世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

退会したユーザー ?
退会したユーザー

第43話

公開日時: 2021年6月9日(水) 20:48
文字数:6,195

「――ロシア軍による北海道侵攻からこれまで、全国で発生した共和主義勢力によるデモは二十件を超えているものの、暴動に発展したのは二件に留まり、機動隊による制圧を実施したものの死者はなく、負傷者四十名、逮捕者は百名足らず。大阪では左翼政治団体と極右団体との間で衝突が起こり、双方合わせて三名の死者が出たものの、それ以外に目立った騒ぎはなし。素晴らしい成果だと天城総理も褒めてくれたよ」


 ロシア軍による侵攻からもうすぐ半日が経とうという午後九時。


 首相官邸での報告会から戻った芝塚内務大臣は、執務室にやって来た蒲生長官に、得意気な顔でそう言った。


「今月の摘発が効果を発揮しているようで何よりです。機動警備隊と特殊警備隊は、二十四時間体勢で待機させておりますので、万一大規模な暴動が発生した際には、即時投入いたします」


「そうしてくれ。やはり君は優秀だね。警察の連中とは大違いだ」


 笑みを残したまま、芝塚大臣は吐き捨てた。


「この件が落ち着いたら、道警の連中には責任を取ってもらおう。彼らが積極的に捜査に協力し、半日でも早くテロリストを捕まえることができていれば、戦争は回避できたんだからね。まぁ、幹部連中が生きているかどうかも分からないがね」


 今回の軍事行動は、テロを引き起こした白ロシア党を支援し、欧州の秩序を破壊しようと企てたことに対する制裁であると、ロシア連邦の大統領は公表している。内務大臣の言う通り、軍事行動を起こす前に実行犯を捕らえることができていたなら、大東亜共同体との繋がりを否定し、大義名分を潰すこともできただろう。


「戦況はどうなっていますか?」


 蒲生長官が訊ねると、芝塚大臣は「ここだけの話だが」と前置きした上で、トーンを落として答えた。


「太平洋側に出てきていたロシアの艦隊を追い払ったらしいよ。連中ご自慢の、ワリャーグだっけ? 原子力空母も沈めて、ほぼ壊滅させたそうだ」


「さすがですね」


 大東亜共同体の海軍戦力の要である大日本帝国海軍は、祖界と新世界で米帝という強国と対峙する必要性から、世界最強と謳われる戦力を保持している。同じく太平洋の覇権を争う大国とはいえ、陸軍戦力に重点を置かざるを得ないロシア相手には、後れを取ることはないだろう。


「もうじき日本海側の艦隊とも戦闘が始まる。それに勝って海軍を完全に排除したら、いよいよ報復開始だ。大韓帝国は陸軍と海兵隊を総動員してロシアを攻撃し、太平洋連邦にはインドネシア軍も動員して、港湾部一帯を占領するそうだよ」


「しかしそこまでやると、欧州連合主要国も動き出すのでは?」


「それも覚悟の上だよ。濡れ衣を着せられた挙げ句に本土侵攻までされたんだ。ここで逃げ腰になれば、大東亜共同体の求心力は地に墜ちる」


 大東亜共同体は国家の独立を守るための連合組織だ。今となっては形式上とはいえ、その盟主である大日本帝国が主権を脅かされている中、弱腰の姿勢を見せるわけにはいかない。日本海での戦闘に帝政中華の海軍が加わっているのも、その姿勢を示すためだ。


「まぁ、政府としては北海道をさっさと取り戻したいのが本音だろうがね」


 芝塚大臣はそう言って、会議で配布されたリストを手に取り、蒲生長官に差し出す。


「もし北海道の華族の身に何かあれば、それは帝国の国体に対する侵害行為だ。それが政治の中枢に関わる者ともなれば、何があろうと後には引けない。貴族院議員の署名も集まったみたいだから、御前会議でも大陸侵攻が承認されるだろう」


 リストは北海道に滞在が確認された華族の名簿で、その数は三七名。その中で現政権に関わりを持つ者とその親族は九名いて、彼らの名前には赤くマーカーが塗られていた。


「芦川、宇田川、牧島、それに米内……牧島に至っては、長女以外全員ですか」


「奥さんの見舞いのためにね。間の悪い……」


 学友の危機に、大臣の心中は穏やかではないのだろう。焦りを滲ませるその態度に目を瞑り、長官は疑問を投げかける。


「貴族院の署名はどなたが?」


「大貫公爵だよ。木曜会の議員と彼の子分を中心に、一七〇人分集めてきた。皇族も三人署名してたよ。それが何か?」


「堂上華族は北海道に一人もいないのに、随分と精力的に動き回っておられるようなので、珍しいこともあるものだと思いまして」


 大貫公爵は堂上華族としての自負が強く、大名華族はともかく、それ以外の系列の華族とは関わりを持とうとしない。開拓華族に至っては敵視しているともいえる。


 華族としての誇りと自覚、などといえば聞こえは良いのかもしれないが、そんな気骨を見せるような人物かといえばそうでもないのだ。


「そういえば、稲木も堂上華族でしたね。しかも家督を継いだ被告の兄は、爵位剥奪までは同じ木曜会に属する貴族院議員だったかと」


 長官がそこまで言うと、大臣も考えを汲み取った。


「分かった、調べてみなさい。暴動への対策も、抜かりなくやってくれ」


「承知しました」


 大臣に一礼すると、蒲生長官は大臣執務室を後にした。


     ◇


 牧島記念病院の地下駐車場は、有事の際の避難所として利用できるよう整備されている。地下二階建てのこの空間は、医療スタッフと患者、その家族を全員収容することができ、さらには戦争の際のあらゆる危険から人命を守ることができるよう設計されている。


 先代当主・牧島惣太郎は、第二次太平洋戦争の折のロシア連邦による千島列島侵攻を目の当たりにし、米帝によるベーリング海への水爆投下によって、戦争と核の脅威を身を以て体験した。そんな彼が死の間際、故郷の人々をあらゆる戦争から守りたいという思いを息子の惣助に託し、実現されたのがこの避難シェルターだ。


 金の無駄と断じる者はそこかしこにいたし、卑しい市議の中には、そんなものより他の公共施設の拡充をと綺麗事を並べ、自分の利権に金を落とさせようとする輩もいたが、職員と患者から一人の死者も出さずいられているのは、惣助が亡き父の遺志を尊重した結果だ。


 地下一階の駐車場は、地上に繋がるスロープのシャッターが閉められ、駐車されていた病院の車を横づけしてバリケードが作られていた。その奥では各科の医師と看護師達が、地上階から持ち寄った医療器具と備えつけの仮設診察台を使って、診察を続行している。


 地下二階には簡易ベッドが並べられていた。薄い仕切りで区切ってはいるが、個室と呼べるほど声や音を遮れるわけでもなく、ベッドは固くて落ち着かない。それでも状況が状況なだけに、移送された入院患者達は文句よりも不安を口にしていた。


 その中にあって、晴華は変わらず朗らかで、それが少なからず患者や看護師達の救いとなっていた。


「戦争に巻き込まれるなんて、日本に住んでいたら早々ない経験ね。一生もののトラウマよ」


「その割には、顔色も悪くないな。全く君の強さには呆れるよ」


「どういたしまして」


 他の患者達と同じ、薄い仕切りで作られた張りぼての個室で、晴華はそう笑った。


 ロシア空挺軍による第一波の時点で、病院は緊急時のマニュアルに従って、患者を地下へ避難させた。幸い、患者やその家族に一人の死者もなく、深刻な怪我を負うものも出なかったのは、医療スタッフの迅速な対応と、警備員達の奮戦のおかげだった。


「あの騎士さん、本当に凄い人ね。流音さんと二人で一騎当千だったみたい」


 利き腕に貫通銃創をもらった割に元気だった警備主任から、その話は惣助も先ほど聞いたばかりだ。


 空挺軍による第一波に際して、十人いた警備員の指揮を執ったのは流音であり、防衛の最前線に立ったのはユリスだった。院長が大事に飾っていた新世界の宝剣と、地道な訓練で人並みに扱えるようになったS&Wの自動拳銃を手に、完全武装のロシア軍に流音の言うまま突っ込んでいき、無傷で帰還するという人外丸出しの活躍を見せつけた。そんな姿に感化されて、警備員達は交戦前の萎縮を吹き飛ばし、一個小隊を相手に一人の死者も出すことなく撃退したのだ。


「まぁうちは特別だからな。ロシア軍相手でも、そう後れは取らんよ」


 軍人や警察OBを採用してきた上、米帝の伝を頼って装備を揃え、民間軍事会社での海外研修まで行ってきただけに、その成果に惣助は得意気だった。


「――失礼します」


 仕切りを軽くノックして、フィラが声をかけた。


「惣助さん、全員揃いました」


「分かった、すぐ行く」


 惣助はそう答えて、晴華の方へ向き直る。


「作戦会議だ。ちょっと行ってくる」


「えぇ、行ってらっしゃい」


     ◇


 地下二階の警備員用休憩室には、惣助を筆頭に警備主任とフィラとユリス、夏目とタチアナが集まり、そして何故か惣治もその場にいた。


「惣治、お前はここにはまだ早いぞ。子供なんだから」


「子供でも参加する権利はあるよ。僕は功労者なんだからね」


 牧島記念病院の見取図を広げたテーブル。それを囲む椅子の上座で、惣助と並んで座る惣治は、膨れっ面で父親に答えた。


「功労者って何の?」


「ユリスに剣を貸すよう、院長を説得したんだよ。凄いでしょ?」


 あの刀剣マニアが執務室に飾りたがるほどの名剣だ。キーファソで功労者が国王から授けられる代物で、別海に建てた家よりも高かったと聞いていただけに、それを使うことを許させた成果は確かに大きい。


「そうなのか、ユリス?」


 斜め前に座るユリスは澄まし顔で、


「あれは贋作でしたので、その旨をお伝えしたら貸してくださいました。『折っても構わない』とも言われましたが、意外と頑丈にできていて助かりました」


 病院に着いた時、院長が心なしか元気がなかったように見えたが、その理由が分かった。


「ていうか、敵が出てるんだから僕がいても良いでしょ?」


 そう言って膨れっ面のまま、タチアナを指差す。


「いやいや、私ら敵じゃないですから」


 日本語でコミュニケーションが取れるということで出席しているタチアナは、少年の敵意を笑顔で否定する。


「まぁ、良いじゃないですか。社会勉強ということで」


 そこへ夏目が仲裁する。


「分かったよ、社会勉強な。時間も惜しいし、始めよう」


 惣助も諦め、叱る代わりに惣治の頭をくしゃくしゃと撫でる。得意気な惣治を尻目に、会議は本題へ入った。


「帝国軍が救助に来るまで、ここに籠城することになる。それに当たって、まずは現状を整理しよう」


 二度の攻撃を守り抜いた牧島記念病院には、元々の装備に鹵獲したものも含め、自動小銃四十挺と拳銃二十七挺、短機関銃七挺に軽機関銃三挺、さらには対戦車ロケット砲と、ロシア軍相手にも何とか籠城できそうな装備が集まっている。


 人員は元々の警備員が十名に惣助が連れてきた五人、クロナを筆頭とする護衛四人に、タチアナのチームと夏目を加えた二十五名。そこから重傷者を除いた十九名が、事実上の総戦力だ。


 この人数で北海道からロシア軍が駆逐されるまで、この病院を守り抜かなければならない。


「現状、ロシア軍の攻撃によるものと思われる電波障害で、衛星電話を含めた通信手段が全て死んでいる。外部から助けを求めることは難しい。水と食糧は一週間分あるが、発電機の燃料はこの調子だと持って五日といったところだ。それまでに救援が来ることを祈るしかない」


 惣助が取りまとめた現状に、惣治が指摘を入れた。


「籠城しなくても、交渉して保護してもらえないの? 捕虜とか民間人の扱いって、条約とかで決まってるはずだよ」


 至極当然な一般論に、惣助は「そうかもな」の相槌を打ちつつ、


「少佐、意見を」


 貫通銃創をもらった肩を吊るした主任に、意見を求める。ぐんずりした体格の中年男性で、軍人時代の階級がそのまま愛称として定着している。


「確かに惣治さんの仰る通り、条約はあるのですが、存外守られないものです。どこの軍もそういうものです。実際、街中にミサイルを撃ち込んだり、病院を攻撃してきたことからも、確かな事実です」


「そんな……それじゃ条約の意味がないじゃん!」


 尤もな怒りに、少佐は困ったように笑うことしかできず、そこへタチアナが助け船を出した。


「戦争って地域限定で世紀末状態になっちゃいますからね。しかも相手は殺したいくらい憎たらしい奴らで、お国から大義名分まで与えられてると、人間って簡単に壊れちゃうんですよ」


「そんなの、おかしいよ」


「おかしいですよ。それが戦争です。勉強になりましたね」


 納得できない惣治はタチアナを睨むが、当人は悪意のない笑顔を返した。


「まぁそういう現状を踏まえて、守りを固める必要があるわけだが」


 惣助が話を戻して、見取図に関心を戻す。


「警備システムは最初の戦闘で破壊されてしまった以上、侵入を防ぐ手段は人手を使った巡回しかない。そこで、警備員と桐生さん、流音、ユリスで二人一組のチームを作り、二交代制で地上階を巡回してもらう」


 怪我の具合から戦力として数えられる警備員は九人。そこに夏目達三人を加えて、チームを構成する算段だ。


「それとは別に、タチアナさんのチームとクロナ、フィラにエントランス二階に陣取ってもらい、外の警戒と侵入者への迎撃をお願いしたい。君達には装備を返却し、機関銃とロケットランチャーも預けよう」


「了解です。私らの装備に人外のお二人が加われば、戦車が来ても何とかなるでしょう」


 タチアナが言うと、惣助は続けて、ポケットに押し込んでいた無線機を取り出して見せる。


「せっかくロシア軍から拝借しておいたんだが、残念なことに無線も使えない状況だ。そこで君達には、代わりのものを渡しておく」


 フィラに促して、テーブルに箱を置く。中に入っているのは、防犯ブザーだ。


「敵と遭遇したら鳴らしてくれ。鳴ったところに、タチアナさんのチームから二人急行する。他は陽動の可能性を考えて、持ち場を離れないこと。以上だが、質問はあるか?」


「一つ、よろしいですか?」


 手を挙げたのは夏目だった。


「普通の携帯や固定電話が使えないのは、ケーブルを破壊されたためだと考えられますが、衛星電話や無線が使えないのは、ロシア軍の電波妨害が原因です。これをタチアナさん達に排除してもらえば、外部との通信も可能になると思いますが、如何ですか?」


「おー、私らに死んでこいということですね。捜査官さん、恐いなぁ」


「あなた達の同僚のおかげでこんな目に遭ってるんですから、恐がらないでください」


 煽るタチアナに、笑みを返す夏目。


「で、どうなんだ?」


「責任の所在はともかくとして、それができたら私らもそうしたいのが本音です。航空支援で裏切り者どもを焼き払えますからね」


 惣助が促すと、タチアナは肩をすくめた。


「ただクラスハがどこにいるか分からないのがネックなんですよ。最新型は有効射程五〇〇キロの全帯域型ですから、探すだけで一苦労です」


「それだけの射程なら、国後にいる可能性もあるのか……」


「いや、さすがにそれはないと思いますよ」


 タチアナが続ける。


「さすがに島の部隊全部がテロリストの味方ってことはないと思うんですよね。それならとっくに爆撃くらいしてると思うんで。島でクラスハなんて使ったら、身内にバレちゃいますよ」


「なるほどな」


 とはいえ、市内が敵だらけの状況を考えれば、車両一台を探すのも容易ではない。確実性のない作戦に、人員を割ける余裕はないのが実状だ。


「事情は分かった。やはり、今は守り通すことを考えた方が良さそうだな」


「そうみたいですね」


 夏目も諦めて頷く。


「それでは、解散しよう。この病院の患者を守るために、力を貸してくれ」

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート