サウスウェールズ皇帝特区に建つ邸宅の応接室で、クリス・テューダーは二人の少女と面会していた。
二人揃ってテューダー家の血筋の象徴でもある赤毛を結い、その艶やかな色合いを際立たせる白地の服を着ている。顔立ちもよく似ているが、雰囲気は正反対で、片や妙齢の貴婦人のように落ち着き払い、片や年齢相応の少年のように快活だ。
エリザベス・テューダーに、アン・テューダー。テューダーの傍系に生まれたその姉妹は、帝国臣民からそれぞれ太陽と月に例えられ、親しまれてきた。年齢は二人とも十八に満たず、貴族や財閥の子弟が通う高校に通いながら、帝国のために研鑽を積む学生だ。未成年で、後見人に有力な貴族や皇族はつかず、大帝の後継者を巡る近頃の帝位継承権争いには名前すら挙がらない二人に、帝国宰相の長男であるクリスが面会するのは、それだけの大事だった。
「僕としては、次の皇帝に君達のどちらかを推し、もう一方に宰相を任せたいと考えている。どうかな?」
穏やかな調子で切り出されたその申し出に、姉妹は互いに当惑の顔を見合わせた。
「君達は帝国臣民から慕われ、教養も十分にあるし、もちろんテューダーの血も継いでいる。帝位継承の資格は満たしている。そうだろう?」
「はあ……それは、ありがたいお言葉ですが……」
「私達には荷が重すぎます」
歯切れの悪いアンに代わって、エリザベスが断言した。
「それに、帝位を継承したら大学には行けませんよね? 私は大学で学びたいことがあるので、帝位については辞退させてください」
「待ちなさい、エリザベス。そう急くことはない」
苦笑しながらクリスが窘める。
「君が学びたいのは国際政治学だったね? そのためにロチェスターを志望していることも知っている。だが学問よりもより深く学ぶことができる場がある。皇帝としてその地位に就くことさ。これ以上の学びの場はない。違うかい?」
「知識も経験もなしにいきなり実践というのは非現実的です。陛下だって大学で経済学を学ばれたのですし、私もそのようにすべきだと思います」
淀みないエリザベスに、アンが控えめに続く。
「私も、公衆衛生学を学んで内政に貢献したいとは思ってますけど……皇帝になるなんて、恐れ多いです」
「そもそもなんですが、叔父様が帝位を継承する方が遥かに現実的じゃありませんか? 私やアンが帝位を継いでも、官僚と貴族の皆様に逐一指示を仰がなければなりません。それではテューダーの帝政としては不健全と考えます」
笑顔すら湛えて、毅然とそう返したエリザベスに、クリスは一瞬表情を強張らせたが、すぐに平静を取り繕って頷いた。
「二人の考えは分かった。だが、時間はまだある。もう一度よく考えてくれ。皇帝になることで成せることもあるし、見える景色もあるのだからね」
「ご配慮痛み入ります、叔父様」
起立して一礼する姉妹に笑みを返して、クリスは席を立った。
それから十五分後、クリスの姿は皇帝特区北端に建つ、ティモシーの邸宅にあった。
「二人に打診してみましたが、あまり乗り気ではなさそうでした。大学へ行きたいの一点張りで、帝位には興味がなさげです」
書斎で邸宅の主であるティモシー・テューダーと相対したクリスは、先ほどの面会の所見を告げた。向かいのソファで一人分以上の幅を取って座るティモシーは、突き出た腹の影響でやや仰け反るような姿勢で、鼻を鳴らして答えた。
「構わん。外堀さえ埋めてしまえば、そんなものどうにでもなるからな」
「それはそうですが、しかし彼女らを担がずとも、我々が帝位に就けば良いのでは? 私はティム叔父様を支持しますし、貴族達も叔父様を推すはずです」
「クリス、前にも言っただろう?」
ティモシーは苦笑を取り繕って言った。
「私は皇帝の器ではないし、老い先もそう長くはない。それならば、長く帝位に就くことができ、それでいて補佐しやすい者を皇帝に担ぐのが良いのだ」
「それは、そうですが……」
「もちろん、お前やジャックも考えたがな。それでもやはり、壮年に差し掛かるお前達よりは、あの二人の方が遥かに長いし、お前達も動きやすいだろう。ホープが死ねば、ジャックには軍の支持が一気に集まるし、お前もトマスの後を継ぐ準備をしておきなさい。次の宰相はお前なんだからな」
諭すような物言いとともに、鼻を鳴らすティモシー。クリスは静かに頷いて、それ以上は言わなかった。
◇
「――俺も分かってんだよ? セルーのやつの移動魔法で行っても、下手すりゃ袋の鼠になるだけだってことはさ。でもだからって、こんなじめじめした寒い通路を四時間も黙々と歩くのはめんどくさくないか?」
コンベンションセンターに繋がる地下通路を歩くこと一時間。退屈さに音を上げたマリーデルをサイモンが諫め、次いでに小言を挟んだことで始まった口論に、ヘンドリクセンがマリーデルに援護する形で参戦した。
「めんどくさいって言っても仕方ないでしょ。それなら車で地上から行きますか?」
「俺一人ならそれも考えるけどよ。お前ら一発もらうと死ぬもんな」
「大尉だって頭撃たれたら死ぬじゃないですか」
「俺は避けられるから。お前らと違って颯爽と躱してやるから」
「こないだ足撃たれてずっこけてたやつが何言ってんだか」
三人の口論を見守る夏目は、隊長のホープに目をやる。端に座って通路の奥を見据える姿に、口論を止める気配はない。
「止めなくて良いんですか?」
隣に立って訊ねると、ホープは顔を向けずに、
「いつものことです。今のうちに休憩しておいてください。まだ先は長いですよ」
こんなに喧しい休憩などあるものだろうか。
「いつもこんな感じなんですか?」
「意外ですか?」
「えぇ。軍の特殊部隊って、もっと静かなイメージでしたから」
「やる時はやりますから、安心してください」
夏目の方を向いて、ホープが笑いかける。不安そうな相手を落ち着かせるための、作り物の笑みだと、夏目にはすぐに分かった。
「やはり母は、桐生さんを評価していますね。この作戦に同行させたんですから」
ホープは前方へ向き直って言った。
「人材交流事業が始まって十年以上経ちますが、皇帝官房に出向した人物でここまで信頼されたのは桐生さんが初めてですよ。大抵 は雑務か欧州関係の面倒事を押しつけて終わりですから」
「そうらしいですね。出向前に噂で聞きました」
それでも行きたがる者がいるのは、この出向が出世への近道だからだ。実際、過去十年で皇帝官房への出向を経験した者の多くが、その後公安庁や内務省で要職を得ているのだから。
「いっそ皇帝官房に鞍替えする気はありませんか? こちらの方が待遇は良いと思いますが」
「そんなことしたら、人材交流事業が終わっちゃいますよ。それに、暗殺も恐いですしね」
冗談めかして、引き抜きの打診を断る。
「何だよ隊長、そいつ口説いてんのか?」
と、そこへヘンドリクセンが割り込んできた。口論は落ち着いたのか、マリーデルとサイモンの関心も夏目達に向いている。
「皇帝官房さんが十六人目の愛人ですか?」
「え、十六!?」
「サイモン、止さないか。僕の信用に傷がつくだろう」
「おい皇帝官房、隊長に惚れんのは止めときな。泣く予定の女がもう二十人近く控えてんだから」
隊長の苦言も構わずマリーデルが楽しげにつけ加え、さらにヘンドリクセンが、
「隊長はまだ独身だから良いんだよ。大体、ちょっと優しくされたからって簡単に惚れるのが悪いんだろ」
「あの、そういう誘いじゃないんですけど……」
「あ、そうだったの? でも隊長狙うんだったら大変だぞ。貴族の娘やら財閥令嬢やら王族やらハリウッドスターやら、競わなきゃならない相手は死ぬほどいるからな」
これ以上好き勝手に喋らせると、信用に傷がつく。ホープはM4を杖代わりにして立ち上がり、
「休憩終わり。先を急ごう。無駄口は叩くなよ」
◇
「この際だから訊くがな、アルバス。お前はアジアの連中と本気で分かり合えると思っているのか?」
トム・アンダーソンは唐突に問いかけた。扉の外に見張りを二人立てているだけの、手狭な会議室。二人だけの空間に、トムは葉巻の煙を燻らせ、難しい顔を浮かべる。
「奴らが帝国に貢献したことなど一度としてない。それどころか、敵対行為を働いたことの方が多いというのに、お前やトマスは随分と甘いじゃないか」
「中心となっている三ヶ国は我々と同じ帝国で、他国の政体を尊重している。共和制だの人権だのと自分の価値観を押しつけてばかりの欧州と比べたら、どちらが組みやすいかは軍人でも分かるだろう?」
「その組みやすい相手に、毎年三〇〇人も仲間を殺される気持ちがお前に分かるのか?」
怒りと憎悪の籠った目で、トムが静かに睨む。
「私は何度もお前やアレクサンドルに進言した。だがお前達は、一度として報復措置を命じることはなかった。それでは死んでいった部下達は何のために戦ったんだ? 何のために死なねばならなかった? 教えてくれ、アルバス」
「それがこの反逆の目的か。アジアの貴族連中を殺して、死んだ部下達の仇を討ったことにしたいわけだ」
「前線で撃ち合っても、死ぬのは平民出の雑兵だけだ。だが新世界の開拓に貢献した貴族が殺されたとなれば、奴らのような政体の国はただでは済まないだろう?」
専制君主制でなくとも、貴族には相応の影響力がある。新世界を開拓した実力者達ならなおさらだ。彼らが死ぬことで大東亜共同体が被る損害は、決して無視できるものではない。
「お前にそれを吹き込んだのは、クリスか? それともティモシーか?」
アルバスは冷静に問い質す。
「確かにアジアへの復讐としては申し分ないな。だがお前達も死に、名誉も失う。それが分かっているのか?」
「言っただろう、アル。私達はもう、そんなことはとっくに覚悟しているんだよ」
「クリスやティモシーのような奴らに良いように操られて、何が覚悟だ。あいつらこそお前達の痛みなど欠片も理解していないじゃないか。皇帝特区で全てが完結すると本気で思い上がったクズどもだ。そんな奴らに利用されて、お前達は犬死にだぞ。それが理解できないのか?」
次第に語気を強めていくアルバス。トムは重苦しいため息とともに立ち上がり、
「分かっているさ。だが、そんなクズどもと組もうと思わせたのはお前達だ」
吐き捨てるように言い残して、トムは部屋を後にした。
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