トム・アンダーソン先任曹長は、目の前の光景を眺めながら、小さな欠伸を漏らした。
SASは帝国軍最強の特殊部隊であり、この部隊の一員に加わることを夢見る兵卒は少なくない。ソロモン大帝直属の工作部隊として結成され、レーニンを始めとするボリシェヴィキへの要人暗殺や破壊工作を担ったのを皮切りに、中国内戦や二度の太平洋戦争でも功績を挙げ続けてきた。
士官学校を出て陸軍に入隊し、レンジャー連隊の一員として活躍した後、トムがこの部隊に加わって最初に任された任務は、何と驚くことにお守りだった。
「このうり坊は子供じゃなくて、成体なんだね」
「ピグレットなのに成体なのか。こんな小さいのによく繁殖できたな」
目の前では白人とアジア人の子供が、二人して五匹ほどの小さなイノシシにビスケットを食べさせながら、日本語でそんなつまらないやり取りを交わしている。去年までなら理解することができなかったやり取りだというのに、SAS入隊のために日本語を習得した今、このくだらないやり取りが分かってしまう。
「それにこいつら人懐っこ過ぎるな。ちょっと餌あげただけでついてくるなんて、犬より警戒心がないぞ」
「うん。でも、かわいいから良いんじゃない? このまま連れていこうよ」
日本人の少年が意味の分からない提案をした。白人の少年は、
「悪くないな。ロジャーに訊いてみよう」
そこは断っても良いのではないかと、トムは内心思ったが、まるで兄弟のような二人のやり取りが微笑ましく、ついでに足下でビスケットを貪る小さなイノシシ達がかわいらしかったので、口には出さないことにした。
この新世界に帝国が進出して一年。二割ほどは後からやって来た帝政中華に占領されたものの、残る八割は帝国が実効支配し、現在は全土に調査隊が派遣されている。
新世界南部、パラディナ連合王国という亜人と獣人の国を分断する、帝国と大東亜共同体との境界線付近の調査には、両陣営からそれぞれ人員を送り、合同で調査隊を編成することとなった。帝国からは民俗学の専門家に軍の医療チーム、そしてそれらの護衛のためにSASとトムの古巣であるレンジャー連隊を含めた総勢三百名が参加し、そこへパラディナ連合王国の後ろ楯である大韓帝国の地質学者や軍人、その隣国で畜産と農業の発展のためにやってきた日本人の酪農家や大学教授らの一味を加えた、総勢五百人の大所帯である。
この調査隊の成果は、帝国と大東亜共同体との境界線の確定にも影響する。SAS入隊後の初任務とあって、意気込みもかなりのものだっただけに、任された仕事が子供のお守りだった時、トムは拍子抜けしてしまった。
「おいトム、ロジャーはどこだ?」
お守りの対象である少年・アルバスは、態度と物言いが身分相応に尊大だ。たった今投げかけてきた米語の問いかけも、一回り年上の相手にかけるものではなく、召使いにかけるそれだ。
「大尉はホランド博士達と一緒に、近くの村まで行ってるよ。今日は夕方まで戻らないぞ」
「ロジャーのやつ、今度はあの女を狙ってるのか。あんなのどこが良いんだ」
「そう言うなって。博士は准尉からも好評だぞ」
「なおさらダメだ。お前、レイの妻見たことあるか? 中々のブスだぞ」
酷い言われようの准尉に同情していると、やれやれと首を振るアルバスに日本人の少年が、
「何の話?」
「ホランドって民俗学の博士がいるだろ? ロジャーのやつ、あの博士と寝たいんだ」
「同じテントで寝るの? 何で?」
「あぁ、お前にはまだ早いな。ていうか、惣助も米語は勉強しろよ。お前頭良いし、すぐできるだろ?」
「うーん、考えとく」
牧島惣助という十歳そこそこの少年と、十五歳になるアルバス少年との会話は、微妙に噛み合わず、また微笑ましかった。
「盛り上がってるなぁ、悪ガキども」
そこへ話題に上った人物がアルバスの親族とともにやってきた。丸い坊主頭に鉄帽を被った黒人のレイモンド・マクドナルド准尉と、彼の直属の上司であるハロルド・テューダー中尉である。
「何の話してたんだ?」
「ロジャーおじさんがホランド博士と一緒に寝たい、みたいな?」
「アル、お前こんな子供に何吹き込んでんだ」
ハロルドが仏頂面をさらに顰める。牧島惣助は額面通りの意味しか知らないだろうが、大人になるとそうではない。
「事実だよ。ねぇ、ハルから見て、ホランド博士ってどう思う?」
開き直った上に話題を逸らしたアルバスに、ハロルド中尉は少し思案した後、堂々と答えた。
「性格は素晴らしい」
「ほらやっぱり」
「アル、良いか? 女に大事なのは見た目じゃない、中身だ。いつも言ってるだろ? グレースみたいな見た目が良くても性格がゴミみたいな女に引っかかっちゃいけない」
マクドナルド准尉が熱弁するが、その発言は何かと不味いのではなかろうか。
「二人とも、このイノシシを連れていきたいそうです」
仕方がないのでトムが本題に軌道修正する。少年達の足下では、件の小さなイノシシが寝息を立て始めていた。
「さっき森にいたやつか。危険はないのか?」
「見ていた感じ、大人しいですよ。ビスケットを食べてる間も、仔犬みたいな感じで」
「なら構わんな。世話は手伝ってやれ」
面倒な仕事が増えてしまった。トムは肩をすくめながら、
「了解です。二人とも、世話はちゃんとやるんだぞ?」
飽くまで手伝うだけなのだから、世話をするのは二人だ。そのつもりで告げると、
「分かってるよ。うるさいなぁ」
「トムも撫でてみる? かわいいよ」
不満そうなアルバスに、無邪気に手招きする日本人の少年。誉れ高いSASに入って子守りとペットの世話をすることになるとはと、トムはため息混じりにイノシシを撫でた。
「――また随分と懐かしい話だな」
昔話を一頻り語り終えたトムに、アルバスは平坦な口調でそう答えた。
「そんな話をするために帝国に反逆したのか?」
「なに、ただ懐かしくなってな」
淡々と、威圧的ですらあるアルバスの問いかけに、トムは気だるそうなため息とともに言った。
「さっきマキシマの長男を見かけた。父親とよく似ていたから、それで思い出したんだ」
「そうか。用件が済んだなら、さっさと降伏しろ。これ以上騒ぎを大きくすると死ぬことになるぞ?」
脅迫同然の忠告に、トムは肩をすくめた。
「死ぬことを恐れて軍でやっていけはせんよ。そんな陳腐な恐怖心は、ロジャーの指揮下に入った時に捨てたさ」
「お前のような人間は、不名誉を最も恐れるか。それならこの騒ぎで得られる最悪の不名誉は、恐くないのか?」
「全て覚悟してきた。もう口先でどうにかするのは諦めろ、アル。私はもう、全て受け入れたんだ」
全てを諦めたかのような草臥れた目には、それでいて禍々しい意志が鈍く輝いていた。その正体を慮ったアルバスは、彼の言う通り、それ以上は言い返さなかった。
◇
「――ネネリが集めた情報によると、コンベンションセンターの周囲百メートルを軍が包囲しており、市庁舎と警察署、それから皇帝官房の本部も封鎖されているそうだ。外部への連絡手段も、この調子では絶望的だろうな」
支度途中の夏目達のもとへやって来たセルーは、女中のエルフから受けた報告の内容を告げた。
「プスタスクの都市機能は麻痺状態だが、帝都が気づくのも時間の問題だ。トムはそれも織り込み済みだろう」
「トムおじさんは何を考えてる? 目的は?」
「さあな。本人に直接訊いてきてくれ」
地下壕に保管していた軍の戦闘服に着替えたホープに、セルーが投げやり気味にそう答えると、彼の部下達と夏目に続けて言った。
「お前達、ホープを死なせるなよ。この子は帝国の希望だからな」
「過保護だなぁ。そういうのモンスターペアレントっていうんだぞ?」
ヘンドリクセンが茶化して、それにマリーデルが続く。
「フォルタレザで日本軍に囲まれても無傷で帰ってきたんだぜ? うちの部隊は不死身だ、安心しなよ」
「すみませんね、皇帝官房さん。今のは聞かなかったことにしてください」
マリーデルの軽率さに辟易しつつ、サイモンが夏目に頭を下げた。
「今は立場上追及できませんからね。証拠もないし」
夏目は苦笑しながらサイモンに応じた。人材交流事業には想定されていない組み合わせだろうから仕方ないのだろうが、まさか自国に関わる機密を知ることになるとは思わなかった。
「それで、どうするつもりだ?」
セルーがホープに作戦を訊いた。準備を終えたホープは、M4カービンを肩に提げて、テーブルの見取り図へ促す。
「ここから地下の避難通路を進んでコンベンションセンターへ向かう。移動手段は徒歩だが、まぁ急いで四時間といったところだな」
「相手も待ち構えてますよね? その場合はどうしますか?」
横から夏目が指摘すると、ホープは首を振った。
「この通路は表向きには存在しないことになっています。今回のように襲撃を受けた時のための避難経路ですからね。相手も帝国軍とはいえ、この通路の存在は知らないでしょう」
「だろうな。俺も今初めて知った」
ヘンドリクセンがお墨付きを与えると、夏目も納得したように頷いた。
「コンベンションセンターに着いてからは、二手に分かれる。僕らは陽動兼制圧役として派手に暴れて、その間に桐生警部には、人質の発見と避難誘導をお願いします」
「一人で帝国軍相手に立ち回れる自信はありませんよ」
さすがに無理な要求だ。困惑する夏目に、ホープは背中を押す。
「人質の中には、貴族の護衛も多数含まれています。彼らを解放すれば、まぁ弾除けにはなってくれるでしょう」
「護衛とマスコミは何人死んでも構わないが、貴族は死なせるな。それがお前の任務だ」
「簡単に言ってくれて。具体的にどうしろっていうんですか?」
「お前達が侵入する地下通路に避難させれば良い。見取り図をしっかり頭に叩き込んでおけ」
ホープ達が囮役兼制圧役として暴れ回る間に人質を見つけて、彼らを通路まで避難させる。一人でこなすには手間がかかり過ぎるが、これ以上ごねても結果は変わらないだろう。
「敵は僕らが来ることは想定していても、あなたの存在には気づいていないでしょう。あなたが目立たないよう暴れますから、安心してください」
場違いな人当たりの良さの笑みでそう言ったホープに、夏目は「頼りにしてます」とだけ答えた。
「で、警部が人質を逃がし終えたら、あたしの出番ね」
着慣れた戦闘服姿のリールーが得意顔で割り込む。ホープはそれに合わせて、夏目に青色の携帯電話を差し出した。
「避難誘導を終えたら、これを使ってください。通話ボタンを強く押すだけで起動します」
「何ですか、これ?」
この作戦で使うものという時点で不穏な代物だが、それ自体の見た目はプラスチックで作られた安物の玩具だ。特別な殺傷力を持った兵器とは思えなかった。
「強力な電磁パルスを発生させる装置です。まぁ、中身は魔法ですけどね」
「帝国軍の特殊部隊が工作とかで使うやつだよ。警部見たことないでしょ」
何故かリールーが得意気に言った。
「これを使えば、コンベンションセンター一帯の電力は停止します。軍の戦車や装甲車には効きませんが、少なくとも外部から異変があったことはすぐに分かります」
「それを合図に、あたしが爆弾積んで駆けつけて、真上から落として鎮圧ってわけ。簡単でしょ?」
リールーが乗るジャルマンオオトカゲは、三トン程度の重量なら運ぶことができる。小型化の進んでいる米帝の爆弾なら、そのくらいの重さでも破壊力は相当なものだろう。
「投下する爆弾は変異石を使った第五世代型だ。武器庫にしまっておいたものが一発あるから、それを使う。コンベンションセンター一帯は更地になるが、幸いあそこには反逆者しかいないからな。在庫処分にはちょうど良いだろう」
澄ました顔でセルーは言った。
「屋敷からコンベンションセンターまでは、ジャルマンオオトカゲなら十分程度で着くだろう。合図を確認したら、地下に隠れておけ」
「爆弾は雲の上から落とすから、そっちの状況も分かんないからね。吹っ飛ばされても恨みっこなしだよ?」
半ば冗談めかしてリールーが笑う。内容が内容なだけに、夏目は笑う気にはなれなかった。
「後は頼んだぞ。私は他に、やることがあるからな」
「母さんももう良い年なんだ。帝都の連中に任せれば良いだろ」
「そうはいかないんだよ。減らず口を叩くな」
息子を窘めると、セルーは部屋を後にした。
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