東京とグラディア王国の王都・パルデュラは、新幹線で片道二時間ほど要する。静岡県の山間部のトンネルから新世界へ渡り、そこから一時間ほどかけて王都中心部の駅へ向かうルートだ。
大日本帝国から新世界へ渡ることのできる三つの線の一つで、新世界における大東亜共同体の心臓たるグラディアへ通じる路線とあって、平日でもビジネスマンで混雑する。
おかげで座席を取れなかった夏目は、到着までの二時間を、立ちっぱなしで過ごすことになってしまった。
「はあ、やっと着いた」
一年四ヶ月ぶりの旅行。しかも初めてとなる新世界での気ままな一人旅で、開始早々足が棒になりかけである。
パルデュラ中心街・サロサ駅。
鉱山から採掘された金をふんだんに使った駅の構内には、スーツを着たビジネスマンと、ラフな格好に大きなカバンを引っ提げた観光客が入り乱れている。
横に並んだ三本のホーム。東京と王都とを結ぶ直通便が中央で、東西の主要都市とを結ぶ高速鉄道が左右で待機している。どれも大日本帝国から寄贈された中古の車輌だ。
横一列の改札を出て、入国審査の列に並ぶ。日本語で形式的な審査を終えて、駅を出ると、異国の風景が目の前に現れる。
噴水を囲むように整備されたロータリーを出入りするリムジンとバス。レンガを積み上げて建てた立派な構えの倉庫群と、赤い土壁の長屋。
大東亜共同体の新世界における心臓部であり物流の起点である、グラディア王国。この駅はその中核だ。
「さて、と……」
玄関の脇で思いきり伸びをして、長旅の張りを解すと、夏目は停留所に到着したバスに乗り込んだ。
グラディア王国は大日本帝国を後ろ楯としており、流通している貨幣も同じ円だ。電子マネーも連携しているから、ICカードもそのまま使うことができる。
学生らしき観光旅行の四人組と、ビジネスマンらしき背広の男性二人とともに、夏目を乗せたバスはゆっくりと走り出す。向かう先は王都最大の市場だ。
夏目はキャリーバッグを傍に置いて、窓の外に関心を向けた。ゆったりと流れていく王都の景観は、思っていたほど心躍るものでもなかった。
王都中心部とあって、この辺りには商業施設が集中している。新宿や丸ノ内に広がる高層ビル群がここにも建ち並んでいて、その隙間のテナントに入っているのは日本でも名の知れたコンビニやファストフードのチェーン店。しかも、当たり前のように屋号は日本のそれと同じで、ロゴや外見にも代わり映えはない。外を出歩いている人達も、この辺りのビルに勤めているらしい、スーツ姿のサラリーマンばかりだ。
「何か日本と変わんねぇのな」
背後の座席で拍子抜けしたようにぼやいた観光客に、夏目は内心同意した。
とはいえ、それも自然なことだろう。険しい山脈に囲まれた地の利と、騎士を信奉させる国民皆兵制度によって、国家を維持してきた虚勢の国が、新世界の物流拠点という地位を手にし、今日の繁栄を享受できているのは、大日本帝国の後ろ楯を得たからに他ならないのだ。
◇
新世界的な景観を残す市街地にバスが停まる。そこから路地を奥に進んだところにある木造の安ホテルが、夏目の宿だ。
チェックインを済ませて荷物を置くと、早速街へ繰り出す。祖界の系列のホテルを使わず、多少の治安の悪さに目を瞑って地元の宿を選んだのは、新世界を堪能するためだ。そうでなければ、次元を超えてまで来ることはないだろう。
旅の目的は二つ。観光と、ユリスの住まいを訪ねること。取得した有給は三日。のんびりしている暇はない。
赤茶色のレンガと灰色の土壁で建てられた家屋が並ぶ、手狭な路地。車両では進入することもできなさそうな石畳の通りを、王都の庶民が行き交う。
駅近くの通りに並ぶ店舗と違って、この辺りの市場で見かける売り物は、国産の品々がほとんどだ。
内陸で産業の乏しいグラディアの民にとって、主食となるのは専ら、猟で獲た肉だ。
山岳に囲まれた平原地帯のこの国では、天敵が少ないのを良いことに大型の草食動物が多く生息し、人々は彼らの恩恵に与って暮らしてきた。その過程で畜産が発達していき、魔法を使わない食糧の保存方法として干し肉やチーズが作られるようになり、人々の主食となっていった。
動物性タンパク質に偏った食文化は、必然的に彼らの健康を害したが、反面屈強な肉体と狩人然とした闘争心を育んだ。そこへ強国に囲まれて山岳地帯に守られた盆地という土地柄が重なり、騎士という彼らの精神的根源となっていったとされる。
流通網の発達によって野菜や海の幸に恵まれるようになった現代でも、市井の人々の食卓の主役は干し肉と色の濃いチーズであり、庶民の台所であるこの市場でも、それらがほとんどを占めていた。
「あの、これ……」
鉄の棒に肉を巻いた、フランクフルトそっくりなつまみを一本もらおうと、店主に声をかけようとした時だった。
人混みの奥から、喧騒に紛れて、怒号と罵声が聞こえてきた。それも日本語の、今時新宿の荒くれ者でも使わないような、威圧感丸出しの語気だ。
職業柄、その手のやり取りは聞き慣れていて、だからこそ見過ごすわかにもいかず、夏目は買い食いを後回しにして、人混みを掻き分けた。
路地の人だかりの中心は四人。灰色のローブを着てフードを被った人物に、祖界の身なりをしたチンピラが三人。こちらに背を向けるローブの人物の素性は定かではないが、対峙するチンピラ三人は日本人で間違いないだろう。
「そっちが先に言いがかりをつけてきたんでしょう。僕が謝るような落ち度はありません。いい加減にしてもらえませんか?」
喚き散らすチンピラ三人に、ローブの青年が落ち着き払った日本語を返す。毅然とした物言いに堂々とした長身の背中。仲裁に入らなければならないほど劣勢とは言い難い。
「てめぇ、俺らがどこの組のもんか分かってんのか?」
今時流行りもしないパンチパーマのチンピラが、目下からガン飛ばしながらフードの青年を威圧する。
「暴力団の名前なんて一々覚えてられないので、分かりませんね。それより、暴力団を自称するのって犯罪行為じゃ?」
「バカかこいつ。ここは日本じゃねぇんだよ」
「あんま舐めてっと痛い目見んぞ?」
パンチパーマのチンピラが、ポケットからバタフライナイフを取り出し、刃を抜く。
日本ならここで悲鳴の一つでも上がるところだが、ここは騎士の国で、しかも庶民の集まる市場。刃物を取り出せば色めき立つのが民意だ。
とはいえ、これ以上は見過ごせない。
観衆から飛び出して、チンピラの制圧に一歩踏み出した、その時だった。
「はいアウトー!」
一足先に飛び出した人物が、パンチパーマのチンピラを殴り飛ばした。
「丸腰のカタギに道具抜くなんてクズだなー。そんなだからお前ら、日本から逃げてきたのな」
「な、何だてめぇ!?」
兄貴分らしきパンチパーマが、不意打ちで一発ノックアウトされた。残された二人は怯みながら、乱入してきた男に吠える。
夏目もまた、その厄介者に目を奪われた。
「さ、鎖地さん……?」
ツーブロックの撫で髪に、浪人のような無精髭。粗野な目つきに好戦的な笑み。白のシャツに青のジーンズは、見慣れない格好だが、がさつな彼の性格からすると納得感のある出で立ちだ。それでいて、ブーツは軍用のものらしく、職業病にも似た心的な意識づけの名残が認められる。
「この国じゃ喧嘩や乱闘は犯罪行為じゃねぇんだっけ? 今からてめぇら半殺しにしても、誰も文句は言わねぇんだよな?」
拳を鳴らしながら粗野な笑みを湛える鎖地。残る二人は、その狂犬染みた物腰に気圧されるが、覚悟を決めて殴りかかる。
「っ!」
夏目はそこへ横から飛び込んだ。拳を振り上げた坊主頭のチンピラの脇に掌底を二発叩き込み、芋虫のように上体を曲げて呻いたところへ、拳の解けた右腕を引き込み、黒シャツの襟を掴んで背負い投げる。石畳の床に背中を打ちつけたチンピラが白眼を剥くのを認めると、息を一つ吐いて先輩の方を振り返る。
「あら? 懐かしい顔だな」
「そうですね」
一転、人懐っこく笑って見せる鎖地に、夏目も笑みを返す。
「この女……何だてめぇら!」
囃し立てる観衆に、虚勢を張る最後の一人。鎖地はその粗野な声に反応すると、上段蹴りを下顎に叩き込んで、吹っ飛ばした。
「ったく、うるせぇハエどもだ」
頭を強打して動かなくなったチンピラにそう吐き捨て、鎖地はフードの青年へ向き直る。
「悪いね、巻き込んじゃって。怪我はねぇか?」
「はい。助けてくれてありがとうございます。でも、良かったんですか? この人達、ヤクザですよ?」
「大丈夫ですよ。この人、ヤクザなんかより質悪いですから」
心配する青年に、夏目が後ろから声をかける。
「おいおい、誤解招くようなこと言うなって。俺は真っ当な小市民だぜ?」
「何が小市民ですか。まぁ、私もこの人も、この国の人間じゃないから、心配しなくて結構ですよ」
職業柄、この手の人間を恐れることなどないのだが、そこに言及する必要もないだろう。
「それなら良いですが……とりあえず、一旦ここを離れましょうか。この人達が起きても面倒ですし」
青年はそう言って、地面に横たわる三人組に目を繰れた。三人揃って気絶し、白眼を剥いた状態は、端から見れば非常事態だ。
地元住民しかいない街の一角で起こった喧嘩。取り囲んでいた野次馬は少しずつ解散し始め、夏目達を咎めようとする気配もない。とはいえ、警察が来るのは時間の問題だろう。関わるだけ面倒なだけだ。
「賛成~。よし桐生、再会の祝いで今から飲むぞ!」
「まだ昼間ですよ?」
「良いんだよ。どうせお前旅行中だろ? 付き合えよ」
◇
市場を抜けて、川沿いの小道を進む。向かう先には近日竣工予定の巨塔が聳え、距離感を狂わせる。
「僕はレイ・ミレットといいます。まぁ、これは魔道士としての名前で、本名は別にあるんですが」
フードを被った青年は、童顔に社交的な笑みを浮かべながらそう名乗った。
「魔道士ってことは、やっぱこの国の人じゃねぇな?」
「えぇ。今はブエナの田舎に住んでます」
「騎士の国」と称されるグラディア王国に、生粋の魔法の使い手はいない。
祖界と繋がる以前、新世界における魔道士の地位は、今とは比べ物にならないほど高いものだった。そんな時代にあっても、剣術と騎馬を尊ぶグラディア王国では、魔法は迫害の対象であり、その使い手である魔道士に、居場所などなかったのだ。
「グラディアには観光に?」
「仕事ですよ。あの塔の完成式典で、祈りを捧げるんです」
夏目にそう答えたミレット青年は、通路の奥に聳える巨塔を指差した。数キロ離れたところに建っているはずなのに、まるで足下にいるかのような圧巻の佇まいだ。
「脳筋国家のくせに、そういうのには魔道士を頼るのな」
「おかげで仕事がもらえるから、こちらとしてはありがたいですよ。早く終わらせて帰りたいですけど」
苦笑しつつ言った青年は、大通りへ繋がる橋に差し掛かったところで歩を止めた。
「僕はこちらに用事があるので、ここで。お二人はどうされます?」
「そうだなぁ。どうする?」
問いかけてきた鎖地に、夏目は肩を竦める。
「私は行くところがあるので、お酒には付き合えませんよ」
「誰が昼間っから飲むかよ」
「さっき誘ったじゃないですか!」
二人のやり取りを見て、青年は楽しげに笑った。
「では、僕はこの辺で。お二人とも、良い旅を」
「あぁ、どうも」
鎖地が青年に手を振り、夏目も一礼して見送る。
「――で、お前何でこんなとこにいんの?」
青年の後ろ姿が遠ざかり、やがて大通りの雑踏に溶け込んで消えると、鎖地はその様子を眺めながら訊いた。
「旅行ですよ。会いたい人もいるし、夏休みも取れなかったので」
夏目は肩を竦めて答えると、
「鎖地さんこそ、何してるんですか? 海外旅行なんて趣味じゃなかったでしょ」
「それがなぁ、新世界来てから色々とあったわけよ」
返す刀の問いに、鎖地は滔々と語り出す。
「バイパーの主食は虫と草だぜ? 耐えられるわけねぇじゃん。だから休みの時は周りの国で祖界の文化に触れないと持たねぇんだわ」
公安庁に籍を置く鎖地であるが、今年の春から新世界の大国・バイパーで新設された警察機関に出向し、捜査官の育成に当たっている。亜人とゴブリンの共生するバイパー王国の文明は、周辺諸国と比べると洗練されておらず、空港が整備されたのもつい数年前という有り様だ。
日系企業の進出も消極的な後進国とあっては、海外旅行はおろか、首都圏から出ることすら億劫な鎖地にとって、今の勤務地は退屈過ぎるのだろう。
「それでグラディアなんか選びます?」
「そういうお前だって、来てんじゃねぇか」
「私は人に会いに来たんですって」
「人って誰に?」
「こないだの爆破事件のこと、知ってますよね? あの件で協力してくれた人ですよ」
歩を進める夏目に、鎖地がついていく。
「あ~、王立騎士団の。それなら知ってるわ。エルフのべっぴんさんなんだろ?」
「そうです。ということで、鎖地さんとお酒飲む暇なんてありませんから、お引き取りください」
笑顔であしらおうとする夏目に、
「バッカ、そういうわけにもいかんだろ。かわいい後輩が世話になったんだから、挨拶くらいしとかないと」
「そんなこと言って、下心全開でしょ? 鎖地さんは観光しててください」
「やだ。そっちの方が面白そうだからついていく」
いたずらっぽく笑う鎖地に、夏目はため息を吐いた。
「ほんと何でこの国に来たんですか……」
◇
新世界は一つの超大陸で構成されており、主たる交通手段は鉄道か車両だ。
大東亜共同体に加盟している十七ヶ国間では、ビザの取得は容易く、国境を渡るのも苦ではない。
鎖地は二日もかけて高速道路を突っ切り、グラディア王国まで来ていた。のんびり旅をするなら鉄道にするのが定石だが、頭より先に手が出る気質のこの男にとってみれば、これこそが最適解だったのだろうと、夏目はすぐに理解できた。
「どうよ、俺の愛車の乗り心地は? 去年買ったんだけど、悪くないだろ?」
左ハンドルを握って意気揚々と幹線道路を走らせながら、鎖地は助手席の夏目に得意顔で訊ねる。
「分かりましたから、ちょっとスピード下げてください。普通にスピード違反ですから!」
目まぐるしく流れていく車窓の景色に、夏目が声を上げる。
「何だよ、桐生。お前シボレーなんか乗ったことねぇだろ? これくらい普通だから」
「ここ米帝じゃないですからっ!」
着任早々、新世ロシアから輸入したという黒のシボレー・アベオは、専用道の閑散ぶりを良いことに一〇〇近い速度を出していて、前から来る圧迫感に夏目は戦いている。ハンドル片手に涼しげな顔の鎖地に、苛立ちすら覚えた。
「ったく、相変わらず真面目だなぁ」
やれやれと、鎖地は速度を落としていく。ちょうど王都の門に差し掛かったところだ。
守衛の騎士に免許証を見せて通してもらい、王都を出る。城壁の囲いから一歩踏み出すと、その先にあるのは森と平原と遠方の山々。文明的な景色は高速道路と鉄道くらいのもので、道もアスファルトではなくなる。
「首都から一歩出たらこれだもんなぁ。新世界ってのはどこも、張りぼてだ」
土と小石を踏む感触を車体越しに感じながら、鎖地がゆっくりとアクセルを踏み込む。
「そういえば仕堂と護藤、元気にしてんのか?」
「相変わらずです」
「そうか、だろうな。あいつら面の皮厚いし」
鎖地はそう言って笑った。
「鎖地さんはどうなんですか? 食生活以外で困ってることとか」
「あるよ。住んでるアパートはボロいし、日本語あんま通じねぇし、遊ぶとこねぇし」
待ってましたとばかりの愚痴の数々に、夏目は笑ってしまう。
「まぁ亜人の女の子が結構かわいいのが救いだわな。あいつら性欲強いから毎晩大変なんだわ」
「そういう話は仕堂くんとしてください」
猥談をピシャリと遮り、シボレーは川沿いに進んでいく。
やがて場違いに立派な大木を見つけると、シボレーはそこで停車した。青々とした葉を風に靡かせる木の幹には、くり貫いて作られた扉があって、それが住まいであることを示していた。
「洒落た家だなぁ。森のエルフなのか?」
「キーファソの出身らしいから、多分違いますよ」
夏目はそう答えて、シートベルトを外す。
「三十分くらいで戻ってきますから、ここで待っててください」
「え~……俺も行きたい」
「遠慮してくださいよ。向こうは鎖地さんのことなんて知らないんですから」
「だから挨拶しとくんじゃん」
「また今度にしてください。会ったこともない女性の部屋に上がり込むなんて、デリカシーなさすぎですよ」
窘めた夏目は、笑みを返してドアを閉め、大木の家へ向かって歩き出す。運転席に取り残された鎖地は肩をすくめて見送り、バックミラーに写り込んだ後方のセダンに目をやった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!