世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第11話

公開日時: 2021年5月15日(土) 22:39
文字数:4,796

「――先ほど部長を通じて、外事部から情報提供があった。トルコとイスラエルが、欧州連合加盟国へ向けた攻撃準備を進めているそうだ」


 山谷から戻った夏目と小会議室で相対し、磯村はいつも通りの語調で告げた。


「中国政府がイランとの間で、領空通過の合意を得たとの情報もある。トルコに派兵するための準備だろう。ブラジルに駐留する国防軍の艦隊も、欧州への出撃に備えていると聞く」


「共同体としては、もう開戦の意思を固めたみたいですね」


「残念なことにな」


 神妙な面持ちの夏目に、磯村は相槌を打ち、


「だが、我々の捜査はまだ終わっていない。大臣も早期の真相究明を望んでおられる」


 それは内務大臣としての面子のためだろうが、内務省の職務が多岐に亘る分、内務大臣は責任も重い。手に入りそうな実績を求めることを批判するのは酷だろう。


「ゲンティアナ管理官を拉致された事実は確かに痛手だが、それだけ核心に近づいているともいえる。管理官を拉致した元部下の青年は、間違いなく一連の事件の実行犯と繋がっている」


 磯村の言葉に、夏目は暗黙のうちに同意する。


「少なくともタイムリミットまでに実行犯を捕らえることができる最後のチャンスとなるだろう。失敗は許されない。今後の対応はどうするつもりだ?」


「現在第二図書課に、首都圏全域の防犯カメラを洗ってもらっています。対象は昨夜午後九時頃に、南千住を走っていた白のワゴン。第二図書課からは、三時間で結論を出すと聞いています」


 図書部は公安庁を社会警察たらしめる基幹部門だ。手紙に電話、メール、SNSと、あらゆる情報媒体を監視対象とし、時に非合法な手段を用いて事実を追求する。その緻密さは特別高等警察の時代から変わらず、情報技術で他国の後塵を拝しがちな日本の組織にあっても、常に最新の技術を取り入れ、情報戦の最前線に立ち続けている。


 彼らからすれば、首都圏全域の防犯カメラに映り込んだ車の追跡はありきたりな調査要請だ。三時間という提示も、彼らの能力を加味すれば現実的な工数だろう。


「お前が捕らえた拉致実行犯の友人は?」


「仕堂くんと護藤くんが、病院で事情聴取を行っています。さっき電話で聞いた話だと、ご家族がカンカンになっているそうです」


 他人事のような物言いになってしまったが、磯村は意に介することなく、


「放っておけ。あの一帯が共和主義者の拠点になっているのなら叩き潰す必要がある。容赦はするな」


「分かりました」


 課長への報告は一旦終わりを迎えた。


 時刻は午前九時。



     ◇



『――何とか事情聴取終わりましたよ。いやぁ、疲れました』


 自席に戻った夏目は、携帯電話越しに仕堂の疲れた声を聞いて静かに笑った。


「相当疲れてるわね。声で分かるわよ」


『そりゃもう、奥さんぶちギレてましたからね。護藤なんかバッグで何回殴られたことか。あ、でもお子さんはかわいかったですよ。警察大好きらしいです』


「悪かったわね。逃がすわけにいかなかったとはいえ、撃ったのは軽率だったわ」


『いやいや、逃げようとしたらそりゃ撃ちますって。急所に当てずに捕まえられたんだから、結果オーライですよ』


 緊張が続く状況の中だと、仕堂の楽観的な物言いは数少ない救いになる。


「ありがとう。それで、分かったことは?」


『ご主人は元々あの町の生まれで、喫茶店も親から継いだものらしいです。奥さんは幼馴染みで、お子さんは来年小学校入学だそうです』


 喫茶店の主人を紹介してくれと頼んだ覚えはないのだが。そんな心境をため息から察してくれたのか、仕堂は本題に移った。


『とまぁ、あの界隈が庭みたいな家系の人なんですけど、これまで共和主義的な活動に関わったことは一度もないし、あの辺りにもそんなことをしてる人の話なんて聞いたことないんだそうです』


 専制君主制の国が群雄割拠していた新世界にとって、民衆が選挙によって元首にもなる共和主義というのは、どうにも異質で馴染めないものだ。欧州連合の新世界進出失敗の要因でもあるのだから、山谷の人達から理解を得られないのも自然な話だ。


「でも米山達は、あの料理屋の店員から買い取ったのよね?」


『そうです。その辺をぶつけてみたんですけど、どうもあの店は夏頃にできた店だったらしくて、ご主人も料理屋の店主とはあまり交流はなかったみたいなんですよね』


「そう……」


『ただフォルティさんは店主と仲良かったみたいですよ。何でもあの人、銃剣道に興味があったらしくて、店主がやってたから意気投合したんだとか。お店もよく手伝ってたみたいです』


「銃剣道?」


 陸軍の銃剣術を競技化した銃剣道は、高校の体育でも武道の一種目として選択できるが、大会を開けば参加者の大半が軍人になるようなマイナー競技だ。騎士をやっていたエルフと意気投合できるほどやり込んでいるとなると、それこそ軍人でもない限り考えにくい。


 それに、軍人から共和主義に傾倒し、反体制活動にまで手を出すケースは稀だ。軍人というのは骨の髄まで愛国心に染まった者がほとんどで、天皇抹殺や共和革命を叫ぶような手合いへの敵愾心は人一倍強い。ここでそんなレアケースを引き当てたということも考えられなくはないが、やはり可能性としてはどう見積もっても低い。


「店主の写真とかは手に入るかしら? できたら名前も欲しいわ」


『不動産会社に照会すれば手に入ると思います』


「店主の情報を洗うわ。写真と名前を手に入れたら、こっちに戻ってきて」


『了解です』



     ◇



 十畳ほどの広さの部屋には段ボールを積んだ棚が壁際に二つ備えてあるだけで、他には何もない。時間を知ろうにも時計もなく、静かな部屋の真ん中で、頭上から降ってくる電球の明かりに照らされ続けるしかなかった。


「――食事を持ってきました、団長」


 目を閉じて、少しずつ引いていく顔の腫れを感じていると、フォルティが部屋に入ってきた。深めの鉄の皿にスプーンを差し込んで、右手に持っている。


「腫れも引いてきましたね。あれから何も食べていません。傷の回復を早めるためにも、食べてください」


 差し出されたのは白米と梅干しを使った粥だ。ユリスはそれを一瞥してから、すぐに目を閉じた。


「要らない。下げろ」


「食べないと身が持ちません。いつも言ってたじゃないですか。ほら……」


「っ!」


 近づけてきたスプーンを拒むように、手に頭をぶつけて弾き飛ばす。スプーンが足下に落ちて、掬っていた粥が頬についた。


「さっさと下げろ。お前とは話したくない」


 睨みつけるユリスに、フォルティは目線を落とし、しゃがんでスプーンを拾う。


「……さっきの話ですけど、団長から教えられたことは今でも覚えてますよ」


 ユリスは目を閉じて黙り込む。


「騎士とは国家を守る存在だが、民に支えられる存在でもある。だから民から受けた恩には必ず報いて、彼らの剣と盾とならなければならない。ですよね?」


「なら何故あの男に協力している?」


「彼は……カガミさんは僕達と同じなんですよ」


 フォルティに顔を向けると、今度は彼が目を逸らし、背を向けた。


「団長はご存知ないかもしれませんが、二十年以上前に日本はロシアと戦争をしたんですよ。北海道北端の島の領有権を取り戻すためにね。その時世間はどんな反応だったと思いますか? 随分と冷ややかでしたよ。テレビでは毎日のように専門家が口を揃えて政府を批判して、世界中のメディアが反発してることを伝えた。そのうち政府も戦争を続ける気をなくして、米帝に泣きついて仲裁してもらったんです」


 当時のことを思い返しながら、フォルティは語る。


「……戦争が終わった後に始まったのは、新政権主導の軍の粛清です。当時政府だった与党は、戦争責任を軍に押しつけるために、彼らが陸軍出身の首相を焚きつけたってことにしたんです。そして国のために血を流した兵士や士官から軍籍を奪い、戦死者の靖国神社への合祀もしなかった。カガミさんは、そうして軍を追い出された人なんですよ」


「その身の上に同情して、お前は無関係の市民を巻き込むテロに加担したんだな」


「えぇ、そうです。でも、これで僕達は国を取り返せるんですよ。それで良いじゃないですか!」


 フォルティは声を荒げて、睨みつけてくるユリスへ向き直る。


「団長こそ、いつまでその騎士道に囚われているつもりですか? 国も守れず、仲間も守れなかったその戒律に、一体何の価値があるっていうんですか!?」


 ユリスの表情が萎み、俯く。


「……すみません」


 感情に任せて吐き出した暴言に、フォルティも血の気が引く。やがていたたまれなくなって、ユリスを置いて足早に部屋を出ていった。



     ◇



 調査結果がまとまったとの連絡があったのは、依頼から三時間が経とうとした昼前のこと。担当した第二図書課はサービス精神も旺盛なものだから、今回も依頼した以上の成果をもたらしてくれた。


「お探しの車と、その目的地です」


 第二図書課の詰める本庁十九階。


 オフィスエリアの手前にある小さな会議室で、桐生班の三人は、第二図書課の平瀬ひらせと相対していた。オールバックをグリースで固めた黒背広の男で、裏社会の要人ような出で立ちを好む割に目つきはコンシェルジュのそれで、物腰も随分と柔らかい。小学校から大学まで柔道一筋の武闘派で、体格がその辺の刑事よりも立派なのに頭脳派という、何とも噛み合わせの悪い人物だ。


 テーブルには数枚の画像が並べられる。いずれも堤防沿いの路地を映したもので、白のハイエースが路地に進入し、工場の駐車場に停まり、乗っていた集団がビルに入るまでを複数のカメラで捉えたものだった。


「建物の所有者は、精密機器メーカーの黒岩製作所。詳細な住所と会社情報については、こちらに」


「足立区鹿浜……ここからかかって三十分ってとこかしら?」


 資料に目を通す夏目に、仕堂が相槌を打った。


「それから、もう一つ」


 平瀬が別の画像を三枚、写真の上に広げる。


「画像を解析し、車から降りてきた人物を照会しました。ほんの一部ではありますが」


「ありがたいです。そこまでやってくれるなんて」


「最善を尽くすのが図書課我々のモットーですので」


 データは三人分。いずれも日本人で、揃って軍歴を持ち、そして所属していた部隊に、果ては退役時期まで一致していた。


「国防陸軍第七師団……北海道の部隊ね」


 陸軍の最精鋭部隊と名高い第七師団。最大の仮想敵であるロシアと相対し、本土防衛を任される最強の師団だ。


「あの、ここまでしていただいて恐縮なんですが、もう一人調べていただけますか?」


 仕堂がばつが悪そうに、ファイルを渡す。不動産会社から手に入れた、例の物件の借り主の情報だ。


「二分だけお待ちを」


 平瀬は顔色一つ変えずにファイルを受け取ると、一旦部屋を出た。そしてきっかり二分後に、書類を数枚つけ加えて戻ってきた。


「この男性も元軍人ですね」


 差し出された資料に目を通す。やはり第七師団の所属で、退役したのも同時期だ。


「一九八九年の一月……こいつら集団暴行でもやらかしたのか?」


 護藤があり得そうな仮説を立てると、そこへ平瀬が落ち着き払って言った。


「恐らく、北方領土紛争が原因でしょう。彼らの所属していた第十八レンジャー大隊といえば、最前線でロシア軍と交戦していた部隊ですからね」


 北方四島の制圧に後一歩のところまで迫り、国内世論の冷めた反応と国際社会の非難に遭い、そして欧州連合の反撃に打ち負かされた悲劇の部隊。その一員だった彼らが、何を企んでいるのか。


「ロシアの犯行に見せかけたテロを起こして、世論を対露開戦に向かわせるつもりだったのね」


 レンジャー部隊は対露戦に備え、ロシア語も習得している。容貌さえ何とかすれば、ロシア人のふりをして犯行に及ぶことは可能だ。


「喜田に変異石を渡したのは撹乱のためってわけですか。今のところこいつらの思う壺ですね」


 苦虫を噛み潰したような顔で仕堂が言った。


「今のところは、ね。このままじゃ終わらないわよ。ユリスさんも助けなきゃいけないしね」

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