世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第71話

公開日時: 2022年9月24日(土) 21:37
文字数:7,139

「我々は開発中のこちらのシステムを、MADOKAと呼んでいます。開発責任者のジョンソンが、日本のアニメ作品にスピレーションを受けて、このような呼び名をつけました。おそらく皆様もご存知の作品かと思いますが……」


「私はその辺さっぱりですが、美鵬びほうさんご存知ですか?」


「名前が出てこないな。東京放送の系列でやってたアニメなんですよ。何だっかなぁ。牧島さん、分かる?」


「魔法少女まどか☆マギカですかね?」


「ミスター・マキシマ、ご名答です」


「あ~、それだそれ! 都議会でも話題になったんですよ」


「へぇ、そりゃすごい」


「それで、そのアニメからインスピレーションを受けたのには、何か理由が?」


「その主人公の終盤での活躍を、このシステムが担う役割と重ねています。具体的には――」


 ホテルの会議室から聞こえてくる、顔馴染みの華族達を相手にした帝国のベンチャー企業によるプレゼンの様子に聞き耳を立てていた惣治は、やがて退屈さに負けてベンチから立ち上がった。


「ソウジさん、どちらへ?」


 隣に座っていたユリスが呼び止めると、


「ちょっと散歩。ついてきてよ」


 何ともマイペースな物言いに、ユリスは肩をすくめる。


 とはいえ、会議室のプレゼンに参加している惣一郎には、流音がついている。離席したところで問題ないし、当人達も惣治がここでずっと待っているとは思っていないだろう。


「あまり遠出はできませんよ?」


「分かってるよ。ほら、行こう」


 惣治に手招きされて、ユリスは立ち上がった。


 ホテルから出て、通りを歩く。昨晩降った雪が道の端に寄せられて、狭くなった道幅にはACRを提げた兵士が立っている。すぐ傍にはストライカー装甲車が停まっていて、銃座からも兵士が目を光らせている。


 トム・アンダーソン少将による反乱から三日が経ち、街は少しずつだが平穏を取り戻しつつある。あの日、プスタスクを占領していた反乱軍は、コンベンションセンターへの爆撃によって完全に心を折られ、それから数時間後に乗り込んできた帝国軍の制圧部隊にほぼ無抵抗で降伏した。占拠されていた警察署や皇帝官房の本部も解放され、同時に制圧に派遣された部隊がそのまま居座り、こうして治安維持の役目を務めている。


 展示会の最終日は消化不良に終わり、とっくに帰国予定日は過ぎたのだが、惣治達アジアからの来客はこの街に留め置かれている。曰く、帝国の政情不安への対処のためということで、もう少しの間ここで待たされるようだ。日本や中国が護衛を買って出ても当然米帝政府が受け入れるはずもなく、結果暇を持て余した華族達は、同じように足止めを喰らっている帝国貴族との交流と商談に勤しんでいるというわけだ。


「ほんと暇だよね。プスタスクって観光スポットもないし」


 開口一番の愚痴に、ユリスは同意する。


「経済発展だけを考えて作られたようですからね。昔の面影が全く残っていません」


「前もそんなこと言ってたね」


 正面から冷たい風が吹きつけてきて、惣治は堪らずコートのポケットに手を入れた。


「昔のプスタスクは、森に囲まれた静かな村でした。村人は森の恩恵を受けて暮らし、今のような経済活動など全くしていませんでした」


「セルーさんって、ここの領主に嫁いだんでしょ? その生活が嫌だったとか?」


「むしろ気に入っていたはずです」


 断言し、ユリスはため息を吐く。


「じゃあ、セルーさんにも事情があって、この街を作ったんだね」


 何のためかは分からないけど、と締め括った惣治の言葉に、ユリスは答えを持っていた。


 キーファソを再興するために、セルーはプスタスクを発展させたのだ。


 あの夜、帰ってこいと打診を受けた時、ユリスは彼女の真意と覚悟の強さを悟った。


 二〇〇〇万の人口を抱え、最先端の技術を研究し、無数の新興企業を産み出し続ける巨大都市。それは彼女の領主としての成果であり、帝国の誰よりも輝かしい実績であるはずで、事実今日までに顔を合わせてきた帝国の貴族達で、セルーを讃える者はいても、悪し様に言うものは一人もいなかった。


 彼女はその手腕で帝国に貢献し、そしてその見返りに、キーファソ再興の約束を取りつけたのだ。あの悪辣な米帝から、だ。欧州やアジアに逃げた何者も成し遂げられず、そしてユリス自身に至っては考えも及ばなかったことを、セルーは何十年と時間をかけてやってのけたのだ。


「ていうか、セルーさんには会ったの?」


 問いかけた惣治に、ユリスは関心を戻す。


「パーティの時に会いましたよ」


「その後は?」


「それからは会ってません。会う必要もありません」


「それ薄情じゃない?」


 咎めるような惣治の視線に、目を背ける。


「明日ホープさんに会いに行くから、その時ついてきてよ」


「いや、それは……」


「良いでしょ? どうせ何もすることないんだから」


 頬を膨らませて見せる惣治。当主になってもう半年、未だに母親譲りのこの癖は治らず、こうなるともう引っ込みがつかない。


 それに、例の打診にも返事はしておかなければならない。


「分かりました。ですから、それは止めてください」


 ユリスが折れると、惣治は頬を萎ませて、得意顔を見せた。


     ◇


 翌日は曇り空が晴れて、この季節の新世界北部には珍しい快晴となった。


 日が昇った頃、カレンデュラの邸宅を訪ねると、パーティの時とはまるで雰囲気が違っていた。


 正門に繋がる山道の入り口に、ストライカーが二台停車し、ACRを提げた兵士が十人ほどで見張りをしていた。惣治達を乗せたキャデラックを一人が止めると、自動運転なのを確認して、後部座席の窓をノックした。


「ここから先は公爵閣下の私有地です。ご用件は?」


「十一時にホープ殿下と面会の約束をしている、マキシマです。確認をお願いします」


 惣治が差し出した身分証を兵士が受け取り、照会に向かう。その間に他の兵士が、トランクの中や車内を調べて、やがて確認が取れたらしく、兵士が駆け寄ってきた。


「ご協力感謝します、ミスター。お通りください」


「どうもありがとう」


 仏頂面の兵士に愛想良く笑みを返して、身分証を受け取り、窓を閉める。


「気分が悪いですね。ソウジさんは客人のはず。疑われる道理はありません」


 山道を進むキャデラックの中で、隣に座ったユリスが毒づいた。


「セルーさんに無愛想な態度取っちゃダメだよ?」


「相手次第です」


「じゃあ大丈夫そうだね」


 皮肉めいた惣治の物言いから目を背け、窓の外を眺める。


 パーティで赴いた時はすっかり日が暮れて分からなかったが、窓外を流れる雪景色は、ユリスのよく知るプスタスクのそれだ。真っ白い雪を被った深緑の木々。それらの間から顔を覗かせる低い空。


 何十年ぶりの祖国の面影に、ようやく触れることができて、ユリスは待ち望んだ郷愁を抱き、ため息を吐いた。


 キャデラックが山頂に着くと、正門前にも見張りの兵士が立っていた。数は入り口の倍。服装は黒地の軍服で、見たところ憲兵だろう。


 彼らを相手にも同じように身分照会と手荷物チェックを受けて、許可をもらってようやく正門を潜った。


「お待ちしておりました、マキシマ様」


 玄関を開けた女中のネネリが、二人に恭しく一礼し、邸内へ招き入れる。


「来てくれたんだ、おばさん」


 エントランスに足を踏み入れると、正面の階段からリールーが降りてきた。


「ご無沙汰してます、リールーさん。その節は助けていただいて、ありがとうございました」


「あのくらいお安い御用だよ」


 ところで、とリールーはユリスの方を一瞥して、


「ソウジくん、母さんがおばさんと話したいらしいんだけど、ちょっと会ってもらっても良いかな? ホッピーのところにはネネリが案内するし」


「私にはソウジさんをお守りする使命がある。それはできない」


 毅然とユリスが断るが、


「ユリス、大丈夫だよ。ここはセルーさんの家なんだし、守りも万全なんだから」


「しかし……」


「それに、どのみちセルーさんには会わなきゃいけないでしょ? 僕のことは良いから、会ってきなよ」


 そこまで言われると、断る口実も見当たらず、ユリスは観念したように頷いた。


「ではマキシマ様、どうぞこちらへ」


 ネネリに連れられて、惣治は一階の奥へ向かっていく。それを見送ったリールーは、


「おばさんはこっちね。ついてきて」


 ユリスとともに階段を昇っていく。


「警部達、このまま出向継続だって。知ってた?」


「あぁ。ナツメさんから電話で聞いた」


 ユリスは淡々と応じた。


 コンベンションセンターの騒動からまもなくして、皇帝が危篤になったことによる政情の不安定化を懸念した米帝政府は、大東亜共同体との人材交流事業の中止を発表した。各政府機関に出向していた人員が、準備が整い次第帰国となるが、夏目を始めとする皇帝官房の面々は、このまま残ることとなった。


「まぁ警部って結構な優良人材だし、手放したくないんだろうね。代わりに送った職員より使えそうだし」


 皇帝官房に出向している者は誰もが優秀だろう。米帝としては、これから起こるであろう国内の揉め事を片づける間、欧州からの持ち込まれてくる面倒事に対処できる人材を、可能な限り手元に置いておきたいのだ。


「君主の危篤で騒がしくなるのはどこも変わらないな」


「キーファソもそうだっけ? あの王様、何か苦労知らずな感じだったけど」


「側近が有能だったからな。実際のところ、先王と比べて苦労は少なかっただろう」


「じゃあ帝国皇帝の方が苦労人だね」


 どことなく勝ち誇ったようなリールーの物言いに、ユリスは不快感を覚え、目を伏せる。


 三階の執務室まで来ると、リールーがドアをノックする。「入れ」と返事を受け取ってドアを開け、


「おばさん連れてきたよ~」


 リールーに促され、執務室に足を踏み入れる。


 応接ソファには、新世ロシアの首相・アルバスと並んで、セルーが座っていた。アルバスの背後にはダークエルフのヒースクリフが控えていて、コンベンションセンターで振るっていたキーファソの剣を腰に提げている。


「来たか、ユリス。座ってくれ」


 セルーに促されて、向かいのソファに座る。


「アルバスとはもう知り合いらしいな」


「コンベンションセンターで会った」


「牧島とともにハルファグを駆り、あの爆発から生き延びた。噂通りの勇敢な騎士だ」


 素っ気なく答えたユリスに、アルバスが賛辞を添える。


「君は王の槍と称えられていたらしいな。セリューから聞いたところでは、国王が君のために作った称号だそうじゃないか」


「私にそのような珍妙な名前の知人はいませんが」


「失礼。君達の言葉の発音では、『セルー』が正しかったな」


「お気になさらず。他国の文化や尊厳を軽んじるのは、貴国では当たり前のことでしょうから」


 棘のある物言いのユリスを睨んで、ヒースクリフが剣に手をかける。アルバスが右手を挙げて殺気を制した。


「キーファソには国王から与えられる最高の称号が二つあった」


 剣呑な雰囲気を正そうと、セルーが切り出した。


「一つは最高の戦士に与えられる王の剣。そしてもう一つは、国王の全幅の信頼を受けた宰相に与えられる王の盾。王の剣たる戦士が王位継承戦争で活躍する間、ランリファスや

ボステリア、ジャルマンといった近隣の列強からの侵略を退け、国土を守り抜いたユリスは、その活躍を称えて第三の称号を与えられた。それが王の槍だ」


「その時君が率いた近衛兵や地方の軍団の若者達が、後の遠征騎士団だそうだな。素晴らしい、本来なら歴史に名を残す活躍だ」


 掛け値なしの賛辞にも、ユリスの表情は浮かない。


「それで、彼女はそんな君をキーファソに呼び戻したいそうだが、君はどう考えているんだ?」


 アルバスが促すと、ユリスは顔を上げた。 


「つまり、あの勅令は……」


「本物だよ。二十年前、私の一族と公証人が集まった場で認められたものだ。キーファソを大公国として独立させ、帝国との対等な同盟国として各協定を締結する。そういう勅令だ」


 新世ロシアの首相として告げたその言葉が、嘘であるはずもない。ユリスもそれは認めざるを得ず、胸が高鳴った。


「まぁ尤も、この勅令には反対意見も少なくなかった。皇族で反対しなかったのは精々二十人ほどで、帝国議会はほぼ全員が反対した。それでも皇帝はこの勅令に署名した。それだけ彼女の献身を評価していたからだ」


「そうですか」


「その皇帝が危篤になった今、反対派の連中がこの勅令をすんなりと受け入れると思うかね?」


 考えるまでもなく、受け入れないだろう。皇帝が崩御すれば、後継者の座を巡って国が割れることにもなりかねない。そんな時に支配地域の独立など、認める方がどうかしている。


「セリューは君に、新たに歩み出すキーファソを守るための剣になってほしいと考えているらしい。どうだね?」


 問いかけるアルバス。ユリスはセルーに目をやって、


「お前がこの地を発展させたのは、キーファソを取り戻すためだったんだな。そのためにお前は、愛していた景色も塗り替えて、米帝のために尽くしてきた」


「責めているのか、ユリス?」


「どうかな。だが、私にはできないことをお前は成し遂げたんだ。それだけは分かる」


 表情が自然と綻ぶ。かつて友に抱いていた、純粋な尊敬と信頼が、ユリスの胸の内には確かにあった。


「お前なら私がいなくても大丈夫だろう。それに、私にはもう、仕えるべき主がいる」


「そうか」


 久しく見なかった友の笑顔に、セルーは見惚れていたが、その言葉を聞くなり、やはりかと苦笑が漏れた。


「お前は変わらないな。相変わらずの頑固さだ」


 ユリスは気を引き締め直すと、アルバスの方へ向き直った。


「今のセルーを支えてやれるのは、あなた達だけです。だから、セルーのことを頼みます」


 日本人のように頭を下げるユリスを見て、アルバスは静かに、小さく頷いた。


「約束しよう。セリューは、私が守る」


     ◇


「――惣治達も来週には出国できそうだよ」


 応接室に通されて、挨拶と簡単な近況を話し合った後、ユカルの紅茶を出されたところで皇帝の容態を訊いた惣治に、ホープは少し考えた後でそんな言葉を返した。


「えっと、それは……」


「陛下はもう持たない。多分、明日中には亡くなるだろうな」


 声色を落としたホープ。惣治は申し訳なさに胸を締めつけられた。


「ごめんなさい、ホープさん。配慮が足りませんでした」


「惣治が気にすることじゃない。あの人は十分過ぎるほど長生きした。悲しむような話ではないさ」


 ホープは笑みを返して、


「まぁそういうわけで、明後日には帝国は喪に服すことになる。そんな中で政争のために何かをしでかそうなんて輩、傍若無人な帝国貴族の連中にもさすがにいないから、来週には帰国させてあげられるというわけさ」


 弔い合戦とでも大義名分が立つならまだしも、国内でそんな大層な言い訳が立つようなことも起きていないのだから当然だろう。


 現帝の後釜に自分達が支持する皇族を据えようと、帝国貴族の活動が活発になれば、その手段としてアジアからの賓客に余計なちょっかいをかけることも十分に考えられる。それを懸念してのプスタスクの警備体制と、賓客の帰国遅延だ。


「ニューヨークでは誰が帝位を継ぐかで話題が持ち切りらしい。惣治は誰が良いと思う?」


 問いかけたホープに、惣治は身を乗り出すほどの勢いで即答した。


「僕はホープさんが良いと思います」


「僕は政治の経験がない」


「天皇陛下にもありませんよ」


「天皇陛下は政治的な判断はしないだろう。帝国皇帝は、万事の判断をしなければならない。専制君主だからね」


 惣治は難しい顔で唸って、


「でも、僕はホープさんに皇帝になってほしいです。優しいし、かっこいいし、強いし」


 子供染みた理由が並んで、ホープは笑う。紅茶を一口啜って落ち着くと、


「叔父や一部の親族は、僕に父の幻想を見てるんだ」


「ホープさんのお父さん?」


 ホープは頷く。


「父は立派な軍人だったし、何よりみんなから愛されていた。僕もそんな父に憧れて、同じ大学に行って、同じように軍人になって、同じ部隊にも所属した。でも、僕は父ほど愛されなかった。人望はどうにも、遺伝しないらしい」


「ホープさん……」


「僕は父のようにはなれない。だから、叔父達の期待には応えられないんだ」


 寂しげな一言で締めると、ホープはばつが悪そうに笑って、紅茶に手を伸ばす。


「お父さんみたいにならなくても良いじゃないですか」


 惣治が言うと、ホープはマグカップに伸ばした手を止めた。


「僕も父が死んだ時にホープさんみたいなことを考えました。父みたいになれないのに、いきなり当主なんて言われても、って」


「君の父は、確か……」


 ロシアの帝政復古派に命を奪われた、惣治の父。彼を殺めた背景に、帝国の思惑があったことは知っているだけに、ホープは後ろめたさを覚えた。


 そんなホープに、惣治は気丈に告げた。


「『父さんみたいになる必要ない。お前はお前らしくすれば良い』って、父は言ってくれました。『お前が前を向いてさえいれば、みんなが助けてくれる。だからお前は一人で頑張ろうとしなくて良い。ただお前らしくいれば、それで良いんだ』って。だから、僕は僕らしく、牧島を継ぐことにしました。ホープさんも、お父さんにならなくて良いんですよ」


 出過ぎたことを言ってしまったと、惣治は少しだけ後悔した。皇族と平民上がりの貴族では、背負うものがまるで違うのに。


「僕らしく、か……」


 ホープはマグカップを見つめながらそう呟き、それから少しの間考え込んだ後、柔和な笑みを浮かべた。


「ありがとう、惣治。君に話して良かった」


「え? あ、はい……」


 差し出された右手を、惣治は戸惑いながら握った。強く握り返したホープに、惣治はよく分からないながらも役立てたのを自覚して、つられて笑みを返した。


 皇帝・オーウェンが崩御し、彼の遺言によってホープが帝位を継承すると公表されたのは、その翌日のことだった。

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