世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第46話

公開日時: 2021年6月19日(土) 12:47
文字数:6,832

「――セリューから連絡があった」


 新世ロシア帝国・アレクセーエフスク。宮殿二階の皇帝執務室を訪ねた首相のアルバスは、感情を抑え込んで淡々と報告した。


「作戦は失敗した。最早日露の全面戦争は回避できないだろう。本国も、核を使うことになる」


 デスク越しに報告を聞いたアレクサンドル四世は、顎髭を掴むようにして撫でながら、やがて諦念のため息を漏らし、アルバスの方へ向き直った。


「残念だ。ロジャーとの誓いを、果たしてやれなかったな」


「私の力不足だ。済まない、アレクサンドル」


「お前とセリューはよくやった。ロジャーもお前達を讃えこそすれ、非難はしまい」


 アレクサンドル四世はそう労うと、続けて皇帝として命じた。


「作戦実行は、アメリカ本土の決断と合わせて、私の名の下に命じることとする。然るべき時に備えるよう、全軍に指示せよ。全ては、皇帝である私の責任で果たされる」


 直立して敬礼すると、アルバスは執務室を後にした。


     ◇


 警備員二人が殺され、捕らえた刺客の監視のために人員が割かれることとなり、惣助が割り振った当番制は瓦解寸前だった。


 それでも朝の見張り番は休まず担当することにして、夏目はユリスと二人、女エルフの刺客と、監禁先の一階職員用休憩室で対峙した。


 黒いローブを着たエルフは、ユリスとよく似た顔立ちだ。目は凛々しさよりも可愛らしさが優る丸目で、フードとマスクに隠れていたオレンジ色の髪はショートボブ。一般女性と体格で大きな差異はないものだから、彼女がユリスが率いた騎士団の副長だと知らされても、あまり信じる気にはなれなかった。


「セルー・カレンデュラ。それがあなたの本名ね」


 事務員から借りたノートに、ユリスに代筆してもらったキーファソの文字とカナ名の周りにメモを書きながら、夏目が淡々と取り調べる。結束紐で後ろ手に縛られたセルーは、さっきまでの暴れ様が嘘のように静かに、パイプ椅子に座っていた。


「あなた、ユリスさんの元同僚なのよね? 北海道へ来た目的は?」


 米語で問いかけたのは、彼女が電話していた時に使っていたからだ。こうも使う言語を切り替えさせられるのはしんどいが、仕方ない。


「セルー、答えてくれ」


 目を閉じて黙秘する盟友に、ユリスが故郷の言語で促す。


「お前、私と剣を交えた時に加減をしていたな? それに、所持品の中には銃があった。殺そうと思えばそれを使えたはずだ。なのに短剣で臨んだのは、私を殺さないためだろう? 赤の他人か、記憶を消されでもしない限り、お前が私を相手にそんなことをする理由がない」


 縋るような思いで紡がれた言葉に、セルーはようやく目を開け、そしてユリスに笑いかけた。


「そうだよ、ユリス。お前とこんな形で再会するとは思ってなかったから、加減を誤ってしまったがな」


「セルー、やはり……!」


「私から何を聞き出したいのかは知らんが、もう手遅れだ。残念だがな」


 ユリスに故郷の言語で答えてから、ついで米語を淀みなく続けた。その器用さに圧倒されつつ、夏目は尋問を続ける。


「質問に答えて。あなたの目的は何なの? 昼間、私はあなたを見ている。マルカル・スポルを殺したわよね?」


「お前はあの時の女か。もう一人、男がいただろう。彼はどこにいる?」


「質問してるのは私。さっさと答えなさい」


 威圧的な夏目に苦笑しながら、


「答えたところでどうにもならない。全てはもう、手遅れだ」


「どういうこと?」


 聞き咎めた夏目に、セルーは黙り込む。黙秘を貫くつもりらしい。


「セルー、お前は今誰に仕えているんだ?」


 ユリスが夏目の隣から問いかける。


「そのくらい、答えてくれても良いだろう?」


「情に訴えるのは止めろ。私の忠誠心を侮辱する気か?」


「そんなつもりは……」


「仕方ないわよ、ユリスさん。答えること自体が裏切りみたいなものなんだから」


 知ったようなことを言った夏目に、セルーとユリスが向き直る。


「あなた、CIAの工作員でしょ。それか、NSAか皇帝官房。違う?」


 問いかけた夏目に、ユリスが噛みついた。


「ちょっと待ってください。CIAは米帝の諜報機関でしょう? セルーが米帝に仕えるなんて、あり得ません」


 夏目はセルーを追及するように、


「セルーさん、さっき電話してたでしょ。通信設備が壊されてるのに、どうやって電話したと思う?」


「それは、分かりませんが……」


「次元魔法通信っていう、米帝が開発した技術があるの。使ってるのは諜報機関だけだから、世間にはあまり知られてないけどね」


 新世界との電話やインターネット通信は、祖界間と同様にケーブルを介して行われるが、米帝は数十年前、次元移動魔法を応用した通信技術を開発した。この方法であればケーブルの切断や無線妨害の影響を受けることなく、祖界と新世界という次元を超えた先との正常な通信を行うことができ、その上魔法を介しているために盗聴もされないとも言われている。


 ネックがあるとすれば、この方式が祖界と新世界間の次元を跨いだ通信でしか使えないことと、個人が持つ魔力に依存してしまうということだ。そのためこの通信技術は日の目を見ることもなく、ごく一部の組織の限られた用途で細々と使われてきた。


「諜報機関専用の新世界専用通話で話す相手なんだから、私が挙げた組織のどれかしかないわよ。その上戦地に乗り込んでテロリストを殺して回ってるとなれば、CIAの領分とも一致する」


 観念したように、セルーは静かに笑った。


「どうして米帝なんだ……私達の敵じゃないか!」


 祖国を滅ぼした敵国。仲間を無惨に殺害した仇敵。そんな邪悪な連中に、竹馬の友が仕えていることが、ユリスには受け入れられなかった。


「今はセルーさんの身の上を聞く余裕がないわ」


 感情的なユリスをそう制して、夏目はセルーに向き直る。


「あなたの任務は何? 失敗したんだったら、今さら話しても裏切りにはならないでしょ。場合によっては、私達にも協力できるかもしれないわよ」


「お前達にどうにかできる話ではない」


 セルーは首を振った。


「私が命令されたのは、マルカル・スポルとクリョア・ミッシ、そしてウラジーミル・ジリツォフの抹殺だ。お前達が奴らを捕まえる前に、そして奴らが目的を果たす前にな」


「あいつらが牧島卿を狙ったのは、ロシアとの戦争を悪化させるため?」


「というと?」


「米帝だって、共和主義者に貴族を殺されれば、それなりに報復をするでしょ。政治にも関わるような大物ならなおさら。それと同じことをしようとしたんじゃないの?」


 欧州連合の主要国であり、盟主であるフランスとも繋がりの深いロシアが、政治的影響力の強い華族を殺した。本土侵攻の上にそんな情報が流れれば、世論は全面戦争に一気に傾くだろう。


「少し違うな」


 夏目の仮説にセルーは首を振った。


「いや、足りないというのが実際か。お前の仮説は、奴らの任務の一部でしかない」


「それなら本来の目的は何なの?」


「米帝を参戦させるための口実作りだ。そのためにわざわざ、米帝皇族と懇意にしている華族を狙っているんだ。敵討ちの大義名分のためにな」


 牧島家は日米交流会の幹事を務めるほどの親米一族だ。当然、米帝の皇族や財界にもある程度顔が利く。


 それほどの人物が殺されたとなれば、専制君主制のあの国が参戦するには、十分な根拠となる。


「そんな理由のため、ソウスケさんを殺そうとしたのか?」


 ユリスはセルーを睨み、威圧的な声で問い詰める。


「落ち着いて、ユリスさん」


 夏目はユリスを宥める。


「牧島卿は助かったんだし、それにクリョア・ミッシがまだ生きてる。そっちが優先よ」


「……分かりました」


 ユリスは深呼吸をして気を落ち着かせ、セルーに向き直る。


「クリョア・ミッシはどこにいる? 答えろ、セルー」


「分かったらとっくに殺しているよ」


 セルーは素っ気なく答え、目線を逸らす。


「まぁ尤も、今さら殺しても手遅れだがな」


「どういうことだ?」


「奴らの目的は果たされた。もう戦争は止められんし、米帝はこれを大義名分に戦争に介入する」


「言ってる意味が分からないわね。牧島卿は助かったじゃない。容態も安定してる」


「助からないよ」


 セルーは諦念とともに笑い、そして首を振った。


「牧島惣助は、もう助からない。死ぬんだ」


     ◇


 ジリツォフが使った拳銃の弾倉から弾を抜いたクロナは、その弾丸を一頻り見てから舌打ちを漏らした。


「随分とまぁ、悪趣味なものを使ってくれたわね」


 弾を弾倉に戻すと、クロナはその正体を求める目の前の面々に重い口を開く。


「これは魔族の血を使って魔術礼装を施した、謂わば魔弾とでもいうべき代物よ」


「カルト染みてて分かりにくいですが、何となくヤバそうなのは伝わりますね」


 状況を把握すべく寄越されたタチアナは、当惑の面持ちだ。新世界とは縁遠い欧州連合の人間とあって、この手の話に関しては完全な門外漢だ。


 そこでフィラが噛み砕いて説明する。


「魔術礼装というのは読んで字の如くで、武器や道具に魔法の力を宿す、新世界の魔法の一種です。そして魔術礼装は多くの場合、水や血といった液体を媒介にして行われます」


「えっと、要するにこの銃弾は、魔族の血を媒介に使って、何かしらの魔法を宿してある、と?」


「そういうことね。間違いなく西方の呪術よ」


 クロナは断言して、さらに続ける。


「まぁ、これには触らないことね。私は見た目上何ともないけど、普通の人間が迂闊に触ればタダじゃ済まないわ。チェルノブイリの、象の足だったかしら? あれよりも危ない代物だから」


「魔族の血がそんな危険物だなんて、初めて聞きましたよ。誇張ではないんですか?」


「普通はそんなでもないわよ。苦しんだり憎んだりした分だけ、血の毒性が強くなるの。この弾の魔術礼装に使われた血の持ち主は、魔族ですら想像できないような壮絶な拷問を受けたんでしょうね」


 魔族の血の毒性は、苦しめば苦しむほどに強くなる。新世界では昔から、魔族の大物を倒した勇者や剣士が、その返り血を受けて死に、同士討ちとなることは珍しいことではなかった。この原因が魔族の血の毒性の変化によるものと裏づけたのは、米帝の研究者達だった。


 おぞましい例えに悪寒を覚えつつ、タチアナは弾倉から目を離して、本題に戻す。


「それで、ソウスケ・マキシマはその呪いを受けてるんですよね? 助けるにはどうすれば?」


 肩にこの銃弾をもらった惣助は、手術を受けた後、地下二階に移され、今は簡易ベッドで安静にしている。弾は取り除かれ、出血は少なく、腕の感覚が麻痺しているものの、容態は安定している。血相を変えて容態を訊きに来た惣治には、クロナから心配ないと告げたばかりだ。


「助からないわ」


 クロナは短く答えた。しかしタチアナは納得がいかず、


「いやいや、呪いを解く方法があるはずですよね? これって言うなれば、BC兵器みたいなものなんですから、対処法がないと使えないじゃないですか」


 軍人としての一般論で食い下がるタチアナに、フィラが代わって答える。


「西方の呪術を解くことができるのは術者だけです。しかも、死ねば勝手に解けるようなものでもない。元々、他人の命を何とも思ってないような大賢者が作り出して、殺戮だけが生き甲斐の魔族が完成させた代物ですからね。そんな他人を思いやるような安全策は用意されてませんよ」


 吐き捨てるようにフィラは言った。拳を握りしめ、感情を圧し殺す姿は、タチアナに対して強烈な説得力があった。


「……もしそうだとして、惣助さんはあとどれくらい持つの?」


 それまで黙ってやり取りを見守っていた流音が問いかけた。


「このままほっとけばギリギリ朝までね」


「ほっとけば?」


 聞き咎めた流音に、クロナが本意を明かす。


「私としては、今すぐ安楽死させてあげるのが最善だと思ってるわ」


「そこまでなの……?」


「そうよ。今は平気な顔してるけど、あと一時間もすれば毒が全身に回るわ。腕が腐り落ちて、内臓が溶けて、痛み止めも麻酔も一切効かなくなる。それで朝まで生かしてあげるのが優しさだと思う?」


 クロナがそう問いかけた時、詰め所の入り口から物音がした。一同が顔を向けると、水と紙コップを盆ごと床に落とした惣治が、動揺を露にした表情で立っていた。


「惣治さん……」


 呼び止めようとフィラが前へ出ると、惣治は逃げるように走っていってしまった。


「私が行ってくるわ」


 クロナが弾倉を手に立ち上がる。


「あなた達は持ち場に戻りなさい。惣助にも話してくるから、また後で呼ぶわ」


     ◇


 地下二階に駆け戻った惣治は、息を切らしながら父の個室として用意された警備員の詰め所に向かって歩いていく。


 差し入れついでに作戦会議の偵察をしようと、母の晴華と二人で建てた計画で分かったことは、父の惣助がもうすぐ死ぬということ。こんなこと、報告できるはずがない。


「嘘だよ、そんなの……」


 個室代わりの区切りを横目に進みながら、自分に言い聞かせる。


「お、帰ってきたぞ」


 惣助の声に顔を上げる。


「お帰り、惣ちゃん。作戦は上手くいった?」


 銃創のある右肩を包帯で吊るし、ベッドに横になる惣助と、自分のベッドから降りてパイプ椅子に座る晴華。いつもの見舞いの様子とは違う組み合わせに、何だか笑えてしまう。


 父さんが死ぬはずない。惣治は改めてそう思った。だって、こんなに平気な顔をしているし、撃たれた箇所も急所ではないのだ。それなのに死ぬなんて、大袈裟だ。きっとクロナは、みんなを驚かせようとしているに違いない。あの人はいたずら好きだから、場を和ませるための悪趣味なドッキリだったに違いない。


「やっぱり、二人の差し金だったのね」


 自分に何度も言い聞かせるように、理屈を必死に作る惣治の背後から、クロナが呆れたように言った。


「何だ、バレちゃったのか。惣治もまだまだだな」


 惣助が苦笑する。惣治はいつものように膨れっ面を作らず、クロナを見上げる。


「クロナ、あの……」


「良いわよ。惣治にも知る義務があるから」


 そう言って、クロナは惣治の背中を押す。手狭なスペースに入ると、クロナは一つ呼吸を置いて、


「自覚してるだろうけど、あなたもうすぐ死ぬわ」


「……っ」


 惣治が恨みがましくクロナを睨み、晴華は言葉を失う。


「余命の告知ってもう少し躊躇われるものじゃないか?」


「魔族にそんなもの求めないで。それに、覚悟はもうできてたんじゃないの?」


「なるほど、お見通しか」


 観念したように笑って、


「手術の後から、右腕の感覚が麻痺していたんだが、もう感覚がなくなってな。実を言うと、もう動かないんだ。それで、呪いか何かだとは思ったが、これは何なんだ?」


「西方の呪術よ。もうすぐ癌よりも苦しんで死ぬことになる。まぁ、安楽死すれば別だけどね」


「だったら、潔く安楽死を選びたいな」


「待ってよ!」


 淡々と、まるで事務手続きのように話が進んでいくのを、惣治は受け入れられなかった。


「手術すれば何とかなるよ。ねぇそうでしょ? 院長先生に頼んだら、きっとすぐに手術してくれるよ。だから!」


「惣治、呪いは医者には治せない。分かっているだろう?」


「じゃ、じゃあ呪いを解こうよ! クロナならできるよね? ユリスやフィラだって、何か知ってるかもしれないよ!」


「惣治!」


 惣助が声を張って、息子を諫める。惣治は動揺したまま目を潤ませ、下を向く。


「クロナ、介錯はお前に任せる。先生達はやりたがらんだろうし、お前なら楽に死なせてくれるだろうからな」


「良いけど、この病院の人達には話を通しておくわよ。裏切ったと思われるのは嫌だし」


「分かった。しばらく家族だけにさせてくれ。三十分後に、頼む」


 クロナは頷くと、詰め所を出て、扉を閉めた。


「すまんな、晴華。先に逝くことになった」


 パイプ椅子に座って黙り込んでいた晴華は、惣助がそう声をかけた途端、泣き崩れた。顔を隠して下を向き、嗚咽する晴華の頭を、重たい左手を伸ばして撫でる。


「元々重い病気になったら安楽死させるよう、クロナと約束してただろ? それが少し早まっただけのことだ。そんなに悲しむことじゃない」


「病気じゃないよ……こんなの、おかしいよ……」


 泣きじゃくる惣治が、そう呻く。


「惣治、来なさい。晴華も、少し良いか?」


 目を腫らした晴華が、涙を拭って顔を上げる。


「惣ちゃん、来て。お願い」


 涙声で促されて、惣治は晴華の隣に立つ。


「惣治、お前が次の当主だ。ここで泣き終わったら、その自覚を持て」


「できないよ……僕、父さんみたいになれない」


「父さんみたいになる必要なんてない。お前は、お前らしくすれば良い」


 泣きじゃくる惣治を、左手で優しく撫でる。


「お前が前を向いてさえいれば、みんなが助けてくれる。クロナも、フィラも、流音も、ユリスも、屋敷の人や会社の人達も、みんなだ。だから、お前は一人で頑張ろうとしなくて良い。ただお前らしくいれば、それで良いんだ」


 穏やかな声で語りかける惣助に、惣治は顔を上げる。惣助は息子に笑顔を返して、


「母さんと晴子を守ってくれ。頼んだぞ?」


「……っ」


 目を擦って、大きく頷く。それを見て惣助は安心したように頷き返した。

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