世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第61話

公開日時: 2022年5月17日(火) 23:12
更新日時: 2022年5月17日(火) 23:13
文字数:5,450

 夏目が目を覚ましたのは自宅のベッドの上で、見慣れた白の天井が九〇度左に曲がっていて、少し離れたヘッドボードの上では、スマートフォンが着信音を鳴らしていた。


「あ……やばっ……!」


 意識が鮮明になって、着信音がはっきりと聞こえてくると、驚いたように飛び起きて端末を掴む。画面に表示された相手の名前を見ると、一呼吸置いてから耳に当てる。


「もしもし?」


『あ、おはよう。起きてた?』


「あー、うん。今起きたとこ」


 受話器の向こうから聞こえてきた柔和な声に、夏目の緊張がゆっくりと和らいでいく。


「て、もう十時か。寝坊しちゃった」


『珍しいね。夏目さん、いつも早起きなのに』


「昨日の仕事が長引いちゃって。七時から十二時過ぎまでずっと立ちっぱなしで、もう足がくたくた」


『大変だなぁ。今日休みでしょ? ゆっくり休みなよ』


「うん。じゃあ、少し話し相手になってよ。寂しいし」


『もちろん。僕も話したかったし』


 そう言って電話越しの相手である芦川は笑いかけてくれた。交際を初めてから半年も経たずに遠距離恋愛になってしまったからか、どうにも彼の声を聞くだけで寂しさも紛れるし、疲れも癒える。


『十二月のことなんだけど、羽田で合流してからどこか行きたい?』


「その日は直行で良いかなぁ。荷物あるし、疲れてそれどころじゃなさそうだしね。次の日は清史郎さんが仕事だから、どこか行くなら三十日辺り?」


『三十日なら僕も時間作れるよ。六本木に良いバーがあるみたいだから、そこ行ってみない? 仕堂さんから教えてもらったんだけど』


「へぇ、ちょっと行ってみたいかも」


 夏目は起き上がりながら思案して、


「じゃあ六本木で映画でも観ない? 清史郎さんが好きそうな映画、確かやってたと思うんだけど」


『僕が好きそうな映画って何だろう……アメリカ映画?』


「そうそう。ジョン・ウィックの最新作」


『あぁ、あれか! うん、観に行こう!』


 テンションの上がった恋人に、夏目も笑みがこぼれる。


 他国に対して門戸を閉ざす街・プスタスク。日中の日差しが乏しいこの街で、諜報機関に務める者にとって、こうした日常の会話は貴重な癒しだ。


 たとえそれが、自身が出向する皇帝官房に筒抜けであったとしても、恥を晒すような内容や機密に関わることでなければ、割り切るべきだ。そうでもないとやっていけないのだから。


 芦川もそれはよく分かってくれているだけに、仕事のことは訊かないし、向こうから皇帝官房が喜びそうなことを話したりもしなかった。


『早く夏目さんに会いたいよ』


 芦川はぽつりとそう漏らした。心からの本心に、夏目も同調する。


「私もよ。もうすぐ帰るから、待ってて」


     ◇


 遅めの朝食から小休止を挟んだ後、牧島家一行はホテルが用意してくれたキャデラックに乗って、展示会の会場へ向かった。


「昨日の晩餐会でお会いしたワシントンさんとエルズベラさんから聞いた話だけど、私は興味が沸いたよ。正直、個人でお金を出したいと言ってしまったしね」


 幹線道路をゆったりとした速度で進むキャデラックの車中。叔父の惣一がそう言うと、惣治は「そっか」と相槌を打った。


「伯父さんがそんなに推すなんて珍しいね。いつも野村證券の人と喧嘩してるのに」


「私も我ながらそう思ったよ。でも実際のところ、MagTechマグテックは今の米帝市場で一番人気の領域だからね。その上帝国貴族が二人も後ろ楯についてるとなると、その辺のファンドと組んでる連中よりもずっと信用できる。内容も面白そうだしね」


「マグ……何て?」


「マグテック。Magic魔法Technology技術を掛け合わせた造語だよ。まぁ、FinTechの魔法版だな」


 伯父の説明を聞いてもいまいち理解できず、難しい顔を傾げる惣治に、流音が助け船を出した。


「魔法とIT技術を組み合わせて便利なサービスを提供する、って感じですよ。有名どころだと、三井と住友の高級マンションとか。最近よくCM流れてるじゃないですか」


「住んでる人の状態に合わせて家事とかやってくれるってやつ?」


「そうそう! お風呂沸かしたり、テレビ点けてくれたり。あとほら、この車の自動運転とか」


 そこまで聞いてようやく理解できた惣治の表情は、納得したように頷いて、無人の運転席に目をやった。ホテルマンから誇らしげに紹介された時はただ単に凄いものとしか思えなかったが、距離感が僅かながらも縮まったからか、妙に魅力的に思えてきた。

 

「じゃああの人達もこんな感じのやつを

作ってるの?」


「そうだね。でも、軽く聞いた感じだともっと凄い取引があるらしいよ」


 惣一は興奮気味に続ける。


「どうやら政府機関から引き合いが来てるらしいんだ。詳しい話は掘り下げて聞いてみるが、これだけでもかなり有望だろう?」


「でもそんなに凄いんだったら、国内で資金調達できるんじゃありません? 何で他国の資本を受け入れようとしてるんです?」


「どうも軍事目的の利用を拒否したらしい。それで、とある皇族とその派閥を怒らせてしまって、国内の銀行やファンドが相手してくれなくなったと」


 封建主義の強い帝国だから起きた悲劇ともいうべき事態だ。外資に頼りたくなるのも無理はないだろう。


「拒否してくれて良かったですね。米帝の戦車やドローンが自動化なんてされたら恐ろしいですし」


「それだけ魔法の力は強大ということだよ。キーファソが新世界の超大国になったのも、魔法の発達が関係しているだろうしね」


 惣一は何の気なしにそう言い、そして思い出したように斜向かいに惣治と並んで座るユリスの方を見た。既にない祖国の名前を出したのは良くなかっただろうかと心配したが、当の本人は会話にも入ろうとせず、ただ目線を伏せていた。


「ユリス、どうかしたの?」


 惣治が声をかけると、ユリスはハッとして向き直り、


「何ですか?」


「何かボーッとしてたから。眠いの?」


「いえ、快眠でしたから」


「ほんとに? 昨日はいびきかいてなかったけど」


 流音がからかい半分に訊ねると、ユリスはムッとして応じる。


「ですから、いびきなんてかきませんよ」


「いや、そこはもう認めなって」


「今さら恥ずかしがらなくても良いよ。もうみんな知ってるんだから」


 惣治も流音も、いびきがうるさいのは個性として受け入れていた。普段同居しない伯父の惣一は未だに半信半疑で面白げに見ているが、彼から冷やかすようなことはせず、静かに見守る。


「少し考え事をしていただけです。お気になさらず」


 ユリスはそれだけ言って、関心を流音の背後を流れる街の景色に向けた。


 セルーが築き上げた、帝国屈指の大都市。昨晩彼女からかけられた言葉が、その街の景観のように脳裏を流れ、その度にユリスの心を揺さぶった。





「――私に帝国に仕えろとでも言うのか?」


 戻ってこいというセルーの提案に、ユリスは殺気立った声を返して、かつての友を睨みつけた。


「帝国に忠誠を誓う必要はない。お前やキーファソの民にそんなことを強いるほど、私は冷血ではないさ」


「帝国の領土となったこの地に戻ること自体が忠誠を誓わせることと同義だろう。それとも、米帝は皇族の命を狙っても許してくれるのか?」


「そんなことをすれば友人に殺されることになるぞ。お前もキリュウの優秀はよく知っているだろう?」


 脅しと嫌味を兼ねた返しに、ユリスは表情を険しくする。セルーはそんなユリスの心情に寄り添うこともせず、


「お前も国際情勢くらいは知っているだろう。もうすぐ一つの国が滅び、そこにかつての主が舞い戻ることになる」


「もうロシア内戦に勝ったつもりでいるのか。フランスが介入してきているのに」


「フランスもじきに諦める。ロマノフの帰還を望んでいるのは他でもないロシア国民だからな。彼らの選択を否定することこそが民主主義の否定だ。そんな矛盾だらけの戦争に、民主主義の国がどれだけ犠牲を払える?」


 専制君主制の国ならそれも可能だろうが、戦争による兵士の死傷や財政悪化は、国民の意思によって全てを決めていく民主主義とは相性が悪い。となれば、最後に根負けするのは後者の方だろう。


「それにしても、おかしな話だな。百年近く前に自分達で追い出した一族に帰ってきてほしくて、今度は自分達で築き上げてきたはずの政府を倒そうとしている。意思というものが欠如しているんだよ」


 嘲笑するセルーに、ユリスはその部分だけは同意できた。


「まぁとにかく、ロシア連邦は早晩、ロシア帝国に戻る。するとロマノフとそれに従う貴族達は、向こうの世界に帰ることになり、新世界のほとんどの土地が空白地帯になるということだ」


「そして今度は名実ともに、米帝の直轄地になるんだな」


「あぁ、だが全てではない」

 

 皮肉を込めたユリスに、セルーは首を振った。


「帝国とロシアによる分割統治となり、両国はキーファソのあった大陸中央部を挟んで東西に分断する。そして両国の緩衝地帯として、旧キーファソ領を私が統治することに決まっている。大公としてな」


「なんだと?」


 ユリスが驚きで声を上げる。この部屋に通して初めての反応に、セルーは笑みを見せ、立ち上がる。


「ついてこい、見せたいものがある」


 リビングを出て、三階の執務室へ移動する。ホールから聞こえてくる晩餐会の歓声が遠退き、寒さと静けさが強まる。


「寒くないか? 欲しければ酒でも出すが」


「必要ない。ソウジさんの護衛があるんだ、さっさと済ませろ」


 悪態を吐くユリスに、


「そうか。酒を自重するようになるとは、お前も成長したようだな」

 

「どういう意味だ?」


「お前の酒癖は褒められたものではなかったからな。フルムにも言われていただろ?」


「記憶にない」


「そうか。あいつは物言いがはっきりしなかったからな。アルドルくらいの物言いができれば良かったんだが……」


 執務机の引き出しの鍵を開けたセルーは、取り出したファイルを手にソファへ促す。ユリスは少し迷った後にソファに座り、その向かいにセルーが座った。


「これを見ろ」


 テーブルに広げたのは新世界の地図と書面だ。


「ロシア帝国が復活した後、帝国はこの中央にある地域を起点に領土を東西に分割する。そしてこの中央にある地域は、私が受け取る。これはその根拠となる勅令だ。見ろ、皇帝の署名もある」


 新世ロシアの領土を東西に分断し、その中心部に作られた縦長の地域。そこがキーファソの本土であり、西へ進出して超大国となる以前からの領土にかなり近いことが、ユリスには分かった。


 そして、地図と並んで提示された勅令には、皇帝の署名も確かにあり、印章まで捺されていた。


 それが本物かどうか、ユリスには判断できなかったが、少なくとも目の前の旧友は、口から出任せを並べているわけではないことだけは、物言いから理解できた。


「私はこの機に必ずキーファソを再興する。だから戻ってこい、ユリス。一緒に祖国を取り戻そう」


 あの時のセルーの口振りは、ユリスがよく知る彼女のそれだった。


 少数精鋭の遠征騎士団にあって、参謀として作戦を立て、統率に頭脳で貢献してきた昔馴染み。常に冷静で大局を見据える慎重派の彼女が、その口から紡いだ「必ず」という言葉が誤りだったことなど、一度としてなかった。


「何か悩み事?」


 外に目を向けたユリスに、惣治が訊ねる。


「大したことではありません。お気遣いなく」


「大したことないって言う時って大抵大したことあるんだよね」


 言い当てたとばかりのどや顔で告げた惣治。だが、さすがに相談できる悩み事ではない。


「クロナから土産を頼まれていたので、どうしたものかと考えていたんですが」


「あ~、言ってたね」


 適当な替え玉を使って躱すと、それに流音も思い出したように反応した。


「ソーンツェ酒とかで良いんじゃない? ここ本場なんだし」


「それ良いですね。ユリスもあのお酒好きでしょ? こないだ美味しそうに飲んでたし」


 惣治の提案に流音が乗った。


「はあ……では、そうします」


 誤魔化すための相談だっただけに、ユリスの反応は適当だった。


 一行を乗せたキャデラックは、それから間もなくして、目的地に到着した。


 プスタスク中心地から西に二十キロほどのところに位置するコンベンションセンター。地上三階、地下三階建ての黒の低層ビルだが、占有面積は縦横にたっぷりと取られていて、東京ドームをまるごと入れてもまだ余るほどに広大だ。天井には三角錐に盛り上がったガラスが並び、空から見ると巨大な亀の甲羅に見える。


 展示会の開催地であり、今日のメインイベントであるシンポジウムが催される会場だ。大東亜共同体と米帝にとっては注目のイベントということもあって、会場の正面ゲート付近には地元メディア以外にも日本のテレビ局のカメラも散見された。


「アルバス殿下、もう来てるかな?」


 群がるマスコミを見ながら惣治が伯父に訊ねた。


「さすがにまだだと思うけど、まぁ焦らなくても大丈夫だよ」


 誕生日プレゼントを待ちわびる子供のような惣治を、惣一が宥める。


 北海道の一件以来、惣治はずっと、アルバスという新世ロシアの首相と会える日を楽しみにしていた。助けてくれたお礼を直接伝えて、亡き父親との親交の思い出を聞かせてほしいというその一心で、この展示会に臨んだのだ。


 それは乗馬を教えてきたユリスも分かっていたことだが、相手は米帝の皇族であり、セルーを従えている張本人。惣治の憧憬にも似た眼差しと感情が、どうにも不愉快だった。


「さすがにちょっと緊張してきたよ。なに話せば良いかな?」


「惣治さん、デートじゃないんだから」


 ユリスの心境などお構いなしに、惣治と流音はそんなやり取りを交わし、キャデラックは地下の駐車場へ入っていった。



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