サロサタワー正面エントランス前の通りに、二台の装甲車が停まった。
後部ハッチが開くと、UZIを提げた紺地の戦闘服姿の一団が駆け降りてきて、まっすぐにエントランスへ走っていく。
「憲兵隊だ、退きなさい!」
高圧的な言葉を振り撒いて、観光客を隅に追いやり、正面玄関を潜る。
「何だ、貴様ら!」
叫んだのは警備の一切を任されている騎士長だった。一団を率いるのが、昨日本部で対面した憲兵隊少佐だと知るや、その威嚇の矛先を彼に向けた。
「今日は記念すべき式典の日だというのに、何のつもりだ?」
「式典は中止だ」
少佐が静かに告げ、そしてエントランスに響くよう声を張る。
「大日本帝国内務省の要請に従い、これよりこの建物は憲兵隊の管理下とする。観光客は速やかに退避し、職員及び王立騎士団は我々の指示に従え。抵抗の意思を見せた場合、発砲する」
「ふざけるなよ貴様ぁ!」
騎士長が吼え、剣を抜く。
と、少佐の脇に控えていた隊員が二人、騎士長に銃口を向ける。そして騎士長が怯むことなく一歩踏み出した瞬間、それぞれ三発胴体に撃ち込んだ。
鳴り響いた銃声とともに、エントランスの観光客がパニック状態に陥る。と同時に、背後に控えていた二十名足らずの隊員が、外へ出ていくよう怒号を上げる。
「武器を捨てろ! これは虚仮脅しではないぞ!」
床に倒れて血溜まりを広げていく騎士長を、他の騎士達は呆然と見下ろしていた。やがて隊員達が銃口を向けて威嚇すると、すんなりと手を挙げて膝を床につく。
「一班は入場者の避難誘導、二班と三班は一階の制圧。急げ!」
少佐の指示とともに、部隊が散開した。
◇
サロサタワー上層部の大広間と、最上部の宮殿とは、エレベーターと非常階段で繋がっている。
バロラ・ハイサは部下二人を率いて、サロサ八世とエレベーターホールまで到着していた。宮殿に通じる専用エレベーターは、バロラが押すと同時に開き、金箔で覆った広い空間が姿を表す。
「あの者達め、絶対に許さぬ。共生省の役人どもに言って、救援を寄越すよう伝えろ!」
「はっ!」
怒り心頭の国王の命令に、バロラ・ハイサが力強い相槌を打つ。
「私は新宮殿に避難する。その間に奴らを全員引っ捕らえろ! 全員まとめて公開処刑に――」
華美なエレベーターに乗り込んだ国王の声に、騎士の断末魔が重なった。
バロラ・ハイサが振り返ると、同伴させた騎士が、今まさに斬り伏せられたところだった。下手人は、王国の剣を手にしたユリス・ゲンティアナ。殺意に染まったその目は、まっすぐにサロサ八世を見据えている。
「ひっ……」
国王が息を飲む間に、斬りかかったもう一人の騎士が斬撃を弾かれ、腹を突かれて呆気なく崩れる。透き通る刀身を一振りして血糊を払うと、ユリスはエレベーターめがけ駆け出した。
「さ、さっさとあの女を殺せ!」
エレベーターのドアを閉めようと、ボタンを何度も叩きながら叫ぶ。
「止まれゲンティアナ! この国賊め、私が直々に手を下してくれる!」
バロラ・ハイサが立ち塞がり、剣を抜く。ユリスは団長に一瞥だけ繰れて、すぐにその背後の閉まり始めたドアに関心を戻す。
「死ね、売女ッ!」
間合いを詰めてくるユリスに狙いを定め、剣を振り抜く。
横薙ぎの一閃。名門一族の当主に相応しい、重く鋭い一撃は、異国のエルフの一振りで呆気なく弾き飛ばされ、床に突き刺さった。
「な――」
何か言葉が漏れかかった次の瞬間、バロラ・ハイサの視界に入ってきたのは、切っ先を引っ込めたユリス・ゲンティアナと、獣のような鋭さをまとった、彼女の蒼い瞳だった。
陽光で輝く切っ先が、自身めがけて伸びてくる一瞬の間で、バロラ・ハイサは幼少期に教わった異国の剣士の戦い方を思い出した。
遥か東の地にある人間の国は、製鉄の技術に優れ、それによって剣も弓も通さない鎧を作り出した。その国と対立するエルフの大国の戦い方だ。
攻撃を寄せつけない鎧に、エルフが立ち向かった方法は二つ。男は剣で鎧を殴り、その衝撃で相手を気絶させた。そして女の戦士は、頭と胴体の間にある僅かな隙間に剣を通し、首を串刺しにした。魔法によって力を得れば、鎖帷子を断ち切ることは容易く、それによって人間の国は、エルフの国だけは侵略できなかったという。
かくして、キーファソの女性騎士が得手とする刺突は、正確にバロラ・ハイサの首を貫いたのだった。
剣を引き抜き、白眼を剥いて血の混じる泡を溢す団長を引き倒す。憎悪すら帯びたユリスの目は、ドアを閉じる間際のサロサ八世の、怯えきった顔が写った。
「あぁぁぁぁッ!」
仕留め損なった怒りで吼え、閉じたエレベーターのドアを殴りつける。残された僅かな理性が閃いて、すぐさまエレベーターの行き先を見上げる。
ランプは上階へ向かっていることを示している。籠城でもするつもりなのだろう。
ユリスは振り返り、通路を見渡す。斬り伏せた騎士二人と、首の穴から血溜まりを広げていく団長が視界に飛び込むが、関心を向けることはない。やがて上階へ繋がる非常階段の扉を見つけると、それを乱暴に押し開いて、階段を駆け昇っていった。
◇
上層部は大広間と議場から成り、国王以外の者が利用するエレベーターは議場のある下層に配置されている。
階段を使ってエレベーターホールまで降りてきた稲木筆頭政務補佐官の頭は混乱していた。目の前で急転し続ける事態に、理解が追いついていないのだ。
だが一つだけ確かなのは、ここにいては決して安全ではないということ。国王とははぐれてしまったが、この際どうでも良い。あのテロリストの手から逃れることが最優先だ。
「動くな!」
ボタンを押して、エレベーターが昇ってくるのを認めた矢先、背後から威圧的な声がかけられ、背中に殺気をぶつけられて堪らず振り返る。
「身柄を拘束します。大人しくしなさい」
桐生夏目がそこにいた。自動小銃を向けて、敵愾心を隠そうともせず睨みつけてくる。その様が堪らなく不愉快だった。
「もうあなたは公安庁の捜査官じゃないのに、何て身の程知らずな物言いなのかしら」
「身の程知らずはどちらでしょうね。あなたこそ、いつまでそんな態度を続けるつもりですか?」
夏目の態度が神経を逆撫でし、筆頭政務補佐官の顔が強張る。
「テロリストが偉そうに……米帝が流した武器まで使って、もう立派な国家の敵じゃありませんか。同僚に拷問されるのはどんな気持ちなのかしら? 楽しみねぇ」
「国家の敵はあなたの方でしょう、稲木さん」
挑発に挑発を返す夏目。
「はあ? 一体何のことだか……まさか、あなたも下らない新聞のような共生省批判を述べるつもりですか? 全く、平民はどれほど頑張っても、やはり平民でしかな――」
「フロレスタ観光」
不愉快な口答えを、夏目はホールに響く声で遮った。
「ご存知ですよね? この会社のこと」
夏目の問いかけに、目を丸くしていた稲木の顔が青ざめていく。
「もう全部知ってますよ。兼久一家との繋がりも、金の流れも、全部。もうあなたは終わりです」
エレベーターが到着し、ドアが開く。
その時、稲木の目線が一瞬だけ背後を向き、そして口許が微かに笑みを見せたのを、夏目は見逃さなかった。
「でえぇぇぇい!」
「ッ!」
大剣による下から薙ぎ払うような一太刀。夏目は反射的に、自動小銃を盾にした。
銃身が深々と切り込まれ、細かな部品を臓物のように散らしながら、後方へ弾き飛ばされる。使い物にならないことは明白だった。
「せあぁぁぁッ!」
野太い声で吼えるロルカ・タギカが、大剣を振り下ろすと、夏目は咄嗟に後ろに跳んだ。
「副団長、テロリストの始末、よろしくお願いしますね」
稲木はそう言い残すと、小走りでエレベーターに乗り込む。
「ッ……待て!」
逃げ込む稲木に夏目が叫ぶ。
だがロルカ・タギカが大振りな追撃を仕掛けると、それをかわすために後方へ跳ねざるを得ず、ドアが閉まってしまう。
「くそっ!」
苛立ちを吐き捨てて、目の前の大男と対峙する。
右の頬に大きな切り傷を刻んだ精悍な顔つきは、まさに戦士のそれだ。獣染みた剣呑な空気を帯び、大剣はさながら牙といったところか。
「であぁぁぁぁ!」
咆哮と同時に、剣を振り上げる。大振りの一太刀は、まともに受ければ胴体ごと縦に真っ二つだ。
剣を振り上げたのなら、振り下ろせなくするまでのことだ。
夏目はその瞬間、一気に間合いを詰めた。後退か、何かしらのカウンターを見越していたロルカは一瞬判断が遅れ、その刹那の間に、夏目はがら空きの顎に下から掌底を叩き込む。
急所の衝撃に、振り上げた両手が微かに緩む。夏目は拳を作って、脇腹を狙う。
だが鍛え抜かれたロルカ・タギカの精神は、夏目の痛打を凌駕した。
脇腹を狙った拳がロルカ・タギカの手のひらに捉えられる。しまったと夏目が悟った次の瞬間、右の頬に鈍痛が走り、弾き飛ばされた。
「っ……!」
柄の底で顔面を殴りつけられ、口の中に生暖かい水気が、痛みとともに広がっていく。
目を開けることすら躊躇われる苦痛を、床を殴りつけて押さえ込み、前を向く。大剣は今度こそ獲物を仕留めようと振り上げられ、その持ち主たるロルカ・タギカは、雄叫びを上げながら迫ってくる。
夏目は後方に手を伸ばした。何の策があるわけでもなく、ただ逃げるために、床に打ちのめされた身体を這うための悪あがきだ。
だがそれが思わぬ糸を手繰り寄せた。
触れた硬い感触。それを掴んで引き寄せ、抱き締めるように抱える。
銃身中腹部を深々と切られたM4は、最早銃弾を放つことのできないガラクタだ。だが、フロント下部に取りつけられたM203グレネードランチャーには、傷一つついておらず、そして幸いなことに、榴弾を詰めている。
夏目はM4の銃身を脇に抱え、グレネードの引き金に指をかけた。自動小銃が使い物にならないと読んでいるロルカ・タギカは、それを虚仮脅しと断じて足を止めない。
そして次の瞬間、夏目は引き金を絞り、榴弾が発射された。
近距離での炸裂に、顔を背け、熱を肌に感じる。
爆煙が流れていき、ロルカ・タギカが膝をつく。首元で炸裂した榴弾で、頭は獣に齧り取られたかのように吹き飛び、両腕も左右にちぎれ飛んでいた。
悪趣味な彫刻のような有り様で倒れた副団長を見届け、夏目は緊張が抜けていくのを感じ、同時に殴打された顔面の痛みがぶり返してきたのを自覚した。
「痛っ……もう……」
頬の腫れはかなり酷いし、口の中が切れて、止めどなく血が漏れ出てくる。唾と一緒に溜まったそれを吐いてみると、まるで末期の病人のような有り様だった。
「鎖地さんに感謝しないと……」
上体を起こして座り、そんなことを呟いた矢先、エレベーターのドアが開いた。
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