世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

退会したユーザー ?
退会したユーザー

第62話

公開日時: 2022年5月29日(日) 22:46
文字数:4,754

 朝食をともにした帝国貴族の娘を送り出すと、ホープ・テューダーは邸宅三階の執務室にいる実母のもとへ向かった。


「エリザ嬢を見送ってきた」


「そうか。彼女はどうだった?」


「自分をかわいく見せるのに必死という感じで、息が詰まるかと思ったよ。それに、考え方が典型的な帝国貴族の息女といった風で、気分があまり乗らなかった。身体は申し分なかっただけに、残念だったね」


 執務机で署名に勤しんでいたセルーは筆を止め、いたずらっぽく答えて見せた息子を見上げる。


「どうにも帝国貴族の連中は、人間的な価値観を押しつけようとしてきて困る。胸が大きく尻が引き締まったブロンドの生娘で、僕らエルフが欲情すると考えてるんだ」


「やることはやったんだろう? 後から文句を言うな」


「こういうのは精神的な問題なんだよ」


 不貞腐れたように吐き捨てて、ホープはソファに座る。


「僕からすれば、あんな身体と男に媚びるだけが取り柄の小娘なんかより、惣治の方がずっと素敵だよ」


「男色と幼児性愛はエルフの価値観にはないぞ」


「僕は半分人間だからね。父さんも随分派手に遊んでたんだろ? 守備範囲も相当広かったって、叔父さんから聞いてるよ」


 余計なことを、とセルーはため息混じりに首を振る。


「それと、僕は惣治にそんな邪な感情は抱いてない。勘違いしないでくれ」


「今の流れで他の受け取りようがあると思うのか」


 呆れた風に言った母に構わず、ホープは続ける。


「惣治は人格が素敵なんだ。帝国貴族や他の皇族よりもずっと清純だよ。何より僕は、彼の言葉が気に入った。母さん、惣治は僕に何て言ったと思う?」


「肌が綺麗だとか背が高いとかか?」


「真面目に答えてくれ。惣治は、僕が皇帝になれば帝国の国民が喜ぶと言ったんだ。こんな発想の人間が帝国貴族にいるか?」


 いない。セルーは心の中で断言した。


 帝国という巨大な国家の運営を託され、未来を担う選ばれた血筋というのが、帝国貴族の間に蔓延る思想だ。その選民主義は彼らに虚像の自尊心と無根拠な自信を与え、それらによって貴族達は平民に対する差別を常態化させた。


 貴族のコミュニティに平民が立ち入ることは許されず、平民と交わるなどもってのほか。各省庁や軍の最上層部は貴族によってポストを独占され、それらに莫大な賄賂を渡すことのできる財閥が財界を支配し、政策提言という名の根回しで自分達に都合良く法律を作ってもらう。


 そうして富と権力を持つ限られた者達によって動いているのが、アメリカ帝国の実情だ。そこに十億の平民達の声など、ほとんど届いていないのだ。


 他国から見て時代遅れで、キーファソを始めとする新世界に存在した諸国によく似た政体の帝国が、二十一世紀を迎えてなお超大国として君臨しているのは、それだけテューダーの威光というものが、臣民にとって絶対的な存在だという証左にほかならなかった。


「そこまで言うからには、皇帝になる決心はついたのか?」


 セルーが問いかけると、ホープは苦笑とともに首を振った。


「僕が皇帝になったとして、帝国臣民が喜ばないだろ。貴族連中は嫌がるだろうし、平民達は皇族には興味がない。そんな中で僕が皇帝になる意義は何だ?」


「貴族なら、三割はお前の即位を支持する側に回っている。それに今の体制で、平民達の声を聞いて即位を決めるのは現実的ではない。彼らには何の権利もないんだからな」


「その三割は叔父さん達の派閥の連中だろ? 奴らは僕じゃなく、叔父さん達を支持しているんだ」


「それが帝国の仕組みなんだ。わがままを言うのは止めなさい」


「その言葉はそっくり返させてもらおうか」


 ホープは微かに声を荒げた。


「母さんは僕を使って、帝国に復讐したいだけだろ。父さんとの約束もあるかもしれないが、根っこの部分はそれだ。違うか?」


「だったら?」


「僕が母さんの道具になる義務はない。そうだろ? 僕がロシアに行くことも、叔父さんとグルになって邪魔した。万一に死んだりしたら、皇帝の座に就かせることができなくなるからな」


「ロシアには義勇兵しか送っていない。言いがかりは止せ」


「プライスの部隊を送っているだろ。僕はあいつの上司とは同期だし、ちょっとした貸しがある。聞き出すのは容易かったよ」


「もう少しマクミランの立場を考えてやれ。でなければ、ただのわがままな独裁者にしかなれないぞ」


「なら僕は皇帝には不適格だ。操り人形には他の奴を使うと良い」


 言い負かしてやったとばかりに得意気なホープ。セルーはため息を吐き、相手にするのも馬鹿らしいとペンを取ると、執務室の扉が炸裂した。


 扉の破片と煙の中から飛び込んできたのは二人。白地に灰色を散らした雪迷彩を纏って、銃身を白く塗装した小銃の銃口を閃かせる。


 ホープは身を屈めて、手近な一人に突っ込んだ。銃口が向くより先に廊下へ弾き飛ばすと、向き直ってきたもう一人の銃身を肘で止め、目出し帽を被った縦長の顔面に掌底を叩き込む。


 くぐもった声を漏らして倒れる侵入者から小銃を剥ぎ取り、銃把を握って銃口を向ける。相手に命乞いの言葉を紡がせることもなく引き金を絞ると、減音器に押し潰された銃声が鈍く響いた。


 脳漿が絨毯に散るのとほぼ同時に、左から減音器でくぐもった銃声が一発鳴った。ホープが向き直ると、先に突き飛ばした敵が拳銃を抜いて、自分の頭をこめかみから撃ち抜き、力なく倒れ込んだ。


「状況は?」


 デスクから右手を翳すセルーが訊く。ホープは廊下を左右確認し、


「クリアだ。窓から離れろ、狙撃される」


 セルーにそう告げると、頭を吹き飛ばした敵の足を引いて、ソファの陰に隠れる。セルーも引き出しから拳銃を取り出すと、屈んだ姿勢でソファの裏へ駆け込んだ。


「こいつらは?」


 セルーの問いに答えるように、ホープは死体からドッグタグを引きちぎって渡した。


「帝国陸軍だ。名前からして、ランリファス出身だな」


 ホープは自動小銃に目をやる。帝国陸軍の新制式銃として配備が進んでいる、レミントンACRだ。


「素性も隠してない辺り、暗殺目的じゃなさそうだな」


「誰の差し金だ? こいつの所属は?」


「第一七八空挺旅団の肩章だな」


 そう言ってから、ホープは一瞬目線を泳がせ、絞るように声を紡いだ。


「トムおじさんが指揮してる部隊だ。ザナヴォに配置されてる」


「ザナヴォからここまで二日がかりだぞ」


「二日かけて運んできたんだろ。そうまでして僕らを殺したかったんだ」


 そうなると、刺客は二人だけのはずがない。親子揃って一致した見解が正しいとばかりに、今度は階下から銃声が三つ響いた。


「見てくるから、母さんは応援を呼んでくれ」


 ACRを差し出し、セルーに告げる。


「待て、私が行く。お前がここにいろ」


「僕は母さんより腕が立つ。それに、ここにいたら狙撃されるかもしれないだろ?」


 いたずらっぽく笑いかけると、ホープは死体から白塗りの拳銃・M45を抜いて、部屋を出る。


 拳銃を右手で構えて、廊下を進む。左手のポケットからスマートフォンを取り出すと、電話帳から見慣れた名前を選び、ダイヤルする。


「ヘンドリクセン、今すぐマリーデルとサイモンを連れてうちまで来てくれ。襲撃されてる」


『襲撃だ? あんたん家襲うなんて、どこのバカだよ』


 冗談のように受け止める電話口の声に、真剣さは薄い。


 十五メートルほど先の階段から、ACRを提げた人影が姿を見せると、ホープは拳銃の引き金を引いた。銃声を三つ立て続けに響かせて壁を抉り、敵が一人廊下に倒れ込むが、その矢先に自動小銃の銃身が飛び出てきて、減音器を取りつけた銃口が閃く。


 ホープは手近な部屋の扉を破る。飛び込む 間際、やみくもに放たれた6.8mm弾が肘と大腿を貫き、熱を帯びた激痛に呻いて倒れ込む。


『おい、マジかよ』


 ここに至って、電話口の声は事態を把握する。そしてホープは、膝の貫通銃口を右手で押さえながら、床に転がったスマートフォンに耳を当てて、呼吸を乱しながら声を荒げる。


「分かったら早くしろ。十分で来い!」


『すぐ行く、死ぬなよ隊長!』


 電話が切れると、ホープは血が溢れ出る大腿部に目をやる。


「グラトラ、ヘスカ、ハイラスタ」


 傷を押さえる右手に力を入れて、呪文を紡ぐ。帝国の魔法科学省が大陸南部の魔法を基に開発したもの、他の部位の状態を対価に怪我を治癒する効果がある。切断でもされていない限り有効で、その証拠に致命傷になりかねないホープの貫通銃創は瞬く間に塞がり、傷ついていた血管も元通りに修復された。


 痛みが引いて、呼吸を整えたホープは、近づいてくる足音に聞き耳を立てる。数は三人分。できるだけ足音を殺して、慎重に歩を進めている。


 扉のすぐ近くまで迫ってきたその時、咆哮とともに一人が吹き飛ばされた。この屋敷で飼っているタイリクシマイノシシの突進によるものだと理解したのは一瞬のことで、同時にホープは壁に向かって拳銃を四発撃った。


 さらに自動小銃の銃声が四つ響き、人の倒れる音が廊下から聞こえてきた。静寂の中で軽くて小気味良い足音がトコトコと鳴り、タイリクシマイノシシが部屋に入ってくると、ホープは駆け寄ってきたその頭を撫でてやった。


「ホッピー、生きてる?」


 廊下から聞こえてきた姉の声に、ホープは安堵して起き上がる。


「生きてる。そっちは?」


「大丈夫。ネネリも生きてるよ」


 この屋敷に住み込んでいるたった一人の女中だ。ホープは無事を知ると、左肩の銃創をさっきと同じ要領で治療した。


 廊下から部屋を覗き込んできたリールーは、弟の様子を見て一瞬の顔を強張らせたが、顔色で無事を認めてすぐ笑みを取り戻した。


「怪我は治した?」


「あぁ。少し貧血気味だが、一時間もすれば元に戻る」


「なら良かった。にしても、ただの空挺にそんなやられちゃって。SASの名が泣くよ?」


「そんなことはどうでも良い。それより、下の状況は?」


「六人仕留めた。こっちのと合わせたら……」


「十二人。まだ外にいるかもな」


 ホープがそう答えるのと被せるように、外からけたたましい銃声と爆発音が響き、屋敷が微かに揺れた。重機を起動したように重苦しく連なったそれは、ミニガンの掃射だろう。止めを刺したのは、さしずめ対戦車ロケットだろうか。


「外にいるのはパンジャに片づけてもらったから、もう大丈夫じゃない?」


 リールーが得意顔で答える。さっきのミニガンと対戦車ロケットの爆発音の正体は、相方として飼い慣らしている、ジャルマンオオトカゲの仕業だろう。


 タイリクシマイノシシを抱えたまま、部屋を出る。銃弾で倒れた者が二人に、ペットの突進で吹き飛ばされたのが一人。三人とも既に息はない。


「警察と皇帝官房に、応援を寄越すよう伝えておいた。あと十分もすれば着くだろう」


 執務室から出てきたセルーが、ホープとリールーに言った。


「こいつらはトムの部下なんだって?」


「空挺旅団でしょ。トムおじさん、昨日来てたよ」


「何のために?」


「さあ? お母さんに会いたがってたみたいだけど、ユリスおばさんと会ってたでしょ? 時間かかるよって言ったら、そのまま帰っちゃった」


 事の顛末を伝えて、リールーが肩を竦める。


「本当は昨日のうちに仕掛けるつもりだった……というわけではなさそうだな」


「部下を動かせるんだったら、自分で来るわけないもんね。実際今日は来てないし」


「そもそも、トムおじさんが何故僕らを狙う? 恨まれるようなことをした覚えはないぞ」


「個人的な恨みだけで部下を動かしてここまではしないさ。トムはそこまで性根の腐った男ではない。良くも悪くも、忠誠心の強い真面目な男だよ」


 怪訝な面持ちのホープに、セルーは静かに答えた。


「ホープ、お前が望んでいなくとも、サウスウェールズの皇族どもはそうもいかないんだよ」


「どういう意味だ?」


「奴らはお前に正攻法で勝てないから、始末することにしたんだ。それも軍を使ってな。その結果がこれだ」

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート