が、反逆者どもが殿下を放置するとも考えられん」


「そりゃそうだ」


 ヘンドリクセンが頷く。帝国宰相など人質の中では最重要人物だ。この非常事態に放置するはずがない。


 となれば、生きているなら彼らを追った先にいる可能性が高い。


「で、その日本人の貴族はどこにいる?」


「一階のエキシビションホールに向かっていた。アンダーソンとピエリスも一緒にな。私もそこへ向かうつもりだ」


「どうします?」


「行くしかねぇだろ。隊長もそっちに向かってるはずだしな」


     ◇


 エキシビションホールまで逃げてきたトムは、一向に合流しない部下達と突然の停電に事態を把握し、伍長から借りた無線機に指示を吹き込んだ。


「アンダーソン少将よりD中隊総員に伝達。至急ポイントゼロに急行せよ。その他の部隊はプランEに移行。作戦は次のフェーズに移った。繰り返す、作戦は次のフェーズに移った」


 コンベンションセンターにほど近い、プスタスク市庁舎の占拠を担当しているのがD中隊であり、万一の時の救援としての役割も担う手筈となっている。指揮官の中佐はピエリスよりも付き合いの長い男で、彼の腹心の部下ともども、この作戦には一蓮托生の思いで参加してくれている。


 エキシビションホールの裏口にある大型搬入路から脱出し、D中隊と合流する。それがトムに残された唯一の選択肢だった。


「伍長、開けてくれ」


 エキシビションホールの閉じられた正面ゲートを、伍長が押し開ける。次の瞬間、ゲートの向こうの暗がりで閃光が明滅し、伍長を弾き飛ばした。


「銃を下ろしてくれ、おじさん」


 暗がりから現れた赤毛の青年が、M45の銃口をトムに向ける。


「ホープさん……」


「惣治、助けに来た。もう大丈夫だ」


 惣治に一瞬笑みを向けてから、ホープはトムに向き直る。

 

 トムは惣治の襟を掴んで後退りするが、まもなくホール右手から現れた気配に足を止める。M60を提げたドワーフの女・マリーデルが、その銃口をホープ同様に向けて立っていた。


「惣治を離してくれ。今投降すればまだ間に合う」


「アルバスのような気休めを吐くようになったな、ホープ。お前の親父さんはそんな卑劣漢ではなかったぞ」


 吐き捨てて、惣治を引き寄せる。


 拳銃はホルスターにしまっているが、ナイフならすぐに抜ける。この状況からでも、道連れにすることはできる。


 トムの腹積もりを読んでか、ホープは照準を向けながら、引き金は引かなかった。


「心配は無用だ、ホープ。私は死ぬ覚悟などとうにできている。妻は先に逝き、子もいない。もう失うものなどないんだよ」


「じゃあ昨日母さんに会いに来たのはなぜだ?」


 ホープが聞き咎める。


「母さんに何を伝えようとしてたんだ? どうせ死ぬんだったら教えてくれても良いだろ」


「これまでの恨み言でもぶつけてやろうと思っただけだ。あいつは政治にも関わっているからな」


「母さんにそんなことしたら気取られるだろ。おじさんがそんなことも分からないとは思えないけど?」


「なら何だというんだ? こんな時間稼ぎのような真似をする時間なぞ、お前には残っていないだろうに」


 トムはうっすらと笑みを浮かべて言った。勝ち誇ったようなその物言いの矢先、くぐもった轟音とともに床が揺れ、建物が軋んだ。


「てめぇ、何しやがった?」


 マリーデルがトムを問い詰める。


「地下に繋がる通路を爆破しただけだ」


「なに……」


「君らの脱出経路は地下だろう? そして、この建物を木端微塵にする算段だ。違うかね?」


 全てお見通しとばかりのトムは、表情を変えないホープに続ける。


「良い時代になったものだよ。一トンの爆弾で何万人も消し飛ばすことができる。しかも核を使うことなく、だ。レコンキスタのような戦略兵器など無用の長物だな?」


「おじさんの目的は、僕を殺すことか」


 トムの目的を悟って、ホープが呟く。


「そういう約束だからな。私はその見返りに、アジアの息の根を止めてもらう」


「皇帝特区の連中がそんな口約束を守るとでも?」


「私が約束した相手は皇族ではない。奴らも無関係ではないがな」


「なにを……?」


 訝るホープが言葉を紡ごうとした時だった。


「ソウジさん!」


 トムの背後から、二人組が近づいてくる。そのうちの一人に、ホープはすぐに気づいた。


「桐生さん、ご無事……ではなさそうですね」


 左肩にナイフを刺したまま、紺色の戦闘服を血で黒く染めた夏目と、彼女に肩を貸して歩いてくるユリス。二人の気配を背中で読み取ったトムは、


「ご苦労だった、ピエリス」


 微かに顔を歪め、そう呟いた。


「おいクソジジイ、観念して投降しろや!」


 そこへ左手から罵声混じりの勧告が飛んできた。目だけを向けると、種族に統一感のない三人組だった。


「人質は無事か、ヘンドリクセン」


「あぁ、バッチリだぜ隊長」


 ヘンドリクセンにサイモンが続く。


「アジアの貴族は全員避難完了。我々が離脱した時点で、帝国貴族も過半数が避難済みの状況でした」


「そうか。よくやってくれた」


 報告に満足したホープは、


「あなたの目的は達成できそうにないな。諦めて惣治を離してくれ。最期は軍人らしく死んでほしいんだ」


「そんな名誉が今さら何になる? それに、どのみちもう助からん。そうだろう?」


 トムは笑った。目の前の青年の綺麗事を、そして自らの無力を嘲るように。


「私に名誉は要らん。だがせめて、死んでいった部下達に報いさせてもらう」


 そう言うなり、トムは太い右腕を惣治の首に回した。小さな顔ごと腕を持ち上げて、細い首を締め上げる。


「ソウジさん!」


 ユリスが叫ぶと、夏目が離れて走り出す。


 銃声が一発、重苦しく響いた。エキシビションホールの薄暗がりの奥で焚かれたマズルフラッシュとともに、トムの左胸が穿たれる。


「残念だよ、おじさん」


 ホープは橙の瞳を物悲しげに揺らしたが、すぐに虚を突かれたような表情で崩れていく老人の首に照準を合わせ、引き金を絞った。放たれた四五口径の銃弾が喉笛を砕いて血飛沫を飛び散らせると、トムは背中を強かに打ちつけて、そのまま動かなくなった。


「ソウジさん、しっかりしてください! ソウジさん!」


 トムの腕から解放されて、床に倒れ込んだ惣治に、ユリスが駆け寄る。抱き起こして身体を揺らすと、惣治はユリスの方を向いて、


「ありがとう、ユリス。ちょっと危なかったけど、大丈夫」


 そんな強がりを言ってみせて、笑いかけた。


「――中々の腕だろう?」


 エキシビションホールから出てきたアルバスが、ホープに言った。借りたM4の被筒を掴んで、ホープに差し出す。


「何でそれで軍に入らなかったの?」


「母から言われたからだ。『ロジャーは二人もいらない』とな」


「お婆様らしいね」


 M4を受け取って、そう答えた。


「よぉ捜査官。お前何仕事すっぽかしてナイフぶっ刺されてんだ?」


 再会を喜ぶ惣治とユリスの奥では、ヘンドリクセンが夏目に絡みに行っていた。出血に刺し傷の痛みでそれなりに辛いらしく、夏目の反応は鈍い。


「色々あったんですよ。それより、治療お願いできます?」


 ホープは叔父の方へ向き直った。


「トムおじさんの言う通り、地下への脱出ができなくなった以上、助かる方法はない。ここまでだな」


「彼だけでも何とかならないか?」


 惣治に目をやってアルバスが訊いた。


「防御魔法は魔力の消費が激しいから爆発を耐え抜くのは無理だし、熱線は防ぎきれないだろう。ヘンドリクセンの次元移動魔法はあいつ専用だし」


「となると、可能な限り遠くへ走るしかないな。裏手に川があるだろ? あそこに飛び込めば或いは……」


「走って間に合うか? 僕らは馬じゃないんだぞ」


 万事休すといった空気に、サイモンに結束紐を切ってもらった惣治が割り込む。


「あの、ホープさん。僕に考えがあるんだけど、聞いてもらえますか?」


     ◇


 円形のエキシビションホールには、アジアとアメリカから参加した企業がところ狭しとブースを置いていた。参加企業はどこも新世界の資源や魔法を活用した自社製品を展示しており、本来ならこの時間もまだ活況だったことが、華やかな装飾と十人十色の展示品から伺えた。


 ブースの通路を駆け抜けて、ホール中央部に出展していた中国企業のブースまでやって来ると、惣治はそこに展示されている衣類を指差して、


「この生地は耐熱・断熱性で、ドラゴンの炎を浴びても燃えないし熱を通さないって言ってました。これを使えば、爆弾の熱も防げるでしょ?」


 キーファソの民族衣を着せられたマネキンを指差して、ついてきた面々に言った。


「ユリスさんが着てるのって、もしかしてこれ?」


 夏目が隣のユリスに訊いた。ヘンドリクセンに怪我を治してもらったおかげで、止血もできて痛みもなく、顔色はすっかり良くなっていた。


「せっかくだから試着してみるよう言われまして……」


 ユリスはややばつが悪そうに答えた。


「生地もほら、見本が段ボールにいっぱいあります。これをみんなで被れば……」


「良いアイデアだ。けど坊主、残念だがそれだけじゃダメだぜ」


 ヘンドリクセンが惣治の熱弁を遮った。 


「それだけじゃ爆発の衝撃が防げねぇだろ。俺とこのクソエルフが死ぬ気になりゃあ、防御魔法でワンチャン何とかなるかもしれねぇが、魔力が足りないし、この人数はまず無理だ、庇いきれねぇ」

 

 肩をすくめるヘンドリクセンに、ヒースクリフが続く。


「守れて精々、五、六人といったところだ。他の者には死んでもらう」


 冷酷な宣告に、しかし惣治は続ける。


「魔力が補充できて、人数を減らせれば良いんですよね。だったら、これです」


 惣治は二つ奥のブースに駆け込むと、青い液体を詰めた瓶を持ってきた。


「そうか、ストロガノフ伯の!」


 ホープが声を上げると、惣治は嬉しそうに紅潮して何度も頷いた。


「あれ何だ、隊長?」


「ストロガノフ伯が面倒を見ている製薬会社の新製品だ。従来のポーションより魔素濃度が三割ほど増えていると聞いた」


「しかも揮発性で、近距離で呪文を唱えれば魔法を発動できるそうだぞ。伯爵の言う通りならな」


 アルバスがホープに続いて言うと、ヘンドリクセンも惣治の目論見を理解した。


「で、そのポーションはどのくらいある?」


「試供品が箱積みされてます。見た感じ段ボール五つ分はありますよ」


「よし、床にぶちまけるぞ。マリーデル、手伝え!」


 ヘンドリクセンとマリーデルが惣治のもとへ駆け寄って、段ボールを運び出す。マリーデルがドワーフ特有こ怪力で四箱積み上げて持ち上げ、ヘンドリクセンは一箱を片手で持ち上げた。


「それで、人数を減らすというのは?」


 ポーションの詰まった瓶を床に叩きつけて、ヘンドリクセン達が床に撒いていくのを尻目に、ヒースクリフが続きを求めると、惣治は「あれです」とホールの奥を指差した。


 照明が落ちた薄暗がりで、荒々しい鼻息を立てて睨む黒い影。全身を覆う黒い体毛は、暗がりの中でもはっきりと輪郭が分かるほどに艶やかで美しい。


「ハルファグが何故ここにいる? 何の展示だ?」


 キーファソ原産の怪馬を前に、ヒースクリフはごく自然な疑問を口にした。それほどに場違いな存在は、むしろ彼らを見咎めるように冷たく見据え、また不機嫌そうに首を振っる。


「昨日のイベントに出てたハルファグだな。惣治が乗りこなしてた」


 ホープが言うと、惣治がそれに続けて、


「あのハルファグに僕とユリスが乗って、ここから脱出します。それならみんな助かりますよね?」


 何を馬鹿げたことを。呆気にとられて流れる沈黙を破ったのは、ユリスだった。


「ハルファグは全速力なら車よりも速く走れます。建物からできるだけ離れれば、爆風と熱線から逃れられるかもしれません」


「なら、裏から出て川に飛び込むと良い」


 進言したユリスにアルバスが言った。


「この建物の裏を二キロも走ったところに、 川が流れている。川幅一三〇メートルの大河で、水深は五メートル。全速力のハルファグなら、一分少々で着くだろう」


「そこへ飛び込めば、爆発から逃れられますね」


「この季節の川に飛び込むのも同様に危険だが、他に選択肢はないだろう」


「じゃあ焼け死ぬか、溺死ですね」


 惣治はいたずらっぽく笑うと、ハルファグのもとへ駆け寄った。


「ユリス、フェンスの錠って切れる?」


「あ、私が切りますよ。マリーデルさん、道具借りますよ」


 夏目がマリーデルからボルトクリッパーを借りて、惣治のもとへ向かう。ユリスが後を追おうとした時、


「本気で馬で逃げられると思っているのか?」


「私はソウジさんを必ず守ります。主にそう誓いました。そのための最善策なら、従わない理由はありません」


 ヒースクリフへの物言いに、迷いはなかった。


「剣を貸してやれ、ヒースクリフ」


 アルバスが背中に命じた。


「ホープも、彼女に魔法石を。キーファソの遠征騎士団は、剣と魔法石で戦っていたと聞く。丸腰で行かせるわけにもいかんだろう」


 ホープがユリスのもとへ駆け寄って、ポーチから取り出した魔法石を差し出す。透明のケースに詰め込まれたそれは、トムとピエリスが使ったそれによく似ていた。


「キーファソの魔法なら、十二回は使えます。手に持つ必要もないので、ポケットに入れたまま使ってください」


「米帝のものに頼るのは不本意ですが、仕方ありませんね」


 受け取ったユリスに、ホープが苦笑する。そこへヒースクリフも、剣を抜いて柄を差し出した。


「忠誠心は健在というわけだな、王の槍。精々死なないように努めろ」


「あなたも、主を死なせないよう気をつけることです」


 剣を受け取ると、ユリスはアルバスの方へ向いた。目を合わせ、少しの沈黙があって、アルバスの方から、


「また会おう」


 ユリスはそれに答えず踵を返し、惣治のもとへ駆け寄った。


 囲いから解放されたハルファグは、鼻を鳴らしながら出てきていた。昨日のイベントで惣治が乗りこなした成体の雄で、床を踏み鳴らす蹄の音は重厚だ。


「また乗せてもらうよ」


 惣治は背伸びして背を撫でながら声をかけ、駆け寄ってきたユリスに、


「手綱は僕が持つから、ユリスは後ろね」


「分かりました。ハルファグで走る時のコツは覚えてますか?」


 確認のように問いかけたユリスに、惣治は得意顔で答える。


「思うままに走らせて、止まる時は思いっきり引っ張る、でしょ?」


「その通りです。振り落とされないように、しっかり掴んでいてください」


「分かってるよ。ユリスこそ、振り落とされないようにね?」


「無論です」


 ユリスはいつも通りの澄まし顔で応じた。


接敵コンタクト! 正面!」


 サイモンが叫び、そして同時に銃声が行き交う。


 エキシビションホールの正面ゲートから突入してきた米兵が二人、銃弾に倒れる。その隙に二人がブース裏に滑り込み、正面ゲートの奥から銃弾が飛んでくる。


「皇帝官房、中に入ってきた奴らを殺せ!」


 ヘンドリクセンからM45を投げ渡された夏目は、安全装置を外して、背を向けたままユリスに叫んだ。


「行って! 早く!」


 惣治が鐙に足をかけ、ハルファグの背に飛び乗る。続けてユリスが乗って、惣治の腰に左手を回すと、


「行くよ!」


 手綱を引っ張って声を張り、それに呼応するかのようにハルファグが嘶き、前足を跳ね上げる。


 交差する銃声を背に、ハルファグが駆け出す。ホール裏の資材搬入用のゲートへまっすぐに突っ込んでいく。


 鉄製のゲートを突き破り、通路を走り抜ける。裏口から侵入してきた米兵が曲がり角から飛び出すと、ユリスは右手の剣を向けて、


「ハスタールク!」


 詠唱と同時に、切っ先の向こうで雷撃が閃く。閃光の中で米兵達が感電し、吹き飛ばされると、ハルファグはその亡骸の頭上を飛び越えて右折する。


 曲がった先に立っていた敵兵を弾き飛ばし、蹄が床を蹴る。開いたままの搬入口まで三十数メートル。ゲートの向こうの闇夜から、敵兵が銃口を向けてくる。


「パリエ!」


 ユリスは続けてハルファグの前に魔法陣を繰り出した。銃弾が魔法陣に食い込んで弾け飛び、火花が目の前で散る。


「このまま出るよ!」


 姿勢を低くしながら惣治が叫ぶ。ハルファグはそれを応えるかのように嘶き、ユリスは腰に回した左腕に力を入れる。


 敵を蹴散らして外へ飛び出すと、コンベンションセンターの柵を突き破って、巨大な影が現れた。米帝の主力戦車・M1エイブラムスだ。威圧的な主砲が、ハルファグの鼻先をしっかりと捉えている。


「ソウジさん、跳んで!」


 ユリスが叫ぶのとほぼ同時に、惣治は手綱をしならせた。ハルファグは惣治と以心伝心したかのように、アスファルトを力強く蹴り上げる。


 主砲が閃き、炸裂音とともに砲弾が放たれる。ハルファグはその真上を飛び越え、五一口径のライフル砲弾がコンベンションセンターの壁をぶち抜くと、その炸裂と同時に砲塔を踏みしだき、暗闇に向かって力一杯飛び込む。


 冷たい風を浴びながらの跳躍。月明かりも射し込まない暗闇の中。前は何も見えず、風を切る音だけが耳を撫でる。方向感覚も曖昧な世界の中で、やがて重心が前のめりに傾き、地面が近づくのを感じ取る。


 力強い着地と同時に、ハルファグは加速する。暗闇をまるで見通しているかのように、迷いなく突き進み、そして一際力強く躍動した次の瞬間、淡く赤い明かりに照らされて、慌ただしく流れる川の水面が視界を覆った。


 水面を叩く音が水に溶け、水の流れる音とくぐもった爆発音が鼓膜を殴りつけた。昼間のように照らされた水の中で、ユリスは離れていく惣治の腕を掴み、抱き寄せる。やがて全身を突き刺すような水の冷たさを自覚すると、感覚の鈍っていく必死に両足をバタつかせる。


 胴体を掴まれたのは、足が動かなくなろうかという時だった。抗いようのない強い力で引き揚げられると、冷水で感覚の麻痺した身体に冷たい夜風が当たり、寒さが思い起こされる。


 ユリスとハルファグを掴み上げたジャルマンオオトカゲは、そのまま向こう岸まで飛んでいくと、砂利の上に彼女達を放り投げた。気管支に入った水を咳き込んで吐き出すと、ユリスは石のように固まった身体に鞭打って、すぐそばに降り立ったドラゴンの主を見上げた。


「日本にいる間に破天荒さに磨きがかかったんじゃない、おばさん?」


 ユリスを見下ろしながら、リールーは呆れたように笑って、ユリスの方へ粉を吹きかけた。


「この愚者に太陽の加護を!」


 聞こえよがしの詠唱。と同時に、ユリスは全身に血が巡るのを感じた。まるで暖かな暖炉の前に横たわっているかのような心地好さに、凍りつきかけた思考が溶解していく。


「助かった、リールー……だが、どうして……」


「空から様子見てたら、すごいスピードで裏から飛び出してきたからね。あれは目立つよ」


 リールーは楽しげにそう言って、ユリスの傍で横たわる惣治に目をやる。飛び込んだ拍子か、水の冷たさかで気を失っているらしい。起き上がったハルファグが、身を震わせながら惣治のもとへやって来て、背中を小突く。


「っ……」


「ソウジさん!」


 意識を取り戻した惣治が、目を開ける。ユリスと目が合うと、辺りを見渡して、


「……生きてる?」


「生きてますよ!」


「良かったぁ……」


 安堵して、砂利の上に横たわる。ハルファグが頬を舐めると、惣治はそれに頭を撫でて応えた。

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