世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第37話

公開日時: 2021年6月8日(火) 05:53
文字数:6,701

 牧島市の中心にある中標津空港に、羽田を発った牧島家のプライベートジェットが到着したのは、ちょうど昼を過ぎた頃のことだった。


 当主の惣助と長男の惣治を後部座席に乗せた社用のセダンは、護衛のユリス達を乗せたワゴンを従えて道道を下っていく。住宅の間隔が広く、自然が共生する長閑な景観は、ビルだらけでごみごみした東京とはまるで別世界だ。


 旧中標津町の中心地にある丸山公園と、道路を挟んで向かいに建つ牧島記念病院は、二十年前の大合併によって牧島市が誕生したのを記念して、町立病院を移転して建てられた総合病院だ。移転に当たって牧島家が私財を投じて設備を拡充し、六階建てで緊急用のヘリポートも備えた本館は、周囲の雪景色の中で一際目立っていた。


「母さん、来たよ!」


 本館五階の個室のドアを開けた惣治は、ベッドの母親にまっすぐに駆けていく。


「久しぶり、惣ちゃん。また背が伸びたね」


 長い闘病生活でやや窶れてこそいるものの、黒髪は艶やかで若々しく、愛息を抱き止めた柔和な笑顔にも無理をしている様子はない。


「勉強、頑張ってる?」


「うん。算数は学年で一番。凄いでしょ?」


「凄い! やっぱりお父さんに似たのね」


 頭を撫でられ、惣治も自然と笑みが溢れる。


 惣治から少し遅れて、見舞いの花と果物を手に、惣助が入ってくる。クロナを筆頭に、護衛のフィラと流音、ユリスが続く。


「先生から聞いた。順調そうだな」


「夏には一時退院を認めてもらえるかもしれないわ。また絵を描きたいし、頑張らなきゃね」


 晴れ空のような晴華の笑顔に、惣助も自然と頬が綻ぶ。


 晴華は惣助の後ろに控える護衛達に目をやり、ユリスと目が合うと、


「そちらが電話で話してた、新しいボディーガードさん?」


 ユリスは一歩前へ出て、一礼とともに名乗る。


「ユリス・ゲンティアナと申します。今年から、こちらでお世話になっております」


「ユリスさん。素敵なお名前ね。ご出身は?」


「キーファソという、新世界の北の国です。今はもうありませんが……」


「キーファソということは、ティラ・ストランダはご存知?」


 久しく聞かない、故郷の画家の名前に、ユリスは驚きつつ目を輝かせた。


「はい。彼は私の同郷ですので」


「あ、じゃあティルナのご出身なの? あそこは湖の景色が凄く綺麗なのよね。ストランダの絵画でもよく描かれてる」


「そうです、そうです! ストランダの絵画は、湖の透明さを上手く表現できていて、王都でもかなりの評判でした」


「『水鳥と夕焼け』なんて、傑作よね。あの夕焼けを写した透明な水面を、絵の具であそこまで表現できるのは、きっと彼だけだわ」


 故郷の話に頬を紅潮させ、食い気味に話すユリスと、それについていく晴華。


「晴華は元々、画家だからな。新世界の芸術を語らせたら、右に出る者はない」


 惣助が得意気に言うと、そこでユリスはハッとして、余計に顔を赤らめた。


「申し訳ありません、つい話し込んでしまいました」


「謝ることないだろう。晴華とここまで語り合える人材は貴重だ」


 惣助はそう笑って、


「せっかくだし、二人で少し話すと良い。私は惣治と、院長に会ってくるよ」


「え~、僕は良いよ。母さんといる!」


「惣治、そう言うな。あの院長の息子自慢につき合うのは骨が折れるんだ、ついてきてくれ」


 そう言って背中を押して、惣治とともに病室を出ていく。


「いや、私だけここに残るわけには……」


「良いのよ、ユリス。晴華も暇なんだから、話し相手になってあげて」


 クロナが笑いかけて、惣助の後を追う。流音とフィラがそれに続くと、いよいよユリスは、夫人と二人きりにされてしまった。


「先ほどは失礼しました」


 一先ず、仕える身としての非礼を詫びる。


「良いのよ、そんな堅苦しくしなくて。牧島《うち》は古い華族とは違うし、惣助あの人もそういうのは嫌うから」


 晴華の優しい笑みに、気恥ずかしさで強張った身体が解れるのを感じる。


「そっか、キーファソの人だったのね。騎士だったのは聞いてたけど、そうなると凄いエリートさんなのかしら?」


「それほどでは……生まれも田舎でしたし、地主とかでもなかったので」


「だとしたら、凄く努力したのね」


 謙遜に対して、肯定の言葉が返ってくる。優しい響きの声色に、ユリスは思わずはにかむ。


「キーファソのあったところには、何度か行ったことがあるわ。それこそ、ユリスさんの地元にも行ったかもね」


「そうなんですか。あそこは綺麗な場所でした。今でもはっきりと覚えていますよ」


 懐かしむように、ユリスは言った。


「でも、北海道も負けてないと思うよ」

 晴華はいたずらっぽく笑った。


「ここを地元だと思って、なんて烏滸がましいことを言うつもりはないけど、北海道や牧島家を好きになってくれれば、これほど嬉しいことはないわ」


「ソウスケさんや他の皆さんには、良くしていただいています」


「うん。顔に書いてる」


 晴華に連れて、ユリスも笑った。


「夫や子供のこと、守ってあげてね。頼りにしてるわ、騎士さん」


「お任せください」

 左胸に手を当てて、忠誠を示すと、晴華は安堵したように笑った。


     ◇


 牧島市に到着したのは、出発から七時間以上が経った午後八時過ぎのことだった。


 移動だけで疲れ切った上、この時間では人探しも難しいということで、一先ず食事を摂って、宿に向かうことにした。


「北海道まで来てそばかぁ。もっと北海道っぽいものが食べたかった」


 そば屋の座敷に通されて、適当にきつねそばを注文した仕堂は、誰に当てるでもなく、そんな不平を溢した。


「いくら丼あったのに。注文すりゃ良かっただろ」


「お前、分かってねぇなぁ。いくらとかうにとかは市場的なところで食べるから良いんだよ。そば屋で食べるのは、何か違うの」


 向かいに座る護藤の尤もな諫言に、仕堂は反発して、次いで隣に座る芦川に、


「少尉殿は分かりますよね?」


「いやぁ、どうでしょう」


 困り顔で誤魔化して、コップの水を飲む。


「楽しみは最後に取っておきましょう」


 宥めるように夏目が言った。


「三人の身柄を押さえたら、食べに行けば良いわ」


「まぁ、そうなんですけどねぇ。って、課長から何か連絡ですか?」


 一先ず不満を押さえた仕堂は、目敏く夏目がテーブルに置いたスマートフォンに目をやった。さっきまで何やら打ち込んでいたことに気づいたらしい。


「昼に電話した件、長官から大臣に話してもらえるそうよ。明日には大臣から道警に話が行くわ」


 警察と憲兵隊の協力拒否を伝えて、応援を要請した夏目だったが、結局人手が足りないということで、警察に協力してもらうよう大臣から伝えてもらうということで決着したのだった。


「内務大臣から交渉してもらうんですか?」


 妥当な着地点から順調に進捗しているらしく、ひと安心した部下二人に対して、興味を持って食いついてきたのは芦川だった。


「えぇ。今回は特例ですけどね」


 夏目は肩をすくめて答えた。


「あ、憲兵隊には話は行かないから、安心してください。管轄でもないのに少尉に来ていただいて、これ以上協力要請はさすがにできないだろうし」


「はあ……でも、道警の皆さんは納得しますかね?」


「納得?」


 仕堂が聞き咎める。


「だって、警察なりの言い分はあるわけですし、それを大臣の力でねじ曲げても、良いことはないと思います」


「なるほどなぁ。そりゃ、少尉殿に一理あるわ」


 護藤が首肯する。


「いやぁ、上の命令は絶対でしょ」


 対して仕堂は首を振った。


「気に入らないから手伝わないって、子供じゃないんだから。そんなの認めてたら、警察の存在意義なくなっちゃいますよ」


「それはそうですけど、相手の意見も聞いてあげないと、禍根が残っちゃいますから」


「いやいや、言い分よりもとりあえず仕事はするでしょ? 俺らだって、逮捕する必要がなさそうな奴だって、命令されれば逮捕しますよ。どうせ釈放になるんですけど。文句ならその後に言えば良いんですって」


「それは、仕堂さんこそ行動を起こすべきですよ。捜査するのは仕堂さんなんだから、国家権力に盲目的に従うのが公僕であってはいけませんよ」


 この人左翼みたいなこと言うなぁと思いつつ、仕堂は仕堂でそこまで無機にならなくてもと、夏目は二人のやり取りを見守りながら思った。


「――あー! やっぱり、あの時の!」


 それにしても声のトーンが大きいなと、諫めようと思った矢先、座敷を覗き込んだ女が声を上げて、仕堂を指差した。


「え、誰? 仕堂のセフレ?」


「いや、知らない」


「ふざっけんじゃないわよ! あたしの人生めちゃくちゃにしたくせに!」


 顔を真っ赤にして歯を剥く、二十歳前後の女。ポニーテールで頬にうっすらそばかすを浮かせて、安っぽいエプロンを着た、何となく牧歌的な女は、仕堂に殺意一歩手前の怒りをぶつけた。


「去年の十一月! あたしが住んでたシェアハウスにガサ入れしたでしょ!」


「あっ」


 一番に夏目が思い出して、次いで仕堂と護藤が同時に思い出した。


「あー、あの時玄関に出てきた娘かぁ。何か芋っぽくなったね」


「えぇそうよ。あんた達のおかげでね!」


 何となく、言い分を察した夏目が確認する。


「あの、もしかして大学を放校になったとか?」


「ご明察! まぁ正確には無期停学処分だけど」


 皮肉っぽく女は喚く。


「せっかく、せっかく必死に勉強して、法政大に行ったのよ。たくさん友達作って、おしゃれして、合コンして、交換留学生にも選ばれそうだったのよ。なのに大学追い出されて、こんな寂れた田舎町で実家の手伝いよ。こんなになりたくなかったから東京に出たのに、あんた達のせいで!」


「法政大なんて大して努力しなくても入れるだろ。班長なんか東京帝大だぞ?」


「知るかぁ!」


 地団駄を踏んで叫ぶ女に、いよいよ店主が飛び出してきた。


瑞希みずき、あんた何してるの! お客さんに迷惑だろ!」


「だってお母さん! あたしこいつらのせいで大学辞めさせられたんだよ!」


「あんたがテロリストなんかと遊んでるからだろ! 全くもう、お父ちゃんが浮かばれないよ!」


 先ず釈放されて実家に帰っている時点で、この女が共和主義者でないことは明らかだが、地元ではそう簡単に誤解が解けないらしい。


「だから違うって! ちょっと! あんたらからも説明してよ!」


 怒り過ぎて半泣きになりながら、女が仕堂に助けを求めた。


「あたしテロリストなんかじゃないって、説明してよ!」


「えぇ……」


 助け船を求めて、夏目の方へ向くが、


「良いわよ。親御さんの誤解を解いてあげて、ついでに聞き込みもしてきて」


「うそぉ……」


「護藤くん、手伝ってあげて。何か揉めそうな気がするし」


「了解です。ほら、行くぞ仕堂」


「はぁ……」


 頭を掻いて、コップの水を一気飲みすると、仕堂は立ち上がって、座敷から降りた。


「ほら、お母さんのとこ連れてって。説明するから」


「分かった。こっち来て……」


 バックヤードへ三人で向かい、話し声が遠退く。


 店内に客は夏目と芦川少尉だけ。おそらく、注文した商品が来ることはないだろう。


「場所、変えますか?」


 夏目が申し訳なさそうに提案する。


「そうしますか。最悪、コンビニ弁当ですね」


     ◇


 幸いなことに、二区画進んだ先に居酒屋を見つけることができた。車は置いてきたので、運転は仕堂と護藤に任せることにした。


「じゃあ改めて、お疲れ様です」


 とりあえずで注文した生ビールが運ばれてくると、運転の労を労って乾杯をして、喉を潤す。


 二人並んでカウンターに座り、三席離れたところに、常連らしき老人が朗らかな調子で店主と雑談に耽っている。地元の人に愛される落ち着いた空間に、疲れた身体が休まるのを感じた。


「何だか、お二人に悪いですね。僕らだけお酒飲んじゃって」


 苦笑しつつ、通しのポテトサラダを摘まむ芦川。


「気にしないでください。あの二人、飲み始めると調子に乗ってハメ外しちゃうんですよね。余計なことまで大声で話し始めちゃうと、困りますから」


「あぁ、何となくそんな気がしますね」


 楽しげに笑う芦川に、夏目も笑い返す。


「お二人とは長いんですか?」


「五年くらいかなぁ。最初に仕堂くんが配属されてきて、二年くらい後に護藤くんが異動してきたんですよ」


 ビールを一口飲んでから、昔を思い起こす。


「どんな感じだったんです?」


「二人とも生意気でしたよ。口先だけ敬語なんですけど、舐めてるのが態度に出てましたから。それで、鎖地さんっていう私の前の班長を怒らせて、ボッコボコにされたり」


「うわぁ、体育会系」


「そういうの、憲兵隊でもありません?」


「うーん、まぁなくはないですけど、僕はやったことないかなぁ」


 苦笑しつつ、芦川はビールを呷る。


「何というか、そういうの苦手なんですよね。泣きそうな顔とかされると、かわいそうに思えちゃって」


「あー、何となく分かる」


 納得したように夏目が頷く。


「芦川さん、そういうの苦手そうですよね。仕堂くんと話してるのを見てたら、そんな気がする」


「うん、そうなんですよ」


 大袈裟に頭を縦に振って、芦川はジョッキを傾ける。


「元々、軍にだって入るつもりなかったんですよ。勉強できて運動も苦手じゃないし、華族だけど次男だからって理由で士官学校に入学させられただけですから。本当は、アメリカで文学の研究でもやりたかったなぁ」


 文学青年に軍の制服が似合うはずもない。彼の場合、家庭の事情に耐えうる素養があったから、ここまで来れただけのことだ。


「文学なら、ロシアやフランスが主流じゃないですか? そっちに行きたがる学生の方が多かったと思うけど……」

 こんな質問の仕方は職業病だろうかと、夏目は訊ねてからふと思った。共和主義に影響されがちなのは、法学部と文学部の学生が多くて、政治団体の主導権を握るのは、大方このどちらかだ。

「うちって代々アメリカ好きなんですよ」


 芦川は苦笑しつつ、家庭の事情を語る。


「高祖父がソロモン大帝と大学の同級生で、一緒に慈善団体を作るくらい仲が良かったとかでね。ロシア革命とか中国内戦の時にも、結構協力してたそうです。第一次太平洋戦争の時なんか、スパイ容疑で爵位剥奪されてましたからね」


 そんな家柄で憲兵隊に入れる辺り、やはり第一次太平洋戦争の敗戦で、軍の気質は少なからず変わったということなのだろう。


「高祖父の頃から子供はみんなアメリカに留学してて、兄もソロモン大帝に憧れてハーバードに行きました。手前味噌なことを言っちゃうと、外務省よりうちに外交を任せた方が、対米政策は上手くいくでしょうね。貴族や財閥どころか、皇族にも知り合いがいますから」


 芦川少尉は誇らしげに語りつつ、表情は浮かなかった。


「芦川さんも留学したんですか?」


「僕はしませんでした。文学をやりたいって言ったら、『そんな実利のない遊びはダメだ』って言われちゃって」


 陸軍の士官学校から米帝への留学はできないから、諦めてしまったのだろう。


「でも、アメリカ文学は本当に好きなんですよ。もし華族じゃなかったら、桐生さんみたいに帝大に進学して、教授目指してましたね」


「あ、帝大志望だったんだ?」


「えぇ。一応、模試ではずっと上位だったから、受けられれば通る自信はありますよ」


 士官学校の入学難易度は帝国大学にも劣らないのだから、見栄というわけでもないだろう。実家の人脈を語っていた時より、よっぽど自信ありげだ。


「桐生さんが今の仕事に就かれたのは、どうして?」


 カウンターから焼き鳥を差し出されて、それを受け取ると、芦川の方から問いかけた。


「いや、東京帝大って民間企業に進んだり起業する人が増えてるっていうじゃないですか。その中で中央省庁で、しかも激務なところを選んだのって、何でなのかな、って」


 官僚養成学校などと揶揄される帝大だが、最近は中央省庁よりも大企業で地位を得ることをゴールとする者が増えてきているのは、資本主義の発達による弊害か。ともあれ、そんな時世に構わず、公安庁を選んだ夏目に関心を持つことは、別に珍しいことでもない。


「何でかなぁ……まぁ、剣道やってたし、弱いものいじめとかは好きじゃなかったから、かな」


 いつも使う常套句で答えると、


「あー、何か分かる!」

 心底納得したように芦川は唸った。


「いやぁ、本庁に電話してた時から思ってました。桐生さん、学級委員とか生徒会とかやってましたよね?」


「まぁ、やりましたね」


「やっぱり! リーダーシップと発言力強そうでしたもん」


 確かに語気は強くなったかもしれないが、それほどでもなかっただろうに。


「僕はあんな風に強く出られないんですよね。だからいつも言い負かされちゃうんです。桐生さんみたいな人、憧れるなぁ」


 本心を吐露して、それから焦りながら、


「あぁいや、人として憧れるって意味ですよ。変な意味はないですから」


 初な人だと思いつつ、夏目は笑ってビールを呷った。

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