帝国ホテルタワー館の三十階。日比谷公園と皇居を見下ろす部屋が、ユリス・ゲンティアナの今の住まいだ。間取りはさながらマンションのようで、五十平米の広さは単身での利用には申し分ない。
午前八時。
青地の正装と王立騎士団のマントに着替えたユリスは、枕元の充電器に繋いだままのスマートフォンを手に取った。着信はなく、用途のよく分からないアプリの通知が何十と溜まっている。
昨日夏目から渡されたメモは、テーブルに広げたまま置いてある。昨日のうちに電話するつもりだったが、夜に電話を入れるのは不躾かと思い止まり、この時間を選んだ。彼は早起きだったはずだから、とっくに起きていることだろう。
メモに書かれた電話番号をタップして、通話ボタンを押す。呼び出し音が三つ連なって、四つ目の途中で、受話器が取られた。
『もしもし?』
聞こえてきたのは、声を潜めた男の声。受話器越しだと少し違って聞こえるが、声の主は間違いなくフォルティだ。
「寝起きか? さすがに早かったかな」
『その声は……団長ですか?』
「あぁ。ナツメさんから連絡先を受け取ったよ。本当は昨日のうちに連絡すべきだったんだが」
『とんでもない、わざわざありがとうございます!』
声を弾ませるフォルティに、思わず口元が緩む。
『あ……団長、良かったら今夜お会いできませんか?』
提案と同時に、事情を告げる。
『実は今仕事で外出してて、ゆっくりお話しできないもので……』
「あぁ、そうか……待ち合わせの場所は?」
『良ければ、南千住駅でどうですか? プラエラの郷土料理を出してくれるお店があるんです。そこで食事でも』
キーファソでも鶏肉を使った料理が有名だった地域だ。そこの料理の味は、ユリスにとっても懐かしい。
「分かった。到着は七時頃になるが、大丈夫か?」
『大丈夫です。お店には僕の方から予約しておきますから。楽しみにしてます』
「あぁ、私も」
通話を終えると、ユリスはため息を一つ漏らした。郷愁と部下との再会に緩んだ表情を引き締め直すと、テーブルに置いた剣を取り、部屋を後にした。
◇
「――変異石密売組織の構成員は推定十名。いずれも米帝に滅ぼされた国の出身者やその親族です」
十七階の第四会議室で、ユリスはテレビ画面に映し出した資料を基に、夏目と磯村課長に説明する。
「日本に逃亡したとされるのはこの二人――マルカル・スポルとクリョア・ミッシ。ともにランリファス国のあった地域出身ということまでは明らかになっています」
画面に映された二人組の男の写真は、いずれも米帝の収容所で撮られたものだろう。虐待を受けた痕と見られる顔の腫れと囚人服が、それを物語っている。
「ランリファスは北方の人間中心の国だったな。彼らも人間か?」
「そうです。つけ加えるなら、この組織の構成員は、中心となっているエルフの数名を除き、全員がランリファスやその周辺地域出身の人間です」
「なるほど、台湾が捜査対象から外されたわけね」
二人の外見はロシア人のそれに近い。スラヴ系の顔立ちではどうしても目立つし、ロシアと国境を接している地域へ逃れるのが賢明だ。
「二人が所持しているとされる変異石は、推定で十キロ程度。これまで押収・使用された変異石が彼らが持ち込んだものとすると、残りは六・五キロほどかと」
「組織の取引先は把握していますか?」
「そこまでは調べられていなかったようです」
ユリスの口振りに、課長の眉間が狭まる。ユリスもその機微に気づき、質問に先回りする。
「本件の資料は、前任者から引き継いだものになります。私がこの件の担当になったのは、こちらへ来る二日前のことですので」
「随分と急ね。何があったの?」
「担当していた捜査隊が全滅しましたので」
何でもないことのように、ユリスが告げた。
「彼らの拠点摘発の際に、王立騎士団単独で決行したそうです。しかし密売組織は、新世ロシアから流れた武器を持っていたらしく返り討ちに遇い、逃走を許した、と」
「捜査隊って何人で摘発に動いたの?」
「三十名程度と聞いています」
王立騎士団単独なら、装備は防弾性の乏しい甲冑に剣と盾、良くて槍だろう。相手が米帝製の自動小銃で武装していたとすれば、ほとんど虐殺のような展開になったのではないだろうか。
「ありがとう、ゲンティアナ管理官」
磯村は謝辞を告げてから、
「桐生、どう見る?」
夏目に問いかけた。
「これまで使われた変異石をこの組織が密売したものと仮定すると、取引先はロシアの諜報機関と考えるのが妥当かと思います。しかし、気になる点がいくつか」
「何だ?」
「まず、学生に売り渡した理由が分かりません。『大学の機材を使うから製造可能』なんて技術的根拠だけで、彼らを爆弾製造が可能な集団だと判断するとは考えられません」
変異石爆弾の製造には技術的なハードルが多く、それらを克服して実用化できた国は数少ない。理論上の製造法を知っていたとして、それを実現するだけの機材と技術力を、軍需産業に携わったこともない大学生に求めるのは、さすがに現実的とはいえないだろう。
学生組織の後ろ楯が共和主義系の政治団体だった以上、彼らの動向はロシアも把握しているはずだ。仮にロシアが変異石の取引相手だとすれば、学生に渡すくらいなら自分達で使うだろう。
「それに、新千歳空港の件も、やはりロシアの仕業とは思えません。相手に何の旨味もありませんから」
現在のロシア大統領は対亜強硬派で、特に中国との国境問題には度々強気な姿勢を見せている。とはいえ経済はここ数年好調で、ガス抜きが必要な情勢ではない。そんな中で日本の空港を爆破したとして、得することは何もない。それどころか、中立の立場を取っている国や米帝のメディアからも事件の関与を疑われ、ついに昨晩大統領が声明を発表するに至ったことから、ロシアにとっては今のところ痛手としかなっていないのだ。
「熊沢教授の供述が事実なら、ロシアが関わっていない可能性は高いな」
磯村は夏目の言い分に同調し、そこへユリスが疑問を呈する。
「だとすれば、ロシアとの間で始まろうとしている戦争には、何の大義名分もないのでは?」
「始まってしまえば、大義名分の価値などなくなる。戦争とはそういうものだろう、管理官」
ユリスは答えられなかった。
「ロシアが関わっているか否かにかかわらず、木曜の式典の首相演説でロシアに最後通牒が突きつけられることになるだろう。そうなれば、後戻りはできん。戦争だよ」
◇
会議室から自席に戻ると、今度は仕堂と護藤が話しかけてきた。
「変異石の入手先が分かりました」
そう切り出して、仕堂が供述書を差し出した。
「やるじゃない。課長には報告した?」
「いえ、まだです」
「じゃあ後で行きましょう。どうやって吐かせたの?」
「水を無理矢理飲ませまくってたら、観念して吐いてくれました。ウォーターサーバーのタンク二本分。俺も護藤もびしょ濡れでしたよ」
公安庁では昔からよく使われる手法だ。被疑者を押さえつけて大量の水を口と鼻に流し込んで飲ませる。その苦しさは尋常なものではなく、大抵はタンク一本分も使えば素直になる。下手をすれば命に関わるし、実のところ公安庁でもこの方法で何人と死なせてきたのだが、今回は上手くやったらしい。被疑者を死なせるのを嫌う課長はこのやり方を好まないだろうから、指導したのは係長だろうと、夏目には容易に察せられた。
「それは取り調べとして大丈夫なのですか?」
夏目の隣に設けてもらった席から、ユリスが怪訝な面持ちを仕堂と護藤に向ける。
「まぁ、死なない限りは大丈夫よ」
とはいえ、あまり暴力に訴えるのも得策ではない。今回は現場を押さえたとはいえ、場合によっては冤罪の危険もあるし、情報を隠したまま死なれても困るのだ。暴力的な手段は最後の手として、その前に供述させることが肝心だ。
とにもかくにも、夏目は調書に目を通す。それによると、真相を知っていたのは榎本大作だった。
「変異石を手に入れたのは、喜田紀之っていう奴です。ガサ入れの日に見張りをやってて、護藤が射殺した奴なんですが、こいつが先月末の集会で持ってきたそうなんです」
入手ルートを明かさない約束で手に入れたということで、米山達も詮索は控えていたのだが、ひょんなことから秘密を共有してしまったのが、榎本大作だった。
「榎本と喜田は高校の同級生だったらしくて、二人で飲んでた時に聞いたらしいです。それが、そこに書いてある内容です」
「山谷って、ユリスさんの歓迎会を開いたところよね?」
供述書に目を通しながら、夏目が訊いた。
榎本の供述によれば、酒の勢いで喜田が漏らした入手先は、山谷にある新世界料理店で、その店で仲良くなった新世界人の店員から受け取ったという。価格は五万円。変異石の相場を鑑みると価格破壊も良いところだが、その店員も共和主義に傾倒していたらしく、厚意でその価格にしてもらえたそうだ。
「取引相手は店に住み込みで働いてる新世界人で、お店の名前は『ラソラエ』ね。種族まで特定できてれば良かったけど、まぁこれだけでも機動警備隊の出動要請はできるわね。二人とも、よく頑張ったわ」
班長からの賛辞に、仕堂と護藤は身を乗り出してハイタッチをする。一方、ユリスが思い詰めた様子で供述書を見つめていることに気づいて、
「どうかした?」
「え? あ、いや……実は、今夜またここに行くものですから」
何ともばつが悪そうにユリスが言うと、夏目はその背景を察したらしく、
「あ、じゃあフォルティさんに電話したの?」
「えぇ。朝から仕事でゆっくり話せなかったので、今夜会うことになってたんです。ガサ入れはいつになりますか?」
「今回は規模感が不明だから、機動警備隊に出動を要請することになるわ。だから、早くても明日の朝ね」
質問に答えてから、夏目はユリスに釘を刺した。
「フォルティさんを安全な場所に連れ出したいのは分かりますけど、捜査情報を話したりするのはダメですよ?」
「そ、そのくらい分かっています。私は公私の分別のつかない愚か者ではありません」
「でも、捜査情報を話さずにフォルティさんを連れ出す分には良いんじゃないですか? 現場からちょっと離れたホテルに連れ込めば良いでしょ」
仕堂の提案にユリスの目が丸くなり、そして一気に顔が赤くなる。
「そ、そんなふしだらな真似、何故やらなければならないのですか! 第一、フォルティはただの部下だっただけで、そういう関係など意識したこともありません」
「いやいや、あの人絶対ユリスさんに気があるよ。丸分かりだったじゃないですか」
護藤が笑いながら言った。
「あり得ません、偏見です」
「班長はどう思います?」
「普通に気があると思うけど?」
「ナツメさんまで何を言い出すんですか!?」
「こないだの歓迎会で『ユリスさんの服ってエロくない?』って訊いたら顔真っ赤にしてましたよ。好きでもない女の話題でそんな反応するわけないんだから」
「何てことを訊くんですか!?」
面白いくらい顔を真っ赤にして怒鳴るユリスに、仕堂と護藤が声をあげて笑い、夏目も笑いを堪えつつ宥める。
この後珍しく怒り狂うユリスとその理由を聞いて、二人がセクハラを働いたのではないかと係長から嫌疑をかけられることになるのだが、それはまた別の話である。
◇
作戦は、機動警備隊一個小隊による建物とその周辺の制圧。白人及びその協力者と考えられる者は容赦なく拘束するという、なりふりを構わない内容だ。装備も武装集団との衝突を考え、自動小銃まで持ち出すというのだから、公安庁の本気度合いが表れている。
作戦開始は午前六時。一時間前には本庁に集合しておく必要があるから、酒はほどほどに抑えなければならない。それでも旧交を温めるには問題ないだろう。
七時を前に、帰路に着いたサラリーマンの流れに乗って、ユリスは南千住駅の改札を潜った。くたびれた背広の社会人連中の中で、やはり異世界正装のエルフというのは目立つものだ。
「団長!」
改札を出て間もなく、手を振るフォルティを見つけた。白シャツに黒のジャケット、藍色のジーンズにスニーカーという、首から下だけを見ればどこにでもいそうな大学生の格好だ。
「待たせたか?」
「いえ、僕も今来たばかりです」
祖界のドラマや映画に出てくる恋人のような言葉だ。そう思いながらフォルティの笑みを見ていると、また顔が熱くなってきた。
「ほら、行こう。外は寒い」
誤魔化すように急かして、歩き出す。
都道四六四号線をまっすぐに歩いて、歓迎会を開いてくれた店を通り過ぎ、そこから二つほど区画を過ぎた先に、フォルティが紹介したがっていた店があった。
「ここです、団長。名前も小洒落てるでしょ?」
キーファソ南部の方言で、『故郷』を意味する言葉を看板に掲げる、静かな雰囲気のレストラン――ラソラエ。その名前を、ユリスは呆然と見つめていた。
「さ、入りましょう。この時間は空いてるんですよ」
フォルティに促され、敷居を跨ぐ。彼の言う通り、店内に他の客の姿はなく、カウンター席の奥の厨房で大柄な店員が野菜を切っていた。
「ここにはよく来るのか?」
「えぇ、まぁ。たまに手伝ったりもしてます」
奥のテーブル席に通され、椅子を引く。壁に背を向けて座ったフォルティは、メニュー表をユリスに差し出した。
「何にしますか? 僕のおすすめは、銀髪鴨とワダカマグサのシチューですけど」
「ならそれにしよう」
「了解。お酒はどうしますか?」
「少しだけいただこう。銘柄はお前に任せる」
「分かりました」
メニュー表を畳んで、店員に注文を告げる。店員が調理を始めると、ユリスは視線を正面へ戻す。
「無事メモが届いて良かったです。僕の知る限り、遠征騎士団の生き残りは僕と団長だけでしたから」
「そうか。やはり、みんな死んでしまったか……」
目線を落とすユリス。フォルティは慌てて、
「いや、僕が知る限りのことであって、実際にはまだ誰か生き残りがいるかもしれませんよ。実際、僕と団長はこうして生きて再会できたわけですし」
必死に元気づけようとするフォルティに、ユリスは思わず笑った。
「すまない、気を使わせてしまったな」
店員が北方ブドウのワインと、グラスを二つ持ってきた。キーファソにいた頃にはよく飲んでいた酒だ。
「今日は再会の喜びを分かち合おう。そのために時間を取ったんだからな」
ワインが注がれたグラスを取り、フォルティに差し出す。
「えぇ、そうですね」
フォルティもグラスを手に取り、互いに打ち鳴らした。
◇
帝政中華の帝都・南京との時差は一時間。日本が進んでいるから、日本時間でやや遅いと感じる時間帯にかけても、向こうでは業務時間の真っ只中ということも珍しくない。
「公安庁の桐生です。お疲れ様です」
『あぁ、お疲れ様です!』
午後九時。
庁舎十七階の休憩室のソファに腰かけて、夏目は中国国家安全局の劉曙紅に電話をかけた。向こうは午後八時で、そろそろ帰りたい頃合いだろうに、受話器を取った曙紅の声は溌剌としていた。
「こちらに来ているゲンティアナ管理官から、密売組織の情報を提供していただきました。後ほど全体共有しようと思っていますが、劉さんには先に伝えておこうと思って」
『え、ほんとですか? 桐生さん、やりますねぇ!』
曙紅は砕けた調子で流暢な日本語を紡ぐ。日本に留学経験を持っている同性ということもあって、やはり話しやすい。
「情報によれば、盗まれた変異石は約四十キロ。犯人は新世界北部出身の人間で、見た目はロシア人と大差ありません」
『なるほど、それじゃ台湾に逃げないわけですね。確実に悪目立ちしますもん』
夏目と同じ結論に至った上で、
『こっちに来てる連中は頑なに喋ろうとしません。それなのに人員と情報は寄越せって、一体何様のつもりなんでしょうね』
「文化の違いなんでしょう。騎士が何よりも偉いと思ってるんですよ」
グラディアはそういう国だ。騎士が建国した騎士の国。騎士になることこそが最大の名誉であり、その中で国王直属の王立騎士団ともなれば、ある種の特権階級だ。
『ちなみになんですけど、連中が情報を開示したがらない理由とかって分かりました?』
興味本位の質問であることは、声色から明らかだった。
「多分、前任の捜査隊が密売組織の摘発に失敗したからだと思います。独断で摘発しようとして、返り討ちに遇ったらしいですからね。今来ている人達は、その尻拭いをさせられているようなものです」
『組織の体裁のためにだんまりを決め込んでたわけですか。何か腹が立ちますね……』
「今後のためにも、抗議の一つでも入れてやりましょう。どうせなら、ゲンティアナ管理官からの情報提供はなかったことにして」
そうしないとユリスが処分されてしまうからなのだが、受話器の向こうの曙紅も乗り気になっていた。
『それ、名案ですね。何なら今からでもやってやりますよ。うちの部長、連中にキレかけてますし』
「今週の定例で、その辺りを話しましょう。じゃあ、また今度」
電話を切ると、夏目はソファにもたれかかり、窓に目をやった。夜の桜田通りを行き交う車のネオンを脱力して眺め、疲れを自覚すると、夏目は帰り支度をするために重くなった身体を起こして、自席へ向かった。
◇
「――おっと、もう九時か」
昔話の賑わいが途切れかかった時、壁にかけられた時計に目をやったユリスは、針の指し示す時間にハッとなった。
ワインはもう空。シチューも食べ終えて、空腹も満たされた。楽しい一時があっという間に過ぎ去ってしまうのは、どこの世界でも変わらないらしい。
「今日はこの辺りでお開きにしようか。明日は早いからな」
「え、あ、そうですか……」
口惜しげなフォルティに、ユリスは立ち上がって笑いかける。
「そんな顔をするな、また会えるさ。来週はどうだ? せっかくだから、東京を案内してもらいたいな。丸の内はナツメさんに連れていってもらったんだが――」
「あの、団長!」
意を決したように声を上げ、会話を遮る。下を向いていたフォルティは、やがて顔を上げ、まっすぐにユリスを見据えてきた。
「団長は、今の立場で満足ですか? キーファソを、故郷を取り戻したいと思いませんか?」
「何だ、やぶからぼうに」
「僕は、ずっと思ってきました。キーファソを米帝から取り戻したいと、この国に亡命した時から、ずっとです。団長だって、そうだったでしょ?」
縋るような眼で、フォルティは問い質す。
「団長、キーファソを取り戻すために、力を貸してください。団長さえいれば、祖界に逃げてきたキーファソの人達も決起して、一緒に戦ってくれます。だから……」
「フォルティ、悪酔いが過ぎるぞ。顔を洗って頭を冷やせ」
ユリスは努めて平静に、フォルティを窘める。ただの酔っ払った勢いであってほしいと願って。
「もうすぐ戦争が始まります。団長もご存知ですよね? 世界を巻き込んだ大戦争になる。米帝だってただじゃ済まない。その隙を突けば、きっとキーファソを取り戻せます」
「お前……」
「もう、僕達がやるしかないんですよ、団長。日本も、中国も、欧州連合も、米帝との経済関係と核兵器を恐れて何もしてくれやしない。僕達が戦うしかないんですよ」
聞きたくなかった。信じたくなかった。かつての部下が、清廉で努力を惜しまない純朴だった青年が、テロに加担したなどと。
だが、その願いは呆気なく裏切られた。何の呵責も感じさせない冷たい瞳と、淡々と紡がれる計略によって。
ユリスは隣の椅子にもたれさせていた剣を引き抜き、切っ先をフォルティ突きつけた。感情を隠しきることはできず、激情を滲ませ、問い詰める。
「テロリストに変異石を渡したのはお前だな? 残りはどこにある?」
「団長、グラディアなんかに仕えて何になるんですか? 僕達が忠誠を誓ったのはキーファソだ。そうでしょ?」
「質問に答えろ!」
カチリ、と右の耳が乾いた音を捉える。
バックヤードに引っ込んでいた店員が、日本製の回転式拳銃をユリスのこめかみに向けていた。
「剣を捨てろ」
大柄な店員は低い声で命じた。
「っ!」
刹那、ユリスは身を翻す。
銃声が響き、銃弾が壁を穿つ。そこにいたユリスの姿は既になく、右足を軸にしゃがみながら店員の方へ向き直り、左足で床を蹴って間合いを詰める。
柄の底を店員の鳩尾に叩き込む。体重の乗った一撃でカウンターに背中をぶつけさせ、間髪入れずに切っ先を胸に突き刺した。
「!」
息絶えた店員から刃を引き抜き、ドアを開けて迫ってきた殺意に剣を薙ぐ。
壁を叩いたかのような感触に、柄を握る両手が痺れる。
刃を受け止めたのは、鉛色をした鋼鉄の腕。黒のタンクトップから伸びた、太い前腕だ。右腕の鉛色は顔の半分近くまで呪いのように侵食し、玩具のように無機質な義眼と、獣のようにギラついた黒い瞳が、まっすぐにユリスを捉えていた。赤みを帯びた肌の色と、針金のような質感で雑多に伸びたブロンドの髪が、その男の出自が国外であることを示していた。
「おいおい、日本人の島でエルフ狩りができるとはとんだ幸運だぜ」
男が紡いだのは、米帝の言語。ヒスパニックの訛りが混じった言葉と、それを紡ぎ出した男の醜悪な笑みに、ユリスの全身に悪寒が走った。
「貴様は……!」
嫌悪と憎悪がない交ぜになって、歯を剥かせる。剣を握る腕が震え、鋼鉄の腕を震わせる。
「エルフは良いよなぁ。俺は好きだぜ? エルフは何人ブチ殺しても罪にゃならねぇからなぁ」
「っ……あああああああああ!!」
沸き上がる激情に咆哮する。
刃が弾かれる。仰け反るユリスはしかし、倒れることなく踏み留まり、左足を後ろに滑らせて体勢を整え、切っ先を眼前の敵に向ける。
バチリ、と視界に閃光が走り、全身が硬直した。
「なっ――――」
背後から脇腹を貫かれたように、熱を帯びた痛みが走る。刺突を繰り出すために踏み込もうとした右足が崩れ、膝をつく。
「すみません、団長」
明滅を繰り返す視界に、フォルティの懺悔が響く。
何故だ、フォルティ。何故――。
痺れた口がその言葉を紡ぐことはなく、ただ頭の中で反響する。
「ったく、大事な義手に傷がついちまったぜ。なぁおい、聞いてんのか?」
半身鋼鉄の大男は、生身の左腕でユリスの首を掴むと、その身体を軽々と持ち上げる。
「聞いちゃいねぇな。こいつは少しばかし、お仕置きが必要らしい。おらぁ!」
男は叫び、ユリスを壁に投げつけた。背中を打ちつけたユリスは、壁に立てかけた絵画と時計を巻き込んで、床に転ぶ。
「おい、聞いてんのか!? この負け犬の奴隷が、俺様の腕に傷なんかつけやがって!」
「ぐっ……あっ……!」
一三〇キロはあろうかという巨躯を振り乱し、ユリスのしなやかな身体を何度も何度も踏みつける。ユリスは手放してしまった剣を探すことはおろか、急所を庇うことすらままならず、踵を叩き込まれた衝撃で鼻を砕かれ、床に鮮血を撒き散らした。
「止めろ!」
「あ?」
右足を脇腹にめり込ませたまま、大男が声の方へ振り向く。
「団長から離れろ。今すぐに!」
殺気だった形相で、フォルティが叫ぶ。両手でしっかりと握り締めているのは、ユリスの不意を突いたスタンガンではなく、店員が持っていた回転式拳銃だ。
「あぁ? エルフの分際でこの俺に指図しようってか?」
「そうだ。今すぐ団長から離れないとお前を殺す」
挑発的な笑みを浮かべ、男はフォルティの方へ向き直る。
「――その辺にしろ、ミスター・ランドルフ」
フォルティへ向かって一歩踏み出したその時、玄関から入ってきた人物が、大男を諫めた。青色の作業着を着た髭面の男だ。サングラスと帽子で人相はほとんど分からないが、男の言葉は大男の足を止めた。
「リモニウムさんは我々の仲間だ。手荒な真似は止めていただこう」
「おいおい、キャプテン・カガミ。この尖り耳野郎を本気で仲間だと思ってやってんのか?」
「当然だ。我々は米帝人とは違うのでね」
トゲのある物言いにも、大男はへらへらと笑みを浮かべたままだ。
「リモニウムさん、あなたの旧友から捜査情報は引き出せましたか?」
「いえ、まだ……」
「そうですか。まぁ、捜査官の口を割るのは容易ではない」
男は初めから分かっていたかのような口ぶりで言った。
店の前に、白のハイエースが停まる。運転席と助手席から、作業着姿の二人組が降りてきて、店内に駆け込んでいくと、男は二人に命じた。
「リモニウムさんの旧友を連れていく。芹沢の死体と一緒に、荷台にでも詰めておけ」
「分かりました」
一人が店員の死体を引きずっていき、もう一人がユリスのもとへ駆け寄る。ユリスは気を失ったらしく、抵抗する様子はない。
「カガミさん、待ってください。団長にこれ以上手荒な真似は――」
「分かっている、乱暴はしない。だがこのまま解放するわけにもいかない。分かるでしょう?」
そこまで言われてフォルティは押し黙り、肩を組んで引きずられていくユリスを見守ることしかできなかった。
「行こう、我々の作戦も佳境だ」
一団を乗せたハイエースは、夜の街へ消えていった。後に残された消灯した店は、まるでそこに最初から何もなかったかのように、誰の関心も寄せつけなかった。
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