パルデュラ西部の高速道路で犯人と交戦し、王立騎士に死傷者が出たという情報は、王宮に伝えられてから一時間後、王都南部の憲兵隊本部にも届けられた。
「――我々に協力を要請しないとはどういうつもりですか? 変異石密売組織の件に続いてこれでは、我々は何のために駐留しているのか分かりませんよ」
王宮に隣接する、王立騎士団本部。応接室に通された憲兵隊少佐は、黄色い肌を紅潮させながら、部屋の主に詰め寄る。
「我々だけで事足りるとの判断だ」
それに応じたのは、テーブルを挟んで向かいに座る、王立騎士団幹部の青年だ。五名しかいない騎士長の要職に若くして就き、パルデュラにいる三百名の王立騎士の指揮官でもある。団長と副団長が本部を空けている今、憲兵隊幹部を応対できる責任者は必然的に彼となる。
「犯人グループを取り逃がし、騎士にも死傷者が出たと聞きましたが?」
「不意打ちだったのでね。今、国中の王立騎士に号令し、包囲網を敷いている。もう後れは取らん」
「米帝の銃で武装した相手にどう対処するおつもりですか? 憲兵隊に協力を要請していただければ、航空支援だってできます」
「必要ない。それとも、憲兵隊は我々の主権を侵害するつもりか?」
こう言えば、憲兵隊が反論できないことを、騎士長はよく知っている。稲木筆頭政務補佐官から教わったのだ。
騎士長にとって、憲兵隊は邪魔でしかなかったし、バロラ団長やロルカ副団長の態度からしても、幹部連中の誰もがそう思っているのは明白だ。品のない藍色の制服に、不細工な帽子。全員揃って示しを合わせたかのような短髪。そして腰に提げた野蛮な拳銃とお飾りの軍刀。これ見よがしに「憲兵」と誂えた腕章も下品で不愉快だ。
大日本帝国から治安維持のために派遣され、一時は二千人もの憲兵が我が物顔で国土を踏み荒らしていたという。全土で百人足らずとなった今でさえこんなにも目障りなのに、それほどの大人数では窮屈で仕方なかったことだろう。
品のない他所の世界の軍人など、この国には不要。武士道などというものがあるらしいが、グラディアの騎士がそのようなものに劣るはずがないのだ。
「どうか心配なさらず、我々に任せていただきたい。では、これで」
内心で一方的に言い負かすと、騎士長は面談を切り上げた。憲兵隊少佐も、それ以上は何も言えず、席を立った。
◇
王都からシボレーを走らせること三時間。
険しい山岳地帯のサービスエリアで、夏目達は車を乗り換えることとなった。
高速道路と鉄道が主な交通手段で、主要都市の他は森や草原が広がるグラディアでは、主要都市に着くまではどうしても六時間程度はかかってしまう。必然的に長旅にならざるを得ず、車の故障や事故による足止めの際の緊急の備えとして、車やバイクを貸し出しているサービスエリアは少なくないし、病院や宿泊施設を兼ねているところもある。祖界よりも国土が広く、都市化が進んでいない新世界ならではのサービスだ。
「どうせすぐバレるけど、これなら悪目立ちもしないし、桐生に運転させても安心だしな」
青のシビックを選んだ鎖地は、運転席でハンドルを握る夏目のシートを、後部座席から叩いて言った。
「邪魔しないでください。事故起こしたら困るでしょ」
ため息混じりに諫めて、夏目はアクセルを踏む。
「ここからあと四時間も走ったら、炭鉱街のヤイガに着く。そこで俺の用事を済ませたら、いよいよ明朝には国外逃亡ってわけだ。テンション上がるだろ?」
「上がりません」
期せずして鎖地の隣に座ることとなってしまったユリスは、無神経な物言いに辟易しつつ、そう答えた。
高速道路から隣国のバイパー王国に亡命するというのが、鎖地と夏目の考えたシナリオだった。バイパーの国境警備隊には鎖地が顔が利くし、グラディア側の警備は王立騎士団が管轄しているとあって、突破が容易との判断だった。
「あんたが来たばっかの頃から考えると、随分と変わっただろ?」
そう話しかけたのは鎖地だった。サービスエリアで調達した缶コーヒーを開けて、一気に呷る。
「昔のグラディアは江戸時代の日本以上に閉鎖的だったらしいからな。先代が先見の明のある奴だったおかげで変わったみたいだが、あのボンクラ国王じゃこの先どうなるか」
まるで挑発するかのような鎖地の物言い。以前なら反論の一つも試みたところだが、今のユリスにはそんな気分になれず、殺風景な荒れ野に顔を向ける。
グラディア王国は随分と様変わりしたが、この荒れた山岳地帯に限って言えば、昔とさほど変わっていない。外的を寄せつけない険しい山々に、生命を拒絶するかのような荒野は、緑豊かで季節の色彩に富むキーファソでは滅多に見ることのできない光景なだけに、初めて目の当たりにした時には却って新鮮に映ったのをよく覚えている。
「――これからは協調の時代だな」
帝政中華の基地での大東亜共同体加盟の調印式を終えた帰り。特別輸送機の小窓から外の景色を見ながら、国王はそう呟いた。
「これまで敵対していた周辺の国々が同盟国となる。今後は彼らと手を取り合い、共に発展していかねばならない」
生命の気配のない荒野を見渡す国王の眼差しは、どこか物憂げだった。
「そのためには我々の優位性を確保しなくてはなりませんな」
国王の隣に座る老人が言った。黒い髭をたっぷりと蓄え、全身を筋肉で覆った姿は、野獣を彷彿とさせる。
基地で初めて対面した時の紹介によれば、この老人は先王の時代から王立騎士団を率いていて、王国でも最強と謳われる豪傑だという。国王の剣術と騎馬の指南役でもあったそうで、向かいに座るユリスから見て、二人の間の空気はまるで親子のそれだった。
「そこはゲンティアナ殿にも意見を聞きたいな」
国王はそう言うと、ユリスの方へ向き直る。
「キーファソも周辺国とは対立していたと聞くが、外交政策はどうしていたんだ? 参考に教えてくれないか」
「お聞きになったところで、何の役にも立たないかと」
無下な回答に、国王は面食らった。
「キーファソとグラディアでは国力が違います。身の丈に合わないことをしても、身を滅ぼすだけです」
「む、そうか。言われてみれば、確かにな……」
ばつが悪そうな国王。しかし老騎士は、諭すように反論する。
「ゲンティアナ殿、強国の外交を知ることで、我々の身の振り方を考えるきっかけがほしいのだ。キーファソはバイパーやケネギンより遥かに優れた大国。その考え方を知ることは必ずや役立つ」
見た目に反して理知的な物言いをする老騎士に、ユリスは半ば感心しつつ、
「キーファソは典型的な大国です。争いが起これば制圧し、領土を奪い取る。侵略されれば追い返し、追撃する。和平交渉の場でも、譲歩したことなど一度としてなかったはずです。そもそも同盟国など周囲にはいませんでしたから、国王陛下のご意向に役立つことはないかと」
「なるほど。確かに、我々にはそんな強気の外交は不可能だな」
老騎士は自虐めいた笑みを見せた。
「ですので、キーファソの逆を行けば良いのです」
ユリスは続ける。
「周辺国とは同盟として友好的な関係を築き、また同時に、相手から見てもグラディアが必要不可欠な存在と認識させるのです。米帝との境界から離れている以上、国防上の依存関係を利用することはできませんし、必要もありません」
「だが他国が羨む目ぼしいものが我が国にはない」
国王が呻くように言うと、ユリスが続ける。
「周囲の大国の後ろ楯は、グラディアと同じく日本だったと記憶しています」
「それはそうだが……日本に取り入るのか?」
日本政府に取り入って、同盟内での優位性を得る。謀略的な外交手段を思い浮かべた国王に、ユリスは首を振る。
「日本には、道路と鉄道を作るための経済援助を要請します。主要な大国と国境を接するグラディアが陸路を整備することで、輸送拠点の役割を担うことができると説けば、快く協力してくれるでしょう」
ユリスの進言に、老騎士が思い出したようにつけ加える。
「この世界との入り口の数を制限する案が出ていると、中国の高官から聞きました。日本との入り口を維持できれば、ゲンティアナ殿の案はかなり有効に働きますな」
「輸送拠点たりえるからこそ、我が国の入り口を残してほしいとも言える。妙案だな!」
難解な問いに完璧な答えを見つけ出したとばかりに、笑みを弾ませる若き国王。
「ありがとう、ゲンティアナ殿! 貴殿に来ていただいて本当に良かった!」
誰の目にも明らかな、心からの感謝の気持ち。隣に座る老騎士も、それに同調するように朗らかな笑みを浮かべ、頷く。
人間に感謝されるというのは、初めての経験だった。同族を救うことばかりしてきたから、そんな機会が来るはずもない。近隣の人間が敵対国のランリファスにしかいなかったのだから、当然だろう。
「あれを見てくれ、ゲンティアナ殿」
当惑するユリスに、国王は窓の外へ促した。
「我が国を守ってきた砦だ」
キーファソでは最果ての地でしか見ることのできない、土と岩の荒れ地。向こうの世界の飛行機がなければ、越えるだけで一苦労の険しい山岳に囲まれたこの地が、天然の要塞となってグラディアを守ってきたのだ。
「私はこの荒れ地に道を作る。そして、周囲の大国と貿易を行い、人の往来を増やす。そうすれば、グラディアの民は今より豊かになるだろう」
そう語る国王の目に、さっきまでの憂いはなかった。
「私は、グラディアをもっと豊かな国にしたい。私を支えてくれ、ゲンティアナ殿」
何を思っているのか、顔に出やすい素直な正直者。それがユリスから見た国王の印象だった。
そもそも、こうして国王に連れられて国へ向かうことが、おかしな話なのだ。大東亜共同体に加盟した国の中で、ユリスを将校として招聘したがった国は他にいくらでもあった。キーファソという大国の騎士団長というのは、それだけ名前が売れた肩書きだ。
そうした国々の中に、グラディアのように国王自らが赴き、国王直属の騎士として来てほしいと声をかけた国はなかった。それが当然なのだ。国王というのは、異国の、種族も違う者を呼ぶために、自ら動いて良いほど、身軽な立場ではないのだ。側近として招くなど、この世界では前代未聞だ。
それをこの国王がやってのけたのは、この素直さ故だろう。そして、その愚直ともいえる性格に引っ張られて、グラディアの騎士となることに決めたのだ。
「全身全霊を尽くします、陛下」
胸に手を当てて、ユリスは凛然と答えた。
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