世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

退会したユーザー ?
退会したユーザー

第72話

公開日時: 2022年10月9日(日) 22:50
文字数:6,031

 澄みきった冬の夜空に、色とりどりの花火が咲き誇り、散っていく。重低音の爆発が空から降り注ぎ、それに呼応するように、市街地からは市民の歓声が沸き上がる。


 キーファソ大公国の独立と、ロマノフ家の祖界への帰還を記念した祝祭が、旧帝都・アレクセーエフスクで催されていた。プスタスクと同じ解放特区として、一三〇〇万の人口を抱える大都市の中心地では、人間もエルフもドワーフも、帝国始まって以来のお祭り騒ぎに浮かれきっていた。


 フェスティバルの中心となっているニコライ通りから、二ブロック離れた先に建つ高層ビルでは、そんなめでたい喧騒を尻目に、皇帝官房指揮下のSASが潜入を開始していた。


『キメラ02よりナイトフィッシャーへ。三十二階に到着した。侵入を開始する』


『こちらキメラ04。地下に到着、黄金を捜索中。意外と広いなぁ、おい』


 ビルから二〇〇メートルほど離れた路地に停まる中型トラックの荷室では、備えつけのモニターが映すサイモンのヘッドカメラの映像を、夏目が緊張の面持ちで睨んでいた。


『ハーピーイーグルからキメラへ。ピラルクを乗せた車はあと一分でそちらへ向かう』


 インカムから聞こえてきたリールーの声で、荷室の中が張り詰める。


「さて、SASのお手並み拝見、と」


 モニター手前の座席でキーボードを叩くタイラーが、そんな軽口を静かに呟く。


 キメラ02ことサイモンのヘルメットに取りつけた小型カメラからの映像では、分厚い窓ガラスが粉々に吹き飛んで、建物の中に侵入する様子が映し出されていた。場所は重役の執務室が集まる三十二階。東側に設けられた屋内庭園だ。


『ピラルクが到着。ピラニアは全部で四匹。もうすぐそっちに向かうよ』


『了解。キメラ02、03ともに配置についた』


 サイモンのカメラに、滝の岩陰に身を隠すマリーデルが映る。ダットサイトを乗せたハニーバジャーを手に、奥に広がるエレベーターホールをじっと見つめる。


 やがて中央のエレベーターが開き、一団が降りてきた。見るからに上等な背広を着た男と、それを前後二人で囲む、軍人顔負けの体格をしたボディーガードが四人。庭園を横切って、役員執務室へ向かっていく。


『ナイトフィッシャーへ。ピラルクを確認。指示を求める』


「ナイトフィッシャーよりキメラへ。釣りを開始。繰り返す、釣りを開始」


 夏目が告げると、マリーデルのサイモンがハニーバジャーの引き金を絞る。減音された銃身が金属音を四つ打ち鳴らすと、護衛の四人は反撃の暇もなく倒れた。


『こちらキメラ02。ピラニアを排除。少尉、逃がさないでください』


『任せとけっての!』


 突然の急襲に硬直していた標的は、事態を把握するなり遁走を図る。そこへマリーデルが駆け出し、手近にあったテーブルから椅子を一つ引っ張り出すと、掛け声もなしにそれを投げつけた。


 距離にして十数メートルは離れている動く的。それに一キロ弱の椅子を投げてぶつけるなどという芸当ができるのは、ドワーフの怪力と、SASに選抜されるだけのセンスのなせる技だ。


 かくしてアルミ製の椅子は野球ボールのように縦回転で男の胴体に横から直撃し、派手な音を立てて床に倒れ込んだのだった。


「こちらナイトフィッシャー。応援を送ります。ピラルク、生きてますよね?」


 心配で訊ねた夏目の傍では、劉曙紅が本部へ連絡を取り、ヘリを呼んでいる。十分後には別働隊が到着する手筈だ。


『手間かけさせんじゃねぇよこの売国奴が! 死ねおらぁ!』


 モニターの向こうでは、弱々しく這って逃げようとする標的の男の腹を、駆けつけたマリーデルが力任せに蹴り上げていた。


「マリーデルさん、殺さないでくださいよ」


『少尉、止めてください。自分まで馬鹿だと思われますから』


 まるで恨みでもあるのかとばかりに踏みつけるマリーデルを夏目が諫めると、サイモンが保身のために肩を掴んで止めた。


「こんな連中が皇帝陛下の直属の部下だったとは、信じられん話だな」


 警察への応援要請を終えたヤーボが、半ば感心したかのような口ぶりでそうぼやいた。


 ここでモニターに動きがあった。銃声が聞こえて画面が激しく揺れ、続いてサイモンの怒声をスピーカーが捉える。


『接敵! 奥の非常階段からだ!』


 ハニーバジャーで応戦しながらの叫びに反応したかのように、画面の向こうで警報が鳴り響く。潜入がバレた。緊急事態だ。


『リールーに片づけさせろ! てめぇも来るんだよ腐れ売国奴!』


「こちらナイトフィッシャー。ハーピーイーグル、三十二階東側に移動して。通路に向けてミニガン掃射!」


『了解、待ってなよ二人とも』


 サイモン達が植え込みに飛び込んだその直後、ガラス壁が砕け散ったの窓枠の向こうに、ミニガンを提げたジャルマンオオトカゲが姿を現す。大きな羽を力強くはためかせると、ミニガンの砲身が回転し、マズルフラッシュを焚く。


 無数の銃弾がサイモン達の頭上を通って、壁と床を抉り取っていく。警報装置に誘き寄せられ、意を決して屋内庭園に突入してきた警備員達は、ミニガンの掃射に次々と吹き飛ばされていった。


『ハーピーイーグルよりナイトフィッシャーへ。掃討完了。非常階段側に回る』


「了解。サイモンさん、動ける?」


『問題ありません。屋上へ移動します。ヘリの到着まであとどのくらいですか?』


「あと三分」


『了解。少尉、行きますよ。先行してください』


 ハニーバジャーの弾倉を替えたマリーデルが辺りを確認し、非常階段へ向かっていく。サイモンも標的の男の襟を掴んで、その後を追った。


『キメラ04よりナイトフィッシャーへ。黄金を発見。スゲーなこりゃ』


 別働のキメラ04ことヘンドリクセンが興奮気味の声を吹き込む。ヘッドカメラからの映像を見た夏目は、その成果に静かに頷いた。


 サイモンのヘッドカメラが、屋上の様子を映し出す。帝国軍のリトルバードがホバリングする中、ブラックホークがヘリポートに着陸すると、サイモン達が乗り込んだ。


『キメラ02からナイトフィッシャーへ。ピラルクを乗せた。離脱する』


「了解」


「ジャガー到着。こりゃまた重装備じゃ」


 ヤーボが報告する。高層ビル前庭の監視カメラから送られてくる映像には、ストライカーに先導される兵員輸送車の車列と、そこから降りてくる完全武装の兵士達が映っていた。


 荷室の壁に並んだモニター群から目を離すと、夏目は後部ハッチを開けて、外へ出た。新世界中西部の十二月は、プスタスクのような大雪に見舞われることはなくとも、東京のそれより遥かに寒く、骨身に沁みる。


 寒空の中で聞こえてくる大通りの喧騒に耳を傾けながら、夏目は今宵の作戦の舞台となったビルを見上げた。標的とサイモン達を乗せたブラックホークと、その護衛のリトルバードが離れていき、ビルの周りを旋回していたジャルマンオオトカゲが、地上に降りてくる。


 新皇帝としてホープ・テューダーが即位してからもうすぐ二ヶ月。皇帝官房の任務は欧州連合と帝国貴族のパイプ役を務める輩の排除に重点が置かれるようになった。


 今夜SASに踏み込まれ、ブラックホークで拉致されたのは、そういう人間の一人だ。祖界から渡ってきて新世界で財を成したブラジル系アメリカ人。反皇帝派に名を連ね、アルバータで帝国軍に追い詰められている男爵に、この男が武器と傭兵を斡旋していたというのは、男の会社の幹部から提供された情報だった。


「桐生さん、キメラ04が帰っちゃいました!」


 冷たい空気で眠気を飛ばすと、夏目は曙紅からの報告に振り返り、


「黄金は後詰に渡してくれました?」


「はい、確認済みです」


「じゃあ大丈夫ですね。困りはしますけど」


 肩をすくめてそう答えると、曙紅からは苦笑が返ってきた。


     ◇


 ビル周辺は軍と警察によって封鎖された。


 物々しい雰囲気の漂う前庭では、到着した後詰の兵士達が慌ただしく動き回っている。その手前で、ジャルマンオオトカゲのパンジャを背に立つリールーは、夏目達と合流するなり、得意顔で胸を張って見せた。


「あたしの援護、完璧だったでしょ?」


「えぇ、完璧。いつもあの調子でお願いします」


「それはパンジャ次第かな~」


「都合良すぎですよ」


 曙紅が呆れたように言った。


「で、成果は?」


 タイラーが背後から訊くと、リールーが顎で奥のビルへ促す。


 ビルに入ると、地下から運び出された木箱が、エントランスに積み上げられていた。このビルを所有する貿易会社のロゴを誂えた縦長の外見は、一見すると欧州の加工食品を詰め込んでいるように思えるが、夏目が蓋を開けてみると、詰め込まれていたのは目当ての品々だった。


「対戦車ミサイルですね。ドイツ軍が使ってる現役の武器ですよ」


 夏目がそう言った傍で、リールーが近くにいた兵士に箱を指差して、開けさせていく。欧州連合の主力火器であるSCARやG36に、軽機関銃のミニミ、地対空ミサイルのミストラル。大東亜共同体でもよく知られている現役の武器ばかりだ。


 これが夏目達が「黄金」と呼んでいた宝の山だ。欧州から流れてきた武器と弾薬。ホープを新皇帝として認めず、既得権益を守るために大層な大義名分を語り、適当な皇族を立てて反旗を翻した貴族達が縋るものの正体だ。


「アジアにこんな武器が流れてきたことなんてありませんよ。欧州側も形振り構わずって感じですね」


「ヨーロッパじゃ厭戦ムードが漂っててどうこうってCNNで言ってなかったっけ?」


「さてな。民主主義っちゅうのは理解できんもんだわ。欧州連合あいつら、国民の意見なんか聞いとらんじゃないか」


 三者三様の反応だが、共通するのは欧州連合に対する疑念だ。


 欧州連合主要国の一角だったロシア連邦が消滅し、ロマノフ王朝によるロシア帝国がユーラシアに再建してからもうすぐ一ヶ月。帝政復古の革命によってロシアで繰り広げられた凄惨な光景の数々は、メディアを通じて世界中に流れ、欧州に住む人々の心を根から挫いた。洗練された先進的な文化と価値観の持ち主であることを自負する列強の市民は、志を共にしてきたロシアの民が武器を持ち、価値観を共有する仲間だったはずのフランス軍の兵士との殺戮を繰り広げる光景を受け入れることができなかったのだろうとは、米帝の有識者の言だ。


 かくして二度目のロシア革命で、戦争に対する嫌悪が醸成された欧州は、長年の宿敵である帝国で起こっている内乱への介入もままならない情勢となっていた。新世界の血を引く新皇帝と、既得権益を守りたいがために反旗を翻した帝国貴族と財閥の連合。欧州連合の価値観と相容れるこの両者の共喰いに荷担する暇があるなら、ロシア帝国に押さえられた天然ガスパイプラインの代替案を議論すべきというのが、欧州世論の声だった。

 

 尤もそれは、平和に過ごしたいと考えるばかりの市井の人々の戯言に過ぎないらしい。公に支援する道理も大義名分も立たない中、これほど現役で使われる武器を貴族に送ってやる辺り、欧州連合の為政者達は、帝国政府にできるだけ苦しんでほしいと考えているようだ。


「主力の武器に傭兵まで寄越してるのに貴族連中が負けっぱなしな辺り、欧州って実はめちゃくちゃ弱いんじゃないの?」


「正規軍と傭兵じゃ比較になりませんよ。相手の士気も高くなさそうだし」


 嘲るようなリールーの物言いを窘める。


 新皇帝即位からまもなく、祖界の貴族と財閥が結託して起こした反乱は、年内には鎮圧される見通しだ。現役将校でSASに所属したホープと、特権階級として平民を軽んじてきた反乱勢力。軍がどちらを支持するかは明白だった。平民階級で見てみると、反乱を支持している者といえば、エルフの血を毛嫌いする選りすぐりの守旧派くらいのもので、そうでもなければ、その血統がもたらす新たな時代に期待するか、テューダー家の中でも抜きん出た端整な顔立ちと、軍人として十分過ぎる功績に魅了されて、ホープを支持しているのが実情だ。


「とりあえず、これ回収したら撤収しましょう。ピラルクの取り調べもあるしね」


     ◇


 アレクセーエフスクの中心部に残された帝都時代の庁舎群は、サンクトペテルブルクから派遣された総督を支えるべく、そのほとんどが新世ロシア帝国時代と同様に機能している。


 宮殿から南に五百メートルほど離れたところに建つ皇帝官房のビルで、夏目が業務を 終えたのは午前八時前のこと。昨晩から徹夜で取り調べと押収した武器の精査を済ませたのだ。


 疲労感いっぱいだが、これでも仕事はまだまだ山積している。今回捕まえたピラルクのように、貴族と欧州との間を取り持って、金儲けと人脈作りに精を出す者は後を絶たないのだ。


 おかげで十二月の帰国はキャンセルとなった。多忙な上、内戦が続く中での帰国は危険ということもあって、休暇は三月まで延期となり、その事を謝らなければならない相手がいた。


『そっかぁ。それじゃあ仕方ないよ。この時期に飛行機っていうのも、何だか危ないしね』


 夏目からの受話器越しの謝罪に、芦川は残念がりながらも穏やかな声で受け入れた。


「ほんとごめん。三月には休み取って帰るから」


『うん、楽しみにしてる。でも、あまり無理はしちゃ駄目だよ。風邪とか引いてない?』


「うん、大丈夫。寒いのは慣れないけどね。こないだなんか寒波でマイナス三十度まで下がってたし」


『うわぁ、寒い。稚内でもそんなに寒くならないよ』


 感心したかのように唸って、懐かしげに呟く。夏目はそんな恋人に思わず笑ってしまう。


「そっちはどう? 仕事とか、大変じゃない?」


『こっちは変わりないかなぁ。東京って結構平和なんだね』


 戦争の真っ只中にいた三月と比べたらそうだろうと、夏目は苦笑する。だが憲兵から見てそう思えるのだから、今の日本はそれなりに落ち着いているのだろう。


「仕堂君達も相変わらず?」


『相変わらずだね。あぁでも、護藤さんはそろそろ結婚しなきゃいけないみたいなこと言ってたかな』


 地元の許嫁というエルフとの件だろう。夏目は察した。


『何か地元の彼女さんからすごい圧力かけられてるらしいよ。護藤さんも仕堂さんと違って真面目だから、年明けには籍入れちゃうかもね』


「へぇ~。護藤君もとうとう年貢の納め時かぁ」


 楽しげに笑って、夏目は休憩室の窓から外を眺める。新世ロシアの帝都の朝は、プスタスクのそれより幾分穏やかで、昨日の祭りの喧騒が嘘のように落ち着いていた。


『あの、夏目さん?』


「ん?」


 寒空を飛んでいく竜の群れを見送っているところへ、改まった風に切り出された。


『三月に帰ってきたら、僕の家族と会ってほしいんだけど、良いかな?』


「え? えっと、ご両親に……?」


『うん。夏目さんのことは話してるし、どうかな?』


 交際相手の親とはいえ、相手は華族。一瞬舞い上がりかけて現実に引き戻されつつ、


「うん、分かった」


『ほんと?』


「でも、華族に相応しい振る舞いとかは期待しないでね? 成人式も卒業式もスーツで乗り切るような、バリバリの平民なんだから」


『大丈夫だよ、夏目さんはそのままでも素敵なんだから』


 冗談めかしながら全力でフォローを返されて、思わず照れ笑いが浮かんだ。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート