世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第24話

公開日時: 2021年5月28日(金) 21:48
文字数:4,724

「――いなくなったってどういうことだよ? ていうかお前、持ち場離れんなよな」


『緊急事態だったんですよ! とにかく、ユリスさんを探さないと……ほんともう、何考えてるのよ、あの人!』


「俺に当たんな。とにかく、俺もそっち戻るから、お前はそこから動くなよ。動いたらゲンコツだからな」


 ユリスから妙な電話を受けて、車に戻るといなくなっていた。そんな夏目からの焦りと苛立ちに染まった報告を切り上げると、鎖地はため息混じりに、ソファに座る御仁へ向き直る。


「悪いな、組長。もう少し話したかったんだが、野暮用ができた」


 兼久一家総長・兼久巌は、茶地の着流しを血で黒く染めながら、ソファで息も絶え絶えに鎖地を見据えていた。その目に暴力組織の長としての覇気は最早なく、ただ死を待ちわびる家畜のように冷や汗を滲ませ、右膝と左耳に穿たれた銃創の痛みに身を震わせていた。


「とりあえず、欲しいもんは一通りもらえたから、約束通り奥さんと子供は見逃してやるよ」


 いたずらっぽく笑って、手前の金庫から金の延べ棒を一本拝借し、茶封筒と一緒にリュックにしまう。金庫には延べ棒の他にも、宝石やら外貨やら、金目のものが詰め込まれていた。


「こんなことして、ただで済むと思ってるのか……」


 力なく、総長は呻いた。


「この国には、俺の子分やその傘下のもんが千人からいる。お前ら公安相手だろうが関係ねぇ。親殺されて黙ってられるほど、ヤワな育て方はしてねぇからな」


 血の混じる唾を飛ばしながら笑う総長の腹に、鎖地は銃弾を撃ち込んだ。


「ヤクザってどこ行っても変わんねぇのな。大袈裟な数字並べれば相手がビビると思ってやがる。芸がねぇんだよ」


 子犬のように弱々しく呻く総長にそう吐き捨てると、思い出したように、


「あ、そうそう。忘れてた。実はお前ら宛に、荷物預かってるんだ」


 床に置いたリュックを掴んで、中から長方形の金属箱を取り出す。導線を束ね、赤い液体で満たされた強化ガラスのシリンダーを三本並べたそれに、総長は息を飲む。


「原材料を盗むの手伝ったんだから、こいつが何か分かるよな?」


 鎖地がそう問い詰めると、総長は口許を震わせながら目線を落とす。鎖地はその反応を見て、意地悪く笑った。


「ほんとに、子が子なら親も親だな。分かりやすくて助かるよ」


 備え付けのパネルに暗証番号を打ち込むと、安全装置が解除されて、アラームが鳴る。まるで喧しく喚く小動物のようなそれを、鎖地は組長に投げ渡した。


「そいつは公安庁うちが作った小道具だよ。お前らが売ったものと同じ、東端炭鉱の変異石を使ってな。お前が密売組織に渡したやつとは無関係だよ、間抜け」


「貴様ッ……」


「暴力団の本部で何故か変異石爆弾が爆発した。どうやら暴力団が変異石爆弾を密造していたようだ。テロ組織に流れているおそれもある。だから、新世界の暴力団を一掃しよう……まぁこんな感じの筋書きだろ。上の連中の考えてることなんて、あんま興味ねぇけど」


 めんどくさそうに言うと、鎖地は遁走を図って立ち上がろうとした総長の左足を撃ち抜いた。床に倒れて呻く総長の目の前に、変異石爆弾を拾って置いてやると、さらに両手のひらを穿った。


「変異石爆弾の爆発を特等席で見られるんだ。最期にお国に役立てる上にこんな経験までできるなんて、幸せ者だなぁ」


 芋虫のように悶える背を踏みつけ、鎖地はリュックを肩に提げたまま、部屋を出ていった。総長の書斎には死にゆく主のか細い声と、獣の咆哮のようなアラームが、ただただ決まり事のように響き続けた。


     ◇


 鎖地が戻ってくると同時に、丘の向こうでけたたましい炸裂音が響き、アスファルトの地面を揺らした。


「いやぁ、あいつら自決しやがったぞ。マジビビったわ」


 小走りで車へ帰ってきた鎖地は、興奮気味に笑いながら、戸惑う夏目にそう言った。


「何か変異石爆弾を持ってるとかほざきやがったから、ムカついて腹に一発見舞ってやったんだけど、マジで持ってたとはなぁ。急いで帰ってきて正解だったわ」


「ちゃんと止め刺さないからそうなるんですよ」


 夏目はそう言いつつ、夜空に昇っていく黒煙を見上げた。


「それにしても、変異石爆弾って間違いないんですか?」


「疑うなら見てこいよ」


 変異石爆弾で発生した炎は赤みを帯びる。現場を見れば一目でそれと分かるが、そんなことに時間を割く価値は今のところないだろう。


 それに、そんなことよりも優先すべきことがある。


「まぁ良いです。それよりユリスさんを探さないと」


 意味深長なことを言い残して、姿を消したユリスを探さなくては。死んだヤクザなんかより、その方が夏目にとっては大事だった。


「あの女騎士さん、何か言ってなかったか? 行き先は言ってなくても、何か手がかりくらいあるだろ」


 それは確かにそうだが。焦る気持ちを落ち着かせて、夏目は一分足らずのやり取りを思い返す。


「国境には近づかないようにって言ってました。あと、自分の心配をしろとも」


 追われる身で何を他人の心配をしているのかと、夏目は余計なことまで考えて苛立ってしまう。


「落ち着いて考えろ、バカ。東大卒の肩書きが泣くぞ」


「今学歴で弄らないでください!」


 声を上擦らせて口答えしつつ、息を一つ吐いて、気分を落ち着かせる。鎖地はそこへ、情報整理を肩代わりして吹き込んでやった。


「国境に行ったらお前に何か不利益がある。だからそんな忠告したんだろ。あいつがどこでそんな情報仕入れたんだ?」


 鎖地が貸した携帯電話か、未だに点けっぱなしのラジオ。その二つが妥当だろう。


 夏目は自身の携帯電話を取り出して、ブラウザアプリを開いた。ニュースサイトにアクセスすると、早速原因に行き当たった。


「……私が指名手配されてます」


 画面を鎖地が覗き込む。『内務省職員、テロ容疑で指名手配 グラディア』という見出しの記事には、夏目の実名入りで、指名手配されたことが記されていた。


「筆頭政務補佐官にお前のことがバレた。携帯かラジオでそれを知ったあの女騎士さんは、お前を守るために何らかの行動を取った」


「自首したんだと思います。あの人ならそうする」


 処刑されると分かっていてもそれを甘んじて受け入れるような性根なのだ。自分よりも周りに迷惑をかけないために、死を選ぶことだって厭わないはずだ。


 夏目は唇を噛みながら、暗い地面に目線を落とした。もうすぐ救えるはずだったのに、それを台無しにした自分が腹立たしくて、そしてユリスに救われてしまったことが、情けなくてならなかった。


「まぁ、お前はスパイじゃねぇし、潜入捜査だってやったことないんだから、ミスるのはしゃあねぇだろ」


 気休め程度の慰めを並べて、鎖地は車のトランクを開ける。


「……で、これからどうする?」


 鎖地の問いかけに、夏目が振り返る。夏目が地面に置いたボストンバッグからM14を取り出して、それをトランクにしまう。


「もう手遅れってことはねぇだろ。あの女騎士さんだって、死刑執行の日取りはあるはずだ。奪い返すならそこが良いだろうな」


「処刑の日……」


 鎖地の提案に、夏目は思い当たる節があった。


「確か、新宮殿公開の場で処刑されるって……日付は……」


 検索をかけると、数秒と経たず答えが返ってくる。


 日付は、明日を指していた。


「サロサタワー完成記念セレモニー。明日の一時からマスコミを招いて開かれるみたいです」


「じゃ、決まりだな」


 鎖地はそう言って、トランクを閉めた。


「今から高速かっ飛ばして、王都に戻るぞ。それであの女騎士さん助け出して、ついでにあの筆頭政務補佐官に目にもの見せてやろうぜ」


 ボストンバッグを掴んで、リュックを夏目に放り投げる。何とか受け取った夏目に、鎖地は得意気な笑みを向けていた。


     ◇


 ユリス・ゲンティアナがヤイガで捕まったという報告は、いの一番に宮殿に届けられ、稲木筆頭政務補佐官を通じてサロサ八世に伝えられた。


「今こちらに移送中とのことです。明日の朝には到着するかと」


「そうか。では、明日の式典の前に一度会ってやるとしよう」


 私室のソファに座り、バスローブ越しに腹をせり出させるサロサ八世の言葉に、直立して報告した筆頭政務補佐官は、当惑の面持ちを浮かべた。


 サロサ八世は砂糖のたっぷりと入ったミルクティーを啜り、その真意を告げる。


「今一度ゲンティアナに情けをかけてやろうと思うのだ。自ら出頭してきたというのなら、自らを省みたということであろう。その勇気に免じて、私の妻となることを許してやるのだ」


「はあ……」


 自首したタイミングからして、公安庁の捜査官を気遣ったからに過ぎないだろうが、そんなことを言っては機嫌が悪くなって、変な八つ当たりをされかねない。


「では、そのように手配しておきます」


 結果は明らかなだけに、今さらあのエルフの末路が変わることもあるまい。万一に備えて、王都の出入り口には厳重な検問を張り巡らせてあるから、例の捜査官が取り戻しにきてもすぐに対処できる。


「では、私はこれにて。お休みなさいませ、陛下」


 皮算用を済ませた稲木が、いつも通り部屋を出ていくと、静まり返った私室で、サロサ八世は笑みを漏らしつつ、ベッドへ向かった。


「ゲンティアナめ、ようやく私のものとなるか。とんだじゃじゃ馬娘だ……」


 寝床に入り、抱き枕を抱き寄せ、下部を股に挟む。柔らかな触り心地のそれを、あのエルフに見立てて、深呼吸を繰り返す。


「あぁ、楽しみだ。ゲンティアナを我が物にできる。あぁ……」


 父である先王に仕えていたユリスを、サロサ八世は物心ついた時からよく知っていた。


 美しく気高い、凛々しいエルフの女傑は、周囲からくだらない嫉妬を抱かれていた。乳母や侍女達はサロサ八世のいるところでも構わず、ユリスと父との関係を面白おかしく邪推し、彼女を毛嫌いしていた王立騎士団の面々も、騎士長という地位が父へ身体を差し出した見返りだと蔑視していた。


 だがサロサ八世は、先王とユリスの間にそんな関係がないことを確信していた。


 父は高潔だった。母だけを愛し、ユリスは一人の騎士として尊敬されていたに過ぎない。あの凛然とした立ち居振舞いは、神聖にして不可侵なものに見えてならず、きっと父もそう感じていたに違いない。


 だからこそ、父はユリスを妻とせず、忠誠の騎士として側に置き続けたのだ。


 その神聖不可侵の存在を自らの妻とし、子を産ませることが、どれほど素晴らしいことか。


「良いぞ、ゲンティアナ。もっとよがれ、もっとだっ。へはっ」


 これまで何度か縁談はあった。国内の貴族の娘に、隣国ケネギンの王妃。いずれも美しく、好みの体型で、啼き声も官能的だった。


 だが、どうしても頭の中に思い描くユリスの乱れた姿には届かなかった。どんなに辱しめて、痛めつけて、傷物にしても、だ。市井の娘も何人か、王立騎士に命じて連れてこさせて試してみたが、まるで届かなかった。


「どうだっ、ゲンティアナっ。私は、私は、凄いだろっ、はっ」


 あのエルフは高潔であり、騎士としての矜持を誇っている。そんな女を娶るには、王として一方的に命じるだけではいけない。


 だから、自らの力を示すために、宮殿を築き上げた。明日、それが完成する。この世界だけではない。大日本帝国も、大韓帝国も、帝政中華をも驚嘆させる威光の完成だ。


 ユリスは自らのもとへ下る。それも、この威光の素晴らしさと、自らの過ちを省みたからこそだと、サロサ八世は信じて疑わなかった。


「はあっ、はあっ、よ、よしっ、出すぞゲンティアナ! 孕め、孕めっ」


 頭の中で、あのエルフを思い描く。ベッドに両手を縛りつけ、カエルのように足を開き、淫らに喘ぎ、許しを乞うように涙を流す姿を、妄想する。


 この姿が、やっと見られる。果てて脈打つ自身を握りながら、サロサ八世は至福の快楽を味わい、惚けていた。

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