世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第55話

公開日時: 2022年1月10日(月) 21:30
文字数:4,672

 新世界における万国共通の問題は三つある。人身売買と麻薬汚染、そして武器の密輸入だ。


 これらは祖界の列強各国間でも悩みの種となっているが、新世界はさらに深刻だ。祖界よりも広大で人口が多く、半世紀以上の時間が文明の溝を埋めたとはいえ、まだまだ発展途上の国や地域は散在している。大東亜共同体や米帝の管理の目が届かない地域では人拐いが横行し、麻薬の栽培を手掛ける農家が後を絶たない。そこへイデオロギーの対立が加わると、敵対勢力の妨害のために犯罪組織やテロリストを支援するという選択が生じる。その結果流入するのが武器であり、対価として流出するのが拐われた者や栽培された麻薬だ。


 国境を挟んで睨み合う大東亜共同体と米帝は、過去数十年、そうした暗闘を繰り返してきた。新世界進出の足掛かりを得たい欧州連合もそこへ割り込み、そうした対立がもたらしたものこそが、今の新世界を支配する混沌だった。


「――あなたの情報提供の通りでした。ご協力感謝します、ベケットさん」


 桐生夏目はテーブル越しに、男にそう言葉を投げかけた。禿げた頭部を痣だらけにした小太りの中年男性は、夏目の米語に重たげな頭を上げて弱々しく睨む。


「それで、あの荷物はどこの誰に届ける手筈だったんですか? エルフの子供八十人。個人の顧客ではありませんよね?」


「知らない。本当だ。私はただの仲介屋であって、実際の取引には関わって――」


 怯えながらも饒舌に並べてきた言い訳を遮るように、夏目はボールペンを取り出して見せる。それは男の腹に埋め込まれた魔法石と連動していて、頭頂部を指で押すと強烈な痛みを与えることができる。


「待て、本当なんだ!」


 唾を飛ばしながら叫ぶ男は、その苦しみを嫌というほどに思い知らされていた。殴られても、爪を剥がされても、眠る暇を与えられずに窒息する寸前まで水を飲まされても、何一つとして自供しなかった男が、魔法石の与える痛みには十分と持たなかったのだ。


「本当かどうかは、一分ほど時間をいただいた上で判断します」


「止め――」


 縋るような男の言葉を遮り、夏目はボールペンの芯を押し出す。同時に男の声が悲鳴に変わり、次にただの叫びに成り果てた。縛りつけられた鉄の椅子ごとのたうち回り、白目を剥きながら唾を飛ばす。


 夏目はボールペンを机に置いて、鬱陶しげに腕時計に目をやる。


 魔法がもたらすこの幻痛で死ぬことはない。だが死を求めたくなるほどの痛みであるのも確かだ。作った当人が「心筋梗塞と膵臓癌の痛みが同時に起こるようなもの」とした評価も、強ち誇張ではないのだろう。


 言った通りに一分が経つと、夏目はボールペンを取って芯をしまった。同時に幻痛が嘘のように収まり、男は暴れるのを止めたが、冷や汗にまみれたその顔は疲弊しきっている。


「取引相手は、どこの、誰ですか?」


 ボールペンを手に、夏目が再度問いかける。


「……ギアナの、サルヴァドール……」


「何者ですか?」


「漁師だ……マトゥーリの、名士……」


 息も絶え絶えに紡いだ内容に、夏目はマジックミラー越しに見守る仲間に相槌を打つ。


「ご苦労様でした、ミスター・ベケット。ゆっくり休んでください」


 扉が開いて、黒のビニール袋と注射器を手にした二人組が入ってくる。夏目とすれ違いで男のもとへ向かうが、そこから先の後始末を見る気はないので、夏目は男の呻きを遮るように、扉を閉めた。


「お疲れ、警部」


 廊下に出た夏目に声をかけたのはリールーだった。摘発の時の戦闘服と違って、今は黒地に縦縞を編み込んだスーツ姿で、オレンジの髪がよく映えている。


「あの石、結構効いたでしょ?」


「えぇ、効果覿面。全部吐いてくれたわ」


 激痛を与える魔法石の製作者は、端的な感想に得意満面だ。


「サルヴァドールっていうギアナの漁師。それが人身売買の取引相手よ」


「ギアナか……今から潰せるか微妙かもね」


 表情が曇るリールーに、夏目も同調する。そこへ隣室から出てきた曙紅とタイラーが、


「桐生さん、ギアナですって。これ、許可下りそうですか?」


「俺は無理だと思いますよ。今フランスに喧嘩売るなんて、本国が許さないでしょ」


 リールーと同じ見解の二人に、夏目は苦笑を返す。


「リールーさん、何か手はある?」


 夏目から漠然と問いかけられ、


「それ、あたしのコネに期待してます?」


「ご想像にお任せします」


「まぁ、警部さんには母がお世話になったらしいですし? ちょっと動いてみましょうか」


「ありがとう、リールーさん。今度奢るから」


「楽しみにしてますよ」


 そう言って、リールーが去っていく。


「警部ってほんとコミュ力高いなぁ。あのリールー・カレンデュラをあんなに手懐けるなんて」


 感心しきりのタイラーの呟きを、夏目は聞き流した。


「ほら、さっさと報告書書いて、もう帰るわよ」


     ◇


 プスタスクの北端、雪の白と高層ビルの黒色が折り重なる商業地区に聳える八十階建の高層ビルを、皇帝官房第三部が占有している。


 秋から初春にかけて、日照時間が五時間とない暗がりの街で、本部ビルの明かりは一際輝く。とあるロシア皇族は、この光を「新世界の民の道しるべ」と表現したが、実際のところは大陸全土を休むことなく見張る監視塔といったところだ。


 政治犯・思想犯の取り締まりに、対テロ戦の指揮・命令・実行、そして敵対各国及び国内不穏分子からの防諜。この三つを使命とする皇帝直属の政治警察機関に、桐生夏目が出向してから二ヶ月が経とうとしている。


 新世界における大東亜共同体と米帝との人材交流事業において、公安庁の代表として参加する夏目が、同じ毛色の皇帝官房第三部に派遣されるのは至極当然なことだった。とはいえ、一応は国境を挟んで敵対する勢力同士なのだから、国防に関わるような部門での受け入れなどできるはずもない。


 結果、配属されたのは新設の第五局。他局のような明確な対象は持たず、テロやスパイに通じる可能性のある事案に対する初動を担当する部門だ。その性質上地元警察から仕事を取り上げることも珍しくなく、なおかつ遊撃隊のような組織のために対応範囲が広くなりがちで、目立たない割には激務で嫌われやすい。人材交流の目的でやって来た人物を押し込む場所としては、間違いなく最悪だろう。


「すみません、ヤーボさん。送ってもらっちゃって」


「あぁ、構わんよ。今日はホワイトナイツが勝って気分も良いしな」


 幹線道路を走るセダンの車中。運転席でハンドルを握るドワーフのヤーボは、髭を蓄えた強面に笑みを浮かべて、後部座席の曙紅に答えた。


「ホワイトナイツ、強いらしいですね。今年の優勝候補だって聞きましたよ」


「お、警部もアイスホッケーに興味があるのかね?」


「最近ニュースになってますからね」


「そうなんじゃよ。ホワイトナイツといえばベースボールだが、今年はそうはいかん。来年のディメンションシリーズにも出場してもらわんとな」


 スポーツの話題となると、ヤーボは目がない。特にアイスホッケーはお気に入りらしく、故郷のザナヴォにいた頃から、この街を本拠地としているプスタスク・ホワイトナイツのファンなのだそうだ。


「日本じゃベースボールが人気らしいな? 中国は、卓球だったか?」


「まぁ、そうですね。私は観ませんけど」


「私もスポーツはあんまり……」


「そうか。まぁベースボールはつまらんからな。あんなもんが好きなタイラーの気が知れんよ」


 ヤーボが毒吐くが、夏目は特に同調せず、苦笑でかわした。


 車は幹線道路を三十分ほど進み、市街地に入る。日付が変わろうかという時間だが、道を行き交う車も歩道を歩く人々の数も、日中と大差はない。


 プスタスクに夜はない、というのは、新世界でよく聞くジョークだ。二〇〇〇万の人口を抱える新世ロシア最大の都市で、IT産業と軍事産業によって発展してきたこの街は、二十四時間休まず稼働し続けている。


「はい、到着と」


 ヤーボは大通りの路肩に車を停めた。高層ビルが犇めく中にあって、頭一つ高いガラス壁のタワーマンション。そこが夏目と曙紅に宛がわれた住まいだ。


「しっかし二人とも、こんなちっこい部屋によく住めるな。何かと不自由だろう?」


「日本から見たら立派過ぎですよ。まぁ、エレベーターに乗る時間が長いのは不便ですけど」


 価値観の違いを感じつつ、夏目と曙紅は車を降りる。車を出すヤーボに手を振って見送ると、二人でマンションに入っていく。


「正直ここに住めるんだったら永住しても良いですよ。差別とかもないし」


「それはちょっと同感ね。つり目で絡んできたりするものだと思ってましたから」


「ほんと。絡んできたら鼻へし折ってやろうと思ってたのに、拍子抜けですよ」


 エレベーターに乗って、五十三階に昇る。エレベーターホールから廊下に入ってすぐの五三〇二が夏目の部屋で、その隣の五三〇三が曙紅の部屋だ。


「じゃ、また明日。お疲れ様です!」


「お疲れ様」


 カードキーでロックを外して、ドアを開ける。


 四人家族でちょうど良いほどの広さのリビングは、二面がガラス壁で作られ、プスタスクの夜景を一望できる。備え付けの家具は新世ロシア製で、大日本帝国では高級品扱いされるものばかりだ。部屋にはAIコンシェルジュが備えつけられていて、単身での異国・異世界生活にも不自由はしない。


 一介の公務員には過ぎた生活水準だが、このプスタスクという大都会ではこれが並程度の生活でしかないのだから驚きだ。


 夏目はソファに倒れ込むように横たわる。家主の帰りを検知したAIコンシェルジュが部屋の明かりを灯し、暖房を点ける。


 魔法と人工知能技術を組み合わせたAIコンシェルジュは、プスタスクにある新興企業が開発したものだ。家主の日々の生活習慣を記憶しながら、その時々の心理状態や健康状態を読み取り、家主に最も必要なサービスを提供する。


 暖房が点いているとはいえ、着替えもシャワーも済ませていない状態で寝かすのは、翌日の勤務や体調にも悪影響を及ぼす。従ってAIコンシェルジュはテレビを点け、夏目が関心を持ちそうなニュース番組にチャンネルを合わせる。


『――ロシア連邦内務省は先ほど、サンクトペテルブルクとエカテリンブルクの二つの都市に戒厳令を発令しました。またこれを受けて、フランス政府は陸軍六万人をロシアへ派兵することを発表するとともに、革命軍を『非合法なテロ集団』と名指しした上で、『卑劣な暴力に自由と民主主義は決して屈しない』と、改めて対決姿勢を表明しました』


 ニュースキャスターが米語で原稿を読み上げ、続いて爆発音と銃声がスピーカーから鳴り響き、眠気を払う。上体を起こした夏目はテレビに目をやり、画面が映すその凄惨な光景にため息を漏らす。


 七月に始まったロシア内戦は、ロシア連邦政府の必死の抵抗も虚しく、革命勢力優位に進んでいる。三月に大日本帝国を始めとする大東亜共同体に行った軍事制裁の失敗によって、連邦政府の権威は地に墜ち、それを嗅ぎつけた地方の独立勢力と帝政復古を望む極右勢力が手を組んで始まったのが、この凄惨極まるロシア内戦だ。


 極東管区の精鋭部隊と軍の頭脳であるGRUの造反、さらには新世ロシア帝国から義勇軍として祖界に渡った数万人のゲリラ兵によって、連邦政府は主要都市を奪われつつある。これまで戒厳令を発令した都市は軒並み奪われてきているのだから、今回のサンクトペテルブルクとエカテリンブルクも同じ末路を辿ることだろう。フランスの派兵も、そうした戦局の悪化を受けての判断であることは間違いない。


「お風呂入ろ……」


 仕事疲れに重たいニュースを聞かされて、夏目は逃げるように起き上がって、浴室へ向かった。

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