世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第3話

公開日時: 2021年5月2日(日) 23:55
文字数:5,707

 公安庁の一日は朝礼から始まる。数十名の部下を取りまとめる課長がその日の全体的な予定を確認し、訓示を述べる。内容には課長の性格が表れるもので、予定確認だけで終わるところもあれば、毎日十分近い訓示という名の自分語りを聞かされる課もある。


 夏目の所属する第二保安課の場合は、予定を係長と班長に細かく確認し、その上で最低限の連絡事項を述べ、「それでは今日もよろしく」と告げて解散する。予定確認がただ一方的な報告で終わることはまずなく、細かな質問や指摘が随時入り、それによって朝礼が長引くのは日常茶飯事。聞いてばかりの仕堂や護藤はこの朝礼を毛嫌いしていたが、課長との付き合いが今年で七年になる夏目は、慣れたものだ。


「最後、四係、桐生班」


「はい」


 左手にスケジュール帳、右手にボールペンを持って、夏目は痩せ身の課長・磯村に応じる。


「本日十時より、昨夜検挙した共和派容疑者の取り調べを開始します。身元確認は昨日中に完了していますので、組織内の序列が高い者から聴取していきます」


「組織内の序列はどのような根拠で判断した?」


「彼らの所属する大学と年齢から推測しています。検挙した三名は大学院生で、二名が同じ研究科に属しています。中心人物はこの二人と考えています。午前中に仕堂くんと護藤くんの二人で行い、午後からは私も加わるつもりです」


「取り調べに当たっては手心を加えることのないように」


「心得ています。十時からは定例会に出席します。議題は来週の式典に当たっての調査情報共有と、昨日の件が主になるかと」


「後ほど報告してくれ」


「分かりました」


 全員の報告が完了したのを受けて、課長が連絡事項を伝える。


「今朝内務省より通達があった。新世界のグラディア王国から、こちらに捜査要員が派遣される」


 室内の面々は表情を変えることなく、続きに聞き入る。


「人数は一人。変異石の密売組織の幹部が、祖界こちらへ逃亡した可能性があり、その捜査のためだ」


 課長が告げた捜査目的に、後ろに立つ仕堂が夏目に耳打ちする。


「班長、変異石ってもしかして……」


 まるでその声に反応するかのように、課長が続けた。


「昨日桐生班が摘発した反体制派の学生組織は、ビル一つ吹き飛ばせるだけの変異石を所持していたそうだな。この密売組織が絡んでいる可能性が考えられる。よって、捜査要員には桐生班に合流してもらい、共同で捜査してもらう」


「課長、よろしいですか?」


 一方的な内示に、夏目は手を挙げる。


「何だ?」


「その捜査要員とのコミュニケーションに不安があります。グラディアとなると、護藤くんにも通訳は頼めませんし」


「相手は日本語と中国語、米語を習得している。好きな言葉で話せ」


「分かりました」


 新世界人の言語能力の高さには何かと助けられる。まぁ、祖界の言葉を何も使えないような人材を寄越すはずもないか。


「先方の捜査員は、午後にはこちらに到着する。面倒は任せたぞ」


「はい」


「それでは、今日もよろしく」



     ◇



 取り調べを護藤に任せて、夏目は十時からウェブ会議室での定例会に臨んだ。


 経済的・軍事的同盟関係である大東亜共同体においては、警察組織もその枠組みに含まれている。特に国境を跨ぐような外国人犯罪組織や、政治的・思想的動機を持つテロリズムへの対応にはより柔軟性が求められる。そこで主導権を各国の警察組織が担うことを前提として、国を跨いだ犯罪捜査を展開することができるように、共同体加盟国の間で取り決めがなされているのだ。


 この関係をより円滑に運営していくため、公安警察の長が加盟国代表を担う連絡会の場が月次で設けられているが、共同体発起国の間ではそれと別に、課単位での情報共有の場を持っている。


 それが定例会だ。参加するのは日本の公安庁と中国の国家安全局、韓国の国家情報院に台湾の国家警察局の四組織で、各課の班長クラスが一年程度の任期で参加することとなっている。


『――本日なんですが、私の方からお話させていただけたらと思います』


 そう切り出したのは国家安全局の劉曙紅リウ・シューホンだった。丸い目に薄緑の瞳を嵌め込んだ小柄な女性で、公安警察らしからぬ可愛らしさがある。ウェブ会議では胸から上くらいしか見えないが、それでもチャコールグレーのスーツにどことなく違和感があるのは、きっと彼女の小顔がツインテールと似合いすぎているからだろう。


『実は昨日から、新世界よりグラディア王国の王立騎士団を受け入れています。目的は変異石密売組織の追跡ということなんですが、皆さんのところにも来ていますか?』


『こちらにも今朝から来てますよ』


 韓国国家情報院の朴光浩パク・グァンホ主任が答えた。眼鏡をかけた優男だが、テコンドーの大会で優勝経験を持つ武闘派だ。


『二十人ほどの大所帯でね。私は担当じゃないですが、やはり彼らの服装は目立ちますね』


『全くですね。うちなんて、五十人くらい来てますよ。引き受ける上も上ですが、相手もこちらの負担を考えてほしいものです』


 愚痴で話題が逸れてしまう前に、夏目が追随した。


「うちにも午後から一人来ます。私の班と合流するらしいです」


『一人ですか?』


「えぇ。配置が偏っているのは、おそらく私が付議した件が関わっているかと」


 夏目がそう言うと、三人は資料として添付されたファイルに目をやる。


「昨日都内の共和派テロ組織を摘発したのですが、そこで変異石を押収しました。正確なルートについては取り調べ中ですが、密売組織から手に入れたとすると、大陸経由で渡ってきた可能性を疑っているのかと」


『ロシア経由か韓国うち経由か。だとすると、台湾にもそれなりに来てるんですか?』


 朴の問いかけの相手は、台湾国の馬俊傑マー・ジュンジェ捜査官だ。この四人の中では最年長で、目つきの鋭さと表情の精悍さが、彼の経歴を物語っていた。定例会は中堅に差し掛かった若手が寄越されるものだが、彼のようなベテラン寄りの人員が担当として宛がわれたのは、台湾がこの会合に顔を出すようになってまだ日が浅いことから、せめて人員で舐められないようにとでも考えたのだろう。


『こちらには来ていませんよ』


 馬捜査官は首を横に振った。


『逃亡するとしたら台湾うちが一番考えられそうなものですがね』


 台湾は新世界からの移民や亡命を積極的に受け入れている。かつて日本が満州と連携して行った、欧米で迫害されたユダヤ人の大量受け入れ政策・河豚計画に倣って、新世界との国交樹立後から取り組んでいる政策だ。今や新世界からの移民は台湾の人口の五パーセントを占めており、政界にも進出している。新世界から逃げてくるのであれば、台湾が最も目立たないはずなのだ。


『目星でもつけているとか?』


『それなら日本に一人だけ送り込んでくる意味が分かりませんね。そもそも、ホシがどこに逃げたのか特定できないから、手当たり次第に探そうとしてるんでしょうし』


 本来であれば、せめてどのルートを使ってどこへ逃げたのかくらいは目星をつけてから捜査員を派遣するのが筋だろうに。尤も、変異石は石油や天然ガス以上に新世界の存在感を高めている代物だ。それが密売されているとなれば、焦って手が先に出てしまう気持ちも分からなくはない。


「単身で派遣されるということは、それなりの立場の人だと思いますから、その辺りで探りを入れてみます」


 自分の班で受け入れるとなれば、行動しやすいのは自分だ。そう考えて、夏目は三人に提案した。


「来週の定例には、何か共有できるよう善処します」


『ではお願いします、桐生さん』


 定例会はそこで一区切りつき、その後来週末に控えた六十周年記念式典に当たっての情報共有を行い、お開きとなった。





     ◇


 この世界の人間は、この世界を「祖界」と呼ぶ。「祖国」を捩った呼び名らしい。


 それなら自分からすれば、ここは「新世界」であり、向こうが「祖界」に当たるのだろうかと、ユリス・ゲンティアナは目の前の小柄な男を見下ろしながら考え、そして名乗った。


「王立騎士団から参りました、ユリス・ゲンティアナです」


「公安庁第二保安課の、礒村です。お待ちしておりました」


 礒村という人間は軽く頭を下げて社交辞令を述べた。人間の場合、ここで握手をするのが一般的だと聞くが、この男がそれをしなかったのは、エルフとの接し方を知っているからこそだろう。


「こちらへどうぞ。担当の者を紹介します」


 礒村が先導し、廊下を進む。


 すれ違う職員は男も女も、ユリスに目を奪われる。丁寧に編み込んでうなじの辺りでまとめ上げたシニヨンの金髪に、サファイアのような神聖な輝きを秘めた碧い眼。切れ長の目と固く結んだ口許で、端整な顔立ちに凛々しさを纏わせている。すらりと伸びた四肢にスレンダーな体型は見映えが良く、きびきびとした歩き姿は一歩踏み出す度に気品を漂わせた。仮装と見紛う青を基調とした薄地の衣服は肌にぴったりと引っついていて、祖界ではまず見かけないファッションだ。騎士団の紋章を誂えた純白のマントと腰に差した剣と龍革のブーツも、これほどの美貌と長身の持ち主であれば否応にも映えるものだ。それに何より、尖った耳だ。日本には一万人も住んでいない上、その多くが都心を避けているエルフとなれば、釘付けになってしまうのも仕方のないことだろう。


 だがそれは人間の都合であり、ユリスからすれば単に不快なだけで、二階の応接室から十八階の一室へ移動するまでの数分間、何人もの好奇の目を耐えなければならず、その不満を吐き出すように、隠すことなく深いため息を吐いた。


「あれが担当の者です」


 通されたのは取調室の隣室。マジックミラーを通して取り調べの様子を窺うことができるようになっている部屋だ。


 取調室にいるのは四人。机に着いて座る、下を向いた青年と、彼と向き合う茶髪の女。こちらに背中を向けて調書を執る用意をしている背広の男に、扉の前で腕を組んで仁王立ちしているゴブリンだ。


「今取り調べの最中でしてね。すぐ終わると思いますので、挨拶はその後でお願いします」


 礒村に相槌も返さず、ユリスは取り調べの様子をじっと見つめる。


 女は間違いなく人間だ。肩甲骨の辺りまで伸びたセミロングのストレートヘアに、チャコールグレーのスーツ。ここからは横顔しか見えないが、顔立ちが整っているのは分かる。厚着で身体のラインは正確には分からないが、腕と太ももは武術を心得た者の肉付きだ。見立てからするに、日本では嗜む者が多いという剣道だろうか。


「――東都大学理工学研究科、白山亮しろやま りょうさん」


 女は目の前の青年に声をかけた。恐ろしく淡々とした声だった。


「あなたには三つの未来があります。一つは、あなたの知る全てを話して、減刑されて十数年服役する。もう一つは、その信念に殉じて、死ぬまで私達の尋問を耐え抜く。そして、信念に殉じようと努力するも耐えきれず自供し、テロリストとして処刑される」


 青年は俯いたまま、肩を震わせ、膝に置いた拳を固く握り込んでいた。


「賢いあなたなら、どの未来が自分にとって最良か、判断できると考えています。さぁ、どれを選びますか? 行動と成果で示してください」


 彼女がそう言うと、背後のゴブリンが壁に立てかけてあった竹刀を持って、青年の背後に回った。


「今から私が質問をしますから、正直に答えてください。五秒以内に返事がない場合、竹刀であなたを殴ります」


「……っ」


「また回答に虚偽があった場合、送検に際して非協力的であった旨を併せて伝えます。その場合、死刑を求刑されることは覚悟してください」


 ようやく顔を上げた青年。その縋るような仕草を突き放すように、女は目線を手元のノートに落とし、淡々と尋問を開始した。


「あなた達のアジトからは、自動小銃一挺と拳銃二挺、実弾三〇〇発に変異石四〇〇グラムが押収されています。これらをどこで、或いは誰から入手しましたか?」


「し、新世界の商人から……」


 青年が絞り出そうとした声を、女は拳で机を叩いて遮った。青年はその音にビクリと跳ね、そんな姿を女は睨みつける。


「捕まった時のために口裏を合わせていたのかもしれませんが、新世界から出入りしている貨物は全て把握しています。あなたが今言おうとしたことが嘘だということは、お見通しですよ」


「…………」


「今のは特別に聞かなかったことにして、もう一度だけ訊きます。武器と弾薬を、どこで、誰から受け取りましたか?」


 声を荒げることなく、語調だけで威圧し、僅かに残っていた対抗心すらへし折る。


 やがて青年は、震える唇で必死になって、供述を始めた。


「ぶ、武器の受け取りには米山と倉持の二人で行ったから、分かりません。で、でも、紹介してくれた人は分かります。東京学院大の、熊沢って教授です。法学部の」


「東京学院の熊沢……」


 女は少し考えてから、


「その教授とはどのような関係ですか? ただの師弟関係ではないでしょう?」


「米山達がその教授のゼミ生で……」


「彼らからその教授について何と聞いていましたか?」


「自分達の活動を支持してくれていると……あと、ドイツやフランスにコネがあって、困ったら助けになるからと言われました」


 青年はそれから数十分の間、女の威圧と死への恐怖に気圧されて、素直に尋問に応じた。青年の供述を機械のように書き取っていく男と、青年の背後で竹刀を弄ぶゴブリン、そして何より、青年に絶えず静かな圧力をかける女。この三人が作り出す空気の重苦しさは、マジックミラー越しでもユリスに伝わった。





「――第二保安課の桐生夏目です。よろしくお願いします」


 尋問が一区切りついて、男とゴブリンに後を任せる形で、礒村が連れてきたあの冷酷そうな女は、ユリスを紹介されるなり人当たりの良い笑みで、右手を差し出してきた。


「桐生、ゲンティアナ管理官はエルフだぞ」


「あ、そうでしたか」


 礒村に窘められて、女はばつが悪そうに笑って手を引いた。


 先ほどとのギャップに呆気に取られたユリスだったが、咳払いで気を取り直して、名乗り返した。


「王立騎士団のユリス・ゲンティアナです。よろしくお願いします」


 右手で作った拳を、左の胸に当てる。身体に染みついた騎士の儀礼に、女捜査官は目を丸くしたが、


「……早速なんですが、今からお時間をいただけますか? 情報共有はスピードが大事ですから」

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