世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第4話

公開日時: 2021年5月2日(日) 23:55
文字数:5,816

 公安庁の入る内務省庁舎は、地上二十一階、地下四階の高層ビルで、公安庁はこのうち、十七階から二十階を占有している。


 夏目は十七階にある第四会議室に、ユリスを通した。八人ほどで利用する小会議室で、長方形を作るように配置された長机の背後には、ホワイトボードがかかっている。近年導入が進むウェブ会議にも対応していて、大型のモニターとこちら側の映像を先方に映すためのカメラも備えつけられていた。


「昨日摘発した共和派のグループの隠れ家で、こちらの変異石を押収しました」


 備品のノートパソコンをモニターに繋いで、押収物の画像を映す。ルビーに似た輝きを放つ赤い石だ。ユリスはそれを静かに見つめる。


「重さは四〇〇グラム。赤色濃度とパラリウムの含有率からして、グラディア王国の東端鉱山から採掘されたものと考えられます」


「つまり、我々が追っている組織から流れたものと考えるのが妥当ですね」


 夏目は静かに頷いて、


「今後の捜査方針としては、昨日逮捕した六名の聴取を基に、協力者を特定・拘束していきます。彼らを辿っていけば、密売組織にも辿り着けると考えています」


「そうですか」


 他人事のような相槌。夏目は一瞬当惑したが、それを僅かばかり表情に出すに留めて、協力を促す。


王立騎士団そちらは件の密売組織について、どこまで掴んでいらっしゃるんですか?」


「それはお答えできません」


「は?」


 捜査官になってからもうすぐ八年。警視庁や憲兵隊、それどころか中国や韓国の警察組織からも言われたことのなかった拒絶の言葉に、夏目は思わず面喰らった。


「本件は、王国の重要機密に関わる案件です。情報開示は本国より、厳しく制限されていますので」


「ちょ、ちょっと待ってください。それはおかしいですよ」


 焦りを滲ませる夏目の苦笑に、ユリスは眉間に皺を寄せた。


「何がおかしいのですか?」


「何って、必要な情報の開示は国際捜査の鉄則です。あなたの国だって香港議定書を批准していますよね? そこにもちゃんと明文化されてます。現に私だって、捜査資料をお見せしてるじゃないですか」


 変わらず写真を映し出すモニターを指差す夏目。それでもユリスは、毅然と言い放つ。


「あなた方は共和派の検挙を目的としているのですよね? こちらで把握している密売組織の情報が、役に立つとは思えません。それに、私は『見せてほしい』とは頼んでいません」


 理屈で言えばユリスは正しいのかもしれない。だが、こちらから見せた協力姿勢への返事としては、あまりにも非礼ではないか。米帝の帝国捜査局IBIですら、ここまでふざけた態度は取らなかったはずだ。しかも、米帝は同盟国ではないし、新世界に絡んだ話題では衝突ばかりの仮想敵国だ。同盟国の王立組織がそれにも劣る無礼者というのは、一体何事か。


「……では訊きますが、グラディア王国は私達に何を望んでいらっしゃるのですか?」


 情報を開示しない。こちらがしても感謝しない。それなら一体、何のために捜査協力を要請したのか。


「必要な時に必要な人員を動かしていただければそれで結構です。他には何も望みません」


 ただ手足となって働いてくれれば良い。外交関係を無視できるならこちらで勝手にやっていたのを、ルールに則って手続きをしてやったのだから、それだけでもありがたく思え。そう言わんばかりの態度だった。


「だったら、明日は私達の捜査にご同行願います」


 憤りと悔しさと歯痒さを圧し殺して、夏目は言った。


「明朝、彼らの拠点となっているシェアハウスのガサ入れを行います。それに同行してください」


「構いません。が、私が行く必要性は?」


「もし来られないというのなら、明日身柄を確保した参考人から得た情報はそちらには開示しません。それで困らないのでしたら、ご自由にどうぞ」


 対抗心に任せた暴論。ユリスは呆れたように笑い、肩を竦めた。


「それなら同行せざるを得ませんね。分かりました」


 初顔合わせを兼ねた最初の会議は、両者の認識の齟齬を浮き彫りにさせる形で終わり、自席に戻った夏目は椅子に座るなり腹の底からため息を吐いた。


「お帰りなさい、班長。その様子だと、先方と何か揉めたんですか?」


 自販機で調達した缶コーヒーを手に、隣の席に座った仕堂が、興味津々な様子で訊いてきた。


「向こうが持ってる情報の開示を拒否されたわ。こっちの捜査情報を聞いておきながら、面の皮の厚いことしてくれたわよ」


「あらら……」


「しかも、先方が要求した人手を用意してくれさえすれば良いですって。私達のことを体の良い使いっぱしりとしか思ってないわよ、あれ」


 鬱憤を爆発させる夏目に、仕堂も思わず苦笑する。


「刑事ドラマに出てくる悪役キャリア官僚みたいな人ですね」


「そりゃ王立騎士団だからな」


 トイレから戻ってきた護藤が会話に加わった。夏目の向かいにある自席に着くと、先んじて買っておいたカルパスの封を開ける。


「さっき見かけましたよ。あのマントの紋章、グラディアの王立騎士団のやつでしょ?」


「知ってるの?」


「学生の時、そっち系のグッズを扱ってる店でバイトしてたんで」


 当時の知識を基に、護藤は語る。


「国王直属の組織で、王家の護衛から反逆者の捜査、逮捕、処刑と、王様に命令されれば何でもこなす連中ですよ。で、例によって王族と貴族のコネで入団した奴らが中心になってる組織です」


 新世界のほとんどの国が、王族と貴族を中心に運営されている。行政機関や警察組織の幹部が、そうした上流階級から推薦された者で占められていることは、何もグラディア王国に限った話ではない。


「王様直属で、しかも王族貴族に尻尾振って入った連中か。そりゃ態度がでかいのも無理ないか」


「日本には彼女一人で来たんだけど、王立騎士団では単独行動することもあるの?」


「いや、普通じゃないと思いますよ。基本的に十人くらいで小隊を編成するって聞きますし、バイトでグラディアに行った時に絡んできた連中も三人組でしたよ」


「絡んできたって、職質? 何したのお前?」


「何も。俺がゴブリンだから、警戒したんだろ。そいつらがほんと失礼な奴らでさ……」


 護藤と仕堂が思い出混じりの愚痴に逸れ始めるのをよそに、夏目はユリスの素性に疑念を抱き始めていた。


 やはり単独行動は普通ではない。彼女が単身でこちらへ来たのは、何かしらの事情があってのことだ。そしてそれは恐らく、公然と語れるようなものではないのだろう。


「明日のガサ入れには、彼女にも同行してもらうわ」


 護藤の思い出話が一区切りついたところで、夏目は二人に告げた。


「分かってると思うけど、朝イチで出発するんだから、二人とも始発で来るのよ?」


「心得てますよ。僕らこう見えて、朝イチの時は十分前には着くようにしてますから」


「そうそう。大船に乗ったつもりでいてください」


 もし寝坊されたら、所轄から応援を出してもらおう。確実に嫌がられるだろうが、命には代えられない。


     ◇


 庁舎を出たのは午後九時を過ぎた頃だった。


 四ッ谷駅で南北線に乗り換えるのが普段の通勤ルートだが、今夜は少し寄り道をする。


 駅前の公立中学校。グラウンドのフェンスと路地を挟んで向かい合う雑居ビルの二階に、こじんまりしたバーがある。老齢の主人が営む落ち着いた雰囲気の店だが、新世界の調度品を揃えた内装は真新しさが散らばっている。席数は五人分しかなく、テーブル席はなし。看板も掲げていないこともあって、地元の人くらいしか知らない隠れた名店だ。


 早朝にガサ入れをする時は、前夜にここで酒を楽しみ、気分を落ち着かせる。初めてのガサ入れの前夜、先輩がここに連れてきてくれてから、ずっと続けている儀式だ。


 マスターはいつもの赤いカクテルを用意してくれる。新世界の果実を使った、夏目のお気に入りだ。つまみは決まって野菜スティック。粗食の先輩に野菜を食べさせるために注文してから、ずっとこの組み合わせだ。


「明日は、ですか」


 ドレッシングをカウンターに置いたマスターは、細目を夏目へ向けて、穏やかな声を呟く。


「やっぱり、分かります?」


「桐生さんがここに来られる時は、いつもそうですから」


 表情を変えないマスターに、夏目は苦笑する。


 初めてここに連れてこられた時、夏目は正義感と事務処理能力だけが取り柄の、ちょっと出来の良い新人でしかなかった。それが配属一週間目にして、ガサ入れに参加することとなったのだ。しかも三班合同の大規模な摘発。相手が爆弾テロまで実行したことのある極左暴力集団とあって、参加が決まったその時から死ぬほど緊張していた。


 そんな新人を見兼ねたのだろう。書類提出を投げ出させて、この店に連れてきてくれた。酒を飲む気分にはなれないと断ったが、有無を言わさず「緊張してる間抜けを落ち着かせられるやつを」と適当な注文をし、そして出されたのがこのカクテルだ。


「鎖地さん、あれから来ました?」


 カクテルを一口含む。蕩けるような甘味と仄かな酸味を堪能してから、夏目はマスターに訊ねた。


「いえ、一度も」


 マスターは首を振る。


「桐生さんと三月に来られて、それっきりです」


「そうですか」


 静かに返して、グラスを寄せる。口の中に広がる果実の甘味を噛みしめ、ため息を漏らす。


 店内にはNASCIMENTOが流れている。マスターのお気に入りで、この店で流れるジャズの数回に一回はこれだ。


 初めて来た日も、この曲が流れていた。軽やかに流れるピアノの演奏を聞いていると、その音色に乗せて、先輩のお説教が脳裏に蘇る。




「――――お前よぉ、何そんなに気負ってんだ?」


 ウイスキーで喉を潤した先輩――鎖地は煩わしげにそう言ってから、ツーブロックの黒髪を掻き上げた。


「普通気負うものじゃないですか。相手のこととか考えたら……」


「あんなの、その辺にいるゴキブリみたいなもんだぞ。課長がビビりだからあんな大人数で動くだけで、ほんとならうちの班だけでも制圧できるんだからな」


 果たしてそうだろうかと、夏目は訝る。相手は年季の入った極左で、人数は数十人と見込まれている。大義のためなら他人の命など軽視し、いざとなれば自らの命すら顧みない、時代錯誤の革命戦士。皇族に火炎瓶を投げつけて火傷を負わせ、その場で皇宮警察に射殺された愚か者を殉教者と称える危険思想家の集まりだ。


「まぁとにかく、明日は死なねぇように俺の後ろに隠れとけ。流れ弾には気をつけるんだぞ」


 まるで子供を窘めるかのような物言い。配属から一週間も経っていない身とはいえ、ガサ入れの現場に参加させてもらうからにはそれなりの自負がある。


「結構です。足を引っ張らないよう、尽力しますから」


 素直な性分が悪さをして、反骨心が言葉に乗る。それを聞いた鎖地は、呆れた風に首を振って、ウイスキーのグラスを傾ける。


「足引っ張りたくねぇならついてくんな。新入りがでしゃばると碌なことがねぇんだから」


「っ……お言葉ですが、私だってそれなりに覚悟を持ってます。それに、最低限身を守る術くらい持ってますから」


「あー、俺の次の年に入ったお前の先輩もそんなこと言ってたな。柔道の有段者で、武器の取り扱いもお前より器用だったっけ」


 思い出しながら静かに笑って、ピーナッツの皮を剥ぐ。


「そいつ、配属二ヶ月目のガサ入れで頭に散弾ぶち込まれて死んだよ」


「え……」


「鼻から上が綺麗に吹っ飛ばされてな。まぁ、葬式なんか悲惨だったよ。顔の上半分、作りもんだったから。お袋さんは死体見たショックで病んじまうし、官僚だった親父さんも仕事が手につかなくなって出先機関に左遷されちまうし、地獄だったなぁ」


 一頻り、語りかけて夏目を萎縮させると、鎖地は鋭い目を後輩に向ける。


「剣道やってただけのお前が、そいつと同じ目に遭わない根拠ってあるか? お前は拳銃の扱いは並程度だし、近接戦闘も素人に毛が生えた程度のもんだ。誇れるものは事務処理能力くらいだろ。そんなやつが頭悪いマンガの主人公よろしく前に突っ込んでいったら、良い的にしかならねぇんだよ」


 そう言って、肩を小突く鎖地。いつもなら、こういう弄りに嫌悪感すら覚えて態度に出すところだが、今の夏目にそんな気概はなかった。


「だったら……何で私を連れていくんですか?」


 素直な疑問だった。戦力として数えていない、後方をついてくるだけの新米を、どうしてこんなにも早く連れていくのか。


「そんなの、さっさと育ってくれねぇと困るからだよ」


 皮を剥いたピーナッツを口に放り込んで、鎖地は素っ気なく言った。


「うちの班、平均年齢高いだろ? お前が来るまで、磯村さんが班長やってたんだからな。共和主義に感化されるバカ大学生の相手が、いつまでも良い年こいたおっさんってんじゃ分が悪いんだよ」


「はあ……」


 ぶっきらぼうな励ましに、夏目も戸惑いがちに相槌を打つ。


「どうぞ」


 会話が途絶え、NASCIMENTOが終わった間に、マスターがカクテルを差し出す。まるでルビーを液体にしたかのような綺麗な赤色に、夏目はつい見惚れてしまう。


「これ何て名前なの?」


「バロッフといいます」


 鎖地に端的に答える。


「新世界のジャルワ王国原産の果物と赤ワインを使ったカクテルです。甘味の強いお酒ですので、気分が落ち着きますよ」


「いただきます」


 グラスを取り、一口含む。同時に、痺れるような甘さと仄かな酸味が口の中を満たして、喉を通すと自然とため息が漏れた。


「美味しい……」


「だろ?」


 得意気に鎖地は笑う。


「また連れてきてやるから、明日死ぬんじゃねぇぞ。ダサくても良いから生き残れ。死んだらもうこの酒、飲めなくなっちまうんだからな」


 不器用な優しさだと、夏目は理解して表情を弛め、カクテルを口にした。




「――――ったく、お前は真面目過ぎんだよ。出向してきたやつがこっちのことなんて分かるわけねぇだろ? その辺は適当に割り切っていけ。考え方の違う相手にいちいちキレてたら持たねぇぞ」


「っ」


 微睡んでいた意識が、記憶の彼方に消えかかった声を聞き取って覚醒する。


「鎖地さんっ……?」


 顔を上げて、ぼやけた視界を声の方へ向ける。


 自分と同年代か、下手すれば年下のサラリーマン二人組が、奥の席に並んで座る。先輩格の一人と一瞬目が合うが、すぐに向こうから目を背けてきて、夏目も落胆して前へ向き直った。


「今日はもう遅いですから」


 諭すようなマスターの声に、夏目は苦笑を返す。


「そうですね。今日はもう、失礼します」


 残ったカクテルを飲み干して、夏目は千円札をカウンターに置くと、カバンを手に店を後にした。

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