世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第39話

公開日時: 2021年6月8日(火) 18:33
文字数:5,531

「――国防大臣、報告を」


 首相官邸地下に設置された対策室には、天城政権の閣僚と役職者が一堂に会していた。


 その中で国防大臣の五十嵐幹久が立ち上がり、国防省が取りまとめた資料を緊張の面持ちで読み上げる。


「今からおよそ二時間前の午前十時〇七分、日本海と太平洋に駐留していたロシア海軍の艦隊から、計一三六発の巡航ミサイルが発射されたことを確認。道内主要通信施設と陸・海・空軍基地の他、海底ケーブルと青函トンネルが破壊され、現地との通信・交通が全て途絶しております。また、通信途絶から二十五分後の十時三十二分、ウラジオストク、サハリン、国後島から、ロシア軍の北海道、本州上陸を衛星より確認。上陸地点は、函館、小樽、稚内、牧島、根室、津軽、能代の七ヶ所になります」


「敵の規模は?」


「全体で約八〇〇〇、全てロシア軍と見ております。上陸部隊には陸軍の他、空挺軍も参加しているものと見られます」


「同盟諸国への攻撃は?」


「トルコとモンゴルへのロシア領からの侵攻が報告されており、トルコでは国境線が突破されたと報告を受けております。また一時間ほど前に、インドネシアのニューギニア島、ティモール島に対し、太平洋連邦が上陸を図り、帝国海軍と交戦。こちらは撃退に成功したと報告を受けております」


「分かりました。外務大臣、欧州連合及び米帝の態度は?」


 国防大臣が一礼して着席すると、続いて外務大臣・神原二郎が起立する。


「大使館からの情報によると、今回の軍事行動にフランス、ドイツを始めとする主要国は参加していないとのことです。駐仏大使によると、フランス外務省も把握していなかった様子だったようです。また米帝外務省より、総理との電話会談の打診を受けております」


「米帝にはこの後回答します。引き続き情報収集をお願いします」


「承知しました」


 外務大臣が着席すると、天城総理大臣は深呼吸を一つして、閣僚達を今一度見渡す。


「先ほど、帝政中華のカーディル首相と大韓帝国の李首相、台湾の孔総統と会談をしました。三ヶ国とも、ロシア連邦による軍事行動を許さず、撃退の後、攻撃参加国に対して然るべき対抗措置を執るべきということで一致しました」


 首相は飽くまで淡々と、まるで記者会見で決定事項を告げるような口調で続けた。


「我々はまず、本土に上陸したロシア軍を排除し、北海道奪還の準備を整えます。五十嵐さん、中央即応連隊を第二師団と合流させ、十二時間以内に津軽と能代の上陸部隊を排除してください。海軍は空軍と連携し、日本海、太平洋上のロシア艦隊に対応を」


「陸軍は全部隊派遣準備を整えておりますので、すぐに出動させます。海軍については、太平洋艦隊が既に横須賀から派遣し、太平洋上のロシア艦隊とまもなく交戦予定です。日本海側については、舞鶴の部隊と帝政中華海軍の合流後、現地に派遣します」


「分かりました。戦況は逐一報告をお願いします。内務大臣は、国内共和主義団体の監視強化を。今から全てのデモ活動を禁止します。参加者の身分は問いません、徹底的に叩いてください」


「分かりました。ただ、警察と公安庁だけでは人員と装備に不安があります」


「いつも通り、憲兵隊に動員要請を。国防大臣も、要請の受け入れをお願いします。装備についても、銃火器の使用を許可します」


 国防大臣と内務大臣との間で、相槌が交わされる。それを以て、解散を宣言しようとしたその時だった。


「一つ、よろしいですかな?」


 手を挙げたのは、貴族院の重鎮・大貫公爵。貴族院と与党との調整役として、彼を始めとして八人の貴族院議員がこの場に出席していた。


「何でしょう、大貫卿?」


「ロシア軍の動きに、気になるところがありましてな。北海道に多く戦力を割いているように見受けられるが、その理由は国防省で分析できておりますかな?」


「北海道占領は、ロシア軍の対日戦の基本戦略です。そのために重点的に攻撃を仕掛けているものと推察しています」


「なるほど。しかし、ウラジオストクの駐留軍は、本来大韓帝国に向けられる戦力だったと記憶している。そのために、ロシア軍は我が国との摩擦を気にも留めず、国後と樺太への空挺軍配備を進めてきたのではないかね?」


「それは、そうですが……」


「大貫卿、ご意見をお聞かせ願えますか?」


 押し黙る国防大臣に代わって、天城総理が答えを促す。


「ロシアは北海道を占領するより他に、何らかの目的を持って戦力を我が国に集中させているものと見受けられます。そのために、ウラジオストクの精鋭部隊を東北に派遣し、北海道奪還の妨害を企てているのではありませんかな?」


 そこまでして何を望んでいるのか。考えを巡らせる天城の向かいで、内務大臣の芝塚が不意に呟いた。


「華族か」


「何ですって?」


「北海道にいる華族の身柄を押さえて、日本政府との交渉に利用するつもりではないでしょうか?」


 そのためには占領と同時に、脱出手段を完全に封じる必要がある。陸路と通信手段を破壊したのは、そのためだろう。


「今回の武力侵攻は、飽くまで先日のテロに対する報復措置。ルクセンブルク大公の実弟の対価として、華族を利用しようというのが、ロシアの企みでしょうか」


「ふざけたことを……今北海道にいる華族は? 宮内省、答えて!」


 指名された宮内大臣が慌てて立ち上がり、


「正確な人数と名前は確認後に報告いたしますが、直近ですと牧島侯爵家が親子揃って、昨日から牧島市に滞在しています」


「芦川卿の次男も、憲兵として稚内に勤務していたかと」


 文部大臣の古川が続く。天城総理は焦りと苛立ちを露に、


「一時間で確認して報告を。政財界に影響のある者がどれだけいるか、知っておく必要があります」


     ◇


 響き渡った銃声に、意識が覚醒すると、直前までの記憶が蘇り、重くのしかかっていた倦怠感を自覚する。


 床にくの字になって倒れている夏目の目の前には、曇り空が広がっていた。そこへ戦闘機が二機、並んで飛んでいくと、冷たい空気が全身を殴りつけてきた。


 目だけを動かして、記憶と現状の差異を埋め合わせてみる。吹き飛ばされた壁の残骸と窓ガラスの破片が床中に散らばり、署長らしきものの下半身が上体の名残とともに、奥に転がっていた。


「――本部へ。警官を射殺。武器を持っていた」


 足音とともに、ロシア語が近づいてきたのを認めて、息を殺す。


『武器を持っている警官は投降しないのなら発砲しても構わないが、市民への発砲はしないように』


「了解」


「嘘の報告は控えろ。バレたら面倒なことになる」


「嘘は言ってねぇだろ? 家の鍵でも武器になるんだからよ」


 足音と声は二つ。割れたガラスの破片を踏みしめ、近づいてくる。


「生きてる奴はいるか?」


「いや、いなさそうだが……」


 床に頬をつけたまま、辺りに手を伸ばして、手のひらに収まる大きさの瓦礫を握りしめると、目を閉じて気絶を装う。


 足音は横たわる夏目の傍まで来ると、脇腹を踏みつけてきた。夏目は呻いて目を開け、敵を見定める。


 空挺軍の迷彩戦闘服の上に防弾ベストを着込んだ若いロシア人だ。得物のAK-12の銃把を握り、槍のような銃口は夏目の背の後ろを向いている。


「おい、こいつ生きてる――」


 ロシア語が紡がれると同時に、夏目は左手で被筒を掴み、横たえた身体を引き上げ、自分の方へ向いた相手のこめかみを瓦礫で殴りつけた。


 通路にいたもう一人のロシア兵が、AKの銃口を向けて、引き金を絞る。横殴りの一打で卒倒したロシア兵を盾代わりに、三発の銃弾を防ぐと、夏目は瓦礫を捨てて92式拳銃を引き抜く。


 両足めがけ三度、引き金を絞る。二発が右膝に食い込み、一発が左足の甲を貫くと、ロシア兵は前のめりに倒れる。


 盾代わりにしたロシア人は既に息絶えている。夏目は死体から手を離すと、駆け寄ってくる足音を聞いて踵を返す。


 吹き飛んだ壁から飛び降りる。応接室は二階。すぐ下にはパトカーが停まっていて、屋根に着地し、地面へ降りて、休む間もなく走り出す。


 応接室からロシア兵が銃撃し、足下の砂利を抉る。


 夏目は裏庭の柵を飛び越えると、民家の脇に停められていたミニバンの陰に隠れた。銃弾は相変わらず追ってきて、車体に容赦なく殴りつける。


 頭上の窓ガラスが割れ、降ってきた破片を払い除ける。銃撃が落ち着くと、辺りに蠢く重苦しい騒音に気が向いてしまう。


 ロシア軍の装甲車が道路を闊歩し、上空の輸送機から空挺軍がパラシュートで降下してくる。攻撃ヘリがミサイルを発射し、遠くから爆発音が届く。


 スマートフォンを取り出すが、圏外になっていて、仕堂達と連絡を取ることはできそうもない。時刻は十三時。応接室の爆発で意識が飛んでから、三時間ほどが経過している。


 夏目はスマートフォンのカメラを起動すると、インカメラに切り替えて、車体の陰からそっと突き出す。


 スマートフォンの画面越しに見る警察署は、壁に大穴を空けて、紛争地帯の廃墟のように変わり果てていた。先制攻撃のために巡航ミサイルが撃ち込まれたのだろう。九死に一生を得たことを自覚して肝を冷やすが、先ほどまで銃撃してきたロシア兵の姿はなく、安堵する。


 夏目は深呼吸を一つすると、中腰のまま住宅地を川沿いに走り出す。


 ロシア軍が内陸の中標津まで来ているということは、ミサイル攻撃で沿岸部の軍事拠点は壊滅しているだろう。電波状態からして、通信設備も破壊されたと見るべきだ。


 遠くからは銃声や爆発音がちらほら聞こえる。散発的ではあるが、軍が抵抗しているようだ。援軍が到着しなければ、それもいつまで持つか怪しい。


 無人の通りへ出ると、離れていく装甲車の後ろ姿が見えた。歩兵の姿はなく、代わりに憲兵の死体が二つ、路肩に停まった軍のトラックの傍に転がっている。


 夏目はトラックに駆け寄って陰に隠れると、死体から92式拳銃の予備弾倉を二本拝借する。


「っ!」


 立ち上がろうとしたその時、頭上を銃弾が通り抜けて、トラックの窓ガラスが砕け散った。


「動くな! 銃を捨てろ!」


 空挺軍のロシア兵が三人、AKを手に駆け寄ってきた。夏目は拳銃を地面に置いて、両手を挙げる。


「跪け! 早く!」


 中腰のままの足を蹴られ、地面に膝を突かされる。兵士の一人がジャケットの中に手を入れてきて、夏目は顔を顰めながら下を向く。


「こいつ、警察か?」


 内ポケットから手帳が引き抜かれる。ロシア兵は顔写真付の身分証を、仲間内で見せ合う。


「公安庁の捜査官よ」


 夏目は下を向いたままロシア語を紡いだ。


「私は文民だから、銃を向けるのは条約違反になるわよ」


「お前、さっき警察署から逃げた女だよな?」


 年長の兵士が目敏く訊いて、腰のホルスターからマカロフを引き抜く。


「お前のせいで仲間が死んだ。もう一人も足に大怪我を負ってる。お前は陸戦条約上の戦闘員だ。そうだろ?」


 スライドを引き絞り、銃口を夏目の頭に宛がう。


 銃声が響いて、歩兵が頭を殴られたように背中から倒れる。


 三発続いて、夏目の背後に立っていた兵士が弾き飛ばされる。自動小銃を手にした人物を夏目が認め、残る一人もそれに気づいて、離れた敵に銃口を向ける。


 夏目は歩兵の膝に後ろから蹴りを叩き込んだ。アスファルトに膝を突くと、背後から首に肘を入れて締め上げる。ロシア兵が肘を脇腹に叩き込んでくるが、怯まず頭を左手で押さえ、右に捻る。鈍い音と骨の砕ける感触とともに、ロシア兵は脱力した。


「桐生さん!」


 夏目が脇腹を押さえながら膝を突くと、AKを手にした芦川少尉が駆け寄ってきた。


「怪我は?」


「大丈夫です、助かりました」


 脇腹を押さえながら答えた夏目に、芦川は一先ず安堵する。


「でも、どうしてここに?」


「事情は後で。ここじゃまた見つかってしまうし、離れないと。立てますか?」


 地面に置いた拳銃を拾い、夏目は芦川が差し出した右手を掴んで立ち上がった。


     ◇


 やっと手に入れた休憩時間を巡航ミサイルで吹き飛ばされた仕堂と護藤の気分は最悪だった。おまけに、押し入ってきて良い年頃の女子大生がフランス語で話しかけるなり、慰安婦か何かと誤認して店内で行為に及ぼうとすると、いよいよ我慢も限界を迎えた。


「これで分かったろ? ヨーロッパが洗練された文化先進国なんてのは大嘘なの。こいつら自分達以外は人間だと思ってない、米帝よりヤバい奴らだから」


 護藤と一緒に、店内でロシア兵五人を仕留めた仕堂は、座敷で泣きじゃくる瑞希にそう言った。


 店内の包丁と官給品の特殊警棒で、発砲されるより前に制圧できたおかげで、外の兵士には気づかれていないが、バレるのも時間の問題だろう。


「お母さん、ちょっと」


 頭を叩き割られて息絶えたロシア兵からAK-12を剥ぎ取り、護藤はバックヤードから出てきた店主の女性に駆け寄る。


「俺ら中標津に行ってくるから、ここの始末を頼みたいんだけど、この辺にロシア語話せる人っている?」


「交番のお巡りさんがロシア語話せたはずだよ。よくロシア人の観光客に道案内してたし」


「じゃあそいつで良いや。そいつに通訳してもらって、店に隠れてた公安が兵士を殺したって、ロシア軍に言っといて」


 そう言って、護藤は自分の手帳を入れたジャケットを店主に差し出した。


「自分達は公安に脅されて、匿わされてたって言うんだよ。じゃないと共犯だと疑われちゃうから」


「分かった。娘を助けてくれてありがとね。何とお礼を言えば良いか……」


「市民を守るのが警察の仕事なんで。おい仕堂!」


 振り返って、仕堂の方へ向き直る。仕堂も首を刺されたロシア兵の死体から、擲弾発射器を装着したAKを剥ぎ取っていた。


「中標津に行くぞ。班長と合流しないと」


「良いけど、どうやって行くよ? 車ないと三時間はかかるだろ」


「歩くしかねぇよ。車なんて悪目立ちするんだから」


「そりゃそうだな。まぁ、遠足だと思って楽しもうぜ」

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