世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第31話

公開日時: 2021年5月30日(日) 18:12
文字数:6,020

 新世ロシア帝国南西部は、かつて魔族と呼ばれる種族が跋扈し、魔神の城があった地域だ。


 この地に魔族以外の種族は住み着かず、呪われた地として忌避されてきた。魔族は周辺の村を襲い、人間やエルフといった他種族を容赦なく殺戮し、或いは捕らえて奴隷としていった。その残虐で冷酷な戦いぶりと、禁忌の魔術を躊躇いなく使う死を恐れぬ姿から、キーファソを始めとする強国も魔族を恐れたという。


 祖界が二十一世紀を迎えて数十年を経た今、この地において「魔族」と呼ばれ畏怖された者は、そのほとんどが世界から姿を消した。米帝の圧倒的で無慈悲な軍事力の前に、彼らは一方的に蹂躙され、海を越えて逃れた者達も、反対側に現れた帝政中華によって粉砕された。今やかつての威光や残虐さなどすっかり鳴りを潜め、米帝の庇護下あるこの新世ロシアの地に住む魔族は、一万にも満たないとされる。


 魔族が駆逐された後、文字通り空き地となった南西部に、植民は行われなかった。新世界の民は怖がって近寄ろうともしないし、米帝から見ても地質が悪く、土地が痩せ細り、変異石を始めとする資源の見当たらないこの地は、不毛地帯でしかなかったからだ。


 現在、この地に人は住んでいない。あるのは岩肌の剥き出しとなった山々とただ果てなく続く荒れ地、そしてそこに築かれた、祖界の都市を模した広大な核実験場だ。


 午後九時。


 真っ暗な夜空に、帝国北部の空軍基地から一発の大陸間弾道ミサイルが発射された。


 「レコンキスタ」と名付けられたミサイルに搭載される弾頭は、十六発。それらは宇宙空間から大陸南西部めがけ、再突入してくる。そのうちの一つが、実験都市の中心部に着弾し、同時に強烈な閃光を放って、周囲の木々を焼き払い、建物を薙ぎ払った。


 アメリカ帝国帝都・ニューヨークの皇宮にて、テレビ画面越しにその眩い光を目の当たりにした皇族の面々は、その神々しさに息を飲み、そして次に現れた巨大なキノコ雲と、吹き飛ばされていく建物を見て戦慄した。


「成功だな」


 その中で一人、全てを見通していたかのように、ソファに座る男が言った。恰幅広く、鉄板のような筋肉で胴を覆い、勲章だらけのベージュの軍服を着た大男は、赤毛の髪と髭を清潔に切り揃えながら、まるで獣のように歯を剥き、得意顔でブランデーの入ったコップを弄んでいる。


「核出力はいかほどですか、伯父様?」


 金髪の若者が目を輝かせながら訊ねる。赤地の紳士服を着込んだ痩せ身の青年で、気品のある髭を尖った顎に蓄えている。


「教えてやれ、ジャック」


 大男に指名されたのは、彼と同じ赤毛の青年。年齢は四十を過ぎたが、その外見は若々しく、黒のタキシードを上手く着こなしている。


「十五メガトン。グラン・スランバー作戦で用いた爆弾と同程度の威力だよ」


「再突入体一発で、ですか? 凄いじゃないですか!」


 若者は興奮しきりだ。


「しかし、西方の呪術がこれほどのものとは……さすが、世界に仇為す魔族は伊達ではありませんでしたね」


 ジャックと呼ばれた紳士は、落ち着き払った声でそう言った。


「カルトの類は好かんが、こればかりは新世界フロンティアの技術に感謝せねばな。それに何より、ホレーショの率いる魔法科学省の努力の賜物だ」


 ここにはいない従兄弟の名を挙げて、大男は祝杯を挙げるかのようにグラスを掲げた。


 新世界――アメリカ帝国において「フロンティア」と呼称される異世界には、地球上に存在しない多くの生物や物質が存在し、帝国の発展に貢献してきた。


 変異石はその最たる例だ。この鉱物に含有されるパラリウムはエネルギー開発において革命をもたらしたとも言えるし、水素爆弾を遥かに上回る威力を叩き出したことで、欧州連合を戦慄させた。


 テレビ画面に映し出される地獄のような光景は、そこに魔法というカルトの力を融合させて、産み出されたのだ。


 かつて魔族が産み出した禁忌の魔法。使役者の肉体と精神を対価とし、殺戮と奇跡を引き起こすそれは、「西方の呪術」と恐れられてきた。


 米帝はそれを、専門の省まで立ち上げて研究を続けてきた。そして、エルフの子供百人の命を対価に発動させる狂気の呪術によってパラリウムを変質させ、それを利用した核弾頭によって、この圧倒的な破壊力を産み出すことに成功したのだ。


「エルフの街を焼き払った正義の爆弾。一発でその威力に相当するとなれば、核開発において我々の勝利は決まったも同然。これでいよいよ、我らが母なる島を取り戻しにかかれるわけですね」


「それはどうだろうね、クリス」


 若者に釘を刺すように言ったのは、大男の斜め向かいに座る痩せ身の男。年齢相応に皺を刻み、落ち着いた佇まいの知的な老紳士で、若者と同じ髪質の金髪は白く脱色しつつある。自身によく似た細い縁の眼鏡を指先で押し上げると、テーブルに置いたコップを取って水を呷る。


「この核実験は欧州連合への威嚇にはなるが、だからといって彼らが簡単にブリテンを明け渡すとも思えん」


「父上は考えすぎです。これだけの威力の弾頭が一度に十六発も発射される。それを迎撃しきる技術は欧州にはない。となれば、奴らも勝ち目がないことはすぐに察するはずです」


「再突入体の迎撃は我々でも困難だろう?」


 老紳士が息子に問いかけ、そして続ける。


「欧州連合が道連れ覚悟で全弾発射してきた場合、この北米も更地になるぞ。帝国臣民十億の命を危険に晒して、こいつを使う意義は何だ?」


「トマス、奴らにそんな気骨などない。分かるだろう?」


 赤毛の大男は窘めるように言って、ブランデーを呷る。


「民主主義などという腰抜けの思想に毒されきった欧州など、最早我々の敵ではないのだ。奴らは人気こそが全てだからな。それがなくなれば、奴らは核のスイッチを押すどころか、我々と交渉することすらままなるなくなる」


「なら訊くが、我々との決戦を民が求めている時、どうするつもりだ? 奴らは人気という生命線に従って、核を撃ち込んでくるぞ」


「ならば我が軍が欧州を征服するだけのことだ!」


 意気揚々と、大男は宣言した。


「我が帝国軍は最強だ。この実験によって、アジアも完全に上回った。間違いなくな。敗北などあり得ない。この統合軍司令官たる私が言うのだ。安心するが良いぞ、宰相閣下」


 酔いが回っての不遜な物言いに、老紳士は半ば呆れたように笑って、コップをテーブルに置いた。


「父上、どちらに?」


「声明文の用意だ。兄さんに好き勝手話されても困るからな。ちゃんと理性的な演説をしてもらわねば」


「おいおい、軍人たる私に宰相の責務を担わせるつもりか?」


 大男の冷やかしを聞き流し、老紳士が立ち上がって、部屋を後にする。それを目で追い、見送ると、大男はつまらなさげに鼻を鳴らした。


「クリスよ、お前のお父上はどうも気が小さくていかんな」


「まったくです。伯父様のような力強い方こそ、帝国を牽引するに相応しいと考えます」


 金髪の若者の賛辞に、大男は得意気だった。


     ◇


 グラディア王国は元来火葬が慣わしで、墓標は剣が使われる。生前に剣を携えていたか、自前の剣を遺していたのならそれを使い、そうでなければ新しいものを買って、骨壺を埋めた地面に突き刺すのだ。


 文官で剣の才覚がなかったホラツィの場合、案の定後者かと思われたが、実は剣を持っていた。先々代の王の時代、義務教育制度を国内に定着させ、児童の識字率を大幅に引き上げた功績で、当時の国王陛下から賜った宝剣だ。


 それを受け取った時のホラツィの様子を、ユリスはよく覚えている。玉座の前で跪きながら、興奮と緊張とで震えに震え、今にも泣き出しそうな顔をしていた。差し出した両手に剣を置かれた時、間違っても落とすまいとがっちりと握りしめ、国王もそんな様子がおかしかったのか、それとも嬉しく思われたのか、朗らかに笑っておられた。


「あなたに相応しい、立派な墓です。ホラツィ」


 宝剣の傍らに花束を添えて、ユリスは静かに言った。


 国王から賜った宝剣を墓標に使うことを、不敬と捉える輩もいるのかもしれない。だが、それを咎める罪はもうこの国にはない。


「私はこの国を離れることにしました。もうここに、私が仕えるべき主君はいませんから」


 それがユリスの出した答えであり、そしてそれをホラツィに伝えるために、東京で買ったデニムとジャケットを着て墓参りに訪れた。


 サロサタワーでの一件の翌日、憲兵隊の事情聴取によって、ユリスの身の潔白は証明された。


 国王から咎められていた公安庁への情報提供は、大東亜共同体加盟国が批准する議定書に則った正当な行為であり、また具体的にそれを罰する法律がグラディア王国に存在しないことも、憲兵隊によって確認された。


 当日発生したバロラ・ハイサを始めとする王立騎士への殺傷や、国王への暴行についても、公安庁が大義名分を立てたこともあって、魔道士レイ・ミレットと共に捜査協力として不問となった。


 代わりに咎められたのが、稲木を始めとする政務補佐官達と、サロサ八世だ。


 反社会的勢力を介したドイツ諜報機関との繋がりが白日の下に晒され、稲木筆頭政務補佐官とその直属の政務補佐官ら八人が公安庁に逮捕された。その日の内に、先代国王暗殺も明らかとなり、主犯のサロサ八世とともに取り調べを受けることとなった。


 大日本帝国ではこの事件が大々的に報じられ、共生省を預かる担当大臣の辞任に、省幹部の大規模な更迭、更には政務補佐官制度の廃止検討と、波乱が起こっている。国際的にも、「独立尊重の理念に反した帝国主義的内政干渉」として、同盟諸国から強く批判され、日本は苦境に立たされているという。いくら華族といえどこの状況下では庇える者もおらず、稲木が反逆者として処刑台に立たされるのは間違いない情勢だ。


 サロサ八世を裁くのはこの国の司法だが、どんな結論が出るのかは今のところ不明だ。


 事件から一週間が過ぎた今日、国王を失ったグラディアは、共和制への移行を決定した。ホラツィに師事してきた大臣や役人が提案し、政務補佐官を排除した臨時議会で決議したのだ。それに伴って、共和制を採用する台湾国が、新たな後ろ楯となることが決まった。同じく共和制のインドネシアやトルコといった国々も、何かと補佐してくれるそうだ。


「国王陛下や彼らには、もう伝えてあります。あなたは一番最後で良かったのにと言いそうなので、そうさせてもらいました」


 そう言って笑いかけ、ユリスは墓地の奥に目をやる。


 等間隔に並ぶ剣の墓標。それらが作る道の奥に、三本の剣が刺さっている。百本近い剣から成るその通路は、かつて隣国ケネギンからの侵攻に対抗し、命を捧げた警備隊の隊員達の慰霊のために作られたものだ。平民出身を理由に王立騎士団を追われながら、国家のために命を擲って共に戦ってくれたかつての部下達を、サロサ八世や稲木達は蔑ろにし、代わりにユリスが弔いのために用意したのだ。あの墓地がユリスにとってどれほどのものなのかは、ホラツィもよく知っていた。


「心配は無用ですよ。次に仕える先は決まっています。祖界向こうでの暮らしも、じきに慣れるでしょう」


 それでは、またいつか。


 それだけ言い残して、ユリスは墓地を後にした。


     ◇


 王都郊外の墓地を出て、路肩に停まったセダンの助手席のドアを引く。


「お墓参りは終わった?」


「えぇ」


 運転席の夏目に相槌を打って、シートベルトを締める。


「じゃ、行こっか」


 セダンがゆっくりと発車し、通りを走る車列に合流する。ヤイガのラジオ番組が流れる車内は、穏やかな空気に包まれていた。


「東京に引っ越すのは年明けだっけ? 部屋は探すの?」


「それがまだ何とも。雇い主が住まいを用意しようとしてくださっているようで」


「なるほど。さすが、華族はお金持ちね」


 王立騎士団の解散が決まり、職を失ったユリスに最初に声をかけたのは、大日本帝国だった。


 つい先日表彰したばかりの内務大臣は、ユリスのことをかなり気に入ったらしく、事の顛末を聞くなり動き出した。グラディアも警備隊の強化のために、警備長官という要職を用意して慰留を図ったが、彼女は国を離れることを決意した。


「私設のボディーガードだから剣は持てると思うけど、ちゃんと拳銃も撃てるように練習するのよ? 共和主義のテロリストは狂暴なんだから、剣だけじゃさすがに危険よ」


「分かってますって。母親ですか」


 窘められて、ユリスは苦笑を返す。


 攻撃性を増していく共和主義者のテロは、皇族や華族、政府要人に対する脅威であり、警視庁も華族の身辺警護を任務とする警衛課を設立するほど頭を悩まされている。今や華族が私設の武装警備員を雇うことは当たり前であり、特に爵位が高く、貴族院で力を持つ家系は、その経歴や装備をアクセサリのように扱い、華族間で張り合っているという。


 内務大臣の紹介で、ユリスを雇うことに決めたのは、そんな華族のうちの一つだ。


『――さて、ここで一旦ニュースをお伝えします』


 信号に捕まって、横断歩道の前で車が停まる。


『今日未明、アメリカ帝国が新世界にて実施したミサイル発射実験について、欧州連合は国際平和への重大な挑発行為であるとして、非難声明を発表しました』


 ラジオから流れてきた報道に、ユリスの表情が翳る。


『この実験に対しては大東亜共同体内からも非難の声が相次いでおり、今後アメリカ帝国の国際社会からの孤立が予想されます』


「あの国が社会からの孤立を恐れるとは思えませんね」


 吐き捨てるように呟いたユリスに、夏目は「そうね」と相槌を打った。


 この話題はユリスにとって気分の良いものではなかったし、それを察して、夏目も掘り下げるようなことはしなかった。


 実験に使われた核弾頭の出力は十五メガトン。欧州連合のそれが九〇〇キロトンで、パラリウムを核融合素材とした大日本帝国のものが三メガトンなのを考えれば、現代の弾頭において図抜けた威力だ。


 この威力を無関心なお茶の間に知らせるために、テレビ局は映像資料を持ち出したのだが、そこで使われたのが、グラン・スランバーという新世界侵略の一環で行われた作戦の映像だった。


 日本語では『偉大なる微睡み』と称されるこの作戦で投下された核爆弾の出力は、先日の弾頭と同じ十五メガトン。これを一つのミサイルに十六発搭載し、広範囲に撒き散らすことができるとあって、世界中の国々が騒ぎ始めている。


 だがユリスが不機嫌な原因は、テレビ局が朝から晩までしつこく流している爆発映像が、キーファソに投下されたもので、その後の破壊された街の様子まで一緒に報じられたことだった。


 ユリスのような帰属意識の強い人物にとって、それは半ば拷問のようなものだったろうと、夏目も容易に想像できた。


「ところで、美味しい肉料理のお店を見つけたんだけど、これから行ってみない?」


 話題を変えようと、夏目は提案した。


「牛タンですか?」


「グラディアの郷土料理で、鳥を使うらしいわ。どう?」


「構いませんよ」


 ユリスが頷くと、夏目は信号が青に替わったのを認めて、アクセルを踏んだ。



第2章 了

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