世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第42話

公開日時: 2021年6月8日(火) 18:33
文字数:4,594

 市街地のインフラは機能を失ったのか、日没までまだ一時間はあるはずなのに、中標津の街並みは随分と暗く、寂れていた。


「――良いか、公安。病院へ入るに当たって、俺の言う通りにしてもらう」


 病棟を望む幹線道路。大破したBTRの陰に身を隠しながら、隊長がロシア語を夏目にぶつける。


「タチアナと二人で裏から侵入して、身分証を見せて警備員を全員武装解除させろ。それがお互い平和に解決できる唯一の手段だ。分かるな?」


「中に憲兵隊がいたら? あの人達、裏切者には容赦ないから、私とこの人も殺されるわよ」


「憲兵どもは攻勢を仕掛けるために後退したはずだ。この町の静けさも、空挺軍の奴らが追撃してる証拠だ」


 隊長は冷静に分析してから、


「それに、この状況で病院に立て籠る臆病者なんぞ、あんたなら返り討ちにできるだろう?」


「じゃあ拳銃くらい貸してくれても良いんじゃない?」


「それは無理だ。素手でなんとかしてくれ」


 涼しげに提案を却下され、夏目はため息を溢す。


「俺達は非戦闘員への殺傷は許可されてないし、するつもりもない。大人しく投降すれば悪いようにはしない。信じろ」


 最後に隊長がそうつけ加えると、夏目は渋々といった様子で頷き、それを合図に一行が病院へ走り出す。


 視界の開けた二車線の道路に、乗用車の姿はない。フロントガラスに弾痕を穿たれた憲兵隊のトラックが歩道に乗り上げ、石垣に激突して停まっていたり、脅威と誤解されて撃ち落とされた火竜の死体が転がっているくらいのものだ。


 夏目は先行する隊員二人の様子を眺めつつ、タチアナのすぐ後ろを追って、牧島記念病院に近づいていく。


 周辺地域の大合併を記念して、町立病院に牧島家の私財を投じて作られた総合病院は、人口六万の地方都市には不似合いな外観だ。六階建ての二棟の病棟が道路に向かって「ヘ」の字を作り、赤茶の暖色で仕上げられた外壁は病院というより美術館のような趣がある。都市機能が瀕死の中にあっても病院の明かりは消えておらず、冷たい空気に晒されっぱなしの夏目には、その様子が目に滲みた。


「狙撃手の姿は見えるか?」


 正門前の生け垣に張りつくと、斥候役の隊員・フェリックスに確認させる。


「いません。が、戦闘の形跡は残ってますね」


 隊員が答えると、隊長は双眼鏡を借りて見渡す。


 来院者の乗用車が散在する広い駐車場には、巻き添えを喰らった町民の死体に、ロシア軍の兵士のものもいくつか認められた。地面には薬莢も転がっていて、手前に停まったミニバンは窓ガラスが全て砕け落ちてしまっている。


 これほど激しい戦闘の痕跡がありながら、憲兵隊の死体は転がっておらず、それどころか軍の車輌も見当たらない。憲兵隊はやはり撤退したのだろうが、ならばここまでロシア軍が病院に押し入ろうとしたのは何のためか。


「司令部、目標地点に到着したが、上陸部隊が侵入を試みた形跡がある。民間人の死体も転がってるぞ。あいつら何を考えてやがるんだ」


 憤りを滲ませる語気で吹き込むが、インカムから返事は返ってこない。


「おいアシモフ? どうした、聞こえんのか?」


「まさかクラスハを投入したんでしょうか?」


「そんなはずあるか!」


 苛立つ隊長を尻目に、夏目はタチアナに訊ねる。


「ねぇ、クラスハって……?」


「無線通信を妨害する電子システムのことですよ。ドローンを使えなくするのが主な役割なんですけど、私らの無線機も使えなくなるんです」


「あの、それを使うとか話してたわよ。さっき話した、テロリストと一緒にいた兵士達が……」


 日本語のやり取りに隊長が振り返ると、タチアナがロシア語に変えて伝える。


「捜査官が目撃した、テロリストと同行してたっていう兵士が、クラスハのことを話してたそうです」


「何でそれを先に言わなかった!」


「そんな大事なことだって分からなかったのよ!」


 激昂する隊長に夏目が怒鳴り返す。


 軍の中にテロリストと通じている者がいる可能性は、夏目と芦川から聞き出した隊長が司令部に報告済みだ。とはいえ、大規模な活動支援ができるほど、上陸部隊に紛れ込んでいるわけでもあるまいと、全員が見解を一致させていた。


 だが、クラスハのような兵器を勝手に持ち込めるほど、テロリストの協力者が奥深くまで浸透しているのであれば、その見解は早々に捨てなければなるまい。


「この先陸軍の奴らと会ったら敵だと思って行動しろ。行くぞ」


 隊長が合図を出すと、斥候が先導して正門を潜り、正門へ向いたまま道半ばで停まったバスへ駆けていく。


「BTR!」


 中標津空港へ繋がる道道に面した東門から、装甲車が入ってくる。搭載された機関銃が向けられると、隊長が叫んだ。


「隠れろ!」


 バスの陰に飛び込んだ一行へ向けて、機関銃が掃射される。車体が無数に叩かれ、そこに自動小銃の軽やかな銃声がいくつも折り重なって響いてくる。


「あいつらマジで殺しに来てるぞ! テロリストの仲間だ!」


「くそッ! タチアナ、裏口へ回れ! ここは俺達が引き受ける!」


 隊長が叫んで、銃声が途切れた隙に身を乗り出し、BTRにグレネードを発射する。それを合図に隊員達が弾幕を張り、夏目とタチアナは走り出す。


 車伝いに敷地の西から裏手に回り、電子ロックが破壊された事務職員用の通用口のドアを開ける。通路に人影はなく、明かりも消されていた。


「さて、行きましょうか」


 タチアナはそう言ってAS-Valを構え、銃身に取りつけたライトで通路を照らす。


 壁の向こうでは隊長達とBTRの交戦が続いていて、銃声と炸裂音が響いてくる。戦況は考えるまでもなく不利だが、タチアナは落ち着き払っている。


 非常階段に差し掛ると、タチアナは足を止め、壁に背をつける。覗き込んで気配がないのを認めると、夏目の方へ振り返り、


「敵影なし。行きますよ」

 日本語で伝えて、階段を昇っていく。そのすぐ後ろを、夏目が続く。


「ロシア軍が占拠してたりしないわよね?」


 踊り場にさしかかり、小声で訊ねる。


「だったらとっくに出てきてますよ」


 二階のドアに銃口を向け、敵影を探してから、タチアナは答えた。


「二階からフロアに出ましょう。確か吹き抜けになってるはずです」


「外にいる敵に的にされなきゃ良いけど」


 ドアの傍について、夏目が静かにドアノブを回す。音を立てずにドアを引き開き、隙間から覗き込む。


 吹き抜けになっている二階の通路に、人影はない。機関銃の掃射音と自動小銃の銃声が、正面の割れた窓ガラスの隙間からよく響いてくる。


「次は捜査官さんから、どうぞ?」


「丸腰なんだけど?」


「日本人が先陣切った方が良いでしょ」


 拒否権はなさそうだ。夏目は諦めて、通路へ踏み出す。


 次の瞬間、コートの襟を掴まれて、通路脇へ引き込まれた。


「動くな!」


 下手なロシア語で叫ばれる。強く響く女の声。足をかけて押し倒そうとするのを読んで、夏目は壁に左肘をぶつけてそれを阻み、襟を掴む相手の脇腹に拳を叩き込む。


「っ!」


 間合いのない、しかし最低限の勢いをつけた痛打に、女が一瞬怯む。そこで足にかかった相手の右足の関節を踏みつける。


 態勢が崩れた女は膝を突く。夏目は襟を掴んだ相手の手を引き剥がすと、首根っこを掴んで床に押さえつけた。


「お見事……」


 一連の逆転劇を見守ったタチアナはそう呟いた。


 一方、夏目はそれに鼻高々となるわけにもいかなかった。早く誤解を解く必要がある。


「落ち着いてください。私は公安庁の者です。皆さんを助けに来ました」


 夏目は日本語で、落ち着いた声を紡ぐ。あの下手な発音のロシア語は、間違いなくロシア兵やその関係者のものではない。敵でないことは明らかだ。


 正面玄関から爆発音が響いてきて、外から射し込む爆炎によって薄暗い通路が赤く灯され、制圧した相手のシルエットが判然とする。


 スーツを着た細身の女。金髪で、尖った耳をしている、エルフだ。床に頬をつけ、夏目を見つめるその碧眼には、敵意よりも当惑の色が濃く映っていた。


「な、ナツメさん……?」


「……え? ユリスさん!?」


「あれ、お知り合い?」


 見つめ合う二人に、タチアナが声をかける。


「武器を捨てろ!」


 今度は流暢なロシア語が、タチアナの背後から聞こえてきた。振り返った先には、AKを提げたスーツ姿の女と、この病院の警備員らしき男が二人。女の方が人畜無害の市民で、警備の数合わせで同行しているわけではないことは、すぐに分かった。


「マキシマさんの護衛の方? 私ら、敵じゃないですよ」


 タチアナは日本語でそう答えると、銃を床に捨てて両手を挙げる。


「ユリス、そっちの状況は?」


 諫矢流音がタチアナに銃口を向けたまま、日本語を紡ぐ。


「相方さんなら取り押さえられましたよ?」


「あんたは黙ってて。ユリス、答えて!」


 ユリスはばつが悪そうに、夏目を頼る。


「あの、ナツメさん、離していただけませんか?」


「あ、うん……」


 夏目も何となく申し訳なさそうに、首を押さえた手を放し、ユリスから降りた。


     ◇


 機関銃搭載のBTRと歩兵十人を相手にした圧倒的に不利な戦闘は、第三者が介入によって強引な幕引きを迎えた。


「ロシア人同士がどうして殺し合ってるのか知らないけど、まぁとりあえず武器を捨てなさいな」


 和服姿の女が、隊員達にロシア語で告げる。その背後には自動小銃を提げた警備員らしき制服の男が三人、隊長達に銃を向けている。


 隊長達は大人しく従って、AKを地面に置き、両手を挙げる。警備員三人だけならまだしも、この女は手に負えない。BTRをケーキのように切り刻んで爆散させ、残った敵兵のうち五人をこの女が仕留めたのだ。それも素手で、まるで人形を壊すかのように呆気なく、だ。和服の袖を靡かせる細い両手 は、その名残りで枯れ木のように細長く伸び、兵士の血を滴らせている。


「新世界ってのは聞いた通り、化け物揃いらしいな」


 隊長はため息混じりにそう呟いた。


 そこへ髪を結った青年が駆け寄ってくる。グレネードのように炸裂する弓矢で、敵を三人木っ端微塵に吹き飛ばしたエルフだ。


「使えそうな武器はあった?」


「自動小銃が人数分に、ロケットランチャーがあったよ。回収しとこう」


「そうね。あなた達、フィラを手伝って。急ぐのよ」


 警備員がエルフとともに、BTRのもとへ向かう。するとそこへ、正門に待機していた彼女の主が、護衛を二人伴って敷地に入ってきた。


「早く病院に入りなさいな。中は安全なんだから」


「それはそうだが、この人達は?」


「知らないわ。まだ訊いてない」


 厚手のコートを着た背広の紳士は、護衛二人に病院へ先行させると、


「君達の指揮官は?」


「私だ」


 米語の問いに、隊長が名乗り出た。


「私は大日本帝国侯爵の牧島惣助というものだ。君の名前と所属、階級を教えてもらえるか?」


「第一〇〇独立親衛特殊任務連隊所属のドミトリー・ボーコフ大尉だ。あなたを保護するよう、参謀本部情報総局GRUから命令を受けた」


「敵国の貴族を保護するとは?」

「政府は知らんが、軍上層部はアジアとの全面戦争など望んではいない。それを回避するためだ」


「要するに人質にしたいわけね」


 クロナが納得したように言った。


「こいつら、どうする?」


「殺しに来たのでないというのなら、命まで取ることはないだろう。現に銃を向けられているわけでもないのに、手を下げもしないし、銃もナイフも抜かない。殺意がないのは本心だろう」


 惣助はそう結論づけると、


「中へ入ってくれ。武器は回収させてもらうが、悪いようにはしない。もう少し、事情を聞かせてほしい」

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