ウラジーミル・ジリツォフが使った銃弾が、魔術礼装を施した暗殺用のもので、被弾すれば助かる見込みがないということを告げられた時、ユリスがセルーに掴みかかっても、夏目は止めることができなかった。
「ふざけるな! お前は、お前達は、くだらない野心のためにソウスケさんを殺すのか! あの人が何をしたというんだ!? 答えろ!!」
胸ぐらを掴まれたセルーは喚くユリスに顔を歪めながら、それでも努めて冷静に言葉を返す。
「私ではない。誤解するな」
「同じだ! お前は、米帝の醜悪な横暴の手先だろ!」
「私はそれを止めようとしたんだよ! それを邪魔したのは誰だ? お前だろうが! いつもいつも後先考えずに剣を振り回して、国が滅んでも馬鹿は治らないんだな!」
「貴様あぁぁぁッ!」
キーファソの言葉の応酬の末、ユリスはセルーを引きずり込んで、テーブルに押さえつける。
「ちょっとユリスさん、落ち着いて!」
喋っている内容は分からないが、穏やかでないことだけは確かだ。夏目もユリスの肩を掴んで引き剥がそうとするが、腕力で優るユリスは動こうとしない。
「お前に、お前に何が分かるんだ? 国を滅ぼした仇に仕えるお前に、私の何が分かるんだ!」
「だったらお前は、私のことを理解しているのか! スラキスで別れてからこれまで、私がどうやって生きてきたか、分かっているのか!」
「分かって堪るか! みんな、みんな米帝に殺されたんだぞ! アルドルも、ルフムも、フォルティも、みんなだ! そんな奴らに仕えて、私の主を殺して……」
声が歪み、セルーの頬に涙が落ちた。
「何でお前なんだ……やっと再会できたのに……」
嗚咽を圧し殺すユリスに、セルーは押し黙り、夏目も言葉を失う。
「――取り調べってこんな感じなの?」
扉が開いて、かけられた言葉に夏目が振り返る。和服を着たクロナが、呆れたような顔でそこに立っていた。
「まぁ良いわ。この様子だと、事情はもう分かってそうね。ユリス、ちょっと来てもらえるかしら?」
◇
牧島惣助に助かる見込みがないことは、すぐに医師達に伝えられたが、他にこの事実を知らされたのは、ボーコフ大尉の面々と警備員達、そして牧島家の護衛達だけだった。情報が漏れることで余計な混乱を招かないための措置で、それ故そこから先の措置についても、個室代わりの詰め所で行われることとなった。
「あまり集まりすぎると、却って怪しまれるんじゃないのか? みんな早く持ち場に戻るんだぞ」
惣治と晴華、それに護衛の四人が詰め所に集まると、惣助はその仰々しさに苦笑する。
だが、その平静を装う態度に無理が混ざっているのは、そこにいる誰もが分かっていた。ユリス達がここへ集められるまでに、一度吐血し、同時に湧いてきた得体の知れない激痛を抑え込むために、院長に無理を言って、モルヒネを打ってもらったのだ。ほんの一時間前まで平気な顔をしていたというのに、今では末期癌に侵されたかのように窶れ、目の下には青白い隈が浮き出ていた。
クロナの見立てに一切の偽りがないと、そこにいる誰もが再認識させられ、そして余計に空気が重くなった。
「何だこれ、湿っぽいな。ユリスなんか目の辺り腫れてるし」
「これは別件ですので、お気になさらず」
生真面目に否定したユリスに、惣助はどこか安心したように笑った。
「みんなには済まないと思うが、こうなってしまった以上、受け入れるしかない。どうか、これからも牧島家を支えてくれ」
そう言って、惣助は一人ひとりの顔を見渡す。
「フィラとはもう二十年の付き合いか。お前は最高の狩猟友達だったよ。牧場のこと、任せたぞ。今までありがとな」
「私も、惣助さんに仕えられて幸せでした。拾ってくださって、ありがとうございました」
フィラは精一杯笑顔を作って、それからすぐに下を向いた。
「流音とは五年か。最初はフランス訛りが凄かったのに、ほんと頑張ったよなぁ。お前のおかげで、晴子に思い通りの進路を歩ませてやれた。これからもあいつのこと、頼んだからな?」
「はい……」
ハンカチで目元を拭って、流音は小さく頷いた。
「ユリスとは、もう少し話したかったな。強いし、面白いし。お前を紹介してくれた芝塚には、感謝しないとな」
静かに一礼したユリスに、惣助は続ける。
「来たばかりのお前に頼むのも不躾だが、惣治のことを支えてやってくれ。フィラや流音と一緒に。こいつはまだ子供だからな」
手招きをすると、目に涙を溜めていた惣治は、ベッドの父親に抱きついた。惣助は苦笑しながら頭を撫でてやり、同じように寄り添った晴華に、頭を持たせかける。
「生涯をかけて、お仕えします」
胸に手を当て、力強く答える。生真面目なその答えに、惣助は安堵したように笑った。
「ほら、時間だ。みんな、じゃあな」
惣治の肩を叩き、晴華や護衛達を見渡して、最期の挨拶らしからぬ別れを告げる。
「惣ちゃん、行こ……」
晴華が惣治の手を引き、重たい足取りで詰め所を後にする。ユリス達もそれに続いて、部屋に残ったのはクロナだけとなった。
「じゃあ、始めるわよ」
惣助の枕元に立って、クロナは告げた。
「お前さんに使うのは、西方の呪術の中で特に質の悪いものでね。眠った瞬間死ぬ、そういう呪術よ。痛みも苦しみも、恐怖もなく、静かに逝けるわ」
「聞いた感じだと、性格が良さそうだぞ」
「そんなことないわ。ある日突然、最愛の人が訳も分からず死ぬなんて、これほど辛いことはないでしょう?」
さしずめ、標的の家族を殺害して、絶望させるための呪術だろう。それを殺すべき本人に使うのは、本来の用途ではないはずだ。
「この呪術をかけた後、催眠で眠らせる。それで苦しまずに死ねるわ」
「そうか。助かるよ」
惣助は穏やかな表情で、
「クロナ、後のことは頼んだぞ」
「それはあの子達がやるでしょう。私が出るまでもないわ」
「お前には、家族を守ってほしいんだ。私にとっては、みんな家族だ。晴華や惣治や晴子だけでなく、社員や、お前達もな」
左手を伸ばして、クロナの右手に触れる。
「俺はもう、守ってやれない。惣治もまだ、子供だ。だから、お前がみんなを守ってやってくれ」
クロナはその手を取る。今はもう、うっすらとしか残らない傷痕を見て、静かに笑う。
「お前さんはあの頃から、変わらないわね」
目を閉じると、四十年以上も前の景色が、目蓋の裏に蘇った。
「――恐くないよ。出ておいで?」
そう言って、少年は手を伸ばしてくる。北の方でも見たことのない、上等な服を着た人間の子供は、恐怖心よりも好奇心に目を輝かせていて、それが堪らなく不愉快だった。
大陸南西にある森のエルフ達の国。魔族と対峙したこともない、名前すら知らない、そんな小国に、その魔族は落ち延びた。かつていくつも国を滅ぼし、キーファソやランリファスにも恐れられ、災厄の一つに数えられた面影はもうない。米帝の水爆によって肌を焼かれ、魔素を取り込めなくなったこの身体は、得意としていた呪術や魔法を使うことができず、日増しに劣化を進めている。歩くだけで敵の戦士を死に至らしめた毒は自らを侵し、宝具で貫かれても再生した内臓も腐り始めていた。
魔神から与えられた領地は全て失い、誇りであった槍は折れ、そうしてただ死を待つだけとなった成り果てに、手を差し伸べてくる人間の子供。不愉快でしかなかった。
その手を千切り飛ばしてやろうと、腕を薙いだ。痩せ細り、黒く焦げたみすぼらしい腕の一撃は、しかし当人の思ったようには働いてくれなかった。
「いたっ!」
少年は悲鳴を上げて、手を引いた。手のひらに深く刻まれた引っ掻き傷。それが、衰えきった魔族が人間の子供相手にできる、精一杯の抵抗だった。
「惣助さん、大丈夫ですか!?」
少年の悲鳴を聞きつけて、傍に控えていた大人達が駆け寄ってきた。異世界から着た、米帝と趣の似た服の人間が三人に、近隣の国々に住んでいるエルフが二人。エルフが茂みを覗き込み、目が合うと、血相を変えて叫んだ。
「魔族だ! 魔族がいるぞ!」
叫ぶと同時に、三人の人間が肩に提げていた武器を向けてきた。槍のように鋭い塊を飛ばす、異世界の武器だ。剣や槍でも死ぬことのなかった同胞が、それで殺されるのを、何度も見てきた。
「君はジャルマンの出身だったよな。こいつは知ってるか?」
「恐らく、魔族の将軍です。水爆で焼かれても死なず、米帝から逃げ延びた化け物ですよ」
「この辺りで、エルフや魔獣の死体が見つかっていたな。まさかこいつの仕業か?」
「恐らく……水爆で皮膚が焼かれると、魔族は魔素が取り込めなくなるそうですからね。魔素を持っているエルフや魔獣を食べて、生き長らえてきたんでしょう」
「そうか。なら、殺処分だ」
人間達が銃口を向け、構える。子供の手すら切り落とせないほどに弱った身体では、逃げることもできず、ただ虚しく威嚇する。
「少尉、お待ちを」
そこへ、また人間が加わる。牧場を営むエルフのような格好をした人間は、少年の手を取り、怪我の具合を確認する。
「おー、結構深く切られとるな。こりゃあ縫わんと」
ポケットに突っ込んでいたタオルを取り出して、傷口を押さえる。
「惣助、お前何したんだ?」
「あの子、怪我してるみたいだったから、助けてあげたかったんだ。そしたら引っ掻かれた」
「そうか。まぁ、野良猫だってちょっかい出されりゃ引っ掻くわな」
泣きじゃくる少年の頭を掻き撫で、男はそう笑った。
「皆さん、そこに隠れてるの、捕まえて手当てしてやってください。子供の手を引っ掻くくらいしかできんくらい弱っとるんなら、麻酔で一発でしょう」
「いや、しかし魔族ですよ? お子さんも怪我したんですし、規則に則り殺処分しなければ……」
「少尉は真面目じゃなぁ。構わんよ、こんな傷。消毒すれば治るだろ」
少年の父親はそう笑ってから、
「まぁせっかくだし、ここはわしの世界の凄さを、新世界の皆さんに見せてやろう。とりゃあ!」
次の瞬間、少年の父親が茂みに飛び込んできた。反応が遅れて手首を掴まれ、首根っこを押さえられ、あっという間に身動きが取れなくなった。
「こんなの、エゾシカの方が手を焼くわ。少尉、麻酔銃!」
「はいはい、ただいま」
呆れつつ笑い、少尉が銃を向け、麻酔が放たれる。脇腹に痛みが走り、それが消え、意識が溶け始める。
「大丈夫だから、安心して?」
手の傷を押さえながら、そう言った少年の心配そうな顔が、意識を手放す直前の光景だった。
それが、牧島惣助との出会い。新世界では誰もが忌避する魔族に、好奇心で救いの手を差し伸べ、手傷を負っても気持ちを曲げず、余計なお節介を働いた男との馴れ初めだった。
「失せろ、小僧。食い殺すぞ」
「もう喋れるなんて、凄いなぁ」
牧島家の者に捕まり、軍の医師と獣医に治療され、一ヶ月が経った頃から、少年が訪ねるようになった。
手には縫った傷痕を残していたが、それなのに少年は平然と檻の前まで来て、楽しそうに話しかけてきた。
「ねぇ、君の名前は何ていうの?」
「聞こえなかったか。失せろと言ったんだ」
「僕は惣助。十一歳だよ。君は?」
「いい加減にしろ。殺すぞ」
「僕が名乗ったのに名乗らないのは失礼だよ」
憮然とする少年に、我慢の限界を迎えて手を伸ばす。だが檻に触れた途端電流が走り、火花を散らして怯んだ。
「大丈夫?」
本心から心配そうな惣助を、右腕を痺れさせながら睨み返す。
「私は人間が嫌いなんだよ。失せろ!」
吼えると惣助は一瞬だけ落ち込んで、
「分かったよ。じゃあ、また明日ね」
「二度と来るな!」
咆哮も虚しく、惣助は毎日夕方に顔を出した。
聞きたくもない話を聞かされて分かったのは、少年が異世界から開拓のためにやって来たということ。実家は少し大きな牧場を営んでいて、農業と牧畜が盛んなこの国に異世界の技術を教えるため、志を同じくした同郷の仲間を引き連れてやってきたのだそうだ。ここには軍人や開拓者のための学校が作られ、そこに通っていて、本人曰く計算と図形を扱う科目が凄く得意なのだそうだ。
「これ見てよ。全国模試で算数十位! 凄いでしょ?」
かれこれ二ヶ月も一方的に話を聞かされたせいで、惣助が見せびらかすそれの価値も何となく分かってしまう。
「上に九人もいるじゃないか」
「この九人はとっても凄いんだよ。特にこの芝塚ってやつ、全科目一位なんだから。僕とは格が違うんだよ」
「誇らしげに言うことか」
呆れた風に言うが、言葉に棘がなくなってきているのを、本人も自覚してしまう。
「ねぇ、クロナ」
惣助が呼びかけた。名乗った名前ではない。魔族には名前がないと、いい加減名前を聞かれるのも面倒なのでそう教えてやったら、「肌が黒くて声が女の子みたいだから」というふざけた理由でつけられた呼び名だ。拒絶してもしつこく使われるので、この名で呼ばれるのももう諦めていた。
「クロナは魔族で何番目に強かったの?」
「は?」
「僕は十番目に強いんだよ。クロナは何番目?」
自分が答えたんだから教えろ、ということだ。この悪質なやり口で色々と話すことになってきただけに、クロナも諦めていた。
「魔神を除けば最強だった。間違いなく」
「ほんとにぃ?」
「信じないのなら聞くな」
「だってクロナみたいな人って、絶対自分が一番だって言うもん」
魔族は誰もがそう自負する。それを見透かされたような気分だった。
「でも、そんなに強いんだったら、お父さんに雇ってもらえるかもしれないね」
「なに?」
「お父さん、護衛をやってくれる地元の人を探してるんだって。何か未開の地に探検に行くらしいよ。クロナも一緒に行かない?」
魔族を相手に、こうも気軽に誘いをかける人間は、この世界にはいない。況して子供など、遭遇しただけで恐がって逃げることだろう。
異世界の人間の非常識ぶりに圧されつつ、クロナはその誘いに意地悪く返す。
「私が逃げ出したらどうするつもりだ? またエルフを殺すかもしれないぞ」
「そんなことできるくらい元気なら、とっくに逃げてるでしょ」
見抜いてやったとばかりの得意気な笑みのまま、惣助は続ける。
「クロナはすごく重たい病気に罹ってるようなものだって、先生が言ってたよ。いつもやってる治療を止めたら、一週間くらいで死んじゃうって。クロナもそれが分かってるから、ここから逃げ出さないんだよね」
この表情で言われると不快感が尋常ではない。体力の回復したこの身体なら、腕を飛ばすくらい造作もないだろうが、その後上手く逃げ仰せたり、追手を返り討ちにすることは不可能だろう。
魔族として最も力を持っていた時、クロナは死など恐れなかった。追い詰められたことすらなく、一方的に奪ってばかりだったからだ。それが米帝の水爆で従僕を灰にされ、全身を焼かれ、奪われる側に落ちた途端、死というものの恐ろしさを骨の髄まで思い知ってしまったのだ。
「大丈夫?」
自己嫌悪と苛立ちに歪む顔を、惣助は病気か何かと誤解したらしい。心底心配そうに覗き込んできた。
「どこか痛いの?」
「どこも痛くない。余計なお世話だ」
お節介を突き返して、クロナは背を向けた。
「辛かったら我慢せずに泣いても良いんだよ?」
見当違いな助言が飛んできて、クロナは思わず振り返った。
「強がらずに泣いても良いって、お父さんが言ってた。魔族だからって、強がらなくて良いんだよ?」
「強がってなどないし、魔族は泣いたりしない。脆弱なエルフや人間と違って、涙を流す必要がないからな」
そうやって一蹴するが、惣助は驚いた風に聞き咎めた。
「えー、泣いたことないの? クロナって強がりなんだね」
「だから強がりではないと言っているだろ!」
「ほんとに泣かないの? 悲しかったりしても?」
無邪気な質問に辟易しつつ、どういうわけかクロナは律儀に応じてしまった。
「魔族が悲しむことなどない。例え同胞が殺されようと、悲しむ理由などない」
「僕は飼ってた猫が交通事故で死んじゃった時、いっぱい泣いたよ」
「それはお前が脆弱な人間だからだ。私が悲しむことなどない」
「そっかぁ」
半ば感心したように呟くと、
「やっぱりクロナは強そうだから、お父さんに言って雇ってもらうよ!」
立ち上がって、返事も聞かずに去っていった。
「好きにしろ」
今さら何を言っても仕方ないと、クロナはそう呟くに留めた。
その翌日から、クロナは牧島家に護衛として雇われた。惣助が成人する頃には彼専属の護衛となり、これまで仕えてきた。
脆弱な人間に仕えるなど、生を受けた時には考えもしなかった。その地位がこれまで続いたのも、それを自分の手で終わらせなければならないことも、信じがたかった。
「泣けないって、難儀なものね」
静かに息絶え、穏やかな表情のまま冷たくなっていく惣助の亡骸を見下ろしながら、クロナはか細く呟いた。
◇
休憩室にはセルーと夏目だけが残されていた。ドアの向こうには見張り役の警備員が二人置かれているが、防音壁のおかげで会話が漏れ聞こえることはない。
密室での取り調べで分かったことは、マルカル・スポルとクリョア・ミッシの二人の素性と、その計画の全貌だ。
見た目こそ三十そこそこの若者に見えるが、あの二人はかつてランリファス帝国が健在だった当時の剣士で、つまるところ実年齢は八十を超えているのだ。それでもあの若さを維持しているのは、ジリツォフが見せたあの異形の姿の原形である新世界の寄生植物であり、そしてそれを彼らに与え、破壊工作の担い手に仕立て上げたのがCIAだった。
化け物と化した彼らに密売組織という表向きの姿を与え、反社会的勢力から手に入れたグラディアの変異石を用いた計画は、ユリスと公安庁によって初期段階で挫かれた。昨年十一月の新千歳空港での爆弾テロと、未遂に終わった記念式典へのテロがそれだ。
この二つのテロによって日露の大規模な軍事衝突を引き起こし、疲弊したロシアで革命を誘発させて帝政復古を果たし、弱体化した欧州連合への外交圧力によってグレートブリテン島を奪還することが、当初の計画だった。
十一月の失敗によって闇に葬られたこの計画に目をつけ、CIAを唆して改訂版を作り、再始動させた者がいた。それによって引き起こされたのが、先日の極東連邦大学での爆弾テロであり、現在の北海道侵攻、そして牧島惣助の暗殺なのだ。
「それを誰が引き起こしたのかについては、答える必要もないだろう。戦後皇位を継承した者が、首謀者だ」
全てを話し終えたセルーは、諦めきったような物言いでそう言って、下を向いた。もう話すことはない。そう言いたげな態度に、夏目は肩をすくめる。
「話してくれてありがとう、セルーさん。それで、任務に失敗したあなたは、これからどうするつもり?」
「訊く必要もないだろう。失敗して捕まった以上、私は死ぬだけだ。身分も全て抹消されてな」
彼女が話した内容が真実だという証拠はどこにもない。仮に夏目がこの計画を報告して、後世の状況証拠から真実といえたとしても、事が成ってからでは何の意味もないだろう。だからこそ、セルーはここまで話せたのだ。
「帝国の大貴族でもそんな扱いなの?」
問いかけた夏目に、セルーが目を丸くする。夏目はノートを差し出して、
「大学の友達が、言語学を専攻してたんだけどね。その子から昔、エルフの言語を米語に変換する方法を教わったことがあるの」
大学ノートにユリスが代筆した、セルーの名を表すキーファソの文字。それを一字ずつ分解し、米語に直してある。記憶を頼りに模索したらしく、ノートの隅にはメモ書きや、それを線で消した跡が散見される。
「それであなたの名前を米語に直してみたんだけど、あなたと同名の人を最近見たの。セリュー・テューダーっていう、新世ロシアの有力貴族。写真はなかったけどね」
「公安を見くびっていたな。そこまで調べていたのか」
既に隠す必要も感じていないのか、セルーは素直に称賛する。
「たまたまよ。プスタスクって街の資料を見る機会があって、そこであなたの名前を見たことがあったの。新世ロシアの貴族が公務に従事する文化があるのも知ってたから、それで紐づいたってだけ。そうでもないと分からなかったわよ」
夏目は謙遜気味に答えてから、
「まぁでも、これであなたを送り込んだのが誰なのかはっきりしたわ」
一代限りの爵位ではない上に、テューダーを名乗ることを許されるほどの身分。米帝本土でも最上流に位置する人物を、現地に派遣したとなれば、それこそ同じテューダー家か、新世ロシアの統治者であるロマノフ家の者以外にあり得ない。
その上CIAに属する工作員となれば、彼女を動かした人物など一人しか心当たりがない。
「知ってどうにかなるものでもあるまい」
それほどの核心に迫られながら、セルーは諦念から平然としていた。
「そんなことないわ。もしかしたら、あなた達の目的を果たせるかもしれない」
夏目の言葉にセルーは訝った。
「どういうことだ? 牧島が死ぬ以上、日本はもう引けないし、米帝の戦争介入の大義名分が立ってしまう。もう打つ手はないだろう」
「あるわよ。一つだけ、とても難しい手段にはなるけどね」
夏目はそう言って、
「とりあえず、あなたの主に電話してくれる?」
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