世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第6話

公開日時: 2021年5月9日(日) 00:28
文字数:7,339

 新千歳空港の駐車場に、ライトグレーのライトバンが入ってきた。隅っこの駐車スペースに停めると、そこから白いジャージを着た老人が降りてきた。


 下には近所の商店街で買ったセーターと腹巻きまで着込んでいるのだが、やはり何十年住んでも、晩秋の北海道の冷たい風は骨身に滲みる。


 老人は、遅ればせながらのシルバーウィークで帰省してくる息子一家の迎えを頼まれて、空港へやってきた。大阪の商社に勤めるできた息子で、大学の同級生と結婚して、この春めでたく長男を授かった。学のない親から生まれた子としては、これ以上ないくらい立派な錦を飾ってくれたと思っている。


 そんな自慢の息子のためなら、大嫌いな軍の基地に隣接するこの空港にだって、足を運ぶことくらいはできる。


 老人は元軍人だった。北海道に拠点を置く帝国国防軍第七師団に所属し、陸軍精鋭のレンジャー部隊に籍を置いたこともある。愛国心よりは郷土愛と、五人兄弟の末っ子という家庭の事情から軍歴を歩むことになったのだが、少なくとも十年以上勤められたのだから、それなりに充実していたし、任務に責任感とやりがいを自負していたのも確かだった。


 レンジャー部隊の分隊長を任され、長男が生まれた一九八八年の夏が、全ての始まりであり、終わりだった。


 当時政権与党だった国民連合は、初の国防軍出身首相の人気の陰りと、相次ぐ閣僚の不祥事やスキャンダルにより、支持率を低迷させていた。彼らが支持率を上げるために取った策は、何兆円もの税金を投入した景気対策でも、国民の支持を背景とした強力な構造改革でもなく、第二次太平洋戦争以来ロシアに実効支配されている北方領土の武力による奪還だった。


 上陸部隊として先陣を切って投入され、ロシア軍と交戦し、家族同然の仲間を殺され、親の仇のように憎んだロシア兵を殺し、そうして得たものは何もなく、一ヶ月後には欧州連合軍の猛攻に晒され、色丹島から追い出された。


 首相のカリスマ性と軍の支持だけで政権を取った与党は、政権運営や外交のノウハウを持っていなかった。事前の根回しも不十分なまま、ただ思いつき同然で戦争を仕掛けてしまったのだ。欧州連合からは石油と天然ガスの禁輸措置を受け、米帝からも協力を得ることはできず、同盟の大東亜共同体内からも、身勝手な開戦に非難が集中した。


 結局、開戦から二ヶ月後には米帝の仲裁によってロシアとの和平が実現し、禁輸措置も解除された。その対価は、与えた損害の倍にもなる賠償と内閣総辞職。大東亜共同体内での主導権も帝政中華に移った。人気取りのために始めた戦争の結末としては、あまりに痛かった。


 老人はあの戦争を期に退役した。主力となった第七師団の主戦派が軒並み粛清された一環だったが、それ以前に兵士としてお国のために戦うということがどうにも嫌になった。あれ以来、軍旗を見るのも嫌になったし、たまに町に出て軍服姿の兵士を見るだけでも気分が悪い。今はただ、工場での仕事を愚直に勤めながら、家族と静かに、慎ましく、平和に余生を送れれば良い。心からそう思っている。


「――あ?」


 連絡橋へ向かう途中、すれ違った大柄な二人組のやり取りに思わず振り返ってしまった。


 随分と懐かしい。何を喋っていたのかは分からなかったが、あれはロシア語だ。レンジャー部隊に配属された時に座学で学び、色丹島で捕虜や現地人とのやり取りで使ったから、間違いない。


「露助が観光か」


 嫌悪感を隠そうともせず、コートを着込んだ二人組の背中にそう吐き捨てる。観光にしてはカバンの一つも持っていない、おかしな連中だ。あんな連中が北海道の土を踏むなんて考えるだけでも気分が悪い。


「おっと、いかんいかん」


 懐かしい苛立ちに思わず目的を忘れてしまっていた。


 飛行機はとっくに到着している。早く息子を迎えに行ってやらなければ。孫の顔も見たいし、婆さんも家で待っている。


 小走りで連絡橋へ向かう。階段を降りてくる大学生の一団を視界に捉えたその時、一瞬の炸裂音とともに眼前が光に覆われた。



     ◇



 事前の予想に反して、熊沢教授の取り調べは順調に進んでいる。黙秘を貫こうともせず淡々と、必要なことを端的に答える様子は、被疑者というよりむしろ証人のようだった。


「――昨日から伺っている話を総合すると、あなたが仲介していた共和系政治団体・市民調和会は、ロシアの政治団体と協力関係にあり、教え子達が所有していた武器や弾薬もその団体から流れてきたということになる。しかし、市民調和会は銃や弾薬の調達はできても、変異石を供給することはできないし、それができる組織との繋がりもなかった、と?」


 ワイシャツにスラックス姿の熊沢に、背広姿の礒村が確認の問いを投げる。


「ご存知の通り、変異石はヨーロッパでは貴重な資源だ。学生団体に流せる余裕なんてないし、それだけの量を手に入れる伝もロシアにはない」


「新世界では変異石の盗掘と密売が問題になっているのはご存知ですね? 我々は今回、変異石の密売組織がロシアに逃亡し、そこから流れてきたものをあなたの教え子が持っていたのではないかと考えています」


「だとすると、入手ルートは私ではありませんよ」


「先ほどの供述によれば、武器の引き渡しは市民調和会の会員名義の車に積んで、それを所定の場所に配置した後、米山と倉持に取りに行かせていたんですよね? その時に渡される武器の内容をあなたはご存知でしたか?」


「知っていました」


「では、米山達のグループの中に理系の学生がいたことは?」


「知っていました。米山くんに紹介してもらいましたから」


「彼らはその学生の研究室で、変異石を使った爆弾を作ることを計画していた。それもご存知ではなかった?」


「顔合わせの時、米山くんからその話を聞きました。私は爆弾を使った無差別攻撃には反対だったので、彼を諫めました。その場では納得していたのに……」


「熊沢教授、あなたにはもう何も残っていない。死刑か、刑務所の中で人生を終えるかの二択だ。だがあなたの協力によっては、若者の未来が守られることになる」


「それは重々承知しています。ですが、変異石については確かに知らないんです。学生を盾にされてなお嘘を吐けるような面の皮だと、あなたはお思いですか?」


 礒村と熊沢の静かなやり取りを、夏目は班の三人とともに、マジックミラー越しに見守っていた。


 得られた情報は確かに有益だが、変異石の入手ルートが相変わらず分からない。学生グループのメンバーをもう一度締め上げる必要があるようだ。


「後で米山と倉持をもう一度取り調べましょう」


 メモを執る仕堂が夏目の心を読んだかのように言った。メモは供述内容ではなく、課長の尋問術を書き留めているのだろう。


「じゃあ仕堂くんに任せるわ。課長が痛めつけた後だから、練習相手としてもちょうどいいだろうし」


「了解です」


 尤も、痛めつけられたのは仕堂も同じだ。取り調べの甘さを、礒村からたっぷり絞られたのだから。さっきから必死に書いているメモも、後で課長に見せることになるのだろう。


「ところでユリスさん、ちょっと相談なんだけど」


 腕と足を組んで取り調べを眺めていたユリスが、夏目の方を向く。


「市民調和会へのガサ入れに同行、でしょう? 分かっています。こちらの目標と繋がっている可能性がある以上――」


「あぁいや、そうじゃなくて」


 ユリスを遮って本意を告げる。


「急で悪いんだけど、今夜って空いてます? ユリスさんの歓迎会、まだ開いてなかったから、今日にでもどうかな、って」


「歓迎会?」


 目を丸くするユリスに、今度は護藤が続く。


「ちょっと遠くになるんですが、新世界から来た人達がやってる料理屋があるんです。あと、酒飲めます?」


「飲めますが……政治団体へのガサ入れは?」


「そっちはもう他の班が行ったわ。昨日のうちにね」


 知らなかったのは、ユリスが夕方には帰ってしまうからだ。新世界には「残業」という概念はないし、他の誰かの仕事を割り振られるということも文化として存在しない国が大半だ。共同捜査のために来ているとはいえ、そんな文化圏の人を無理に帰らせない理由はない。


「そっちの取り調べは、こっちみたいに穏やかじゃなかったけどね」


 夏目が補足する。


「ロシアからの武器の流通ルートは分かったけど、変異石については知らないって言ってるらしいわ」


「口裏を合わせて黙っているのでは?」


「ないとは言えないけど、今の段階では持ってた本人から聞き出すのが定石ね」


 というわけで、と夏目は笑みを見せる。


「今夜空いてるんだったら、歓迎会をやりましょう」


「わ、分かりました」


 断る理由を探してみたが見つからず、ユリスは夏目の笑顔に気圧されて、承諾した。



 霞ヶ関駅から日比谷線で約三十分。南千住駅から泪橋交差点へ向かって数分歩いた先の路地には、新世界から逃れてきた人々が住み着いてできた繁華街が広がっている。かつては日雇い労働者の街だったが、今では新世界の本格料理が食べられる場所として知られていた。


「ここは北国料理が食べられるんですよ。キーファソって国の料理らしいんですけど、特に北方野菜と鹿肉の香草焼きが人気らしいんで、予約しときました」


「さすが、四係の幹事長」


 茶化し半分の称賛に、護藤は得意顔だ。


 四人が通されたのは二階のテーブル席だ。平日の夜だというのに満席で、そこかしこで楽しげな笑いが飛び交っている。


「で、お酒はまずこれ」


 小人の店員が持ってきた白磁の湯飲みを指差して言った。肌寒くなってきたこの時期には何ともありがたく、湯気を立たせている。


「キーファソの酒で、今はソーンツェっていうらしいです。現地での名前はちょっと長かったんで、覚えてません」


 湯飲みに入ったそれは、うっすらと赤みを帯びている。湯気と一緒に昇ってくる匂いは、果実のように甘く、少しだけ残っていた仕事の気分をゆっくりと解かしてくれているような気がする。


「エルキナソル・ユクシス・ベンタルコタ」


 階段に背を向けたユリスが、薄赤の酒を見つめながら呪文のように呟いた。


「このお酒の現地名です。『赤き太陽の灯』という意味です」


「へぇ~、博識」


 感心する仕堂には構わず、甘い匂いを嗅ぐ。


「ただ、材料は違うようですね。これは苺を使っているようです」


「ご明察。さすがですね」


 背後からの声に振り返り、そして目を見開く。藍色の髪をした少年が、懐かしげな笑みでそこに立っていた。長袖の黒シャツとパリッとして安っぽいジーンズ、その上から店のロゴが入ったエプロンと、見るからに学生のアルバイトといった風情だが、透き通るような白い肌と、藍色の髪から顔を出す尖った耳が、そうでないことを表していた。


「本来ならユカルの果実を使いたいところなんですが、あれは米帝が輸出を制限している貴重品。僕ではどうしても手に入れられませんでした」


「お前は、まさか……」


 夏目達は少年の態度と、ユリスの反応に戸惑っていた。少年はそれに気づいたのか、申し訳なさそうに三人に笑いかけてから、右手で拳を作って心臓の辺りに置いた。


「お久しぶりです、ゲンティアナ騎士団長。あなたにまたお会いできたこと、心から嬉しく思います」


「フォルティか? そうなんだな!? よく無事でいたな……!」


 立ち上がったユリスの声が、感極まった様子で震えている。初めて見る彼女の姿に、夏目は目を丸くしたままだった。


「この世界の人達に助けてもらって、何とかこれまで生き長らえることができました。こちらの方々は?」


「私の……えっと、何だ……」


「仕事でお世話になっている者です。ゲンティアナさんにご助力をいただいていまして、今日はそのお礼をと思ってお連れしたんです」


 窮するユリスに代わって、夏目が脚色した関係を告げ、


「ユリスさん、こちらの方は?」


 流れで紹介してもらうことにした。


「あ、あぁ……彼はフォルティルスといって、私の昔の部下です」


 すっかり舞い上がってペースを乱したが、ユリスは咳払いで何とか立ち直り、落ち着いた語調で藍色髪の青年を紹介した。


「昔の部下ってことは、元王立騎士? 何で辞めちゃったんです?」


「え?」


「あー、ユリスさん、ちょっと向こうで話してきたら? ここじゃ話しにくいだろうし」


 仕堂の問いに青年が当惑するのを見て、夏目がユリスに促す。


「いや、別に話しにくいわけでは……」


「あなたじゃなくて、フォルティさんが。お店の人が顔馴染みの客とお喋りしてるのを見て、文句言う人だっているんだから」


 夏目が耳打ちすると、ユリスは半ば納得がいっていないかのように首を傾げつつ、


「それなら、分かりました。フォルティ、来てくれ」


「あ、はい」


 席を立って、青年とともに階段を昇っていくユリスを手を振って見送ると、夏目はやれやれとばかりにため息を吐き、ソーンツェ酒を一口呷った。


「班長の読み通りでしたね」


「そうね」


 仕堂に相槌を返す。すれ違いで店員が持ってきた新世界の野菜サラダを、護藤が二人の小皿に取り分ける。


「それにしても、新世界の魔法なんて何十種類もあるのに、よく見抜けましたよね。班長ひょっとして、親戚に魔法使いとかいるんですか?」


「いたらかっこいいんだけどね」


 夏目は護藤にそう笑いかけて、小皿を受け取る。


「大学で魔法体系の講義を取ってたのよ。その先生が新世界では有名な魔法使いだったらしくて、結構詳しく教えてくれたり、実演してくれたりしたから、それで知ってたのよ」


 単独行動をしない騎士団の中で、彼女だけが単身で日本に寄越された理由。シェアハウスで彼女が見せた、北方の魔法。そして、時折見せる米帝への敵愾心。


 彼女がキーファソという亡国の騎士だったのなら、これら全てに合点がいく。


「まぁ、ここで昔の部下に再会するのは予想外だったけどね」


 酒の勢いと料理で郷愁を煽り、ボロを出すよう仕向けてやろうという、親睦を兼ねた仕返しのつもりで仕掛けたのだが、思わぬ展開を招いてしまった。


 とはいえ、あのフォルティという青年を見るユリスの目は、一昨日から今までの彼女とは随分と印象が違った。きっとあれが、本当の彼女なのだろう。


「でも、何であのフォルティって人は、王立騎士団とかに入らなかったんですかね?」


 仕堂は素朴な疑問を吐露し、代わりに青紫の葉物を口に運ぶ。


「何でって?」


「キーファソって、米帝に負ける前は結構な大国だったんでしょ? そこで騎士やってたんだったら、グラディア以外の国からも引く手あまただと思いません?」


 葉物の青臭い風味と爽やかな苦味に、顰めっ面を浮かべる仕堂。


「そりゃ、キーファソだからだろ」


 問いに答えたのは護藤だった。


「これは親父とお袋からの受け売りだけど、エルフっていうのは二種類いるわけよ。一つは、森の住人として生き続けることを選んだエルフ。こいつらは穏健なのが多くて、ゴブリンとも森で生きる者同士ってことで互いに助け合って生きてきたんだが、もう一つのはそうもいかなかった。それが、文明社会で生きることを選んだエルフだ」


 護藤はソーンツェを一口飲んで、続ける。


「こいつらは新世界の覇権争いにのめり込んでいった。国を作り、階級を作り、どっちが強いか、領土が広いか、必死になって競っていき、繁栄と滅亡を繰り返した。その過程でエルフの美しさや知性の高さに過剰なプライドを持ち、人間やドワーフ、ゴブリンやオークなんかの他種族を見下し、虐げるようになっていった。で、米帝に対して有無を言わさず弓を引いて、その結果が今の惨状だとさ」


 それはエルフに対する新世界人の評価であり、「何故米帝と新世界で戦争が始まったのか」という問いに対する世界中の研究者の共通の見解だった。


「だから、ゲンティアナさんの方が特殊なんだよ。グラディアなんて、人間が王様やってる国だぜ? そんなとこで騎士になるんだから、よっぽどのことがあったんだろうよ」


「その話を聞き出すのは、さすがにまだ無理でしょうね」



     ◇



「驚きました。まさかこんなところで団長にまたお会いできるなんて」


 料理屋の屋上。


 給水塔を背に、南千住駅の奥に建つ高層マンション群を眺めながら、フォルティはそう言った。


「私もだ。全く、長生きはしてみるものだな」


 ユリスは隣に立ち、笑いかけた。


「戦争が終わってからは、ずっと日本にいたのか?」


「えぇ、まぁ」


 何となくばつが悪そうに相槌を打つ。


「このお店は難民キャンプで知り合った奴と一緒に始めたんです。もう二十年になりますかね」


「あの髭を生やした店長か?」


「彼は違います。近所で喫茶店を開いてる日本人の人間です。手が空いた時によく助けてくれるんです」


「そうか」


 一頻り問答が終わって、何となく居心地の悪い静けさが訪れる。それを嫌って、今度はフォルティが質問を投げた。


「団長は今は何を?」


「私は……今は他の国で騎士をやっている。グラディアという国だ」


「グラディア?」


 フォルティは少し考えてから、


「確か、南の方にある小国ですか……どうしてそんなところに?」


「国王陛下自ら、私を騎士に迎えたいと申し出てくださったんだ。他に行く当てもなかったし、私を必要としてくださったのだから、断る理由もないだろうと思ってな」


「そう、ですか……」


 フォルティが目線を落とす。彼が思っていることが表情から読み取れて、堪らず目線を逸らした。


「……そうだ。実は服を買おうと思っているんだが、どこか良い店は知らないか? この格好だとどうも注目されてしまって、落ち着かないんだ」


 しばしの沈黙の後、話題を変えようと切り出す。


「あ……それなら、丸の内に行くと良いと思います。東京駅は分かりますか?」


「おいおい、東京駅から来たんだから当然だろう? バカにし過ぎだ」


「あぁ、すみません」


 二人の間で、懐かしい笑いが起きる。細やかだが、今はそれで十分だった。


「そろそろ戻ろう。いつまでも待たせては悪いからな」


 ユリスはかつての部下に促すように背を向け、扉へ向かう。


「あの、団長!」


 フォルティはその背中に呼びかけた。


「ん? どうかしたか?」


「あの…………いえ、何でもありません」


 何か言いかけて、それを良くないことと躊躇い、胸の内にしまう。内心での一連の機微を表情に滲ませ、それを取り繕うように笑うフォルティに、ユリスは「そうか」と苦笑を残して、止めた足を前へ踏み出した。

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