「全ミサイル基地、発射準備が整った。陸軍部隊の配備も、滞りなく進んでいる。あと十二時間もあれば、完了するだろう」
新世ロシア帝国の首相官邸。執務室に閉じ籠った首相のアルバスを訪ねた将校のレイモンド・マクドナルドはそう告げた。新世ロシアに駐留するアメリカ帝国軍を指揮する黒人の老将で、アルバスとは彼が十五の時からの知り合いだ。だからこそ二人だけのこの空間では、それなりに砕けた言葉遣いができた。
「命令が下れば、全軍すぐに行動を開始する。いつでも言ってくれ」
「ありがとう、レイ。下がってくれ」
目を合わせず、生返事をしたアルバスに、レイモンドは続けて問いかけた。
「友人として教えてくれ。お前はこの戦争、もう受け入れる覚悟はできているのか?」
「できていなければならないだろう。でなければ、我々に未来はない」
「ハロルドが支配する未来など、あってないようなものだろう。あいつも変わってしまった」
「みんなそう思っている。だが、我々は負けた。ならば勝者の情けを乞うのが次の一手だよ、レイ」
顔を上げて、そう笑みを取り繕ったアルバスに、レイモンドは、
「ならば、お前に従おう。最期までな」
敬礼を残して、執務室を後にした。
アルバスはその背中を見送ると、また深いため息を吐く。手元には、軍事行動の際の被害予想と、九月から始まる交流事業の資料が並んでいる。後者はもう必要がなくなるだろうに、それを捨てられずにいた。
気晴らしにも使えないそれを引き出しに放り込むと、デスクの端に放っておいた携帯電話が着信して震えた。次元魔法通信に対応した旧式端末で、この番号にかけてくる相手は一人だけだ。
作戦失敗と同時に捕まったはずが、何故かけてきたのか。そんなことを考える間も、携帯電話はしつこく震え続ける。
やがてアルバスは観念して、電話を取った。小さな画面に表示されているのは、やはり彼女の番号だ。
「誰だ?」
相手を察して日本語を紡ぐと、驚いた風な日本語が返ってきた。
『日本語が堪能だという噂は本当みたいですね。米語でも話せますが、このままでよろしいですか?』
「話すかどうかは私が決める。まず名乗ってもらえるかな?」
『公安庁の桐生夏目と申します。初めまして、アルバス公爵殿下』
大日本帝国の情報機関。それだけ分かれば、とりあえずは十分だった。
『セリュー・テューダーさんから、事情は聞きました。単刀直入に申します。戦争回避のために協力していただけませんか?』
「彼女からどこまで聞き出したのか知らんが、最早戦争回避は不可能だ。牧島はもう死ぬ」
『それでも牧島家としての意向は、当主が決めることです』
電話口の女の物言いに、眉間を寄せる。
『牧島家の長男は無事です。彼が当主として家督を継ぎます。本人が望めば、ですが』
「君が何をしたいのかは分かった。それで、我々に何の得がある?」
『得なんて必要ありますか?』
問いかけて夏目は続ける。
『あなた方は新世ロシアのテロリストを追っていた。テロリストはロシアの帝政復古派と繋がり、一連の事件を起こした。そこに米帝や新世ロシアの政治的意思は介在せず、むしろ新世界のために施した恩恵を仇で返された被害者。そうですよね?』
そういうことにしてやるから、戦争回避のために協力しろ。そんな脅しが透けて見える物言いに、アルバスは静かに笑った。
「セリューに代わってくれ」
『分かりました』
少し間を置いて、相手が受話器を取ると、アルバスは続けて問いかけた。
「セリュー、君の意見を聞かせてくれ」
『この女の提案に乗るべきかと』
「牧島の長男が首を縦に振らなかったら、そこにいる公安の思惑通りには進まないぞ」
『だがそれしかもう道はない。頼む、アル。協力してくれ』
「その呼び方は外で使うな」
そう諫めてから、アルバスは続けて訊ねた。
「それで、私に何をしてほしいんだ?」
◇
夏目はセルーを連れて、休憩室から地下駐車場へ向かった。
惣助の個室として使われていた地下二階の警備員詰め所には、妻の晴華と嫡男の惣治、それに護衛の四人が集まっていて、穏やかな表情で永眠する当主を囲んでいた。
その様子を見て、これから提案することに罪悪感を覚えながら、
「惣治さんに相談したいことがあるんだけど、今からお時間よろしいですか?」
拘禁状態でしかるべき立場のセルーを連れて現れた夏目に、一同は戸惑ったが、一番二人を知るユリスが、それを拒んだ。
「今は喪に服しているんです。後にしてください」
「戦争を止めるためなんだけど、それでも?」
「それでもです」
毅然と突っぱねたユリスに、クロナが続く。
「戦争を止める、っていうけど、惣治に何をさせるつもりかしら? それくらいなら、この場で聞いてあげても良いわよ」
和服姿で前へ出て立ち塞がったクロナは、物言いに反して威圧感を放っていた。内容によっては制裁も辞さない。そんな態度に、夏目は気圧されつつ我を通す。
「まず惣助さんの身に起きた不幸についてお悔やみを申し上げるとともに、惣助さんを守れなかったこと、公安庁の人間としてお詫びします。犯行を防ぐために北海道までやって来たのにお役に立てなかったのは、私の力不足によるものです」
前置きを述べてから、夏目は本題に入る。
「その上でお願いをする形になってしまうのですが、惣治さんに牧島家の当主として、やっていただきたいことがあります。大日本帝国政府に対して、お父様の死を報告するとともに、軍事的な報復措置の加熱を望まないと、進言してほしいんです」
「それは、どういうことですか?」
戸惑うユリスに、夏目が続ける。
「帝国政府が惣助さんの死を知れば、ロシア軍の仕業と断定して、報復措置を強化します。おそらく帝政中華や大韓帝国も巻き込んで、ロシアが降伏するまで戦争を続ける。そうなれば、欧州連合との全面戦争に発展することになり、最後には核戦争まで行き着くことになる。そうなるのを止めることができるのは、被害者当人の意思と、外交的仲裁です」
「その外交的仲裁っていうのが、ユリスの幼馴染みってこと?」
流音がセルーの方を向いて訊くと、夏目は首肯を返す。
「セルーさんの主のアルバス殿下には、もう話を通してあります。新世ロシア帝国として、欧州連合との仲裁に入っていただけるそうです。政府への連絡も、間に入ってくれると」
そう言って、セルーが持っていた携帯電話を見せる。
「この携帯は次元魔法通信を利用して、通信設備の破壊された今の環境下でも、新世界向けに通信ができます。この電話を使ってアルバス殿下経由で政府要人と繋いでもらい、惣治さんに交渉をしていただきたい。これが相談の内容です」
「ソウジさんに政府と交渉なんて無理です。それに、米帝が何故こんなことに協力するのですか? 何か企みがあるようにしか思えません」
要件を聞くなり、ユリスが食ってかかり、セルーを睨む。するとセルーは、キーファソの言葉でそれに応じる。
「米帝ではない、新世ロシアだ。殿下は本国とは別の意思で動いている」
「信用できないな。米帝の皇族など」
「信用しなければその当主も死ぬことになるぞ。核攻撃は祖界と新世界で同時に行われる。逃げ場などない」
脅迫同然の物言いに、堪忍袋の緒が切れる。
「落ち着きなさい、馬鹿」
セルーに掴みかかろうとしたユリスを、クロナが襟を掴んで止め、
「今のやり取り、米語で翻訳してくださる?」
「米帝を信用できないというから、殿下の意思がそれと異なると伝えた。それでも信用できないというから、それならそこの子供も死ぬことになると伝えた」
「あぁ、それは怒るわね」
その場にいる全員が、米語を理解できた。未熟な惣治も、自分を顎で差してきたのを見て、粗方の意味を察した。
「帝国は牧島惣助の死を理由に戦争に介入し、核攻撃を行うつもりだ。日本が北海道を奪還した直後辺りを狙ってな。当然核の撃ち合いになるだろうが、その頃合いで大東亜共同体と新世界にも核攻撃を行う。新世ロシアもその段階まで進めば、帝国からの要請を拒むことはできないだろう」
「ご丁寧にありがとう。まぁ確かに、あの男が新世界に核を撃ち込むのを歓迎したりはしないでしょうね」
クロナは納得したように言って、
「ところで、惣助を殺したテロリストは、西方の呪術を仕込んだ弾をどうやって手に入れたのかしら?」
威圧しながらの問いに、セルーは臆さず、しかし答えあぐねる。
「それにあのテロリスト、魔族の寄生植物に乗り移られてたわね。そんなものをテロリストが簡単に手に入れられるはずないでしょう? あいつら何者? 誰が後ろで糸引いてるの?」
「ジリツォフに協力していたマルカル・スポルとクリョア・ミッシは、元々CIAの諜報員だったそうです」
クロナの追及に、夏目が代わって答える。
「CIAから聞いたところでは、ロシアで諜報活動を行っていた時にジリツォフに出会ったそうです。去年、変異石密売組織として、大東亜共同体の変異石をロシアに横流しさせる任務の途中で連絡が途絶えて、三月のテロ事件でようやく居場所を突き止めたんですって。『ロシアが帝政復古してロマノフ家が帰還すれば、新世ロシアはなくなってランリファスを復興できる』とでも唆されたんでしょうね」
「それは本当ですか?」
ユリスが懐疑的に問いかける。つい数ヶ月前まで二人を追っていた立場だっただけに、諜報機関が絡んでいた真相に驚いていた。
「そうよ。離反してテロリストについた諜報員が、戦争を悪化させようとしてるの。ロシアへの帝政復古工作は、昔からやってただろうから、それを悪用するつもりね。まぁ米帝本国も、それに乗っかろうとしてるわけだけど」
「要するに、米帝は自分の飼い犬に噛まれてるってわけね。とんだ間抜けだわ」
「そういうことです」
呆れたようなクロナに、夏目が同調する。セルーは何も言わず、澄ました顔で立っている。
「帝政復古派のテロリストが仕組んだ非対称戦争に、大東亜共同体と欧州連合が乗せられて、米帝が漁夫の利を狙ってる。こんな戦争、早く止めた方が良いと思いませんか?」
問いかけた相手は、奥で父の遺体を見つめる惣治だ。
「惣治、決めなさい」
クロナがそこへ促す。
「牧島家の当主として、あなたがどうすべきなのか、考えて決めなさい。どんな答えでも、私達はあなたの味方だから」
答えを求められた惣治は、押し黙って考え込む。
「惣ちゃんはまだ子供よ。主人が亡くなってまだ日も経ってないのに……」
悲痛な声で縋ったのは晴華だった。
「せめて私が代わるのではダメなの?」
「奥様は家督を継げないので、どの道惣治さんに意思を聞くことになります。それなら、最初から惣治さんに意見を発信してもらう方が、混乱がなくて助かります」
華族にとって家督は絶対。昭和後期の法改正で、未成年でも親族を後見人として家督を継ぐことは許されたものの、それでもその継承先の最優先は長男と定められている。母親にできることは、後見人として、その意思決定の保証人となることだけだ。
「僕はどうすれば良いの?」
困り果てた晴華の傍で、惣治が立ち上がった。
「アルバス殿下が、日本政府と繋いでくれます。なので電話で、お父様の死と、牧島家として報復を望まないと進言してください」
「じゃあ、お父さんの仇は誰が討ってくれるの?」
「私とセルーさんで討ってきます」
夏目は迷うことなく答えた。
「ジリツォフにはあと一人仲間がいます。その男を殺して、彼らの企みを挫く。それで如何でしょう?」
「でしたら、私達も行きますよ」
申し出たのはユリスだった。
「ソウスケさんの仇は、私達で討ち取ります」
「惣治さんの護衛はどうするのよ。私とセルーさんで責任は取るから、ユリスさんは惣治さんを守って」
「主の仇を討つのは仕える者の使命です。他人に任せるわけにはいきません」
「待ちなさいな、二人とも」
揉め始めたところで、クロナが割って入る。
「惣治の意見を聞きなさい。納得しなければ、私達は従わないわ」
そう言って、促された惣治は、少し考え込んでから、
「――父さんの仇を討ってくれるんだったら、僕はそれで良いです。こんなおかしいこと、もう止めたい」
「分かりました」
惣治が覚悟を決めて、母の晴華に頷いて見せる。その目にもう、涙はなかった。
「――ちょっと良いですかね」
ノックをして、返事を待たずにタチアナが入ってきた。僅かに息を上げ、焦慮を何とか取り繕った顔で、その場に居合わせた一同に告げた。
「どうもヤバいことになりましたよ」
◇
標津から中標津までは徒歩で約四時間。ただしこれは平時に、何の障害もなく一般道を使った場合の所要時間であって、野蛮な敵軍に占領されている状況下では話が変わってくる。
日付が変わったというのに、仕堂と護藤の二人は未だ市街地には入れず、住民のいなくなった民家の一室で暖を取っていた。ここまで横道やら畦道やらを使い、出会しそうになる度に雪の積もる林に逃げ込み、争い事を起こすことなくやって来れたが、元来堪え性のない二人には、そろそろ我慢の限界だった。
「おい、ほんとに何かねぇのかよ? カイロとこたつ布団だけじゃどうにもなんねぇよ」
電源の入らないこたつの布団に肩まで浸かって、カイロを手に身を丸くする仕堂が呻くように言った。鹵獲したAK-12を抱き枕代わりにしてみたが、ゴツゴツしていて冷たく、逆効果だった。
「だから、何もなかったって。歩兵が巡回してくるかもしれないんだから、黙ってろ」
辛うじて理性的な判断ができる護藤が、身を震わせながら仕堂を諫める。
「班長、今頃どうしてんのかなぁ」
中標津に先に着いているはずの上司を気にかける。間違っても死んではいないだろうが、どこで何をしているのかは気になった。
「案外どっかに避難してるかもな。病院とか、学校とか」
「そうだなぁ。この家の住人も、どこかには隠れてんだろ」
腐っても人権のことで大東亜共同体を非難してきた欧州連合だ。その主要国であるロシアの軍人が、こんな最前線で民間人を虐殺などはしないだろう。
「まぁ略奪だのレイプだのはありそうだけど。あいつら結局野蛮だし」
目の前でされかけただけに、護藤も相槌を打った。
「あいつらが人権人権ってうるさいの、何でか知ってるか? あいつら、有色人種を支配してきたから差別意識が刷り込まれてんだよ。だからああやって社会的に公言しないと、ただの差別じゃ済まないような事件が頻発するんだよ」
「なるほどなぁ。でも、日本人もそれなりに差別すんだろ? 部落とか」
「そもそも差別しない国なんてねぇんだよ。みんな自分の身内以外は恐いもんなんだから。そこにわざわざ道徳とか社会の授業で教えて、しかもやたら強調して刷り込もうとしても、却って差別意識が芽生えるだけだろ? そんな差別の歴史を教え込まれるまで、ちょっと見た目が違う奴くらいにしか思ってなかったんだから」
「いやいや、差別が良くないって教えないと、何の気なしに差別かます馬鹿だっているんだよ。親やメディアが『あいつは野蛮な種族だから近づくな』って教えるのを道徳教育で止めさせないと、見た目が違う奴で済まないんだから」
退屈しのぎの差別談義がヒートアップし始めた頃、窓の向こうに車両の気配が現れて、二人は息を潜める。
ロシア語が飛び交うのを窓越しに聞いて、仕堂がそっと覗き込んだ。
「……何だあれ?」
平屋の石垣の下を通る坂道に、特異なシルエットが浮かんでいる。それを載せた軍の車両のエンジン音と、護衛のための装甲戦闘車らしき巨大な影。二台の車列の周りには、ロシア軍の兵士が展開していて、ロシア語を遠慮なく撒き散らしながら、辺りを動き回っているのが見える。
「ありゃ電波妨害用のアンテナだな」
横から覗き込んだ護藤が答えた。夜目の利くゴブリンらしく、その様子は仕堂よりもくっきりと見えていた。
「電波妨害?」
「あぁ、昔研修で教わったことがある。あれでドローンなんかの無線通信する装備が無力化できるんだ」
「マジかよ。じゃああれのせいで空軍が来れなくなってるとか?」
「間違いないな。おまけに無線も死んでるはずだ」
道中、憲兵隊と相討ちになって大破した装甲車を見つけ、死体から剥ぎ取った無線を使ってみたが、まるで使い物にならず、今も懐で冷たくなっている。その原因を理解すると、寒さと疲労で萎えていた闘志が再燃してきた。
「おい護藤、俺らであれぶっ壊そうぜ」
護藤の理性がまだ生きていれば、こんな無茶振りは押さえ込めただろう。相手は少なく見積もっても十人はいる上に、機関砲を載せた装甲車まで連れてきている。多勢に無勢も良いところだ。
だが護藤の理性もさっきの差別談義の勢いで切れてしまった上に、切り札があるせいで仕堂の勢いに流されてしまう。
「よし、やってやろうぜ」
テーブルの上に置いておいた、ランドセルとリュックサックを引き寄せる。装甲車から拝借した、五キロほどの重さの榴弾を詰めて作った、護藤特製の即席爆弾だ。二人の業務用携帯電話と繋いでいて、アラームを鳴らせば五秒で爆発するよう仕掛けを施してある。
「こいつ投げ込んで、アンテナを吹っ飛ばしたら、全力で逃げるぞ」
「了解」
仕堂がリュックサックを取って、携帯電話のアラームを設定する。アラームが鳴ると同時に護藤が窓を開けて、二人同時に放り投げると、アンテナの付け根と機関砲の付け根に落ちると同時に、炸裂した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!