内務省庁舎の十九階にある保安部長執務室には、保安部の幹部が呼び集められていた。応接用のソファに通された三人の課長には、部長付の事務職員から緑茶と茶菓子が出されたが、三人の誰一人としてそれに手をつけず、この集まりの発起人の発言を待っている。
「――こないだの磯村んとこの件、大手柄やったな」
やがて口を開いたのは、窓を背にしたデスクに腰かける、保安部長の大河内だ。特大の椅子に脇腹の贅肉が乗りかけるほどの巨漢で、禿げた頭と浮腫みきった首の様子は、人間の頭というよりは鏡餅だ。怠惰の権化のような見た目だが、かつては関西で共産主義者を震え上がらせた特高の刑事として名を馳せた人物だ。
「日本に密輸された変異石の発見にテロ実行犯の特定と殺害、記念式典を狙ったテロの阻止。おまけに戦争回避。まぁ犯人を捕まえられとったら百点満点やったが、自殺されちゃしゃあないわ」
「ありがとうございます」
引っかかりのある賛辞に、磯村は座ったまま頭を下げた。
実行犯の素性と計画は、隠れ家で見つかった押収品から粗方特定された。
北海道の新千歳空港で、ロシアの破壊工作に見せかけた爆破事件を引き起こして、反露感情を煽る。さらには各国首脳が集まる大東亜共同体記念式典でも同様の手口でテロを起こすことで、対露開戦に一気に踏み切らせる。変異石の一部を共和主義の過激派に横流しすることで、公安の目を逸らさせ、捜査を撹乱する。
この計画を実行した犯人は計四人。いずれも犯罪歴を持たない退役軍人だが、動機は彼らの経歴が物語っていた。北方領土紛争の後で政府に責任を押しつけられて、多くの将校と兵卒が退役を余儀なくされた第七師団。彼らはその中でも、最前線に投入されたレンジャー部隊の所属だったのだ。
真実が明らかにされてから二日。メディアは実行犯の四人を、様々な表現で報じている。曰く、戦争の犠牲者。曰く、悲劇の愛国者。曰く、極右テロリスト。それらのうち、少なくとも公安庁が正しいものと判断しているのは、極右テロリストだけだった。
「で、何で右翼の動きが読めんかったんや?」
追及にも似たニュアンスの問いかけは、国家主義者や極右の活動を監視する第三保安課の課長へ向けたものだ。
「監視対象としている右翼団体や活動家との繋がりが認められませんでした」
回答した課長の小清水は、この場に集まった四人の中では最年少だ。四十代を目前にしての課長登用という異例の抜擢は、彼の能力によるところが大きいのだが、今回は部長から良い印象を持たれなかったらしい。
「二課から引き継いで四人の足跡を追っていますが、今のところ右派団体と繋がりを持った形跡が見つかっていません。現場で押収された銃器類も、全て市販されている拳銃で、しかも正規の手続きを経て購入されていたことも明らかになっています」
「右翼にしては丁寧だな。大抵履歴に傷がついてて、銃なんか買えない身の上なのに」
第一保安課の和田課長が肩を竦める。大河内部長の直系の後輩に当たる人物だ。
「そこですよ、和田さん。例の四人には犯罪歴が一つもない。右翼なら何かしらやらかしているものですが、そういう目立った活動もない。それなのに、あんな爆弾を作るコネがどこから湧いてきたのか」
「犯人グループは何人やったかな?」
助け船のような問いに答えたのは、磯村だ。
「大野から上がってきた報告によれば、六人です」
「二人余計なのがおるな。何者や?」
「一人は新世界からの亡命者。もう一人は米帝人の傭兵です。五年前まで民間軍事会社に在籍していたようですが、殺人の容疑で指名手配されています。米帝の捜査局に照会して見つけました」
そこまで話すと、小清水が半信半疑といった様子で言った。
「まさか、米帝の差し金だと?」
「可能性としては現実的やろ。押収した爆弾、えらく作り込まれとったやないか。あんな高性能なもん、そこらへんのテロリストのコネで作れると思うか?」
それどころか、変異石の運用ノウハウの乏しい欧州でも難しいだろう。少なくとも確実に起動できるものを作れる保証はない。
「いや、しかし……米帝が加担する理由が分かりません」
「それについては私も小清水くんに同意です。計画が露見した時のリスクを考えると、得られるものはありません。大東亜共同体と欧州連合の戦争になれば、米帝の経済もただではすみませんし、アラスカや新世界に飛び火するおそれもある」
「簡単なことや。戦争になれば欧州連合が弱る。隙を突いてグレートブリテン島を取り戻せる。これだけのことやで」
かつて米帝がイングランド帝国と名乗っていた時代に、本土としていた島。フランスとの戦争に敗れ、失った故郷。だがその地政学的価値は、米帝にとって国を挙げるほどのものではないはずだ。
「これは外事部の井上から聞いた話やが、米帝の皇帝はもうそれほど長くないらしい。それで後釜を巡って、身内で実績を競い合っとるそうや」
「その実績が、グレートブリテン島の奪還だと?」
磯村に部長は頷く。
「米帝の皇族は端から端まで総勢百人。そのうち皇位継承順位の上位六人が活発に動き回っとるんやが、何せ現帝は『閃光帝』と謳われた大帝や。その後釜に就こうにも、単純な実績なら欧州連合を潰すくらいせんと割に合わん。当然そんな時間はない。そこで連中は、三百年近く取り返せずにいるグレートブリテン島を取り戻すことを目標として、動いとるそうや」
米帝が新世界に進出してまもなく、欧州連合はグレートブリテン島の返還をちらつかせ、新世界への進出を図った。だが現帝はそれを蹴り、単独での新世界征服を強行した。あるかも分からない実利のために故郷を捨てた判断に、世論の反発はそれなりにあったが、新世界を踏み台にして国力の発展を遂げた今となっては、あの判断は正しかったとするのが現在の米帝内の評価だ。
「だとすると、また何か仕掛けてくるのでは?」
「そう考えるのが妥当やが、日本はしばらく標的から外れるやろ。もう破壊工作する意味がないからな」
式典はつつがなく進行している。事件の影響で、警視庁と公安庁が警備を強化し、憲兵隊まで駆り出している。変異石がなくなり、計画が露見した以上、もう打つ手はないはずだ。
そうなると、日本を標的として何か仕掛けてくることは考えにくい。
「一先ずな、この件は国家主義者の仕業ってことにして片付ける。で、今後の対応策としては退役軍人の監視強化ってことで内務省には伝えることにする。それでええな?」
部長の裁定に小清水が相槌を打つ。
「三課としてはそれで構いません。米帝はどうしますか?」
「それなぁ。まぁ、ちょっと考えさせてくれや。状況証拠だけで頭下げる手合いやないから、やるんなら徹底的にやらんとな」
◇
大日本帝国において、十一月二十五日は「共同体記念日」という祝日に指定されている。日本が中国、韓国とともに大東亜共同体を設立した日に当たり、第二次太平洋戦争の最中に制定された記念日だ。この日は大東亜共同体加盟国の首脳が一同に会し、年次の式典を催すことが通例となっており、今年は日本がホスト国を務めている。
中野区にある警察病院の個室で、ユリス・ゲンティアナは式典の模様をテレビ画面越しに見守っていた。折られた鼻はとうに癒えたし、頭に巻いていた包帯も今朝の検査の後に取れた。明日の朝には退院が許されたのは、人間とは比にならないエルフの治癒力と生命力のおかげだ。
「こんにちはー」
ノックをして扉を引いたのは、桐生夏目だった。仕事を抜け出してきてくれたらしく、チャコールグレーのスーツを着て、手には大手術でもした後の見舞いのように、果物を詰め込んだかごを提げていた。
「あ、ナツメさん」
「先生の言う通り、結構元気そうね。安心したわ」
「おかげさまで。明日には退院できそうです」
夏目はかごを傍のテーブルに置いて、備えつけのパイプ椅子に腰を下ろした。
「わざわざありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
社交辞令的なやり取りを交わして、ユリスは果物に目をやる。
「明日持ってきてもよろしいですか? こんなに一人で食べきれる自信がありません」
「ホテルに戻ってからゆっくり食べれば良いわよ。来週の表彰までは滞在許可が下りたんだから」
春秋叙勲とまではいかなかったが、ユリスの活躍は公安庁長官と内務大臣からの表彰という形で報われることが、摘発の翌日に決まった。これに前後するタイミングで、変異石の回収完了に満足したグラディアからユリスを帰国させるよう要請があったが、内務省の取り計らいもあって、表彰式翌日までの滞在が認められたのだ。
「まぁ、グラディアがユリスさんに帰ってきてほしくなる理由も分かるわよ。他の騎士団の人達より、頭一つ抜けてそうだし」
「さて、どうでしょうね」
ユリスは肩を竦めて言った。
「私は部下を与えられず、単身で他国へ寄越されるような身の上です。それで私がどう思われているかは、あなたなら既に察しているでしょう」
少なくともよそ者として、良い印象は持たれていないことは察している。だがそれは王立騎士団の中での話であって、グラディア政府としては彼女を必要としていることは間違いない。国王自ら彼女のもとへ赴いて、騎士として仕えてほしいと頼んだのだから。
夏目はテレビの方に関心を向けて、
「あぁ、式典ね。ユリスさんのとこの王様も来てるの?」
「えぇ。ほら、今映ってます。手前から三列目の真ん中です」
代表として演説をする日本の首相の背後には、招かれた大東亜共同体加盟国の代表者が三列に並んで座っている。その中心には背広姿のイスラエルとインドネシアの代表に挟まれる形で、特異な格好をした男が座っていた。座高は両脇の二人より低く、それでいて二人に配慮をさせるほど横幅が広いその男は、シュークリームのような顔に見映えを意識した笑みをたたえている。
「…………何かそれっぽいわね」
数秒考え抜いた末に出た言葉がそれだった。
「そうですか? 私から見ると、王としての風格や気品は先代にはまだまだ及ばないと考えていますが」
どうやら掛け値なしの褒め言葉と誤解してしまったらしい。意見に相違はなさそうなので、夏目はもう少し具体的に言ってあげることにした。
「風格も気品もないわよ。何か、画に描いたようなダメ君主っていうか……」
さすがにユリスもムッとしたが、それでも思うところはあるのか、言い返すことなくばつが悪そうに目線を落とした。
「あぁでも、実は意外と聡明だったりするんでしょ? ほら、日本の総理だって見た目はパッとしないけど、外交はそれなりに得意だし」
「そうだと良かったのですが……」
反応から察するに、夏目の見立ては完全に外れてしまったらしい。これ以上この話題を続けても、得るものはなさそうだ。
「……あ、そうだ」
必死に話題を探した末、夏目は何やら思い出して、カバンからメモを取り出した。
「これ、山谷にある喫茶店の店主さんから預かったの」
メモには住所と、店の名前が書いてあった。その意味するところを推し量りかねるユリスは、戸惑い顔を夏目に向けた。
「これ店主さんのお店の住所なんだけど、フォルティさんの遺骨はあの人が預かってくれてるんだって」
「本当ですか?」
夏目は首肯して続ける。
「それで、ユリスさんにも一度手を合わせに来てほしいって。フォルティさんも、きっと喜ぶと思うし」
「あ、ありがとうございます」
ユリスがメモを受け取ると、そこで会話が途切れてしまった。ようやく再会できた部下を死なせてしまったことを、ユリスはまだ引きずっているのだろう。
「そういえばユリスさん、剣は?」
必死に話題を探した末、肌身離さず差していた剣を持っていないことに気づいて訊いてみた。
「捨てましたよ。もうあれは使い物になりませんからね」
「折っちゃったとか?」
「魔法の媒体にしました」
その意味するところなら、大学の講義で実演してもらったおかげで理解できた。
魔法石を用いる北方魔法は、使役者に対して力を与え、それを発動させることを基本原理としているが、魔法石を物に埋め込んで発動させると、力を与える対象が物に変わる。使役者が身動きの取れない状況や瀕死の重傷を負った時の切り札になる使い方だが、埋め込んだ対象物を破損させてしまうため、一回きりの悪足掻きとしてしか使えないのだという。
新世界で名を馳せた教授は、この使い方をボールペンで実演して見せてくれた。小さな魔法石をテープで巻きつけて、難解な数式を書ききった直後、ボールペンは魔素を吐ききった魔法石ごと土塊に成り果てた。その光景は、二百人近い教室の学生の度肝を抜いたものだ。ユリスは大方、柄にでも埋め込んでいたのだろう。
「その使い方って騎士の人はみんなやるの?」
興味本位の質問に、ユリスは首を振る。
「騎士にとって剣は分身のようなものですからね。魔法が得意な者でも、この使い方は嫌っていました。私は友人に勧められてやっていましたが」
「へぇ、どんな人?」
「同じ騎士団の副団長を任せていました。私とは違って賢明で物知りで、そして私以上に我の強い負けず嫌いで。私が他の者と同じ理由で、魔法石を剣に埋め込むのを拒んだ時には、みなの前で説教されましたよ」
ユリスが説教されて気圧される場面を想像して、夏目は思わず笑ってしまった。
「剣の腕なら間違いなく私が勝っていましたが、それ以外は全て彼女に及びませんでした」
「魔法とかも?」
「魔法なんて勝負にもなりませんよ。私が教えてもらっていたくらいです。私に求婚してきた貴族の倅も、いつの間にか彼女に鞍替えしてましたからね」
ユリスは時折、反応に困る自虐を平然と飛ばしてくる。笑ってあげるべきか迷っていると、テレビ画面に表示された時計が十五時を指していることに気づいて、
「あ、そろそろ行かなきゃ」
課長に許可をもらって中抜けしてきたとはいえ、さすがに長居が過ぎるのはまずい。
「明後日には一度顔を出すわよね? 送別会をやろうと思ってるんだけど、予定空いてる?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
「じゃあまた明後日ね。待ってるわ」
手を振って部屋を去る夏目に、ユリスは手を振り返して見送った。
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