皇帝官房からの緊急の呼び出しには二通りある。本部ビルへの集合を命じるものと、指定の場所へ向かうものだ。発令されれば如何なる理由があろうとも現地へ向かうことを求められるもので、それは例え業務終了後であろうと休暇中であろうと関係はない。
夏目がその呼び出しを受け取ったのは、芦川との二時間を超える通話を終えた矢先のこと。色々と愚痴を聞いてもらいながら互いの想いを語らい、心穏やかな気持ちで電話を切るのを待ちかねたかのような通知に、苛立ちながらも素直に応じたのだ。
指定された場所はカレンデュラ邸。プスタスク中心地に近い夏目のマンションからは、車で一時間弱といったところだ。
タクシーを呼んで、到着までの間にシャワーを浴び、スーツに着替えて出かける。隣室の曙紅は出勤しているので、現地で落ち合うことになるだろう。
途中、通りを横切る軍の長い車列とかち合って足止めを喰らったが、空いている道を探してくれたおかげで、予定通りに到着することができた。
かくして山の上に建つ邸宅の門前に辿り着くと、そこにはパトカーが三台とクライスラー製のSUVが一台だけ停まっていた。皇帝官房から来た車輌は一台もなく、雪の積もった前庭も、動員がかかったにしては随分と落ち着いた佇まいだ。
夏目は訝りながらも門のチャイムを鳴らした。程なくして、スピーカーから女中の声が届く。
『どちら様でしょうか?』
「皇帝官房の桐生です。先ほど緊急の呼び出しを受けたので来たのですが」
『やっとですか。どうぞ、お入りください』
ため息混じりの声に続いて、門が開く。
休日なのに呼び出しに応じたというのに、そんな言い種はないだろうと内心不満を抱きながら、正面玄関をくぐった夏目は、女中の物言いの意味をすぐに理解した。
「公爵の召集に応じたのが、警邏中の警官三組に皇帝官房の職員一人だけ。職務怠慢も甚だしいではありませんか?」
エントランスには件の警官が六人、隅でどうしたものかと相談し合っている。夏目の方を向いた何人かが一瞬警戒心を滲ませたが、エルフの女中が構わず通すのを認めて、つまらなさげに関心を相談へ戻した。
「セルー様より、アジア人二人は構わずお通しするよう託かっています。昨晩も来られてましたね?」
「えぇ、まぁ」
「職務に最も忠実なのが敵国からの出向者とは、帝国の忠誠も疑わしいものです」
吐き捨てるような女中の物言いが、他の職員達に向いているのは明らかだったので、夏目は聞き流して、
「警察も召集したんですね。一体何があったんですか?」
「一時間ほど前に襲撃を受けました」
「犯人は?」
「全員排除しました。こちら側はホープ様が負傷しましたが、既に回復しています」
淡々と告げる女中。ホープといえば皇族なのだから、テロリストに襲われて負傷したとなれば一大事ではないか。
召集がかけられた理由を理解した夏目は、女中に先導されて、邸宅奥のエレベーターに乗り込んだ。十秒ほどかけて地下に降り、扉が開くと、明かりの灯された通路をまたまっすぐに進む。
「ここは?」
「非常用の地下壕です。どうぞ、こちらに」
通路の奥にある、鉄製の扉の前まで来ると、女中は傍のパネルに手を置いて、聞き慣れない言葉を二言ほど紡いで、それを合図に扉のロックが外れた。
女中が開いた重たい扉の向こうは、円形のテーブルを置いた会議室だ。有事の際に司令室の役割を持つらしく、奥の壁には新世界の衛星画像が映し出されている。
「皇帝官房から来たのはお前だけか」
テーブルに座るセルーが夏目の方を向いて言った。
「まぁ良い。ヘンドリクセン達がいれば、守りとしては十分だ」
「おー、有難いこと言ってくれるじゃないですか」
セルーの向かいに座る魔族が軽薄な物言いを紡ぐ。青白い肌に赤い瞳、黒い頭髪から突き出た左右の曲がった角。二メートル近い巨躯に纏った黒いスエットは、まるでダウンタウンに屯するギャングのようなルーズさだ。
「まー実際のところ、俺らが居りゃあ皇帝官房の出る幕はないわな。憲兵団の装備だけじゃ心許ないし」
「セルーさん、この方達は?」
魔族とはいえ、機密性の高いこの空間に馴染んでいるのだから、味方であることは間違いないが、素性を知らないままではやはり不安だ。
「帝国陸軍特殊空挺部隊。聞いたことはあるだろう?」
夏目はセルーに首肯を返す。人数と種類に富む米帝軍の特殊部隊。その中でも最強と称される部隊だ。ロシア革命の折に結成された暗殺部隊を起源とし、その後第一次太平洋戦争での対日戦を通じて、現在の空挺部隊としての機能を持つようになり、以来第二次太平洋戦争からこれまで、米帝が関わったあらゆる戦争で活躍してきたとされている。
日本では東南アジアでの戦いで辛酸を舐めた相手である一方、「帝国最強」と称されるこの部隊と真正面からぶつかったことに対する誇りもあって、何かと人気のある名前だ。ミリタリー系の創作ではもちろんのこと、異世界転生や憑依を題材とする創作でもよく名前が出てくるという。
「この人達、ホッピーの部下なんだよ」
セルーと並んで座る娘のリールーがつけ加えた。
「どう、警部? SASの隊長が彼氏って、結構なステータスじゃない?」
こんな時に本人を目の前に何を言っているのやら。夏目はリールーの軽口を聞き流して、
「それで、状況は?」
「状況も何もないだろ」
問いかけた夏目に女が答えた。まるで子供のような背丈と顔立ちをしていて、椅子に座って組む足も短い。うなじを隠せないほどに切り揃えた黒の跳ね髪と、中性的な目鼻立ち、それに薄い褐色の肌のせいで、どうにも少年に見えてしまうが、その実は成人したドワーフの女性だろう。新世界中東部のドワーフが、男も女もこのような外見をしているのは、大東亜共同体でもよく知られたことだ。
「見ての通り籠城中だよ。全く、せっかくの休暇中に呼び出し喰らったかと思えば、こんなつまらないことに駆り出されて、堪ったもんじゃない」
愚痴を並べ立てるドワーフの女に、隣に座る黒人が落ち着いた声を続ける。
「すみませんね、皇帝官房さん。マリーデル少尉は身分不相応な馬鹿なので、情報共有もまともにできないんです」
「死にたいのかサイモン?」
「一時間前、こちらの邸宅が襲撃を受けました。襲撃部隊は既に掃討し、現在はリールー軍曹のジャルマンオオトカゲが上空から哨戒しつつ、応援の到着を待っている状況です」
女ドワーフを無視したサイモンという黒人男性は、夏目に淡々と告げた後、睨みつけてくる隣人を冷めた目で見下ろした。
「少尉、あなたもう三十過ぎたんですよ。純血ドワーフの身体の衰えまで、あともう三十年しかない。その後平均寿命の一五〇まで、その体たらくでどうやって生きていくつもりですか? 賭けても良いですけど、あなたこのままだと三十年後には軍からお払い箱です。そしたら再就職とか無理ですよ。ホームレスですよ。それで良いんですか?」
「てめぇにそんな心配される謂れはねぇんだよ。大体お前、うちの資産がどんだけあるか知らねぇだろ?」
「借金が二万ポンドほどあるのは知ってますよ。あと決済ができずにアメックス止められたでしょ? こないだまたカード変えてましたよね?」
「たいちょー! サイモンがいじめるー!」
さっきまでの威圧感はどこへやら。マリーデルは身を乗り出して、正面に座るホープへ子供のような調子で助けを求めた。
「サイモン、止さないか。マリーデルの借金は二万ポンドどころじゃないんだ」
「それ擁護になってないよ!」
「つかお前ほんと破産した方が良くね? カードとか使うの止めろって」
「うっさいんだよクソ魔族! お前うちより長生きなんだからお前の方がヤバいだろ!」
「俺は投資とか年金とか保険とかその辺抜かりねーもん。お前みたいな給料の三倍も金使う馬鹿と一緒にすんな」
「ヘンドリクセン大尉はいざとなれば人間の死体食べれば生きていけますしね。魔族からすればお金なんて飾りですよ。でしょ?」
「そうだよ、よく分かってんなぁサイモン。お前が死んだら内臓全部食ってやるからな」
「ドナー登録してるので、それやったら死刑ですよ」
殺伐としたやり取りを続けるSASの面々から逃げるように、夏目はリールーの隣にそっと座った。
「警部、今日休みでしたよね? 家から来たんですか?」
「そう、ここまでタクシーで直行。交通費申請しないとね」
半ば愚痴のような形でそう溢すと、
「休みの警部が来てるのに、他の連中は何やってんだか」
「でも、私達を呼ばなくても良かったんじゃないの? 軍も動いてるんだし」
「この人達は特別ですよ。大体襲撃犯なのに、軍なんて呼べませんって」
リールーが今さら何をとばかりに告げたことに、夏目は眉を寄せた。
「ちょっと、どういうこと?」
「え?」
「軍がセルーさんを襲撃したの?」
「そうですよ。陸軍の空挺部隊。知らなかったの?」
「そりゃ、誰からもそんな話聞いてないし……じゃあ、軍を出動させたりは?」
「してないですよ。ねぇ、お母さん?」
娘の問いかけに、隣に座るセルーは頷く。
「どうかしたのか?」
「ここへ来る途中、軍の車列と出会しましたよ。戒厳令でも出したのかと思ったんですけど」
「その車列はどこへ向かっていた?」
「ランザラ通りを西に進んでましたけど……」
そこまで言って、夏目は軍の企みを察して息を飲み、そしてその予感は、セルーとも一致していた。
「襲撃は陽動で、トムおじさんの狙いはコンベンションセンターにいる帝国貴族とアジアからの賓客。そういうことか?」
ホープが二人の考えを言い当てた。彼の部下達も、いつの間にか下世話な言い争いを終えて、家主達のやり取りに静かに見守っていた。
「トムおじさんって、昨日会った少将?」
「そうだよ。うちに襲撃かけたの、あの人が指揮してる空挺だったんだよね」
アジア人への嫌悪が強い人物だ。それならコンベンションセンターを狙う理由は理解できるが、その陽動としてセルーを襲撃した動機が分からなかった。
「アジア人への憎悪につけ入ったな。皇族の奴ら、いよいよ本気らしい」
まるで夏目に補足するようにセルーが呟いた。
「カレンデュラの統治するこの地で軍が反乱を起こしてアジアの要人を死なせたとなれば、私達の威信は失墜する。ホープが次の皇帝になる芽は完全に潰れるな」
「大東亜共同体との対立を一気に深めることになるのに、そんなこと皇族がやりたがるの?」
常識があれば躊躇するはずだ。冷戦真っ只中で、海を隔てた隣国が革命の最中にある不安定な情勢下で、自国を混乱の底に叩き込むような策略を実行するには、狂気か短慮が必要になるのだから。
「欧州と手を組みたがっている連中からすれば気にすることではないさ。目障りな人間も一緒に消せるのなら、安いものだろう」
セルーは扉の傍に立つ女中のネネリを手招きして呼びつけた。
「街の様子を知りたい。情報を集めてくれ。コンベンションセンター周辺の状況もな」
「畏まりました」
「お前達も準備しろ。装備なら貸してやる」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!