世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第2話

公開日時: 2021年5月2日(日) 23:55
更新日時: 2021年5月10日(月) 01:47
文字数:5,709

 一九六七年に米帝アメリカ帝国が行った過去最大の水爆実験・オラクル作戦は、新世界との邂逅をもたらすと同時に、欧州連合と大東亜共同体との三極冷戦を二十一世紀まで長引かせる契機となった。


 第二次太平洋戦争に起因する欧州連合との二度目の衝突。これに辛勝してグリーンランドを手に入れたものの、本懐を成し遂げることができなかった米帝は、中南米で影響力を強めていく欧州連合への威嚇の意味も込めたこの核実験を、カリフォルニアの砂漠で実行した。この実験に用いられた水爆の核出力は一〇〇メガトンに達し、時空を歪め、異世界との邂逅という副産物をもたらした。


 米帝はこの新世界へ調査隊を派遣。彼らを迎えたのは中世ヨーロッパにも満たない武器と価値観を持った国々と、そこに住まう人間とそれ以外の多種多様な種族、そして魔法に竜にユニコーンといった空想の住人だった。


 彼らは米帝を受け入れなかった。突然現れた時空の歪みからやってきた奇怪な集団に、いきなり心を開けというのが無理な話だろう。彼らは米帝の調査隊に弓を引き、魔法を放ち、その報復に銃弾と焼夷弾を浴びせられ、そして米帝と異世界の連合国との戦争が始まった。その戦争は開戦から僅か半年後、一五メガトンにまで出力を抑えた水爆を計五発落とされ、連合国の無条件降伏という形で幕を下ろした。


 この半年で、異世界の住人は多くのものを失った。主要国家とその王公貴族は全て滅び、それらの領土は米帝の属領となった。この世界を支配しようとしていた魔族は核攻撃で蒸発し、それらを率いていた魔神も迫撃砲で爆殺された。そしてこの世界の希望となるはずだった勇者とその仲間達も、米帝の無名の兵士の銃弾に倒れ、呆気なく死んでしまった。


 今や米帝は新世界の八割を支配し、そこから搾取する富によって過去の威光を取り戻した。もし新世界との邂逅を果たすことなく欧州連合と大東亜共同体との軍拡競争につき合っていれば、米帝の経済は十年と持たずに破綻し、帝国は崩壊していたはずだ。新世界が人々の暮らしを豊かにしたのは間違いないが、同時に緊張状態を引き伸ばす元凶となってしまったのもまた事実だった。


『米帝とは君主制国家という点で価値観を共有しているのかもしれませんが、新世界での彼らの非人道的な政策は目に余ります。先ほど先生は、新世界からの亡命希望者が増加傾向にある原因を米帝の種族隔離政策にあると仰いましたが、まさにその通りでしょう。大東亜共同体としてのアクションを考えると、新世界政策には欧州との連携を考える局面に来ているんじゃないでしょうかね?』


『いや、あなた何を言ってるんです? 欧州連合だって米帝と変わりありませんよ。もし彼らを引き入れれば、新世界でも三極冷戦の構造が再現されるだけです。いや、下手をすれば我々が新世界での足場を奪われてしまうかもしれませんよ?』


『姜さんね、それは偏見ですよ。私はフランスやドイツにたくさんの友人がいますが、彼らはみんな口を揃えて平和を求めているんです。侵略なんてすべきじゃない、アフリカも解放すべきだ、ってね。アメリカ人と比べたら遥かに知的で平和的なんですよ。昔のイメージで語ってはいけません』


 最近の学者や評論家は肝が据わっている。寝惚け眼でテーブルに着いた夏目は、何となく点けたテレビでのやり取りを観ながらふとそう思った。


 共和制国家と王族を単なる象徴にまで追いやった制限君主制国家から成る欧州連合は、三極の一角であると同時に、この世界に限れば最大勢力だ。第二次太平洋戦争の折の大日本帝国と帝政中華による電撃作戦によってアジアの主導権は失ったが、アフリカ全土を植民地として支配し、南米や中東の一部の国に今なお強い影響力を持っている。君主制を否定し、植民地政策を正当化する彼らは、三つの帝国が牽引し、独立尊重を絶対の理念とする大東亜共同体とは水と油の存在であり、公の場で肯定することは治安維持法に抵触しかねないのだが、最近は摘発される事例が滅多にないのを良いことに、欧州に心酔した知識人層のメディアでの台頭が目立つようになっていた。


「シャワー浴びよ……」


 韓国人ジャーナリストと映画評論家の論戦が白熱し始めたところで、夏目はテレビを消した。壁にかけた針時計は、午前六時を指している。起床にはやや早すぎたが、かといって二度寝をするほどの余裕もない。そんな中途半端な時間だ。


 シャワーを浴びて、眠気と僅かな寝汗を洗い落とす。公私の比率が前者に偏っている夏目にとって、朝と夜のシャワーは数少ない安らぎの一時だ。


「昨日の報告書を確認して、取り調べをして……あ、今日は定例会の日か。外出の予定は確かなかったわよね」


 ボディソープを身体に塗り広げながら、自分自身と確認するように呟く。毎朝のシャワーの時の習慣だ。


 上半身から下半身と、いつもの順序で身を清め、脛と脇の無駄毛の処理を済ませると、時刻は六時三十分を過ぎていた。出発までまだ一時間近くある。


 夏目は仕方なく、朝食を済ませてしまうことにした。といっても、料理が得意というわけでもないし、況してやそういった趣味もない。


 男もののTシャツと短パンで、肌寒さの残るダイニングに戻ると、冷蔵庫からヨーグルトといちごジャムを取り出し、食器棚から水気の少し残ったスプーンを摘まんだ。それらを両手にテーブルに着くと、再びテレビを着けた。


 こうしてゆっくりテレビを観るのも久しぶりだ。夜は静かに過ごしたい性分だし、朝はいつもなら一時間余分に寝ている。珍しく早起きしたからこその視聴だ。尤も、これが三文の得と受け止めるほどの旨味なのかは、微妙なところだが。


『今月二十五日に東京で開催される、大東亜共同体設立六十周年記念式典を前に、冲方共同体担当大臣が式典の会場となる国立競技場を視察しました。冲方大臣は取材に対し、「アジアが独立と発展のために結束を誓った記念すべき日。その祝いの場となる式典を、何としても成功させる」と、意欲を示しました』


 テレビには件の大臣の視察の様子が映し出されている。一週間前に迫り、会場では設営作業が急ピッチで進められているというのに、政治家のアピールにつき合わされるのは良い迷惑だろう。


 大日本帝国と帝政中華、大韓帝国の三国が中心となって設立した大東亜共同体は、東アジア諸国の国家主権の保全を目的とした経済・軍事同盟だ。軍国主義全盛の大日本帝国が、第一次太平洋戦争の頃に提唱した大東亜共栄圏から着想を得て、それをより対等かつ緩やかにしたものだ。相互協力と独立尊重という二つの理念を掲げ、欧州連合と対峙した第二次太平洋戦争をきっかけに、欧米列強の植民地となっていたアジア諸国を次々と解放し、着実に力を付けていった。今やトルコやブラジルにイスラエル、新世界の国々までもが加盟し、最早東アジアに限らない世界的な影響力を有する、冷戦の主役となっていた。


『――日本時間の昨日未明、新世界ジャルワ王国と新世ロシアの国境付近の町で、アメリカ軍と韓国軍との間で発生した武力衝突について、西山外務大臣はアメリカの対応に遺憾の意を表明するとともに、死亡した二名の韓国軍兵士に哀悼の意を捧げました』


 相変わらず新世界は緊張しっぱなしのようだ。パキスタンとインドも国境でよく小競り合いを起こしているが、新世界のそれは頻度がまるで違う。


 新世界の八割を支配する米帝に対し、残りの二割は独立を維持しているのかといえば、答えは複雑だ。国家主権は維持しているし、原住民の基本的人権も保障されている。だがそれは、彼らが大東亜共同体の加盟国であり、彼らの主権を侵害すれば、即ち大東亜共同体との全面戦争の引き金となるという強力な後ろ楯あってのものだ。


 米帝が新世界制圧に王手をかけようとした一九六七年の夏、帝政中華は七十メガトン級の水爆三発をゴビ砂漠の領内で同時に起爆させた。中国共産党に止めを刺すため、北京に満州製の原子爆弾を落として以来となる、中国領土内での実験目的以外での核爆発によって、新世界への扉をこじ開けた。


 中国は十万人からなる陸軍を段階的に派兵し、米帝の力が及んでいない地域を制圧。大小十七の国に軍事力をちらつかせて条約を結び、正当な国家として承認した。


 性急な軍事介入を単なる侵略と捉え、大東亜共同体の理念に反すると、当時の中国野党や日本の右派からは批判が沸き上がったが、今となっては当時の中国政府の大英断と称賛されている。もし中国が他国と足並みを揃えることを優先していれば、残りの国々も全て米帝の手に落ちていたはずだからだ。それに、中国が結んだ条約は、飽くまで中国との国交樹立のための基本条約でしかなく、大東亜共同体への加盟や軍の進駐を認めさせるものでもなかったことで、彼らが野心と理性をバランス良く取り入れた末の判断だったことを、同盟諸国に証明したのだった。


 帝政中華の介入によって米帝の侵略を免れた十七ヶ国は、大東亜共同体に揃って加盟。日本と中国と韓国、そして日本から独立して間もなかった台湾の軍を中心に編成された連合軍による国防体制を堅持したまま、今日を迎えている。


 ――ふと、夏目は壁の針時計に目をやった。気づけば時刻は七時を回ろうとしている。支度を始めるにはちょうど良い時間だ。


 夏目はテレビを消して、寝室へ戻った。Tシャツと短パンを脱いで、着慣れたワイシャツに袖を通し、履き慣れたスーツパンツを履く。いつも通りの最低限の化粧で身支度を整えると、部屋の隅に置いてある仏壇の前に正座し、手を合わせる。


「……じゃあ、行ってきます」


 三つの位牌にそう笑いかけて、夏目は鞄を手に立ち上がる。


 東京・駒込。商店街の傍に広がる住宅地で、頭一つ目立つ八階建てのマンションが夏目の自宅だ。


 昨日降り続いた雨は止み、早朝の空には細切れになった雨雲が、晴れやかな青空の中を漂っている。


 そんな秋雨の残滓を蹴散らすかのように、空を見上げた夏目の視界を、赤い身体の火竜が高らかに吼えながら飛んでいった。


「あんな低いとこ飛んでたら、また電線にひっかかるよ」


 緩やかな坂を駒込駅に向かって下りていく女子高生二人組。ふわふわした茶色い猫耳を生やした小柄な少女が、そんなことを言ったのが聞こえた。


「この前凄かったもんね。バチバチーってなってたもん」


 低空飛行の火竜がビルに激突したり、電線に引っかかって感電死することは、さして珍しい事故ではない。最近はどこも強化ガラスなり高耐久電線を使っていて、人命やライフラインに影響する事態に発展することは稀なものだから、電車の人身事故の方がまだ嫌われている方だろう。


 この世界の国々が新世界に進出したことで、逆にもたらされたものも少なくない。目の前を歩く猫耳女子高生などはその最たる例だろう。あれはコスプレのための飾りではなく、間違いなく本人の耳だし、スカートの下から伸びるふわふわの尻尾も、本人の身体の一部だ。


 彼女のような獣の特徴を持った亜人は、この世界に移民してきた新世界人の一種だ。彼らの世界より洗練された文明と科学技術に惹かれて、この世界に移住したがる者は後を絶たない。部下の護藤のようなゴブリンに、大牙隊長のようなオーク、駅前の交番に勤める犬型獣人の警官に、通勤時によくすれ違う夜勤明けのドワーフ、行きつけの食堂を切り盛りする蜥蜴人と、多様な種族がここ数十年のうちに大東亜共同体に受け入れられ、各国の文化に順応してきたのだ。優れた語学力を有する彼らにとって言葉の壁はあってないようなものだったし、移民の子供に当たる目の前の猫耳女子高生にもなれば、大日本帝国で生まれ育ったおかげで、文化的な障壁を感じたことも少なかったことだろう。


 踏み切りにさしかかり、女子高生二人組は足を止め、夏目も一歩後ろでそれに倣う。


「そういえばさぁ、今朝のめざまし観た? 今日のスライム」


「あー、見た見た! あの角伸びる青いスライムでしょ? あれめっちゃかわいいよね~」


「あたしもスライム飼いたいんだけどさぁ、うち猫いるから無理なんだよ」


「あんたも猫みたいなもんじゃん!」


 そう言って猫耳を触る亜人の友達。微笑ましい光景の向こうでは、電柱に止まった火竜を、足下の交番から犬型獣人の警官が心配そうに覗いている。


 新世界から渡ってきたのは、移民だけではない。火竜やスライム、それにこの世界に生息するものとよく似た生物も、多く流入してきている。それらは生態環境を脅かす存在として駆逐されたものもいるが、火竜のようにすんなり受け入れられ、固有種や人間社会と共生しているものも少なくない。


 ファンタジーゲームのクリーチャーそのままの火竜は、見た目に反して大人しく、名前の割に火は吹かない。その気になれば人間を噛み殺すことだってできそうな鋭い牙に、ハリウッド映画に登場する恐竜のような鋭い眼を持つが、大抵は物好きな町の人が与える鶏肉か魚の切り身が主食。繁殖力はカラスに劣るものだから、町に住み着く個体は精々数体。夜は大人しく寝ている。害といえば精々、頭が悪いから電線に引っかかって感電死するか、ビルに激突するくらいのものだろう。


 スライムも雑食だが、ほとんどの種は自分より大きな生き物は獲物とせず、ネズミやゴキブリを捕食する。よほどの劇物でなければあっさり取り込んでしまう上、ある程度の大きさになると勝手に分裂し、数が増え過ぎれば自分達で勝手に淘汰してくれる。この特性を利用した害虫・害獣駆除業や清掃業も、今では星の数ほど存在し、街にはゴミや不潔な生き物の代わりにスライムが散見されるようになっていた。


 この世界に住み着くことのできた生物は、大抵このような見かけ倒しのものばかりだ。新世界には火を吹き、毒を撒き散らし、何百という人を一瞬で死に至らしめる凶暴な竜や、人間を惨たらしく殺傷する危険な生き物も少なくないが、そういった手合いは徹底的に出入りを制限されている。持ち込まれようものなら軍が出動して殲滅し、持ち込んだ者には問答無用で懲役刑が課される。


 役立つものは取り込み、そうでないものは排除する。そうやって新世界と付き合っていきながら、既に半世紀が過ぎていた。




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