世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第70話

公開日時: 2022年9月17日(土) 10:18
文字数:8,018

「――プスタスクで大規模な爆発が観測されたそうだ。私の情報筋では、変異石を使った爆弾によるものらしい」


 皇宮の宰相執務室に入ってきたティモシー・テューダーが唐突に切り出すと、デスクに着くトマスは訝しげに眉間を寄せた。


「知っていたか、トマス? プスタスクには今、トム・アンダーソン少将が来ているらしい。ロジャーの部下だった男だ。ザナヴォの国境を管轄している人物が、しかも部下を引き連れてプスタスクに来ているなんて、妙なことがあるものだな?」


「もう少し要点を絞って話してくれないか? プスタスクで爆発があったことなど聞いていないし、少将のことなど一々気にしてはいられないんだ。何が言いたい?」


 苛立ちを露に促すトマス。するとティモシーは手を二度叩いた。


 執務室のドアを静かに押し開いて、息子のクリスと甥のジャックが入ってくる。二人に続いて、アタッシュケースを提げた背広姿の白人が三人入ってくると、トマスの関心はその白人達に向けられた。


 宰相の執務室に皇族以外で出入りするのは、各省の役人か皇宮に勤める職員のみで、彼らの顔は全員覚えている。だが今しがた入ってきた三人はその誰でもないし、況してや皇族でもない。帝国臣民であることすらも怪しむべきゲルマン系の目鼻立ちだ。


「クリス、これは何の真似だ?」


 トマスは息子の方へ目を向ける。クリスは一瞬の逡巡を挟んで、


「父上には帝国宰相の座を降りていただきます。今日からは私が、新皇帝の下でこの帝国を率いていきます」


「今の言葉は皇帝陛下に対する不敬だぞ。新皇帝など決まってはいない」


「新皇帝はエリザベスかアンにやらせるつもりだ」


 ティモシーが得意気な顔で言った。


「あの二人を我々が支えれば、体制は盤石だ。お前も心置きなく引退できるだろう?  田舎でのんびりと余生を過ごすが良い」


「あの二人に皇帝など無理だ。貴族や財閥が言うことを聞かないし、軍も納得しない。私も推すつもりはないぞ」


「だがトマスよ、お前が推したい候補などいないだろう? 頼みの綱だったアルバスも、最早頼れないともなればなおさら、なぁ?」


 勝ち誇ったような笑みに、意味深長な物言い。そこへ来てトマスは、部屋に入るなり切り出した意味不明な情報提供の真意に気づいた。


「お前達、ホープに何をした?」


「誤解は止してくれ。我々に何ができるというんだ?」


 白々しく追及を躱したティモシーに、クリスが続く。


「トム・アンダーソン少将がプスタスクで反乱を起こしました。セリューはその対抗処置として爆撃を実行し、ホープはそれに巻き込まれて殉職したそうです」


「馬鹿な……」


「皇帝官房からの確かな情報だ。アルバスも爆撃に巻き込まれて死んだらしいぞ。悲しいことにな」


 物言いとは裏腹に、ティモシーの口許は堪えきれない笑みで微かに歪んでいる。トマスにはそれだけで、この男の悪意が透けて見えた。


「まぁとにかく、そういうわけだ。お前にしてもオズワルドにしても、推していたホープが死んだとなると、他の候補を立てることに異存はあるまい?」


 追い詰めるようなティモシーに続けて、クリスが父親に向かって進言する。


「今回の反乱で、軍の忠誠心を疑わざるを得なくなりました。ついては全軍の将官を査問し、体制の刷新を図りたいのです」


「それで?」


「軍がそのような状況なのに、ロシアに義勇兵など送っている場合ではありません。彼らを撤退させます。全軍。支援も全て打ち切りましょう」


 そうしたいがための大義名分として、プスタスクの反乱を引き合いに出しているようにしか聞こえなかった。まるで説得力のない稚拙な答弁に、トマスはため息を漏らし、背凭れに身を預ける。


「そこにいる三人の雇い主が、お前達の協力者か。そしてその協力の見返りが、ロシアからの撤退というわけだ」


 ケースを提げた背広の三人を指差して言い、


「ドイツなら皇帝陛下も許してくださると思ったか? 愚か者め。陛下が欧州への嫌悪を捨てることなどない。たとえ交渉相手がハプスブルクであったとしても、だ」


「死に体同然の陛下の意向など最早些末なことだろう? 今日からは我々の新体制が始まるんだからな」


 宰相を相手に堂々とよく言えたものだ。自分達の体制に絶対の自信があるらしい。


「お前の最後の仕事だ、トマス。次の皇帝を決めて、それを皇帝陛下のご意向として公表しろ。エリザベスかアンか、お前が好きな方を選んでも良い」


「拒んだら?」


「それなら私が代わりに選んでやる。お前の名前は借りるがな」


 ティモシーが言うと、ドイツ人の一人がアタッシュケースの側面をトマスに向けた。よく見ると、側面に黒い点があって、それが銃口なのだとトマスはすぐに理解した。


「帝位簒奪とは随分と大胆なことを考えたな、クリス。随分と成長したものだ」


「帝国のためを思えばこそです。下等なエルフの血をテューダーに入れるに飽き足らず、帝位の継承まで……父上達は狂っているとしか思えません」


 父親からの皮肉まみれの賛辞に、クリスは咎めるように言った。


「テューダーの血は人間だけのものです。そして帝国は人間のためにあるべきなのです。彼らを率いるのが我々であり、それこそが帝国を進化させ続ける根幹です。父上は本当に分からないのですか?」


「それは純血主義の貴族と、金で権威を買っている財閥の思想だな。時代錯誤も甚だしい、カビと錆にまみれた勘違いだ。そんな思想も利用しなければ、君らはまともに立ち行かないのか?」


 トマスはドイツ人達に問いかけた。彼らは反応せず、ただ冷たくトマスを見下ろしている。


「テューダーこそが帝国の根幹だと思っているのは、今や有力貴族と財閥の連中だけだ。ほとんどの民はそんなものに興味などない。ただ自分達の生活を守るために働き、家族を守るために我々に逆らわない。皇族を叩けば殺されるし、体制を批判すれば警察に捕まる。それでも生活は豊かで便利だし、住んでいるこの国は強大。君主の権威も誇るには十分。だから黙って従っているんだ」


「黙って従うしかない民のことなど気にしてどうするのです? 我々が目を向けるべきはそんな些末なことではないでしょう」


 父親への失望を滲ませる荒れた語調に、トマスはそれ以上の失望をため息で返した。


「そうやって民を踏みにじって追いやられたり殺された皇族や王族は、今までたくさんいたな。ロマノフもそうだった。お祖父様が助けなければ、彼らの血も途絶えていたかもしれない」


「我々はそうはならんよ。欧州と手を取り合い、世界を支配するのだからな」


 ティモシーが傲慢さを隠そうともせずに言ってみせると、そこで沈黙を守ってきたジャックが口を開いた。


「フランスからブリテン返還の承諾を取りつけています。欧州連合へのオブザーバーとしての参加とパートナーシップ締結についても、主要国とは調整済みです」


「ロシア内戦からの撤退の見返りがそれか。この半年、まともに口を聞いていなかったが、裏でそんな余計なことをしていたわけだな」


「帝国の悲願を果たしたんだぞ? これを外交的成果と言わずして何という?」


「私には『友を裏切り、国を売った』と聞こえたがな。ドイツの工作員まで引き込んで、お前達は自分が何をしたのかまるで分かっていないらしいな」


「父を死に追いやった伯父様にとやかく言われたくありません!」


 ジャックが声を荒げた。ハロルドが死んで以降、死人のように憔悴していたのが嘘のような声だった。


「血を分けた兄弟を殺したことは、友や国を裏切るよりも遥かに重罪なはずです。そのあなたに僕らを咎める権利があるのですか?」


「核戦争を起こそうとする者など誰であっても止める。私はハロルドの弟だが、それ以上に帝国宰相だ。帝国臣民を守るためなら、そのくらいやるさ」


「この冷血動物め。お前のような輩こそ帝国には不要だ」


 荒れるジャックを代弁するかのように、ティモシーが吐き捨てた。


「もう良い、さっさと詔書をしたためろ。これ以上口答えするようなら、お前をハルのもとへ送ってやる」


「ならさっさと送ると良い。私はこの帝位継承を認めるつもりはない」


 ケースの中の銃口を向けるドイツ人が、目だけをティモシーに向けた。ティモシーが首肯を返すと、取っ手の引き金に指をかける。


 ガラスの割れる音と、銃弾が空を切り裂く音が耳を劈いた。


 トマスに銃口を向けていたドイツ人の男が壁に弾き飛ばされる。


「何だ! おい!?」


 咄嗟に屈んだティモシーが叫ぶ。続けざまに窓ガラスが割れて、残る二人のドイツ人が次々に倒れていくと、恐慌状態のジャックがドアへ駆け出した。


 次に放たれた凶弾はその背中を貫き、開きかけたドアと一緒にジャックが前のめりに倒れた。


「くそっ! 貴様の差し金かトマス! この卑怯者が!」


 自分と同じように、デスクに実を隠したトマスを、ティモシーが罵る。


「他人のことを言える立場か」


 トマスは冷静に言いながら、匍匐前進でドアへ向かっていくティモシーから、部屋の隅で縮こまる息子へ関心を移す。案の定、彼の仕業というわけでもないらしく、本棚の傍で小鹿のように身を震わせている。


 生き残った三人が床に伏せていると、そこへ黒い空間の歪みが現れた。そこから悠然と出てきた黒いコートの人物に、トマスは全身の緊張を弛緩させた。


「セリュー……」


 怯えきっていたクリスは、凶行の犯人が見知った顔だったことに安堵したのか、今度は顔色をみるみる赤くしていく。


「トマス、怪我は?」


 そんなクリスの様子など気にも留めず、セルーはトマスの方を向いた。


「私は大丈夫だ。それより、ホープとアルバスは? 死んだと今聞かされたが、本当か?」


「そんな話は聞いていない」


 即答して、ティモシーの方を睨む。


「お前達の企みではそうなっていたんだろうな。残念だが、あの子はお前達に殺されるほど腑抜けてはいない」


「企みだと? 馬鹿馬鹿しい。私達が何をしたというんだ」


 壁を頼りによろよろと立ち上がり、冷や汗を拭うティモシー。焦りを取り繕うその物言いに、セルーは床に倒れるドイツ人の死体を顎で差し、


「ならこの男達が何者か説明してみろ」


「私が個人的に雇った秘書兼護衛だ。アルバスだってそのくらい雇っているだろう?」


「どれほど優秀でもロシア系だ黒人だと門前払いするような男が、どういう心境の変化でゲルマン人を雇うんだ?」


「偉そうな口を聞くのもいい加減にしろ、薄汚い尖り耳エッジが!」


 答えに窮して顔を歪めるティモシーの代わりに、クリスが罵り言葉を返した。いつの間にか立ち上がっていたクリスは、さっきまでの怯えきった表情も嘘のように消え失せて、親の仇でも見るかのような目でセルーを睨みつけていた。


「これはテューダー家の問題だ。余所者の尖り耳エッジの分際で口を挟むな」


「私がそうでなくとも、ホープはれっきとしたテューダーの血筋だ。私にはあの子を守る責任がある」


「そのホープこそが不敬の象徴ではないか! 高潔なテューダーの血統に入り込んだ穢らわしい尖り耳エッジの血だ。そんなものがテューダーの後継の座に着こうとすることそれ自体が不敬だ!」


 怒り狂うクリスを、セルーは半ば憐れむような目で見つめる。


 やがてセルーが武器を持たないのを良いことに、クリスは強硬策に打って出た。懐から護身用の拳銃を抜いて、銃口をセルーに向けたのだ。


「止さないかクリス!」


 トマスの制止を振り切って、銃爪に指をかける。


 セルーは左手を翳して、無声音で呪詛を唱えた。引き金を絞ろうと指が力んだその瞬間、クリスの右腕が感覚を失った。


「え――」


 違和感に声を漏らしたクリスは、銃口がこめかみに突きつけられるのを自覚した。そして至近距離の銃声に鼓膜を破られ、被弾の衝撃で脳漿と意識を吹き飛ばした。


「馬鹿者が……!」


 セルーの魔法にされるがまま、自身で頭を撃ち抜いた息子に、トマスはそう声を絞り出すのが精一杯だった。


「ひっ! ひいぃっ……!」


 共犯者が二人死に、いよいよ孤立したティモシーは、執務室からの遁走を試みる。


 セルーは腰に手を回して、S&Wの自動拳銃を抜いた。ジャックの死体を蹴ってどかし、扉を開いて逃げようとするティモシーの後ろ姿に銃口を向けて、引き金を絞る。


「ぐえっ!」


 右肩を撃ち抜かれたティモシーが、轢き潰されたカエルのような声を上げながら逃げていく。


 セルーはティモシーを追おうとして、クリスのもとへ這っていくトマスに足を止めた。頭を撃ち抜いて事切れたクリスを抱える姿に、


「済まない、トマス」


 トマスは背中を向けたまま、やがて絞り出すように声を紡いだ。


「良いから、お前はティモシーを追え。私に対して悪く思うなら、奴を逃がすな」


「……分かった」


 セルーはそう答えて、執務室を出ていった。


     ◇


 右肩の貫通銃創が放つ痛みを左手の圧迫で誤魔化しながら、ティモシーは必死の形相で廊下を走り、やがて非常ベルを見つけると、それを思いきり殴りつけた。


 皇宮内に警報が鳴り響く。訓練ではない、正真正銘の非常事態として鳴らされるのは、これが初めてだ。不意打ち同然の警報に引き寄せられて、皇宮内を見回る近衛兵の二人組tが突き当たりから現れて、肩を血で濡らすティモシーを見るなり、血相を変えて駆け寄ってきた。


「せ、セリューに撃たれた! 奴は謀反を起こしたんだ。早く殺せ!」


 宰相の執務室を指差して叫ぶ。近衛兵の一人が無線で連絡を取り始め、もう一人が肩に提げたACRを手に、執務室へ向かっていく。


 ティモシーはその隙に遁走を図った。近衛兵は帝国陸軍から選抜された者達で構成されている。家柄は言うまでもなく、身体的に秀で、帝国への忠誠を買われた者が集められた、まさに最精鋭と呼ぶに相応しい部隊だ。


 だがCIAでアルバスの手先として、暗殺と工作を担ってきたセルーが相手となれば話は変わってくる。


 見立ての通り、拳銃の銃声が背後から聞こえてきた。先ほど向かわせた近衛兵が返り討ちに遭ったのだろう。


 ティモシーは走り出した。最早痛みなど構っていられない。一刻も早く逃げなければ、あの女に殺されてしまう。


 執務エリアを出て、階段を昇っていく。


 ティモシーはこの皇宮で一番安全な場所がどこかを心得ていた。非常時、近衛兵は現皇帝のもとへ向かい、その身を守るよう厳命されている。警報が鳴ってからそれなりに時間は経っているから、もう既に一個小隊は到着しているはずだ。


「あぁ、お前達!」


 ティモシーの予想通り、皇帝が病に伏せる寝室の前には、ACRを手にした近衛兵が十数人ほど集まって、守りを固めていた。寝室のドアも開いていて、今まさに皇帝を地下へ避難させようとしているところだ。


「良かった、すぐに守りを固めろ。セリューはこちらへ向かってきているぞ」


「殿下、落ち着いてください。すぐに対応いたしますので」


 隊長のハーディングが落ち着いた声で応じた。公爵家の五男で、佐官になるまで最前線にいた筋金入りの軍人だ。皇帝からの覚えも良いとよく耳にしている。


「止まれカレンデュラ!」


「武器を捨てろ!」


 まもなく近衛兵が怒号を響かせ、廊下の空気が張り詰めた。


 ティモシーが振り返った先には、例の黒いコートを着たセルーが立っていた。時代錯誤なキーファソの短剣と、帝国製の拳銃を手に、向けられるいくつものACRの銃口に怯みもせず、ティモシーの強張った顔を見据えている。


「落ち着けカレンデュラ。武器を捨てるんだ」


「何をしている! さっさとそいつを殺せ!」


 説得を試みる隊長の言葉に水を差し、ティモシーは近衛兵を叱咤すると、皇帝の寝室へ逃げ込んだ。


 広い部屋の奥。天蓋付きのベッドに伏せる皇帝の傍には、移動用のベッドを準備する看護士が二人と、皇帝付きの医者がいた。ティモシーは彼らに向かって、


「邪魔だ、どけ! 陛下にお目通りさせろ!」


 唾を飛ばしながら駆け寄り、痩せ細った身体に縋った。


「陛下、起きてください! セリューが反逆しました! ロジャーが連れてきたあの女です!」


「殿下、お止めください。陛下のお身体に障ります」


 皇帝の肩を揺らすティモシーを、主治医が諫める。


「黙れ!」


 肩に触れた手を振りほどくと、そこでティモシーは違和感に気づいた。


 廊下の外から見てくる近衛兵達の目に、当惑と敵意のようなものが認められる。それは彼らを率いるハーディングも同じで、無線機を手に、こちらをじっと睨んでいた。


 そして何より、異様に静かだ。まるでさっきまでの喧騒が嘘のように静かで、まもなくティモシーはその理由を悟った。


『――繰り返す。帝国宰相トマス・テューダーの名のもと、全近衛兵に命じる。セリューに協力し、ティモシーを捕まえろ。奴は皇帝陛下に仇為した帝国の敵だ』


 警報が切れて静けさを取り戻した部屋の中で、看護士が傍に置いた無線機から、トマスの声が聞こえてきた。


「ち、違う。違うぞ!」


 ティモシーが焦慮を露に叫ぶと、看護士と主治医が離れていく。

 

 やがて寝室のドアの前にセルーが現れ、部屋に踏み込む。背後にいる近衛兵達は銃口こそ向けてこないが、いつでも発砲できるように身構えている。


「止めろ、近づくな! 皇帝陛下の御前だぞ!」


 叫びながら、ティモシーは皇帝の隣まで下がっていた。セルーは構わず間合いを詰めるが、不意に関心を移して足を止めた。


「へ、陛下……!」


 その目の向く先を見て、ティモシーは声を絞り出した。


 薬の副作用による深い眠りから覚めた皇帝は、その碧い瞳を虚ろにしたまま、ティモシーの声に顔を向けた。


「陛下、お助けを! セリューが、あの尖り耳エッジの女が、帝国に弓を引きました! この不届き者に制裁を!」


 ベッドに縋り、皇帝に懇願するティモシー。皇帝の命令が絶対である帝国で、この老人が下す命令に背くことができる者などいない。


「貴様は嘘吐きだ」


 掠れた声を紡いだ皇帝は、目を丸くしたティモシーから視線を外し、前を向く。


「セリュー」


 見知った顔を認めた皇帝は、深く息をして、やがてその碧眼に生気を宿し、命じた。


「この男を排除しろ!」


 病に伏せる老人のそれとは想像もつかない、力強い声。セルーは拳銃を捨てると、短剣を両手で握り、床を蹴った。


「な、何故――」


 絶望に歪んだ顔で前へ向き直ったティモシーは、次の瞬間喉を短剣に貫かれた。勢いのまま壁に叩きつけられると、声とも呼べない潰れた音を喉元から捻り出して、目を見開きながら息絶えていった。


「よくやった、セリュー。ロジャーが死んでからも変わらぬ忠心、見事だ」


 称賛とともに、皇帝は枕に倒れ込む。かつてのような威厳に溢れた語気と声質に、医者と看護士は困惑し、廊下の近衛兵達もざわめいていた。


「オーウェン、何故私を信じた?」


 セルーの問いに、肩で息をしながら、


「国を背負うお前の忠誠を疑うほど耄碌したつもりはない」


 主治医が駆け寄って、額の汗をハンカチで拭う。廊下ではハーディング達が敬礼し、足早にやって来た宰相のトマスを迎えていた。


「トマスをここへ呼べ。ハーディングもだ」


 掠れ始めた声を弱った肺で紡ぐと、それを受けたセルーが二人に手招きする。


「お前達は出ていろ。私は心配ない」


 トマスとハーディングが寝室に入ると、それと入れ替わる格好で、主治医と看護士が出ていき、ドアを閉めた。


「陛下……」


 トマスが口を開こうとすると、それを皇帝は手で制し、呼吸をゆっくりと整えてから、


「今から言うことは勅命だと思え。背くことは何人も許さん」


「はい」


「私が死んだ後の帝位継承において、議会の承認は必要ない。正教会が異議を申し立てるなら、その者を処刑しろ。ただし、私の指名する者に帝位を継承させろ。他は一切認めん」


 皇帝の権威を振りかざした乱暴な要求。トマスが首肯を躊躇っていると、皇帝はセルーの方を向いた。


「この国はロジャーという未来を失い、テューダーの結束も醜く腐り果てた。だが、あの子は希望を遺していった。その希望がこの国を正しい未来へ導けるよう、お前達が支えてやれ」


 皇帝は静かに目を閉じ、穏やかな声で告げた。


「私の後継者は、ホープ。お前達がこの勅命の証人となり、あの子を支えていけ」

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