世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第41話

公開日時: 2021年6月8日(火) 18:33
文字数:5,149

 新世ロシア帝国の帝都・アレクセーエフスクの首相官邸に、米帝本国から電話が入ったのは、早朝のことだった。


『さっき、日本の首相と電話会談をしてきた』


 皇帝の次男にして帝国宰相を務める老齢の紳士・トマスは、テレビ画面越しにアルバスに告げた。


「日本政府には何と?」


『軍事行動に対して、支援の用意があると伝えておいた。兄さんがうるさいからな。本命としては、平和的解決を求め、仲裁に入る意思があると言っておいた』


「そうか」


 アルバスは関心薄そうに頷いて、コーヒーを啜る。ミルクを混ぜたエスプレッソは、穏やかな苦味で頭を冴えさせる。


『だが大東亜共同体は、ロシアと太平洋連邦への報復を計画しているらしい。手の内は明かしてもらえなかったが、恐らく他の主要国とも根回しは済ませているぞ』


「ならウラジオストク辺りと、下手すれば太平洋連邦はまるごと落とされるな。日本の海軍と韓国の海兵隊を同時に相手にできるほど、あの国は強くない。持って三日だな」


『そんなことになれば、欧州連合も本腰を入れるぞ。小競り合いでは済まなくなる』


「少なくとも大東亜共同体の連中はそのつもりだろう。ただでさえ我々との戦争のついでで島を掠め取られて、そのまま講和させられていたんだ。そこへ今度は本土侵攻だぞ? どんな小国だろうと捨て身でやり返す」


『なるほど、兄さんが乗り気になるわけだ』


 辟易した様子でトマスが言う。


 皇帝の長男であるハロルドは、帝国軍全軍の指揮権を父親から委任されている。陸軍士官学校と戦略大学を卒業し、祖界と新世界の両方で最前線に立ち続けたことで、軍部からの信任も厚い。


『兄さんは、大東亜共同体と欧州連合が核の撃ち合いを始めるのを見越して、レコンキスタの発射準備を進めている。太平洋艦隊と大西洋艦隊に、海兵隊の出撃準備もな』


「二極が消耗したタイミングでの主力部隊による介入。世界の覇権は我々のものだな」


『つまり、次の皇帝は兄さんだ』


「最悪だな」


 吐き捨てたアルバスに、トマスは無言で首肯する。


「日本政府には講和するように働きかけてくれ。今回攻撃を受けているのは日本だ、当事者が矛を収めれば周りもそれ以上言うまい」


『あぁ、そのつもりだ。だがそれには、お前の計画を潰す必要がある。そっちは順調なんだろうな?』


「まだ何とも言えん。だが、もしもの時の身の振り方には備えてある、万事心配無用だ」


     ◇


「見覚えのある顔だと思いましたが、こんなところに来ていたのは想定外でした。ワッカナイがあなたの勤務地だったのでは? セイシロウ・アシカワ少尉」


 両手を後頭部に回して地面に座る芦川少尉に、迷彩戦闘服を着込んだ白髪のロシア人美女は流暢な日本語で問いかける。


 アパートから一区画離れた先にある、中古車販売店。ブラインドを下ろして、弾痕を穿たれたショーウインドウから隔絶した薄暗い店内では、ロシア軍の兵士八人に、夏目と芦川が取り囲まれ、尋問を受けていた。


「それに、こちらの女性は? 憲兵ではないでしょう?」


「公安庁の捜査官です」


 芦川と並んで、同じ姿勢を取らされている夏目は、女兵士に日本語で応じた。


「ウラジオストクのテロ実行犯が、この町に潜伏していると情報を得たので、こちらの芦川さんと二人で来たんです」


「たったお二人で?」


「えぇ。地元警察にも協力は要請してましたが」


「なるほど、なるほど……うーん、公安庁のことはよく知らないので、嘘か本当か判断しかねますねぇ」


 白髪のロシア女はわざとらしく唸りながら、腕を組んで悩む素振りを見せる。


「タチアナ、こいつらは何て?」


 夏目達の背後から、指揮官の男がロシア語で訊ねる。灰色の口髭と顎髭を蓄えた、熊が軍服を着たような大男だ。手にするAK-12は減音器とダットサイトに加えて、ドイツ製の擲弾発射器を取りつけているというのに、随分と軽そうに提げている。


「女は公安組織の所属で、ウラジオストクの件の捜査でこの町に来てたそうです。こちらの少尉殿は、その協力者のようです」


「そいつは憲兵だろ。何で公安に協力してる?」


「日本ではあるあるですよ。憲兵が公安のパシりとして、学生を殴り殺すのは日常茶飯事ですから」


 酷く好き勝手な誇張に、芦川は唇を噛む。夏目は目でそれを宥めて、


「私達もあなたに訊きたいことがあるんだけど、答えてもらえますか?」


 ロシア語で問いかける。


「あなた達、上陸部隊じゃありませんよね? どこの所属?」


 彼らが街中を闊歩していた陸軍や空挺軍とは違う部隊であることは、腕章から明らかだった。日本語をここまで流暢に扱える兵士がいることも、一般的な歩兵でないことの証左だ。


「この状況で訊くことがそれか?」


「この状況だからこそですよ。この後の身の振り方に影響しますからね」


「殺されると思っているのなら見当違いだ。良かったな」


 指揮官はインカムのスイッチを入れる。


「こちらチーグル01。司令部、デルタを確保した」


『こちら司令部。チーグル01、今どこにいる?』


「担当地域内だ。テロリストを捕まえにここまで来てたらしい。アレーニに取りに来させてくれ。我々は他の荷物を回収する」


『了解した。現在地の位置情報を送れ。八時間後に到着予定だ。上陸部隊には見つかるな』


「もう少し早く来れんのか?」


『無理だチーグル。アレーニの輸送ヘリがワッカナイで日本軍に撃墜された。部隊は無事だが代わりのヘリを用意するのに時間を要する。我慢してくれ』


「了解。通信終わる」


 苛立ち気味にやり取りを切り上げると、続けて部下に指示を出す。


「ヴォルグとワシリー、ボリスの三人は、アシカワと一緒にここで待機しろ。朝までにはマカロフの部隊が来るから引き渡せ。陸軍の奴らには見つからないようにしろよ。残りは俺と同行しろ。あんたもな」


 隊長は夏目を見下ろして言った。


「芦川さんをどうするつもり?」


「言っただろ。殺しはしない。危害も加えるつもりはない。まだ信じられんか?」


「せめてどこの所属かくらい教えてもらえます? 軍人のフリをしたテロリストの可能性だってあり得そうだし」


「どんだけ疑り深いんだ。ったくこれだから公安の類は好きになれん……」


 苛立ちながら頭を掻く隊長。


「桐生さん、大丈夫ですよ」


 芦川が夏目を落ち着かせようとそう言って、


「この人達はモスクワから派遣された空挺の特殊部隊スペツナズです。あの腕章、間違いありません」


「モスクワ? そんな遠くから、何のために?」


「そこまでは分かりません。でも、稚内で僕を探してたということは、目的は華族でしょう」


 この町にいる華族となれば、牧島卿を置いて他にいない。


「何だ、バレてたんですか」


 夏目に告げる芦川を見守りながら、タチアナは困ったように笑う。


「分かってたなら、もっと早く教えてあげれば良かったのに」


「あなた方の目的が分からない以上、下手に刺激したくなかっただけです。でも、わざわざモスクワから来て、少尉に過ぎない僕を暗殺するはずもないですよね? となると、あなた方を寄越した人達の意向としては、何らかの脅威から僕らを守りたいと考えている。間違ってますか?」


「タチアナ、こいつら何を話してるんだ? 訳せ」


 隊長が痺れを切らして問い詰める。


「私らの目的、バレてたみたいです。さすが、最前線に配置されるエリートは違いますね」


「何だそれ。またアシモフにどやされるぞ」


「まぁ良いじゃないですか。ワシリー達はアシモフさんのせいで、八時間もここで待たされるわけですからね。開き直って、こちらの捜査官に手伝ってもらえば」


 楽観的なタチアナに、隊長はため息吐きつつ、夏目の方へ向き直る。


「ならマキシマがいる病院まで、ついてきてもらおうか?」


     ◇


 アレクセーエフスクの首相官邸地下にある有事戦略会議室では、皇帝を筆頭とする国家首脳陣が一堂に会し、円卓を囲んでいた。


「マクドナルド大将、作戦説明を」


 円卓の上座、皇帝の隣に座る首相のアルバスに促されると、新世界の地図を映したスクリーン手前に座る老齢の黒人将校が応じる。


新世界フロンティアにおける軍事作戦は、三段階で実行します。第一段階は、接続主要都市への核による先制攻撃です。日本、中国、韓国、台湾に繋がる計十の都市に対し、第六世代核弾頭を搭載したコンクエスタミサイルを撃ち込みます」


 スクリーンの世界地図上では、グラディアの首都を始めとする大東亜共同体同盟国の主要都市に、新世ロシアのミサイル発射基地から線が伸びていく。


「これによって祖界からの派兵を妨害し、次の段階として軍事拠点を破壊します。標的は、大日本帝国海軍の拠点となっている軍港四ヶ所と、帝政中華陸軍の司令部六ヶ所、大韓帝国海兵隊の基地三ヶ所。これらに対して、同様にコンクエスタミサイルを投入し、軍の連携を破壊します」


「迎撃が想定されるだろう。ミサイルは何発使用するつもりだ?」


「六〇〇発を想定しています。一ヶ所に集中する火力としては、最大二十メガトンの試算です」


 アルバスの質問に答え、大将は最終段階の説明に入る。


「以上二段階を六時間で遂行した後、最終段階として大陸東部、西部、南部の三ヶ所から、陸軍による侵攻を開始します。作戦完了予定は、最終段階開始から一三八時間後の見込みです」


「大東亜共同体が祖界から再接続するまでの猶予は、どれだけかかっても七日程度だ。どこから来るか分からん、取りこぼすな」


「了解」


「陛下、何か質問はありますか?」


 隣席の皇帝・アレクサンドル四世に問いかける。父のアレクセイや祖父のニコライ二世のような温厚さより、曾祖父のアレクサンドル三世のような威厳を備えた顔立ちと背格好で、アルバスよりも頭一つ座高の高い大男だ。


「これは最終手段と考えて良いのだな?」


 釘を刺すような問いに、アルバスは首肯する。


「陛下のお考えの通りです」


「ならば良い。私は飽くまで、平和を望む。だが、この帝国に住む臣民のため、最善がこの破壊というのであれば、私の名の下に命じることとする。以上だ」


 そう言い残すと、皇帝は立ち上がって、閣僚とともに会議室を後にする。部屋に残る者達は一様に敬礼し、その後ろ姿を見送った。


「アル、本国は何と言ってきている?」


 皇帝の後に続いて部屋を出たアルバスは、通路を歩きながら話しかけられてそれに応じる。


「ハルがミサイルの発射準備を進めている。トマスには日本政府を説得してもらっているが、このままでは介入せざるを得ん」


 皇帝は苦い顔をしたまま、


「彼女から連絡は?」


「まだだ」


「そうか。進展があったら教えてくれ。こんな戦争、できるなら避けたい」


「分かっている」


 地上へ繋がる階段のところで、アルバスは着信したスマートフォンを取る。


「私だ。……あぁ、サンドラか。久しぶりじゃないか」


 階段を昇っていく皇帝の一団に手振りで断りを入れ、列を離れて通路を進む。


『ご無沙汰しております、殿下。お変わりはありませんか?』


「こっちは相変わらずだよ。だがまぁ、ニューヨークよりは良い。あそこはギスギスしていて息が詰まる」


 電話をかけてきたカーツワイル伯爵夫人に、社交辞令めいたやり取りで応じつつ、用件を訊ねる。


「今日はどうした? パーティの誘いかね?」


『主人が昨日から帰ってきていませんの。殿下なら何かご存知かと思いまして』


「あぁ……恐らく、皇宮で缶詰にされているんだろう」


 心当たりを述べて、笑みを取り繕いながら、部屋の前で立ち止まる。


「ロシアが日本と小競り合いを始めただろう? その件に絡んでのことだ。中央情報局CIAの長官なんだ、仕方あるまい」


『あら、そうでしたか』


「きっとハルにこき使われているんだろう。なに、もうすぐ落ち着くはずだ」


 夫人を宥めて、ドアノブを回す。


「まぁ一晩待っても帰ってこないようなら、私の方から皇宮へ取り次ごう。じゃあ、気をつけて」


 電話を切ると、アルバスはテーブルに着いて、向かいに座るカーツワイル伯爵と向き合う。


「サンドラが君のことを心配して電話をかけてきた。良い奥さんだ。もう会えないのは寂しいな?」


 後ろ手に手錠をかけられた半裸の伯爵は、ゆっくりと顔を上げる。右目は開けなくなるほど腫れ上がり、前歯は欠け、唇が内出血し、シャツには血痕がいくつも付着していた。


「いい加減、全部話して楽になれ。君だって私の下で働いて長いんだ。これからどうなるかくらい理解してるだろう?」


「あなたは私を殺す」


「あぁそうとも。手足と首をバラバラに切り刻んで、君の領地の街中に晒してやる。ザナヴォ・カルテルらしくて良いだろう?」


 興奮するでも、焦るでもなく、ただ仕事の予定を告げるかのように淡々と、アルバスは告げた。


「だがそれを生きたままやるか安らかに死んだ後やるか、君一人にするか家族全員一緒にやるかは、これからの君次第だな」


 カーツワイル伯爵の視界が、恐怖に歪む。アルバスはそれを見透かして、静かに笑みを浮かべた。

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