この国を出て、森エルフの小国・ボムへ移住する。
バロラ・ハイサの狼藉から救ってから一年、数少ないこの国の同族として懇意にしてきたエルフの母親からそう告げられた時、ユリスは大して驚きはしなかった。
「騎士様には、本当に良くしていただきました。何とお礼を言ったら良いか……」
「お礼を言いたいのは私の方だ。あなた達がいたおかげで、私も頑張ってこれたのだから」
ユリスは偽りのない本心を告げた。この国は人間でないと住みにくい。大日本帝国の庇護下に置かれ、改革が進んでもなお、何百年とかけて積み上げられた国民の慣習や外部への不理解は中々変わらない。
帝政中華の庇護下にあるボムは、このグラディアより米帝の支配地域に近くなってしまうが、日常生活を送る分には、この国よりずっと気楽だろう。
「だが、お二人がいなくなると、この家が空き家になるのか。もったいない」
ユリスはそう言って、大木の家を見上げる。森エルフの技法を用いて、中をくり貫いて作ったこの木の住まいは、その強い生命力を誇示するかのように、青々とした葉を風に揺らしている。
「騎士さまが住めば良いんだよ!」
投げかけられた元気な声に、目線を下げる。一人娘のエルフの少女が、あの日とはうって変わって、屈託のない笑顔でユリスを見上げていた。
「それも良いかもしれないな」
少女にそう笑みを返したユリスに、母親が続く。
「日本の方にも相談してみたのですが、騎士様さえ良ければ、お譲りさせてください。このままでは、切り倒されてしまうでしょうし」
森に住むエルフは、大木の中を住まいとし、その大木をも家族として扱い、生涯大切に使っていく。
彼女達にしてみれば、この大木の家を手放すのは、家族を捨てるに等しいのだろう。木を見上げる母親の表情は、どことなく寂しげだ。
「それなら、ご厚意に甘えさせてもらおう」
ユリスが言うと、足元の少女が嬉しげに笑って、母親も安堵したように笑った。
母子が日本と中国を経由して、ボムへ旅だったのは、それから一ヶ月後のこと。以来、ユリスの住まいはこの大木の家だ。
ユリスは最上階にある手狭な空間で、あのエルフの少女から送られた手紙に目を通していた。母子が住んでいた時、娘の個室として使われていた部屋には、小さな窓が一つついていて、青々とした枝葉の隙間から外の景色が少しだけ見える。秘密基地のような趣だ。
母子が引っ越してからというもの、数年に一度の割合で不定期で送られてくる手紙には、家族の幸せそうな近況が書いてあった。ボムに初めて設立された大学の一期生として卒業後、技術者として国の農業発展に尽力してきたあの少女は、大学の同級生と結婚して、冬に四人目の子供が生まれる予定だという。同居している母親の方も、健在だそうだ。
出産祝いにまた何か送ってあげたいところだが、果たしてその時に自分が生きているのか、ユリスには自信がなかった。
と、枝葉の隙間から、騎竜を率いた車列が向かってくるのが見えた。ユリスは手紙を置いて、椅子から立ち上がる。
青地の民族衣に着替え、龍革のブーツを履く。いつも通りの正装で玄関まで走るが、階段を降りきる前に、勝手に扉を押し開かれた。
扉を開けた騎士の不遜な態度は気にも留めず、ユリスは続いて入ってきた人物を前に、階段を降りて跪く。
「久しいな、ゲンティアナ」
槐色の騎士正装をパンパンに膨らませた国王・サロサ八世が、満面の笑みでユリスを見下ろしながらそう言った。ユリスは顔を上げることなく、淡々と、国王に応じる。
「お帰りなさいませ、陛下。わざわざお越しいただき恐縮ですが、どういったご用件でしょうか」
「何様だ、ゲンティアナ」
返ってきた言葉の主は、声と調子からすぐに分かった。団長のバロラ・ハイサだ。
「貴様のような裏切り者のもとへ陛下自ら足を運ばれただけでも、ありがたく思わんか。身の程知らずめが」
「用向きを聞いたに過ぎません」
「口答えをするな!」
「止さぬか、バロラ」
傍に立つ忠臣を宥めて、
「ゲンティアナよ、少し話がしたい。奥へ通してもらえるか?」
「は……どうぞ」
立ち上がって、奥へ促す。階段を昇ってすぐのテーブルへ通すと、サロサ八世は言われるまでもなく上座の椅子を引き、窮屈そうに座った。
「この家は森に住むエルフのものだったな? 奴らの習慣は理解できぬ。このようなところに住むなど、まるで虫ではないか」
腹の肉をテーブルに乗せ、笑う国王。それに同調して、同伴したバロラと護衛の騎士達が笑う。
「お越しになられた目的は、私の背信の件について、ですか?」
ユリスは気持ちを抑え込み、向かいに座るなり切り出した。
「うむ、それだ」
サロサ八世は得意気な顔のまま頷いた。
「バロラとイナキ殿から、次第は聞いた。ゲンティアナよ。お前ほどの忠臣が、何故そのようなことをしたのか、教えてもらえぬか?」
「事件解決に必要だったからです。そうでなければ、私も情報開示はしませんでした」
「イナキ殿は、情報開示を必要としたのは公安庁の怠慢だったとも言っていたが?」
「私にはそうは思えません」
稲木から吹き込まれたことを、首を振って否定する。
「私は彼らの捜査に同行していました。彼らの捜査に怠慢や問題があったとは思えません」
「日本に少し居ただけで何を知ったつもりになっている」
バロラが横から噛みつく。
「日本人のイナキさんの言うことが正しいに決まっている」
「その理屈であれば、私の王立騎士団に対する評価も認めていただけるのですね?」
「何だと?」
「私に言わせれば、憲兵隊への協力要請もなしに密売組織の摘発を強行し、三十名の団員を失ったことの方がよほど怠慢で間抜けた采配に思えます。それを指示したのは団長、あなたでしょう?」
バロラの顔が強張り、見る見るうちに赤くなっていく。護衛の団員達の顔色も、一様に団長に倣っていた。
「今回の事件で、公安庁は一人も殉職者を出しませんでした。それが怠慢の結果だというなら、そんな組織に頼らざるを得ないほどの失態を犯した王立騎士団の立場はないと考えます」
「口を謹め! 自らの背信を正当化するために、誉れ高き王立騎士団を侮辱する気か!」
バロラの怒声が、木の家に響く。
「ゲンティアナよ。事情は分かった」
それを諫めるでもなく、サロサ八世は告げた。
「だが、国家の体面というものがあるのは承知しているだろう?」
「はい。ですので、処分は如何様にも」
淀みのない言葉で頷くユリスに、サロサ八世は笑みをたたえた。
「素晴らしい、高潔な意志よ。ならば、私もお前の心に応えよう」
そう言って告げた提案は、次の瞬間、ユリスの目を丸くさせた。
「私の妻となれ。そうすれば、この背信は水に流そう」
「……は?」
戸惑うユリスに、サロサ八世は続ける。
「私の子を産むのだ、ユリス。この騎士の国に相応しい、強き子をな」
「どういう意味ですか。話がまるで見えませんが……」
ただただ笑みを浮かべるだけの国王に代わって、バロラ団長が教えてやる。
「国王陛下の温情だ。貴様が騎士を辞し、陛下の奥方として子を成すならば、裏切り者の汚名を雪ぐこともできるだろう、とな」
騎士を辞す。それが愉快なのだろう、バロラは卑しく笑みを浮かべながら、ユリスを見下ろしていた。
「貴様も命は惜しかろう? 国王陛下からのまたとない温情だ、断る理由もあるまい」
サロサ八世は下心を隠そうともせず、テーブルに置いたユリスの手を握る。
「ゲンティアナよ。お前は父上の治世からの忠臣だ。そのお前を妻とし、子を成すことを、父上も望んでいよう? お前が裏切り者として処断されることなど、父も望まぬ。分かるであろう?」
ユリスは目を閉じ、思い返す。先王が病に倒れ、死の間際にあった時のことを。
そして、自らの手を引き、サロサ八世に答えた。
「先王は、陛下を支えるよう私に言い遺されました。ですがそれは、騎士として忠節を尽くすことを求めたのです。陛下の妻となることなど、あの御方は望まない」
「だが貴様は裏切ったではないか!」
「そう思うのであれば、どうぞ如何様にも処断ください。それが私にできる、最期の忠節です」
バロラの追及を毅然と退ける。国王の顔から笑みは消え、見る見るうちに苛立ちを露にしていく。
「この私が妻にしてやると言っているのだぞ。何が不満なのだ?」
「不満かどうかの問題ではありません。私は騎士として、陛下に仕えるのみ。そのような恩赦を受けるつもりはございません」
「私は父上のような凡愚ではない。周辺の国々に対して優位に立ち、日本を完全に味方にしているのだぞ?」
「だから?」
何を言いたいのか。そう問いかけるユリスに、サロサ八世は苛立ちを爆発させる。
「私は父上より優れているのだ! それにも関わらず私を拒むというのか!? 父上と同じように!」
「何を仰っているのですか……」
「それならば、それならば仕方あるまい。お前も死ぬと良い。私を失望させる者は、誰であろうとそうなるのだ!」
父上と同じように。
そう最後に漏らした国王の言葉に、ユリスの戸惑いは消え失せた。
「どういうことですか? 今何と?」
「この女を取り押さえろ。最早騎士ではない。国王陛下に仇為す大罪人だ!」
バロラが号令し、立ち上がろうとしたユリスに、護衛の騎士達が剣を抜く。剣を持たず、魔法石もないユリスに、立ち向かう術はない。
「陛下、あなたまさか先王を……」
「お前にはもう関係のないことだろう? 忠節のために死ぬのだからな」
サロサ八世はそう言って立ち上がり、騎士達に告げる。
「ここでは殺すな。サロサタワーのお披露目の場で、公開処刑にしてくれる。他国への良い見せ物となろう」
「はっ!」
バロラが一礼し、騎士達に告げる。
「この裏切り者を連行しろ!」
その顔には、笑みが浮かんでいた。
◇
騎竜を最後尾に、国王専用のリムジンと護衛用の車両、それに被疑者移送用のミニバンで編成された車列は、ユリスの大木の家で二手に分かれることとなった。
国王専用リムジンと護衛車両は、サロサタワーに通じる大通りへ向かって、畦道を迂回する。一方、ミニバンと騎竜は、ユリスを郊外の収容所へ移送するため、道なりに進んで東門から王都へ入った。
貧民街の広がる王都東端の路地は手狭で、車だとすれ違うこともままならない。そんな路地で遊ぶ子供達は、騎竜の威圧的な咆哮を聞くなり、石造の簡素な家に逃げ込み、道を開ける。
「ったく、不潔な町だぜ」
舗装されていない地面を騎竜が蹴り、土埃を巻き上げ、それに運転手の騎士が不平を漏らす。後部座席の隅で、手枷を填められたユリスは、下を向いたままただ押し黙る。
「さっさと運んで、宮殿に戻ろう」
助手席に座る騎士が宥めるようにそう言った、次の瞬間だった。
右手から車が飛び出してきて、騎竜に激突した。
「何だ、おい!?」
衝突音と運転手の声に、ユリスが顔を上げる。
道を塞ぐように停まる、場違いな黒の乗用車。その先には黒い羽根を散らして、小屋の壁に頭をぶつけて悶える騎竜と、振り落とされて倒れている騎手。
乗用車の運転席と後部座席のドアが開いて、人が降りてくる。帽子を被り、サングラスをかけ、バンダナで口元を隠した二人組。背の高い一人が米帝製の自動小銃・M16で、瀕死の騎竜に三発ほど見舞って止めを刺すと、その銃口をミニバンに向けた。
「て、テロリストか!?」
動揺する運転手。だが向けられる自動小銃の銃口を前に身動きが取れず、ハンドルを握る両手を小さく上げることしかできない。
もう一人の襲撃者が拳銃を手に、小走りで後部座席に駆け寄る。窓がノックされ、運転手が恐る恐る手を伸ばして、ドアのロックを外すと、襲撃者がドアを引き開く。
サングラスとバンダナで顔を隠した襲撃犯は、茶髪を首元まで伸ばしていた。パーカーに隠れていて体格は判然としないが、背格好からして女性。そしてどこか、既視感があった。
答え合わせをするように、襲撃者はサングラスを外し、マスクを少しだけずらして見せた。見覚えのある顔に、ユリスは思わず声を漏らす。
「ナツメさん……!」
ユリスを安堵させるように笑いかけると、夏目はサングラスをかけ直して、助手席の男に拳銃を向けた。
「手枷の鍵を出しなさい。早く」
日本語で紡がれた言葉に、助手席の騎士は全身を強張らせながら、虚勢を張る。
「貴様、日本人か。王立騎士団を相手に、こんなことしてただで済むと――」
夏目は引き金を絞って、ダッシュボードに四〇口径弾を叩き込んだ。ポリマーフレームで作られた米帝製の拳銃だ。
「さっさと出しなさい」
車内に乗り込んで、銃口を後頭部に押しつける。銃身の熱を感じて怖じ気づいたか、騎士はゆっくりと左手を懐に忍ばせ、手枷の鍵を夏目に差し出した。
夏目は鍵を奪い取ると、ユリスの腕を掴んで、車から引っ張り出す。
「ナツメさん、一体何のつもりですか」
「話は後。とにかくここを離れるわよ」
腕を引かれて、シボレーに向かう。相方の鎖地は二人が横を通り抜けるのを待って、M16の引き金を絞った。セミオートで十発。フロントガラスを砕いて、運転席と助手席の二人を撃ち抜き、動かなくなったのを認めると、踵を返す。
シボレーの後部座席に、ユリスと夏目が乗り込む。鎖地は運転席に乗り込もうとして、騎竜から振り落とされた騎士が意識を取り戻しかけているのを見咎めて、横たわる脇腹に三発ほど叩き込んでおいた。
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