「――ユリス・ゲンティアナ騎士長」
その声には、彼女の落ち着き払った気品と、生来の高慢さが滲み出ていた。
「さぁ、答えていただきましょうか。あなたが犯した背信行為の全てを」
その声は、広々とした法廷に響き渡り、脇を固める同席者と、彼らの傍に立つ騎士達の表情を引き締めた。
グラディア王国王都・パルデュラ。円形に築かれた都市の中央に聳える王宮の一階、西側奥に設けられたこの法廷は、国王直々に裁定を下すべき事案を取り扱うための空間だ。
異世界接続より後ろ楯となっている、大日本帝国のそれに倣って作られた法廷には、五人の裁判官と一人の被告、そしてたった一人の書記と、十名ほどの剣を提げた騎士の姿があった。
被告のエルフ――ユリス・ゲンティアナは、裁判長として五人の裁判官の真ん中に座る日本人の女と相対しながら、反逆者呼ばわり同然の物言いに眉を顰めた。
ワインレッドのレディスーツを着こなす淑女は、その脇を固める四人の騎士団幹部や大臣とは顔立ちが違っていた。生真面目で清潔感のある黒髪のボブに、年齢相応にむくみ、ほうれい線を刻み込んだ黄色い肌。目上からの余裕を漂わせる自信溢れる口許の笑みに、獲物を見据えたように細めた目。
大日本帝国で大東亜共同体にまつわる事務や加盟国への支援・折衝を担う主要官庁・共同省から派遣された政務補佐官の筆頭・稲木玖美華。それが、この法廷の主の名だ。
「一体何のことですか?」
「惚けるな、ゲンティアナ」
鉄の手枷を填められて、被告人席に立つユリスの問いを、政務補佐官の隣に座る男が切り捨てた。口周りを囲む厳めしい黒髭と、被告を嘲るような笑みで白い歯を剥く壮年の男の名は、バロラ・ハイサ。槐色を基調とした騎士正装に身を包み、その胸には王立騎士団の紋章と、歴代団長だけが着用を許される国花をあしらったバッジを輝かせている。
「お前が公安庁に変異石密売組織の情報を無断で開示したことは既に確認済みだ。隠しても無駄だぞ」
「そのことですか」
二週間の入院生活を終え、公安庁の面々に華々しく見送られ、帰国して早々、手枷まで填められてこの部屋に連れてこられたのはそういう理由か。
ようやく事情を理解したユリスは、やれやれとばかり肩を竦め、冷静に釈明する。
「情報に関しては開示する必要に迫られたことと、開示による国益を鑑みた上で判断しました」
「必要に迫られたとは?」
内務大臣のホラツィが穏やかな声で訊いた。茨のように巻き絡まった白髪と紳士的に整えた白い口髭の中年だ。恰幅は団長より広いが、これは単に肥満によるものだと、ここにいる全員が承知している。
「当時日本では、空港爆破に変異石が用いられ、それをロシア連邦による破壊工作であるとして、開戦の機運が高まりつつありました。戦争を回避するためには真実を明らかにする必要があり、その手段として公安庁への情報開示が必要不可欠と判断しました」
「なるほど」
大臣は頷いて、
「確かあの爆破テロは、極右の仕業だったな。とすればゲンティアナ騎士長の判断は、正しかったと考えるべきではありませんかな?」
「だからといってこちらに何ら確認せず機密を漏らすことは許されることじゃない。ゲンティアナのやったことそれ自体が問題なんだ」
団長がいささか語気を荒げて捲し立てると、稲木もそれに同調する。
「それに、テロの実行犯が極右だったことは、単なる結果論でしかないのでは? ゲンティアナ騎士長が情報を開示した時点では、犯人は分かっていなかったし、そもそも王立騎士団が追っていた組織が関わっていなかった可能性もあったわけですからね」
「お言葉ですが、日本で変異石を不正に供給できるのは例の密売組織の他に考えられないかと」
「だから自らの背信行為は正しかったと?」
「少なくとも背信行為という謗りを受ける謂れはありません」
筆頭政務補佐官は呆れたように笑った。
「バロラ団長、ゲンティアナ騎士長の態度についてどうお考えですか?」
「非常に問題のある態度だと思います。大変申し訳ありません」
「背信に次いで、政府要人への不誠実かつ品性に欠ける言動についても、懲罰が必要ですね。尤も、背信の時点で既に極刑で然るべきなのですが」
団長と筆頭政務補佐官との間で、勝手に話が進んでいく。それでもユリスは表情に毛ほどの焦りも見せず、ただ毅然とそのやり取りを見守っていた。
「ゲンティアナ騎士長、他に釈明はあるかね?」
ユリスに発言を求めたのは、大臣のホラツィだった。
「いえ、何も」
大臣は弁明の機会を与えてくれたのだろうが、ユリスには最早不要だった。
「先ほど申し上げた通りです。他には何もありませんし、私の行動には十分な正当性があったと信じます」
「殊勝な心がけね、ゲンティアナ騎士長。その罪に甘んじてどんな処分も受けるということなのだから、私達も厳正かつ公正に判断しましょう。皆さんも、それでよろしいですね?」
通告にも似た淑女の確認に、同席する王立騎士団の幹部と政府役人は示しを合わせたように同調する。
「では処分については国王陛下の御裁下をいただいた上で、後日通達いたします。それまでは、地下牢にでも入っていてもらうとしましょうか?」
「ちょっと待ってください、イナキさん」
ホラツィ大臣が慌てて声を上げた。
「ゲンティアナ騎士長を投獄するのですか?」
「そうですが、何か?」
「それはいくらなんでもまずいですよ。帝国から表彰を受けた人物を、帰国早々罪人扱いだなんて」
「構いませんよ、ホラツィさん。日本が介入する大義名分なんてありません。これは王立騎士団の問題なのですからね」
「そうだぞ、大臣。我々は主権国家であり、帝国の植民地ではないんだ」
筆頭政務補佐官に団長が同調する。だが、外務と内務の面倒な折衝を担ってきた大臣は、二人に屈しなかった。
「騎士長の活躍は我が国でも知れ渡っているし、共同体内でも話題になったと聞いています。彼女の独断専行を陛下自ら公正に裁くというならまだしも、我々だけで勝手に投獄なんてすれば、世論が好意的な反応を見せないことは明らかです」
「だから報道規制を敷くよう言ったんですよ。民衆は華やかな活躍をすれば犯罪者でも持て囃すものなんです。世間に媚びて背信者を野放しにするなど、国王陛下の権威を傷つける行為だと分からないのですか?」
稲木は苛立ち、声を荒げる。
「それなら、自宅で謹慎してもらえば良いでしょう」
ヒステリックな追及に、ホラツィは努めて冷静に応じた。
「ゲンティアナ騎士長は有名人です。加えて、この国では今や唯一のエルフ。逃亡を図ったとしても、逃げ切ることはできないでしょう。陛下が外遊からお戻りになられたら、公正に裁いていただけば良い。異論はありますかな?」
「王国に反逆した者を自宅謹慎で済ますのか? そんなこと、王立騎士団団長として認めるわけにはいかん」
バロラが噛みつき、同席する副団長も頷いて見せるが、それでも大臣は譲らない。
「謹慎で済ませるか否かは、陛下がお決めになることです。少なくともバロラ団長、あなたの裁量の範疇ではない」
「口を慎めよホラツィ。家柄だけで大臣になった木偶の坊が!」
「もう良いです、分かりました」
身を乗り出すバロラを制し、語気を強めてそう割り込むと、稲木は笑みを貼りつけて言った。
「……確かに、ホラツィさんの言うことにも一理あります。バロラ団長、護送の手配を」
「いや、しかしイナキさん!」
「仕方ありませんよ。ゲンティアナ騎士長のことです、逃げるような真似はしないでしょう。そこは信頼できます」
では、ゲンティアナ騎士長。
一呼吸置くと、筆頭政務補佐官はわざとらしい笑みをたたえてユリスを見下ろした。
「処遇が決まり次第お呼びしますから、それまで精々、羽を休ませてくださいな」
◇
裁判が終わり、騎士達がユリスを連れていくと、裁判官を務めた五人の要人達も解散した。
王宮東側の三階にある、筆頭政務補佐官の執務室に集まったのは三人。部屋の主である稲木玖美華に、王立騎士団団長のバロラ・ハイサ、それに彼の側近として三十年来の付き合いである、副団長のロルカ・タギカ。騎士団二人、応接用のソファに並んで腰かけ、稲木と対峙していた。
「ホラツィめ、余計な口を挟みやがって。せっかくあの女を牢獄にぶち込んでやれるところだったのに」
口惜しげに毒吐く団長を前に、稲木は秘書に淹れさせた紅茶を啜る。向かい合う二人にはグラディア原産のペキル茶を振る舞わせたが、彼女の好みはダージリンだ。
「イナキさんも、どうしてあそこで退いたんだ? 帝国からの圧力なんて、あんたならどうってことないだろ?」
「もちろん、本国に配慮したわけではありませんよ」
睨みつけてくる騎士団長に、稲木は涼しげに頷く。
「ただ、彼の言い分にも一理あるので、そちらに合わせてあげただけのことです。実際、ゲンティアナ騎士長が逃亡を図る可能性も考えられませんしね」
「それはそうだが……」
「何か考えでもあるのか?」
悔しげな団長を補足するかのように、副団長が口を開いた。頬に大きな切り傷をつけた大男で、座高からして団長より頭一つ高い。オールバックの黒髪と狼のような好戦的な眼光には、王立騎士団副団長という看板を背負うに足るだけの威圧感があった。
「買い被り過ぎですよ」
稲木は苦笑して、ティーカップを置く。
「しかし、私達の目的は一致しています。そうでしょう?」
問いかけに、王立騎士団の二人は顔を見合わせる。
「でしたら、私を信じていただいて結構ですよ。それがあなた方にとっても、そしてこの国にとっても、最適解ですからね」
◇
王立騎士団が被疑者を護送する時は、決まって護送車の前を騎竜に走らせる。全身を黒い羽毛に覆われた、大きく丸みを帯びた嘴と細い脚が特徴的な、この辺りに生息する中型の竜だ。ミニバンだけでは王立騎士団のそれと分かりにくいし、威厳に欠けるので、象徴たる騎竜に先頭を走らせることで、王立騎士団の活躍を民衆に知らしめようとしているのだ。
ミニバンの後部座席で窓外を眺めるユリスは、そんなくだらない慣習には無関心で、左から右に流れていく街の景観を眺めていた。
そこそこの質のレンガと塗りの粗い土壁で作られた家屋の並ぶ通りの景色は、この世界のどこにでも見られる一般的な風景だ。しかし、その奥に並び立つガラス張りの高層ビル群は、この世界から数百年は進んだ技術で建てられた代物だ。
かつて馬車が往来していたこの通りも、昔は石畳を敷き詰めていたが、今はすっかりアスファルトに置き換わり、等間隔で電柱が建てられている。建物に入っている店は、大日本帝国から進出してきた外食チェーンやコンビニが占有し、疎らに残る出店では、そんなよそ者に負けじと店員が客引きに励んでいる。
祖界と新世界が融合した街の景観を見たら、公安庁の面々はどんなことを言うのだろう。仕堂と護藤が茶化すのは容易に想像できるが、夏目は何というだろうか。
「今度グラディアに旅行でも行こっかなぁ。何か、ユリスさんの話を聞いてたら見てみたくなっちゃった」
送別会の夜、夏目が言ったその言葉を、ふと思い出し、笑みが漏れた。
記憶を辿って遠目を向いていた視界に、巨大な影が割り込んできて、心地好い回想に水を差した。
王都の景観の中で浮いている高層ビル群。それらすら見下ろすほどの巨塔だ。四本の脚は一本一本が手前のビルに匹敵する太さで、上に向かってすらりと伸びていく姿は、東京タワーを想起させる。それでいて、高さは一〇〇〇メートルを軽く超えていて、金色に輝く冠のような登頂部を除いて、艶やかな青紫にコーティングされている。
嫌なものを見てしまったと、ユリスはため息を漏らした。運転席と助手席の騎士は、ユリスの言動など気にも留めず、仕事の愚痴と猥談にご執心だ。
手枷の填められた両手に目をやって、またため息が漏れる。こうして拘束されると、収容所の忌まわしい記憶が蘇ってしまって、気分が悪くなる。
だが幸か不幸か、今のユリスには精神衛生に気を配るだけの余力はなかった。送別会の酔いを僅かに残したまま、東京からグラディアへ戻り、駅に着くなり身柄を拘束され、王宮へ連れ込まれていきなりの裁判。挙げ句自宅謹慎まで命じられたのだ。心身は休息を渇望し、やがて視界は暗くなり、微睡みの淵へと落ちていった。
◇
「――こちら呉〇三。荷物甲を確保した。損傷が激しい」
『市ヶ谷から呉〇三へ。乙と丙は?』
「乙と丙は破損。回収不可能だ」
『了解。荷物甲を回収し、配送しろ』
閃光と爆音に巻き上がった土埃が収まり、暗がりに順応した視界が捉えたのは、そんな機械的なやり取りを交わす、黒い影だった。
フルフェイスのマスクを着け、真っ黒な軍装に真っ黒なブーツを履いた、分厚い体躯の影。それが人間で、少なくともこの世界の者でないことは、聞き覚えのない言葉と、彼が手にする銃ですぐに分かった。
「こいつら、ふざけやがって……エルフを拷問して殺してたんだ」
マスクを着けた人影は三つ。消音器を着けた自動小銃を手に、そのうちの一人が呻くように言った。
「終わったことだ。甲を回収して、撤収するぞ」
無機質な語調でそう告げると、三人のうちの一人がユリスに近づく。柱に巻きついた鎖をクリッパーで切断し、裸のままのユリスを抱き抱えた。
「痛ぇ……痛ぇよぉ……」
暗がりの中で、ユリスは消え入りそうな声を認めた。ついさっき、目の前でフルムを焼き殺し、尊厳を示して自決したアルドルに何発も鉛玉を撃ち込んだ、忌むべき敵の掠れ声。瀕死のその声に殺意が沸き上がるが、それを実行しようにも、身体が言うことを聞いてくれない。
「こいつ、まだ生きてやがる」
マスクの人影が忌々しげに言って、自動小銃の銃口を床に向ける。血で黒く染まり、半身を失った男の頭に、照準が定まる。
「止めろ。無駄なことに時間を割くな」
この集団の指揮官らしき影は、そう言って若い声を諫めた。
「その様子ではもう助からない。死ぬまで精々苦しませておけ」
「……了解」
「行くぞ。ここにもう用はない」
指揮官を先頭に、大穴の空いた部屋を出る。
警報の鳴り響く真っ暗な廊下を、三人は迷いなく進んでいく。途中で出会した収容所の兵士は自動小銃で即座に黙らせ、呆気なく外へ出た。
建物裏の広場には、ヘリが二機着陸し、プロペラを猛々しく回転させている。傍には自動小銃を構えた兵士が数名、機体を守るように陣取り、時折消音器を取りつけた銃口からフラッシュを焚く。
「荷物を乗せた。これより離脱する」
『了解。市ヶ谷から大連へ。航空支援を求める』
『大連、了解』
ヘリに乗せられたユリスに、毛布がかけられる。ようやく寒さから守ってくれる温もりに触れられて、ユリスは安堵した。離れていく泥の地面を見つめながら、その意識はやがて、微睡みの中に消えていった。
◇
「――おい、起きろ!」
「っ……」
もたれかかっていたドアが乱暴に開けられて、体制が崩れる。シートベルトのおかげで地面に転ぶことはなかったが、咄嗟の衝撃で肝を冷やしてしまった。
「さっさと家に入れ」
入団からまだ数年かそこらの若い騎士は、尊大な態度で言った。
王都郊外。城壁を崩して整備された高速道路を遠目に望む森の入り口。
穏やかに流れる川の畔に立つ大樹。これが、ユリスの住まいだ。この国に亡命した森のエルフの母子が、国外に移住した時に譲り受けたもので、もう三十年も住み続けている。
微風に靡く葉のさざめきが、涼やかな空気を囃し立てる。まるで家主の帰りを喜ぶかのようなその優しい音に、ユリスの表情が幾分か和らいだ。
「謹慎中は外出禁止だ。万一買い物が必要でも王都で済ませろ。他の街に近づくことは許さん」
キャリーバッグを地面に投げて、助手席に座っていた若い騎士が横柄に告げる。
「もし王都以外の街に近づいたら、即刻処刑するからな。精々分を弁えて大人しくしてるんだな」
吐き捨てるように言うと、若い騎士の二人組はミニバンに乗り、また騎竜を先頭にして悠然と去っていった。
ユリスはキャリーバッグを拾うと、木の家の扉を開けた。
大木をくり貫いて作った屋内は、家族で住むにはやや手狭だが、ユリス一人にとっては程好い広さだ。縦に長い五階建てで、一階は玄関、二階にリビング、三階に浴室で四階と五階が寝室だ。
固い外皮に覆われ、火を点けても燃えないこの木は、エルフやゴブリンのような森に生きる種族には理想的な樹木だが、そんな文化を持たないグラディアの人間にとっては、ただのサンドバッグ代わりにしかならない代物だ。先王が難民の受け入れを決断し、彼らの住まいとして提供することを思いつかなければ、とっくに祖界の技術で撤去されていたことだろう。
ユリスは螺旋階段から二階に登り、キャリーバッグを置いてテーブルに着いた。丸い窓から見える川を眺めて、ため息を一つ溢すと、背凭れに身を任せることにした。
国王の帰国まで数日。時間はない。逃げるつもりもない。この国のために命を投げ出す覚悟なら、とっくの昔に決めたのだから。
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