黒人のワシントン男爵から、会話に加わってきた軍服のエルフが皇族だと紹介されると、惣治は緊張に顔を赤らめた。
「皇子、こちらは大日本帝国のマキシマ卿です。今日、ハルファグに乗っていた」
「えぇ、一番上手く乗りこなしていたと聞きました。『サムライは乗馬も得意なのだな』と、ストロガノフ伯も感心していましたよ」
惣治に向ける笑顔は屈託なくも気品に溢れ、それら全てが自然と滲むものだと明らかだった。
テューダー朝の歴代皇帝によく見られる、夕日に映える小麦のような赤毛に、洗練されたトパーズのように丸くて生気を込めた橙色の瞳。健康的な血色を湛えた白い肌と、エルフらしく尖った耳。堅苦しい軍服を自然に着こなす背丈に、分厚くも引き締まった四肢と胴。全てが正確に測られて作り上げられたかのように端整で、全てが磨き上げられたかのように美しい。
「あ……ま、牧島惣治です。お会いできて光栄です、殿下」
五百年を超える歳月が育んだ威光のようなものに気圧されつつ、惣治は堅苦しい単語を紡いだ。
「マキシマ卿のことは存じてますよ。叔父からもう三回は聞きました」
「先代と閣下は幼馴染みだったと聞いていますよ。何でも南西部の探検に同行したとか」
金髪が映えるエルフのエルズベラ男爵婦人が朗らかな表情で言った。
「アルバス宰相閣下のことですか?」
惣治が顔を赤らめながら訊くと、
「えぇ。殿下のお父上は、宰相閣下の兄君でしてね。それは立派な軍人でした」
「そうだったんですか……あの、宰相閣下には、ロシアとの戦争の折に大変お世話になりました。できたら直接会ってお礼を申し上げたいのですが……」
「叔父なら明日のシンポジウムに参加しますよ。今日は帝都の用事で来られなかったみたいですが、明日なら意地でも来るでしょう」
ホープ・テューダーが答えると、惣治はホッとしたようだった。
「それで、皆さん何を話していたんですか?」
「今日のハルファグの話と、ついでに投資の相談を少々」
ワシントンがホープに応じた。
「私とエルズベラ卿が面倒を見ているハイボラ社が、投資家を探していましてね。それで、マキシマ卿に是非ご一考いただけないかと思いまして」
「しかしこちらの護衛の方から丁重にお断りされてしまいました。『まだ判断できる年齢ではないから』と」
男爵婦人がそう言って、惣治の傍に立つ流音の方を促す。流音は一礼してから、
「そういうわけですから、惣治さんに投資の話は控えていただけると助かります。伯父の惣一さんであれば、応じてくれると思いますよ? ほら、あちらにおられる方です」
そう言って、柱の傍で日本の華族と談笑する伯父の方を指す流音に、
「流音、何かトゲがあるよ」
「そうですか?」
「そういうことなら仕方ないでしょう。お二人とも、プレゼンの相手はあちらの方だそうですよ」
爽やかな笑顔で皇子が促すと、二人の貴族は苦笑して顔を見合わせ、
「仕方ない。では我々は、マキシマ卿の叔父上に売り込んでくることにします」
「失礼いたしますわ、マキシマ卿。今度またゆっくりお話しましょう」
「えぇ、喜んで」
惣治が笑顔で送り出すと、二人は悠然と惣一のもとへ向かっていく。
「さて、投資話は置いておいて、乗馬についてお訊きしても?」
「はい、何なりと」
堅苦しい惣治の応答に笑いながら、ホープは続ける。
「ハルファグには私も蹴り飛ばされたことがありましてね。その点あなたの乗馬はほぼ完璧だったと聞いていますよ。手解きはどなたが?」
「乗馬についてはうちの護衛の者から教わりました。ゲンティアナというエルフなんですけど……」
「ゲンティアナ……ユリス・ゲンティアナですか?」
「はい。ご存知ですか?」
「キーファソ王国で間違いなく最高の騎士だったと、母からよく聞かされました。貴族と皇族の悪口だけで一晩中語れる母が、褒めてばかりいましたからね」
惣治にはユリスの好評よりも、その情報元に関心があった。そういえば、人間であるテューダー家にあって、エルフというのは特異だと、今更ながらに気づいてしまった。
「殿下のお母様って、もしかしてセルーさん?」
惣治の疑問を、傍の流音が口にした。
「えぇ。母とはもう会われましたか?」
「まぁ、結構前に」
「そうでしたか。母はああ見えて毒舌でしてね。どうも権力者や資本家に対して当たりが強いようで、よく貴族達から泣き言を聞かされますよ」
ホープの苦笑に流音も同調する。北海道に現れた折、ユリスと相当にやり合ったという話は聞いていたが、どうにも本当らしい。
「ただ個人的には、母の言い分も分かりますけどね」
ホープは運ばれてきたワインを取り、一口飲んでから続ける。
「これは特に帝国本土の問題なんですが、貴族や富裕層が中産階級以下の国民を軽視しているんです。彼らは自分達が特権階級にあると考えているようでして、下々の者の悩みには無関心で、それどころか平民相手であればどんな狼藉も許されると、本気で考える者も少なくないそうです。特に若い世代にこの思想が広がっていると聞きます」
皇族の立場の者が苦言を呈するほどだ。如何に酷い有り様なのか、想像は容易かった。
「力ある者は力なき者を守る。弱きを助けるからこそ彼らは権力を持つことを許されたはずなのに、その責務を果たさず、守るべき者を侮り、傷つけ、私腹を肥やすことに拘泥する。そんな連中の政治に、誰が従うというんでしょうね」
「僕の周りも同じような感じです」
惣治が同情するように苦笑を浮かべた。
「武士の家系や昔から貴族だった家系の人には、僕みたいな家柄や平民を馬鹿にしてる同級生ばっかですよ。金持ちの家にもそういうのがいて、ほんと嫌になります。あぁでも、日本はもっと深刻かな? 平民でただの労働者なのに、何故か経営者や特権階級の視点で話したがる変な人がたくさんいるんです。彼ら自分で自分の首を絞めるようなことしてるのに気づいてないのかな」
不満顔の惣治に、流音が横から控えめに日本語で窘める。
「惣治さん、そこまで言っちゃって大丈夫ですか? 一応相手は帝国の皇族ですし」
「え? ダメかな……でも、殿下も話してくださったし」
「どこまで事実か分からないですよ?」
「心配ご無用ですよ。全て事実です。CNNやFOXも、公然と批判してますからね」
ホープは苦笑しながら日本語を紡いだ。米帝の者らしからぬ流暢なそれに、惣治と流音は目を丸くする。
「実は仕事柄、外国語を多く扱いましてね。他にも中国語とフランス語、ドイツ語、ロシア語は人並みに扱えますよ」
「なるほど……さすが、新世界出身なだけはありますね」
「いえいえ、それほどでも」
警戒心を滲ませる流音に涼しい顔で日本人のような応答をして、
「こう見えて人間的には中年も良いところですからね。だからですかね、帝国貴族の若者を見るとどうにも不安になってしまうんです。その点、惣治さんはしっかりしていらっしゃる」
「光栄です。でも、殿下が皇帝になられたら、帝国もきっと良くなると思いますよ」
惣治が言うと、今度はホープが眼を丸くした。
「正直、帝国の皇族の人達って、国民のことなんて見てないと思ってました。でも、殿下はそうじゃなかった。殿下みたいな人が皇帝になれば、米帝の人達は喜ぶんじゃないかな、って」
差し出がましいことを言ってしまったと、惣治は顔を赤らめ、俯く。
「皇帝になるよう言ってきた人はたくさんいたが、『国民が喜ぶから』と言われたのは初めてだな」
穏やかで砕けた言葉遣いに、惣治は顔を上げる。
「本当にそう思いますか?」
「え……あ、うん。本心なのは伝わってきたし」
「そうか……ありがとう」
ホープは笑みで惣治に答えた。これまで見せてきたものとは違う笑みで、惣治が思わず見惚れるほど優しかった。
◇
「ホッピーはああ見えて、帝国陸軍の大尉なんですよ。どうです警部? 今彼女いないそうですけど」
手摺りに凭れて階下を見下ろすリールーが、夏目に実弟を勧めてくる。彼女と違って仕事でこの場にいる夏目は、素面のまま惣治を見守りつつ、馬鹿げた提案を丁重に断った。
「平民階級で敵対国家の公安捜査官なんて、立場も身分も釣り合わないでしょ? 遠慮するわ」
「何だ、そんなこと気にしてるの? それなら大丈夫ですよ。うちの母だって田舎の出身だし、ホッピーのお父さんは帝国の次期皇帝候補だったんですよ? 警部よりしんどい立場だったのに、今じゃ有能公爵扱いで、本国でも一目置かれる存在なんですから」
背中を押すためというよりは、単に母のセルーを自慢したいだけのようだ。夏目はそんな本心に肩をすくめ、
「やっぱりユリスさんとは知り合いだったのね」
「そうですよ。それがどうかしました?」
「こないだ馬肉のお店で会った時、他人のふりしてたでしょ。あれ何だったの? 曙紅さん、気味悪がってたわよ」
つい先日の出来事なだけに、そこまで具体的に問い詰めればリールーも惚けはしなかった。
「まぁ、ちょっとしたイタズラです。ユリスおばさんが母をどう思ってるのか、単純に興味はあったし」
「そう。で、ご感想は?」
「相変わらずの頭でっかちぶりに安心しましたね」
リールーはそう言って、赤ワインを呷る。貴族の娘という立場を守らなければならない場だろうに、品位を無視した飲み方だ。
「小さい頃から好きじゃなかったんですよね。キーファソ流騎士道精神の権化みたいな人ですから。母の苦労も知らないで好き放題言ってくれちゃってたけど、あの人は帝国に残らなくて正解だったと思いますね。でなきゃとっくに死んでただろうし、下手したら母の足を引っ張ってたかも」
随分な物言いだが、夏目も何となく分かるだけに、反論は控えた。
「――おや、リールーじゃないか」
と、そこへ足音とともに、老人が割り込んだ。老人といってもそれらしい外見をしているのは薄い白髪と整った白ひげの老けた顔だけで、体格はその辺の若者よりも分厚く高い。階下で惣治達と談笑するホープと同じ紺色の陸軍制服がよく映え、その胸に着けた略綬は威圧的ですらある。
「あぁ、トムおじさん。母さんなら今応接中だよ」
声をかけてきた老将に、リールーは親しげな笑みでそう答えた。
「警部、こちらトム・アンダーソン少将。帝国陸軍の偉いさんね」
紹介を受けた夏目は、咄嗟に姿勢を正して応じた。
「皇帝官房第三部の桐生です。大日本帝国公安庁より、人材交流事業のために――」
「あぁ、知ってるとも。アルがやってる、あの事業だろう?」
夏目の自己紹介を遮り、老将はため息混じりに苦笑を返す。
「キリ、といったな? 私は帝国陸軍を指揮する立場で、毎日のように君の友人の軍と小競り合いをして、部下を亡くしているんだ。その私が、君達アジア人と親しげに話すことができると思うかね?」
「はあ……しかし、それなら私だって、あなた方の同胞との小競り合いで同僚を亡くしていますよ?」
「そうだとも。すなわち私の言い分はそういうことだ」
言い返した夏目に、老将は満足したような笑みを一瞬だけ見せ、リールーの方へ向き直った。
「セリューの用事は、長引きそうなのか?」
「今日はもう会えないと思うよ。何か急ぎの用事?」
「最近会ってなかったから、挨拶がしたかっただけだよ。まぁ仕方ない、よろしく伝えといてくれ。私は部外者だし、退散するよ」
「はいは~い」
手を振って、老将を送り出したリールーに、今度は夏目が訊ねる。
「名前もまともに聞く気がないような人に紹介しないでもらえます?」
「あの状況じゃしょうがないでしょ」
社交の場とはいえ、警備の応援として呼ばれた身なのだから、出席者のように扱われるのも困るのだが。
そんな心中を飲み込んで、夏目は階段を降りて出口までまっすぐに向かう将軍の背を見送り、訝った。日本や中国からの参加者どころか、同胞である帝国貴族にもまともに挨拶をせず、去っていってしまったのだ。
封建的な身分秩序で成り立つ米帝と新世ロシア帝国にあって、あの態度は何とも異質だった。
「あのおじいちゃんはかれこれ三十年あんな感じだよ。フランス人よりもアジア人が嫌いなんだ。その人達と仲良くする帝国貴族もね」
「よくこんな場違いなところに顔を出したわね……」
「あの人、母さんと馴染みなんだよ。ホッピーのお父さんの部下だったから」
友人に会うために憎悪の対象が集まる場所に顔を出すとは、何とも友人思いなことだ。
敵意を向けられる側からすれば、迷惑極まりないが。
◇
「――さっきも言った通り、あの子の父はテューダー家の人間で、あの子は帝国の帝位継承候補の一人だ」
セルーに連れてこられた邸宅二階のリビング。
ユリスは向かいに座ったかつての盟友から告げられたことを、すんなりと受け入れることができなかった。
「お前の夫は……リールーの父親はどうした?」
「死んだよ。領主としての役目を立派に果たしたと聞いている」
セルーは穏やかな表情で淡々と語る。
「お前は歯牙にもかけていなかったが、あれはあれで気骨があったぞ。リールーから聞いたところでは、帝国の兵士相手にも毅然と交渉したそうだからな」
懐かしげに語るセルーだが、ユリスの方はそうもいかなかった。
「夫を殺されたのに、仇に恭順して貴族に返り咲いたのか」
「夫の仇は帝国ではない。それに、カレンデュラ家は帝国の支配下になってから一同たりとも、爵位を奪われたことなどない。勘違いするな」
セルーはそう言い退けてため息を吐いた。
「こんな話をしたいわけじゃない。本題に入ろう」
「私はお前と話したいことなどない。ソウジさんの護衛をしなければな。失礼する」
ユリスはソファから立ち上がると、足早に扉へ向かう。
「お前がいた収容所を襲撃させたのは誰だと思う?」
背後からの問いかけに、ユリスは足を止めた。
「収容所は大東亜共同体の支配地域から百キロ以上離れていたな。日本だけでそれだけの距離を往復し、無傷で生還できると思うか?」
「米帝の手引きがあったとでも言いたいのか?」
「そうだ」
「馬鹿馬鹿しい! そんなことをする意味がないだろう!」
自国の支配地域への侵入に捕虜の救出。それらを当人が手助けすることなど、あるはずがない。
だがセルーは顔色を変えることなくユリスに応じた。
「ロジャーは東部で行われていた軍の虐殺を憂慮していた。現地住民の恨みを買うだけで、占領後の統治が難しくなるだけだからな。アジア諸国と国境を接することになれば、奴らにつけ入る隙を与えることにもなるだろう」
それがデタラメな持論でないことは、大東亜共同体の庇護下にあったユリスがよく分かっていた。欧米の非人道的な植民地支配を根拠に現地人の反感を煽り、独立勢力に育て上げることは、アジアの常套手段だ。
「そのリスクを考えれば、収容所の看守の命と帝国の威厳など安いものだ。少なくともロジャーはそう考える人間だし、実際それでお前は命を救われたんだ」
「だとして、そのロジャーとやらに感謝しろとでも言うのか?」
「それは無理だろう。そんなことは私も分かっているし、ロジャーだって求めはしない」
振り返って睨むユリスから、セルーは目を背けた。薄暗がりにぼんやりと見える絵画を眺める。
「なら、私をここへ呼んだ理由は何だ?」
理解を求めるわけでもないのに事情を説明したのなら、その目的は何なのか。答えを求めたユリスに、セルーは静かに告げた。
「戻ってこないか、ユリス。私とともに、キーファソを再興しよう」
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