世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第10話

公開日時: 2021年5月15日(土) 14:58
文字数:9,289

 午前六時。


 朝焼けの名残が広がる空の下。新世界の料理店が軒を連ねる山谷の路地に、公安庁の装甲車がセダンに先導されて進入した。


 後部ドアが開くと、濃紺の戦闘服を着込んだ集団が次々に降りてくる。装甲車を囲むように前後二人ずつ、四人が警戒に当たり、残りの四人が目標の建物に雪崩れ込んでいく。全員がイスラエル製の自動小銃・タボールを引っ提げ、事前のブリーフィングに沿った動きには迷いがない。


 セダンを降りた桐生夏目は、静かに流れていく時間に空振りを予見し、唇を噛んだ。テロリストがいたなら銃撃戦になるか、怒号でも飛び交うものなのだが、そんな気配はない。この場合、建物の中に誰もいないと考えるのが自然だ。


『――建物内は無人。店内に争った形跡あり』


 突入班からの報告をインカムで受け取ると、夏目は建物へ向かって歩き出す。


「おぉ、班長」


 ドアノブに手をかけた夏目に、隊長の大牙が声をかける。この建物の裏手に展開した別働隊を指揮していたはずだが、彼だけ先に戻ってきたということは、裏口から逃げ出した者はいなかったのだろう。


「路地裏はどんな様子でした?」


「怪しい奴がいたら残らずふん縛ってやるつもりだったんだが、猫くらいしかいねぇ。平和なもんだったよ」


「そうですか……」


 徒労に終わる可能性が高まり、肩を落とす。


「とりあえず、中に入ろう。手がかりが見つかるかもしれない」


 大牙に促され、玄関を開ける。


 一階はこじんまりとしたレストランだ。カウンター席が五つに四人掛けのテーブル席が三つ。カウンター奥の厨房には大きな寸胴鍋が置かれていて、そこからコンソメスープのような匂いが店内に広がっている。


 昨晩は閑古鳥が鳴いていたのか、カウンター席には誰かが使った様子がなく、一番奥のテーブル席にだけ、ワインとグラスが置きっぱなしにされていた。カウンター近くの床には血痕がベッタリと残っていて、そこからさらに奥の壁際には、飾っていたであろう絵画が背を向けて倒れていた。


「仲間割れでもしたのか?」


 現場の状況に大牙は戸惑う。


 夏目はテーブルに近づく。グラスの数は二つ。奥の席は慌てて飛び出したかのように配置が乱れているが、手前の席は椅子をテーブルに戻そうとした様子がある。そして、手前の椅子のすぐ後ろの位置の壁には、小さな弾痕が穿たれていた。


「大牙さん、ナイフ持ってますか?」


 夏目が訊くと、大牙はすぐに取り出してくれた。配備された武器ではない、私物のポケットナイフだ。元来狩人のオーガは、こうした刃物を持ち歩く文化がある。


 夏目はポケットナイフの刃先で、壁に撃ち込まれた銃弾を抉り出した。小さな拳銃弾だ。


「そいつを撃ち込んだのは、あの血痕の主かな?」


「だと思います」


 大牙の仮説に相槌を打って、今度は血痕を見に行く。


 銃撃戦になったのなら、もっと弾痕があるだろうし、流れ弾でグラスや皿が割れているのが自然だが、この血痕の周りにはそういった文明の利器が残した手がかりはない。


 夏目が代わりに見つけたのは、カウンターの足下につけられた真新しい傷だった。縦一線のそれは、長年の利用でついた他の傷よりも妙に目立っていた。


「大牙さん、これ何だと思いますか?」


「さてな。見た感じだと、刃物でつけたようにも見えるが」


 こんな位置に刃物を突き立てる場面が想像できない。大牙に夏目は、仮説を投げる。


「どうにかして押し倒して、そこへ止めを刺した、とか。とすると、得物は刀剣で、正面から思いっきり串刺しにした」


「刀なんて、今時やくざでも使わんだろ」


「それが剣の使い手なら心当たりがあるんですよね。しかも、昨日この界隈に来てた人が……」


 ポケットの携帯電話が震えて、着信を告げる。夏目はそれを手に取って、店を出る。


「もしもし?」


『お疲れ様です、仕堂です』


 外に出ると、見知った顔と目が合った。歓迎会を開いた店を手伝っていた、喫茶店の店主だ。


『防犯カメラも確認しましたけど、ユリスさん戻ってません』


「いつから?」


『昨日の朝からです。フロントには帰りが遅くなるって伝えてたみたいなんですけど』


 声色からは焦りが伝わってくる。夏目は店主が踵を返すのを認めて、


「後でかけ直す。待ってて」


 それだけ言って電話をポケットにしまい、代わりに腰のホルスターから92式拳銃を引き抜いた。


「止まりなさい! 止まれ!」


 晩秋の朝は声がよく通る。夏目が張った声に店主が走り出すと、フロントサイトの先端に男のふくらはぎを捉え、引き金を三度絞った。


 一発が太ももに命中し、二発がアスファルトを抉った。早朝に響いた銃声は冷たい空気を一気に凍りつかせる。


「あ、あぁ! 何なんだちくしょうッ!」


 激痛に悲鳴を上げながら、店主は地面に這いつくばる。傷口からは出血が始まり、太ももの辺りに赤黒い染みが広がっていく。


「テロリストのグループが近くにいるかもしれません。周囲の警戒をお願いします」


 隊員に告げて、夏目は銃口を向けたまま、店主に近づいていく。


「公安庁の捜査官相手に逃げようとしたら撃たれるに決まってるでしょ。ほら、こっち向きなさい」


 ジャケットの襟を掴み、仰向けにさせる。白地のセーターにクリーム色のチノパン。見たところ武器の類は持っていないし、反撃の素振りも見せない。ただ殺されるかもしれないという恐怖と、突然の理不尽な暴力に対する怒りとが、表情に表れていた。


「フォルティさんのお店を手伝ってた人ですよね。ユリスさんについて何かご存知ですか? お答えください」


 知らない、という答えを拒むかのように、拳銃を視界に捉えさせる。


「お、俺は何も関係ない! 本当だ!」


 返ってきたのは見当違いの言葉。夏目は苛立ちを隠すことはせず、代わりに被弾した店主の太ももを思いきり踏みつけた。


 通りに苦悶の悲鳴が響く。


「質問にだけ答えなさい。ユリスさんはどこにいるの?」


 質問をより具体化させて、問い詰める。激痛で消えかけた理性を恐怖を糧に引き戻し、店主は必死に言葉を紡いだ。


「フォルティが連れていったんだ。車で……昨日見た」


「どんな車?」


「白いワゴン車だ!」


 そこまで分かれば一先ず良い。夏目は銃口を下ろすと、拳銃と引き換えに携帯電話を取り出し、再び仕堂に連絡する。


「救急車を手配してください」


 様子を見守っていた機動警備隊員に告げ、仕堂が電話に出るなり指示を出した。


「本庁に戻って、課長に報告して。ユリスさんが拉致された。犯人はフォルティさんよ」



     ◇



 ユリスが目を開くと、薄暗い視界には灰色の床が広がっていた。


 後ろ手に鎖で縛られた身体は、至るところが軋み、痛みを発する。衣服を纏わない傷だらけの身体は、肌寒い空気に鳥肌を立たせ、芯から小さく震えた。


「この女もすっかり弱っちまったな。こないだまでは良い声で啼いてたってのに」


 前方から声がする。下品な笑い。薄気味悪い響きの米語。


「またアソコに電気でも流してみるか? ちょっとは反応するぞ」


「それじゃまたケツでしかできなくなんだろ? 俺はやだぜ」


「一日くらい我慢しろよ。こいつ以外にも女のエルフは腐るほどいるだろ?」


 目の前にいるのが誰なのか、やっと分かった。この収容所を取り仕切っている米帝の兵士だ。ついさっきまでこいつらに犯されていたのだ。全身にスライムのように張りつく汗と奴らの体液の乾いた感触が、不快な記憶を呼び覚まさせた。


 こいつらは西方のゴブリンよりも悪辣だ。魔神が世界を滅ぼすために育てたゴブリンは、人間やエルフの女を巣穴に連れ帰り、ゴブリンの子を死ぬまで産ませるという。集団で返り討ちにした騎士や冒険者を玩具として散々玩び、最後には惨たらしく殺す。だから西方のゴブリンは世界中から、それこそ同胞のゴブリンからも敵と認識されていたが、米帝の悪辣さはそれを上回る。


「おいおい、お前さん達何も分かっちゃいないな」


 こいつらは必要もないのに村を焼き、女を犯し、命を奪う。子孫を増やすためでも、自分達を守るためでもなく、ただ純粋な悪意を振りかざしている。西方のゴブリンに優るのは、その生存競争から派生したわけではない、真っ黒な悪意だ。


「こいつを啼かせたいんだろ? だったらこいつが大事にしてるもんを目の前で踏み潰してやりゃ良いんだよ」


「あ? 何だお前?」


「バカ、今日赴任されたランドルフ上級曹長だ」


「え!? し、失礼しました!」


 兵士達のやり取りに、ユリスは顔を上げる。


 迷彩服の兵士二人が、灰色のタンクトップを着た大男に敬礼している。顔の辺りは暗くて判然としない。


「止せよ、俺は堅苦しいのは嫌いでね。この女をいじめたいんだろ? なら良い方法を教えてやるよ」


 大男はユリスの顔を覗き込んだ。赤みを帯びた肌と金髪で、この収容所の他の兵士と同じく下品な笑みを浮かべ、奇妙なほど白い歯を剥いている。


「こいつの名は?」


「ユリス・ゲンティアナ。米帝うちがわざと最後にぶっ潰した国の騎士団長らしいです」


「そうか、騎士団長か」


 大男の口角が一層広がる。


「おい、こいつの部下だった連中はここにゃいんのか?」


「えぇ、二人ほど。どっちも女です」


「よし、そいつら連れてこい」


 兵士一人が、部屋を出ていく。


「お前、名は?」


「シルバー一等兵です、上級曹長」


「そうか、シルバー。良いか? 俺はこれまでエルフを何百とぶち殺してきたが、特にキーファソとかいう国の連中には面白い特徴がある。何だと思う?」


「いえ、分かりません」


「簡単なことさ。こいつらはな、プライドが高い。フランスのクソッタレどもみたいな奴らだ。そして中国のゴキブリどものように身内贔屓なんだ。こういう奴らを苦しめるにはどうすりゃ良い? 簡単だ。目の前でそのプライドを叩き潰してやるのさ」


 兵士が仲間と捕虜を連れて戻ってきた。鎖で首を繋がれた裸の女エルフが二人。赤いショートヘアの男性的で長身の女が一人に、肩の辺りで乱暴に黒髪を切り揃えられた肉感的な女が一人。二人を見た瞬間、くすんでいたユリスの双眸が光を取り戻した。


「ア、アルドル! フルム!」


「だ、団長……?」


 ユリスが上げた声にまず反応したのは、黒髪の女騎士・フルムだった。本当は腰まで伸びたまっすぐでしなやかな髪だったのに、乱暴に切られてしまっている。愛らしい小顔も、乱暴されて痣だらけだ。


「団長! あぁ、団長!」


「フルム……」


 再会を喜び、青痣を作った目で涙するフルム。ユリスも感極まりかけたその時、部下の後ろであの大男が、あの歪な笑みを浮かべているのを認めた。


「お話し中悪いな、団長」


 金属製のスキットルの蓋を開け、フルムの頭上でひっくり返す。茶色い液体がフルムの髪と肌を濡らし、アルコールの臭いが鼻孔を突いた。


「おら!」


「ぐぁっ……!」


 蒸留酒で濡れた身体を軍靴で蹴られ、ユリスの前に出される。


「や、止めろ! 彼女には手を出すな!」


 さっきまでと違った反応と、大男の企みに、三人に増えた兵士達が色めき立つ。そして大男はライターを取り出し、火を点けてユリスに言った。


「おい団長、こいつらの奴隷になるって宣誓してくれよ。あんたの部下が火だるまになるとこを見たくなけりゃな」


「な……」


 告げられた宣告に言葉を失う。


「おら、さっさとしろよ。この女丸焼きにしちまうぞ?」


「団長……」


 恐怖に怯え、震えるフルム。


「誓う! 奴隷になるから、だから止めろ! 止めてくれ! お願いだから!」


「だったらさっさと宣誓しろよ。ちゃんと教わってるだろ?」


 米帝は悪辣だ。身体だけでなく心すら痛めつけようとする。憎悪しかない国の宣誓を騎士がさせられることがどれほどの屈辱か、よく分かっているのだ。


「私は……私は、あなた方に対し誠実であり、真の……真の忠誠を、全能の神にかけて……誓い、ます……」


 怒りと悲しみと惨めさに声を震わせ、ユリスはそれでも要求通りの言葉を紡いだ。


「おぉっと、手が滑った!」


 わざとらしく言って、ライターから手を離す。点火したままのライターはフルムの肩に当たり、次の瞬間火だるまになった。


「あ、あああぁぁ! 止めろ! 止めろおおおおお!!」


 声にならない悲鳴を上げて、のたうち回るフルム。傷と痣が刻まれた肌が炎に焼かれていき、黒く焦げていく。


「早く火を消してくれ! 早く! うああああああああ!!」


 パイプに繋がれた鎖を打ち鳴らしながら、ユリスが叫ぶ。フルムはやがて動かなくなり、まるで虫のように丸くなっていく。


 必死の懇願を、兵士達は喜劇でも観ているかのように笑っていた。


「スゲーや、人形みたいだった女が来たばかりの時より生き生きしてらぁ!」


「だろぉ? こいつらはこうやって痛めつけて楽しむんだ。よく覚えとけ」


 やがて炭のように黒く焦げた部下の身体から、殺意の火が静かに消えていく。まるでフルムの命の末路のようなその光景を見つめながら、自らの奥底から憎悪が湧き上がってくるのを感じた。


「ああああああああああ!!」


 赤髪の女・アルドルが叫んだ。満身創痍の身体で大男に飛びかかろうとして、それに気づいた兵士に阻まれ、取り押さえられる。


「何だこいつ!?」


「いきなり叫び出しやがって」


「ちょうど良い。一人目が死んじまったことだし、こいつで遊ぶか」


 赤い髪を掴まれ、ユリスの前に引きずり出される。黒焦げのフルムの死体は蹴られて、端へ追いやられた。


「ゲンティアナ団長! こいつらの挑発に乗るな!!」


 充血したユリスの目を睨みつけるように見上げ、アルドルがキーファソの言葉で叫ぶ。この収容所で使えば即銃殺されてしまう、禁忌の言葉だ。


「こいつ、エルフの言葉を喋りやがったぞ!」


 鉄則に従って、兵士の一人が拳銃を抜く。


「おいおい、良い度胸じゃねぇか。銃殺なんてもったいないぜ」


 大男が一層の笑みをたたえて、アルドルの頭を踏みつける。


「良いか、私が何をされても絶対に怒るな! 耐えろ! 同情も助けもあなたには求めていない!」


「何て喋ってるんだ? おい奴隷、教えろ。さもないと……」


 踏みつける足に体重を乗せたらしく、アルドルが苦悶に呻く。ユリスが再び許しを乞おうとした時、


「答えるな!」


 今度は米語で叫び、そして再びキーファソの言葉を紡ぐ。


「怒りに呑まれるな。激情や快楽に呑まれれば、私達の心は穢れてしまう。そうなればこいつらの思う壺だ!」


「おい、さっさと答えろ。また部下を殺されてぇのか?」


「団長、あなたは私達の誇りなんだ。あなたの清廉な心と強さに私達は憧れた。お願いだから、私達の誇りのままでいてくれ。私はあなたを穢してまで、生きたくはない」


 そう言って、苦悶の表情に一瞬だけ、アルドルは笑みを浮かべた。ユリスが見慣れた、あの勝ち気で男勝りな、屈託のない笑みだ。


「アルドル……止めろ……ダメだ!」


 アルドルは目一杯舌を出すと、ユリスに見えないよう首を引っ込め、それを思いきり噛み切った。


「こいつ、舌を噛みやがったぞ!」


 兵士が気づいて叫び、大男が足を退ける。口許から芋虫のように舌が転がっていた。ゆっくりと広がっていく血に頬を濡らしながら、アルドルは勝ち誇ったように笑った。


「このアマ、ふざけんじゃねぇ!」


 大男が拳銃を引き抜き、アルドルの身体に銃弾を撃ち込む。被弾の衝撃で小さく跳ねる細い身体に、室内に響き渡る銃声。やがて弾が尽きると、遊底が引ききったまま止まった拳銃を、息絶えたアルドルに投げつけた。


「エルフの分際でなめた真似しやがって! 俺の顔に泥塗ってんじゃねぇぞ、おい!」


 怒りの収まりきらない上級曹長は、動かなくなったアルドルの腹を何度も踏みつけ、蹴りつける。ユリスはそれを見ながら唇を噛みしめ、静かに涙を流した。マグマのように湧き上がってくる怒りも悲しみも、全て抑え込んで、ただ黙り込んだ。彼女達の誇りであり続けるために。





 ――思い出したくもない記憶を呼び起こしてしまったのは、あの時と同じような状況下にあるからだろうか。


「ユリス・ゲンティアナ。グラディア王国の騎士だそうだな?」


 椅子に座らされ、脚に結束紐で縛りつけられた状態で、見下ろしてくる髭面の男から問いを投げかけられた。顔立ちからして日本人なのは間違いない。白髪混じりの薄い頭髪には整えている様子は認められず、体臭も年齢相応だ。


「そこにいる彼から、あなたの話は聞いている」


 男に促されて、痛む首を右に回す。神妙な面持ちのフォルティが、そこに立っていた。


「共和主義者……ではなさそうですね」


 髭面の男にユリスが呟く。


「奴らは売国奴だ。天皇陛下への敬愛の念も、日本という国への愛着もない」


 男は苦々しく言って、吐き捨てた。


「我々は、愛国者だ」


「愛国者……なるほど、国粋主義者ですか」


「好きに呼ぶと良い。だが、我々こそがあなたの力になることができるということも、理解していただきたい」


「何が言いたいのですか?」


 ユリスの質問に応じたのは、フォルティだった。


「もうすぐ大東亜共同体はヨーロッパと戦争になる。米帝だって間違いなく巻き込まれることになる。その混乱に乗じて、僕が共同体加盟国やヨーロッパに逃げたキーファソの人達に呼びかけて、新世界向こうで独立戦争を仕掛けるんです。世界規模の戦争に米帝も釘づけになるから、援軍だって呼べなくなる。勝機が見えれば他の国の人達も決起するでしょう。そうなれば僕らの勝ちです」


「そんな状況になれば、米帝は核を使う。そうなったらどうするつもりだ?」


 答えを用意していなかったらしく、フォルティは押し黙る。


「それに、戦争になれば日本の人達も巻き込まれることになる。お前を受け入れ、救ってくれた人達が、殺されることになるかもしれないんだぞ?」


「それは……」


「お前が入団した時、騎士とは何たるかを教えたはずだ。何と教えたか、言ってみろ」


 睨みつけるユリスに、フォルティはばつが悪そうに目を逸らす。


「ゲンティアナさん。あなたは大東亜共同体に、随分と恩義を感じているようだ」


 代わりに口を開いたのは、髭面の男だ。


「その気持ちは分かるし、日本人として誇らしい。だが大東亜共同体に、あなたがそこまで恩義を感じる必要があるのかな?」


「何が言いたい?」


「考えてみてほしい。新世界の総面積は米帝の本土である北米大陸の八倍にもなる。このうち八割を統治し、支配体制を完成させるには、相当な年月を要する。事実、生産性を安定させて新世ロシアが建国されたのは、今からたった二十年前のことだ。それまでの約三十年間、米帝は産みの苦しみを味わい続けていたというわけだ」


「話がまるで見えてきませんね。時間稼ぎのつもりですか?」


「その三十年の間、大東亜共同体は何をしていたのかな? こちらの世界の最大勢力である欧州連合は、何故何もしなかった?」


 答えを持ち合わせず、ユリスが押し黙る。男は深いため息を吐いてから、静かに告げた。


「大東亜共同体は何もしないと約束したんだよ。米帝に、ある条件をつけてね。そしてその条件を米帝が履行したために、欧州連合は何もできなかったんだ」


「…………」


「大東亜共同体の最大の敵は、今も昔も欧州連合だ。そこで大東亜共同体の主要国である日本と中国は、米帝に取引を持ちかけた。米帝の新世界統治が磐石になるまでの間、欧州連合の支配地域に独立工作と分離工作を仕掛け、米帝の妨害と欧州連合の新世界進出を阻止するというものだ。見返りは、米帝が当時進めていた新世界の環境調査と、変異石の研究データの提供。米帝はこれを受け入れた」


「なるほど。パラリウムを使った核兵器を米帝と同時期に実用化できたのも、そのおかげですか」


 ユリスは力なく笑った。


「これで分かっただろう。大東亜共同体は、野心のために新世界あなた達を見捨てたんだ。表向きは味方のようなフリをしながら、裏では米帝と手を組んでいたんだ。そんな連中に、恩義など感じる必要はない。そうは思わないか?」


「そうかもしれませんね。ただ……」


 ユリスはまっすぐに男を見つめ、紡ぐ。


「仮にそうであったとしても、誰かを傷つけたり、大切な人を奪う権利は、私にも、あなたにもありません。あなたがどれほど高潔で壮大な野心を抱いていようとも、あなたのやり方はテロであり、ただの犯罪です。そんなものに加担する道理など、ありません」


 男の表情から、友好的な顔色が消えていく。


「そいつらを説得しようなんざ無理な話だぜ、キャプテン」


 米語の横槍に、部屋にいた三人が顔を向ける。


 顔の半分を鋼鉄で覆った米帝の大男が、歪んだ笑みをたたえて歩いてくる。背後に控えるのは、髭面の男と同じ作業着を着た中年の日本人。大男の部下というわけでもないことは、何となく理解できて、部屋に入るなり彼が紡いだ日本語が、それを裏づけた。


「芹沢の処理が終わりました、加々美かがみ大尉」


「ご苦労。ご家族には何と? 確か母親が存命だったろう?」


「認知症ですので、必要ないかと」


「そうか。そうだな……」


 二人のやり取りに関心を示さず、鋼鉄の大男がユリスの顔を覗き込む。鼻先数センチというところまで顔を近づけ、匂いを嗅ぎ、そしてまた笑みで顔を歪めた。


「キャプテン、あんたこのエルフをどうするつもりだ?」


「彼女は我々の同志となるつもりはないらしい。となると、始末するしかない」


 フォルティが加々美を睨み、それに中年の男が牽制するかのように睨み返す。背後のやり取りを感じ取っていたのか、大男は楽しげに笑い声を漏らした。


「何なら俺が始末してやろうか? エルフの女の始末なら慣れたもんだ。最高のショーを見せてやるぜ?」


「止めた方が良い。また恥をかくことになるぞ、ランドルフ上級曹長」


 ユリスは大男を睨みつけ、静かに言った。大男の表情から、笑みが薄れていく。


「貴様が私を辱しめるなら、私はその前に舌を噛み切って死んでやる」


「あぁ? てめぇ、俺を知ってんのか?」


 驚きと僅かばかりの戸惑いが、再び嗜虐的な笑みに変わる。


「そうかぁ。だが残念だ。俺はてめぇを覚えてねぇ。ジャップのクソッタレに半身を吹っ飛ばされちまってな。その時脳みそをやられたせいでその辺りの記憶が曖昧なんだ」


 ランドルフは鋼鉄の部位を指先で叩きながら言った。


「知っている。目の前で見たからな」


 ランドルフの笑みが固まると、ユリスは挑発的に歯を見せて笑い、


「お前は子供のように泣いていたな。滑稽だった。あの時私に笑う気力が残っていれば、腹を抱えて笑っていただろうに、残念だったよ」


「てめぇ……」


「見たところ老いてないな。西方の呪術にでも頼ったか。そうまでして生き延びたいとは、やはり身勝手な男らしいな」


 赤い肌が紅潮する。鋼鉄の左手で拳を握り、振りかざす。


「止めろ、ミスター・ランドルフ」


 拳が振り切られる前に、加々美が前腕を掴んで制した。


「挑発に乗ることはない。あなたには安くない金を払ったんだ、相応の働きをしていただかなくては困る」


「チッ……この女をぶち殺す時は俺にやらせろよ。サービスだ、タダでやってやるからよ」


 加々美の手を振り払い、ランドルフは大股で部屋を出ていった。


「狂犬を雇うとは、あなた方に賛同する人はいなかったようですね」


 ユリスは日本語で挑発した。しかし加々美は、あの大男のように単純ではなかった。


「我々の同志は北方四島で戦死し、そして国に見捨てられた。これは我々の戦争なんだよ、ゲンティアナさん」

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