世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第50話

公開日時: 2021年7月3日(土) 18:23
文字数:4,569

 官邸からの緊急召集で、国防大臣と内務大臣、宮内大臣と外務大臣の四人に、貴族院の重鎮八人を加えた十二人が集められた。


 用向きを知らされることなく集められた面々であったが、本格的な報復措置の是非を問うための召集だと、誰もが察していた。


「先ほど新世ロシア帝国のアルバス首相から、主要閣僚との電話会談の打診がありました」


 会議室の議長席で、天城総理が切り出した前置きに、全員が顔を見合せ、ざわめく。


「アルバス首相は、北海道から特殊な方法で通信を行い、牧島侯爵家との連絡方法を確立し、それを提供してくださいました」


「総理、話が見えてきませんが……」


 戸惑いがちに割り込んだ五十嵐国防大臣に、天城首相は続ける。


「アルバス首相からは、今後の我が国の意思決定に関わるとだけ知らされています。いずれにせよ、北海道、特に華族との連絡手段の確保は我々の優先事項ですので、ここでその機会を得られるのであれば、提案を受け入れるべきと考えました」


「それは、そうかもしれませんが……しかし、どうして新世ロシアが?」


『我々は平和的解決を望んでいるからですよ』


 回線が繋がり、壁に備えつけられた液晶画面に声の主が映り、スピーカーから声が響く。


 新世界の新世ロシア帝国との間に設けられた、首脳会談専用の回線。それを引き込んでの通話が、始まった。


『日本政府として、ロシアの報復措置は当然の権利でしょうがね。それで全面戦争まで行くのは、我々が望むところではないのですよ』


「それはどういうことですかな?」


 国防大臣が食い下がるが、それにアルバスは涼しげに切り返す。


『それを今から牧島侯爵に説明してもらいます。もう繋ぎますよ?』


 そう言って、アルバスはスピーカーの傍に携帯電話を置いた。もう日本でも見かけることのない、折り畳み式の携帯電話。そこから幼い声が届いた。


『牧島家当主の惣治です。本日はお時間をいただき、ありがとうございます』


 肩肘の張り切った声で堅苦しく名乗った人物に、会議室がざわめく。


「惣治くんなのか?」


 内務大臣の芝塚が問いかけると、電話の向こうの惣治がそれに応じる。


『芝塚さん、そうです。惣治です』


「そうか、無事だったか。お父さんはどうした?」


『父さんは……死にました』


 会議室のざわめきが、凍りついたように静まる。


『テロリストの襲撃を受けて重傷を負い、助かる見込みがないため、クロナの介錯で……』


「そんな……」


『僕がアルバス首相を通して、皆さんにお伝えしたいことは二つあります。一つは、今お伝えした父の死について。そしてもう一つは、それによるロシアへの報復措置を止めてほしいというお願いです』


 毅然と、精一杯に気を張った声に、天城総理が応じる。


「惣治さん、まずお父様の件について、それを私達が事実と確認することはできますか?」


『僕の言葉が信じられないのであれば、母に代わって証言してもらいます。ただ、この電話を父でなく僕が行っているのが、何よりの証拠だと思います』


 それはそうだろうと、天城総理も納得する。


「ではもう一つの件について、答えてください。あなたがお父様の死に際して、我々がそれを理由に報復すると考えたのはどうして?」


『それは……』


 少し間を置いて、しかし惣治はしっかりと言葉を紡ぐ。


『今ロシアが、北海道を攻撃しています。僕がいる記念病院も、度々襲撃を受けています。この状況ではロシア軍の攻撃で父が死んだと思われ、それを理由にして報復措置に動くと思ったからです』


「それをあなたが望まない理由は何?」


 天城総理は続けて追及する。


「お父様の死がテロによるものとはいえ、ロシア軍が攻撃をしていて、実害が出ているのは事実だし、お父様の死の一端であることは事実でしょう。それに目を瞑って報復をしないでくれだなんて、子供にしては人格が出来すぎているように思えるのだけどね。誰かに吹き込まれたんじゃないの?」


「そう考えるのが自然でしょうな」


 天城の指摘に、公爵の大貫が続く。貫禄と余裕を感じさせる笑みに、場の主導権が奪われる。


「牧島卿は賢明であった。それ故、子供に家督を渡して早々に、こんなことはさせまい。となれば、誰かが入れ知恵をして、牧島家を操り、この国の政治に干渉しようとしていると考えるのが筋でしょう」


 取り巻きの華族達が大貫に賛同する。議場でもないというのに、野次のような言葉が飛ぶ。


「どうなんですか?」


 答えを求める天城総理に、惣治は電話越しでも分かる深呼吸をして、


『公安庁の桐生さんから詳細を聞き、提案された上でそうすべきと自分で判断しました』


 事実に基づく回答に、大貫が食いつく。


「公安庁は何を企んでいるのですかな? ロシアへの報復措置を止めさせるなど、この状況下では政府への反逆行為も同然ですぞ」


「芝塚大臣、何か意見は?」


 追及を受けた芝塚は、落ち着いた声で応じる。


「全ての捜査官を詳細に把握しているわけではありませんが、桐生という捜査官には心当たりがあります。一応確認だが、その捜査官は何故北海道に来ていたか、惣治くんは聞いているか?」


『ジリツォフという人物を追ってきたと聞きました。他に二人名前を挙げていましたが、正確には覚えていません』


「それだけ聞ければ十分です、ありがとう」


 芝塚は天城の方へ向き直り、


「ジリツォフとは、公安庁が追っていたロシアの帝政復古派テロリストです。残る二人も、その協力者としてマークし、公安庁から捜査官を派遣していました。そのチームのリーダーが、桐生捜査官です」


「なるほど、これではっきりしましたな」


 大貫は得意顔で断言した。


「その捜査官はテロリストと通じていたのでしょう。そして今、工作のために政府に介入しようとしている。子供を使ってな。何とも、卑劣ではないですか」


「別に捜査官を疑うのは構いませんが、それだとジリツォフの意図が理解できませんね」


 芝塚は肩をすくめて言った。


「帝政復古派からすれば、共和主義の現体制を破壊したいはずです。それなら日本と全面戦争になる方が好都合なんですから、戦争を焚きつけるよう工作すると思いますよ」


 的外れな言いがかりを涼しげに潰すと、顔を強張らせる大貫から天城の方へ向き直る。


「私個人の見解ですが、惣治くんの意見は桐生が吹き込んだものでしょう。ただしそれは、事実に基づく最適解であり、その裏にある謀略等々は、現時点で疑う必要ないと考えます」


「そうですか。ありがとう」


 芝塚の結論に、天城総理は頷いてから、画面の方へ向き直る。


「惣治さん、もう一つだけ確認させてください。仮に我々がこの場で、報復措置を取り止めたとしましょう。二度とロシアをこの件で叩くことはできなくなります。それでも構いませんか?」


 問いかけに、惣治は押し黙る。


「お父様を殺された恨みを、一生抱えて生きていけますか?」


『……そんなこと、できないと思います』


 やがて紡いだその声は、微かに揺れていた。


『父さんを殺した人達は許せません。でも、僕がロシアを倒してほしいって頼んだら、僕みたいな人がたくさん出てくる。そんなの、おかしいから……』


 押さえ込んでいた嗚咽が漏れて、スピーカーから響く。やがて深呼吸を一つして、惣治はか弱くも毅然とした声を紡いだ。


『……僕は、牧島家の当主です。牧島家を支えてくれる人達を守ります。だから、こんなおかしいことにはこれ以上、付き合えません』


「……分かりました」


 やがて天城総理は、そう会議の面々に告げた。


「ロシア帝政復古派への対応は、内務省に一任します。が、テロリストによる戦争誘発を目的とした破壊工作に、我々が乗る必要はありません。軍事侵攻への報復措置は、三ヶ国との調整通りに進めることとします」


「お待ちください、総理」


 赤ら顔の大貫公爵が声を張る。


「私はこの子供が牧島家の声を代弁するに値するとは考えられません。まだ未成年で、公安庁に吹き込まれた意見を鵜呑みにして話しているに過ぎません。このような意見に国の舵取りを左右されるのは、天皇陛下から大命を拝した者として、如何なものですかな?」


 天城すら批判するその物言いに、取り巻きの華族達も息を飲む。


「未成年であろうと家督を継げば正当な当主であり、侯爵です。その発言は相応に取り扱われるべきものです」


 天城は毅然と提言を退けた。


「私はその発言の信憑性に対して疑問を呈しているのです!」


 声を荒げた公爵に、芝塚が横から割り込む。


「大貫公爵の方こそ、何故そこまで報復したがっているのです?」


「なに?」


「どうにもあなたはロシアを叩きたがっているようにしか見えません。あなたにそこまでの反露感情があったなんて初めて知りました。一体どういう風の吹き回しですか?」


「私は政治のあるべき姿を述べているのだ! 平民である君には分からんだろうが、我々は天皇陛下の治世をお守りするという使命が――」


 そこまで言いかけた大貫公爵の言葉は、画面の向こうのアルバスの叩いた手で遮られた。


『日本の貴族の在り方を論じたいのであれば、事が片づいた後の議会でやりなさい。少なくともこの場は、結論が出たはずだが?』


「新世ロシアの首相が会議に介入した上、内政干渉までなさるおつもりか?」


『別に君らの美学なんぞに興味はないよ。ただ、何が何でも牧島家の意向を否定したがる君の姿は、貴族としてというより人間として、不様極まるがね』


 退屈そうに述べたアルバスに、大貫がまた吼えようとした時だった。


『そこまでして忠義立てしなくても、君のお友達もこの不始末を咎めはしないだろう。安心して債務解消を喜ぶと良いよ。束の間だろうがね』


「な……」


 軽蔑の眼差しを向けるアルバスに、大貫公爵の顔がみるみる青ざめ、取り巻きの華族達は互いを見合ってざわめく。


 その光景を鼻で笑うと、アルバスは天城の方へ向き直って、


『それでは天城総理、平和的解決に向けて、ともに力を合わせていきましょう』


「ありがとうございました、首相。今後ともよろしくお願いいたします」


 天城は起立して、深々と頭を下げる。アルバスは満足げに頷いて電話を切り、そこで緊急の会談は終わりを迎えた。


     ◇


 日本政府との通話が終わると、受話器の向こうからアルバスの声が届いた。


『よく頑張った、牧島卿。これで後は、残るテロリストを排除するだけだな』


 労いの言葉に、惣治は涙を拭って答える。


「ありがとうございました、アルバス殿下」


『君の功績だ、私はただ仲介しただけに過ぎんよ』


 掛け値なしの賛辞に、惣治は戸惑いがちに笑った。


『しかし、君の喋り方は父親似だな。きっと良い当主になる』


「父さんのこと、知ってるんですか?」


 緊張が抜け始めて、物言いが砕けてしまうが、アルバスはそれを咎めず、


『彼がちょうど君くらいの年の時に、一緒に新世界を探検した。私の兄と、気心の知れた親族達とともにね。それ以来君の家と我がテューダー家は、新世界を思う盟友だ』


「そうだったんだ……父さんからは、何も聞いてなかったです」


『君が大きくなってから、話すつもりだったのだろう。今度じっくり、話そうじゃないか。君と会えることを、楽しみにしているよ』


「はい。ありがとうございました」


 電話を切ると、惣治は始終を見守っていた晴華と流音に、笑みを返した。それを見て晴華は安堵して涙し、流音は惣治の頭を撫でた。


「やったよ、父さん」


 穏やかな表情で眠る父に、惣治は得意顔で言った。

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