世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第34話

公開日時: 2021年6月7日(月) 02:39
文字数:5,217

「ごめんなさいね、面倒事を押しつけてしまって」


 本館二階に用意された控え室を出ると、通路で待ち構えていた女がユリスに声をかけた。


 尤も、性別は飽くまで見かけ上の話だ。腰までまっすぐに伸びた艶やかな黒髪に化粧せずとも映える白い素肌、丸みを帯びた小顔に、口許の黒子と貞淑さを醸す垂れ目。ユリスよりも頭一つ背が低く、華奢で、人形のように和服を着こなしている。


 日本人の理想のような女性の皮を被り、鈴の音のような軽やかで綺麗な声を奏でるその正体は、新世界西方を支配した魔族で、今は牧島家に仕える護衛の一人・クロナだ。


「今日はどうにも、肌のノリが悪いの。下手に暴れると、惣助に恥をかかせてしまうわ」


 そう言って、目許の辺りに鋭い爪を立て、横になぞる。白い肌がメッキのように剥がれると、その下に隠れていた黒い肌が姿を表す。焼け爛れ、艶を失くし、乾ききったそれは、米帝の水爆によって刻まれた敗北の証だ。


 クロナは今でこそ、華族の護衛という立場に甘んじているが、ほんの半世紀前まではユリスも知る凶悪な魔族だった。


 ユリスが騎士となってから、この化け物に滅ぼされた国は少なくとも三つあり、それ以前から数えれば八つは下らない。その手にかけた人間やエルフ、ドワーフや獣人の中には、キーファソにもよく知られた名将や豪傑が多く名を連ねていた。全身から邪龍すら死に至らしめる毒を分泌し、西方の呪術を心得て、魔神が自らの骨で作り与えたという魔槍を振るい、その姿は悪鬼と恐れられ、周辺国の対魔同盟結成を促すほどだった。


 それほどの怪物すら米帝は屈服させ、致命的な後遺症を刻み込んだ。


 今のクロナの実力は、全盛期の半分にも及ばない。全身を焼かれたせいで毒を分泌できず、体内に溜まるばかりで、それを透析によって定期的に除去しなければならず、放射線と重度の火傷の影響で、皮膚から魔素を身体に取り込むことができなくなり、一日二回の注射が欠かせない。そんな有り様だから体内の魔素に依存する西方の呪術など使うほどの余力はない。得物だった魔槍も、水爆に焼かれて灰になってしまった。


「お気になさらず」


 ユリスはそう一礼して、廊下を歩いていく。


「それより、相手方について何かご存知ですか?」


「キーファソの騎士ともあろうものが、そんなことを訊いちゃうの?」


 いちいち性格の悪さが滲み出るのは、魔族の性か。ユリスは構わず、


「相手を知らなければ、有効な手立てが打てません。魔族相手となれば、相応に覚悟が必要ですしね」


「それもそうね。まぁ、安心して。相手は人間よ」


 クロナは肩を竦める。


「大貫や御法川みたいなのは、魔族やドワーフは雇わない。堂上華族のプライドなのか知らないけどね。ユリスみたいなワケありや魔族私達を雇うのは、大抵開拓華族よ」


「なるほど」


「ちなみに相手方は、ランリファスから亡命した剣士の孫で、清華大学卒のエリート。あなたにぶつけるためにわざわざ雇ったみたいね」


 楽しげに笑って話すクロナに、ユリスは小さくため息を吐く。


「意味のないことのために大金を叩くのは、どこの貴族も変わらないようですね。市井の人々が見たらどう思うか」


「少なくとも連中からすれば意味はあるわよ。堂上華族あの人達の盟主・稲木家を没落させた元凶を辱しめて、上手くいけば殺すことだってできるかもしれないんだから」


 大貫から貸し与えられたのは、新世界製の真剣。何のつもりか、グラディアの王立騎士団が採用していたものだ。騎士団が解体され、警察や軍の装備を近代化させつつあるあの国から、こうした代物を手に入れるのは容易かったのだろう。


 こちらが真剣なら、相手もまた然り。この決闘には飛び道具や魔法を使わないというルールがある一方、相手が死んでも一切を不問にするという不文律も存在する。連中の狙いは見え透いていた。


「相手がそのつもりでいるようなら、あなたもそうしなさい。私なら、迷わずそうするから」


「あまり迷惑になることはしたくありませんが、仕方ありませんね」


     ◇


 パーティの主役である天城茉華は、壇上で繰り広げられる人間同士の決闘を、取り巻きに囲まれながら遠い目で見つめていた。


 気品ある銀髪をじゃじゃ馬のように跳ねさせたセミショートの髪型は、六十を過ぎた年齢に反して若々しさを感じさせる。対して、無駄なく引き締まった肢体を包む紫紺のスーツには、年齢相応の落ち着きがあり、格式高い公爵家の当主としての威厳も兼ね備えていた。


「人間同士の決闘となると、どうにも迫力に欠けますな」


 彼女の心境を見透かしたように、隣に立っていた文部大臣の古川が言う。


 まもなく、人間の一人が剣を落として喉元に切っ先を突きつけられると、そこで決闘の勝敗が決した。


 天城のテンションの低さは会場の全員が共有していたらしく、沸き起こった拍手も申し訳程度の低調なものだった。


「これならやる必要なかったでしょう」


 拍手が呆気なく静まり、そそくさと舞台袖に下がる演者二人を見送りながら、天城が毒吐く。


「今のは前座に過ぎません。この後が本番です」


 古川大臣が楽しげに耳打ちする。同じ大名華族で同年代なだけによく知る間柄だが、この老人の決闘好きには天城も半ば呆れていた。


「この催しはどなたの主催で?」


「大貫卿ですよ」


 堂上華族の重鎮であり、この木曜会の幹事役でもある大物。宮家とも繋がりを持つ血統と、貴族院の役目を果たす自覚は立派なものだが、市井を顧みない奢った性格故、政権ポストには就かせなかった男だ。


 尤も、現代の議会制民主主義を衆愚政治としか見ていない彼やその取り巻きにとってみれば、衆議院議員達の意向ありきの大臣職など、願い下げだろうが。


「聞き及ぶところによると、ランリファスの剣士とキーファソの騎士の決闘が催されるとか」


「どこでそんな人材を探してきたのでしょうね」


 今は無き新世界の二大国。その象徴たる剣士と騎士の戦いとなれば、多少は暇潰しにもなるだろうか。


 そんなことを考えながらワインを一口含むと、次の対戦カードが壇上に現れた。


 黒のスーツを着たエルフと、白銀の甲冑を着込んだ剣士。片や中古の細い剣、片や大木も斬り倒せそうな大剣。明らかに、エルフが不利だ。


「やっちまえ、カンプル!」


 前座とは明らかに見栄えの違う対戦カードに、ざわめく会場。その最前列から、一際耳につく野次が飛んだ。


『続いての決闘は、大貫公爵家に仕えるシェレビィ・カンプルと、牧島侯爵家に仕えるユリス・ゲンティアナの一戦です』


 進行役の男が、軽妙な口振りで二人を紹介する。バラエティ番組の司会として名の知れた芸能人とあって、その語り口は滑らかだ。


『シェレビィ・カンプル氏は帝政中華の生まれ。本国の清華大学にて哲学を修めた後、帝政中華陸軍に入隊。八年間の軍務を経た後、大貫公爵ご本人に招聘され、一月より現職です。お祖父様はランリファス帝国の軍人として多くの武勲を挙げた名将として知られ、ご自身の剣術のルーツとも語っておられます』


 頭のてっぺんから爪先まで、剣士を覆った白銀の甲冑は、年季の入った鈍い光沢を纏っている。恐らくはその祖父から譲り受けた代物なのだろう。


 紹介を受けた剣士は、挨拶代わりとばかり、大剣を振るう。その威圧感に会場は盛り上がり、そこかしこから野次が飛び交う。


『対しますユリス・ゲンティアナ氏は、キーファソ王国の生まれ。幼い頃より騎士を志し、王国の騎士となった後、米帝との戦争を経て、当時のグラディア王国へ亡命。その後、牧島侯爵に招聘され、一月より現職です』


「あのエルフ、例の……」


 文部大臣の呟いた言葉に、「あぁ」と天城も察した。


 昨年、グラディア王国で起こった政変。そして、自らが総理大臣となる原因となった大椿事。その中心人物だったエルフの騎士が、内務大臣の伝で華族に雇われたという話を、今さらながらに思い出した。


「なるほど、これは大貫卿の意趣返しの場ですか」


 天城は続いて、つまらなさげに呟いた。


「片や不相応な出で立ち、片や鉄の甲冑。結果は明白ですな」


 あのエルフはここで殺される。見え透いたこととばかりの古川大臣に、天城総理の態度は少し違った。


「そうですね。大貫卿も大人げないことをしたばかりに、恥の上塗りですよ」


「それはどういう……」


 文部大臣が聞き咎めたその時、会場に悲鳴と歓声が響き渡った。


 壇上では、甲冑の剣士が得物を振り上げたまま固まっていた。その喉元には、ユリスの細身の剣が中腹まで突き刺さり、うなじを貫いていた。


「あのユリス・ゲンティアナという騎士は、遠征騎士団の団長だったそうです」


 天城の言葉に、文部大臣の反応は鈍い。


「キーファソ王国にあった騎士団の一つですよ。性質は大韓帝国や米帝の海兵隊に近く、戦争となればどこへでも出陣し、一番槍として敵と戦っていたとか。その団長ともなれば、キーファソで五指に入るほどの実力者でしょう」


「しかし、それは何十年ものことですよ」


「彼女にとってはそうではないでしょう。大貫卿の手駒と違ってね」


 ランリファス帝国の将軍だったのは祖父であって、あの剣士ではない。言うなれば、あれはよくできた複製品であって、正真正銘の本物であるユリス・ゲンティアナとは、比べるべくもないのだ。


 ユリスが剣を引き抜くと、剣士はその力に引っ張られて、糸の切れた人形のように前のめりに倒れた。


 剣を一振りして血糊を払い、鞘に納めると、天城が拍手を贈る。取り巻き達がそれに続いて、広がっていく。ユリスは一礼して袖に退き、それを見送った天城は、反対側で顔を強張らせながら拳を握る大貫の姿を認めた。


     ◇


 記念パーティは主役の天城総理大臣の簡潔なスピーチで閉幕し、牧島家の面々も早々に帰路に着いた。


「ユリス、かっこよかったよ。 見直しちゃった」


 行きと同じアルファードの車内では、興奮気味の惣治が隣に座るユリスをやたらに褒め称えていた。


「大貫やつ、見た? すっごい悔しがって、こっちに顔も向けなくなって。ざまあみろだよ!」


「楽しんでいただけたのなら何よりです。しかし、お父様にご迷惑をおかけしてしまいました」


 相手を殺すのは不問とはいえ、基本的には命まで奪わないのが決闘の決まり事だ。それを始まってすぐに致命傷となる刺突を繰り出したことで、それを不愉快に思った華族が少なからずいたのは間違いない。


 会場を後にする折、御法川や他の大貫の取り巻きが、声を荒げて惣助に詰め寄ったことが、その何よりの証拠だ。


「気にしなくて良いんですよ、ユリスさん」


 そう声をかけたのは、三列目を占有する長女の晴子だ。こちらも惣治と似て、達成感に溢れた顔でスマートフォンを触っている。


「きっとお父さんも、内心してやったと思ってますよ。それに、あんな完全武装の甲冑相手だと、あれ以外に打つ手もなかったでしょうし、他の方達もそれを分かってたから、拍手を贈ったんですよ」


 ランリファスの鋼鉄の甲冑に対する攻略法で、魔法抜きとなるとユリスに採れる手段はあれだけだ。頭部を剣で殴って気絶させる方法もあるが、それができるのは男だけだし、グラディアの細身の剣ではそこまでのダメージは与えられない。


「それなら良いのですが……」


「ねぇ惣ちゃん、お母さんへのプレゼントなんだけど、これなんてどう?」


 晴子が身を乗り出して、惣治にスマートフォンの画面を見せる。


「お母さんにはエメラルドの方が似合うと思うけど」


「そんなことないわよ。ねぇ、ユリスさんはどう思う?」


 差し出された画面には、サファイアのネックレスが表示されていた。宝石といっても、〇・五カラットの小さなもので、華族家庭の子供二人なら小遣いと貯金で賄える価格だ。


「どちらでもお喜びになるでしょう」


「ユリスは固いなぁ。こういうのは似合うかどうかが大事なんだよ」


「どちらでもお似合いかと」


「何でそこで張り合うのよ」


 助手席の流音が惣治とユリスのやり取りに笑って、


晴華せいかさん、カイヤナイトがお好きなようですよ」


「え、そうなの?」


「こないだ電話で言ってましたよ。石言葉が素敵で気に入ってるんですって」


 二人の実母である牧島晴華は、北海道の牧島市で療養中だ。元々病弱だったところへ、一昨年に持病の喘息が悪化し、東京を離れて生まれ故郷に帰ることになったという。


 今週末に、惣助と惣治の二人で、晴華の見舞いに行くことになっている。ユリスや流音達も護衛のために同行するが、晴子は土日で共通テストの模試を受けなければならないため、今回は留守番だ。


「じゃあカイヤナイトの……これにしよっか」


 晴子が調べ直して、惣治に見せる。デザインはよく似ているが、宝石が大きく、その割に値段はかなり良心的だ。


「明日、珠子さんに買ってきてもらいましょう。お金は二人で半分ずつ。それで良い?」


「お姉ちゃんの方がお小遣いもらってるんだから、多めに出してよ」


「平等よ、平等」


「共産主義は良くないって学校で言ってたよ!」


「これは共産主義じゃありません!」


 傍で騒ぐ姉弟に、ユリスは思わず笑みを溢した。

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