世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第15話

公開日時: 2021年5月24日(月) 01:22
文字数:3,421

 ホラツィ大臣が、筆頭政務補佐官の執務室に呼びつけられたのは、夕刻を過ぎた頃のことだった。


「市民生活局から、情報提供がありましてね。ホラツィさん、あなたゲンティアナ騎士長に叙勲を求める署名活動の発起人に名を連ねてるんですって?」


 稲木政務補佐官は、自らのデスクに腰かけて、陰険な眼差しで見上げてくる。ホラツィは顔色を変えることなく、毅然とそれに応じる。


「今回のゲンティアナ騎士長のご活躍は、我が国にとって大変誇らしいことです。帝国内務省から表彰された者は、過去この国にはおりません」


「だから勲章を授けろと?」


「実績としては十分かと思いますが」


 首元の脂肪でしゃがれた声に、筆頭政務補佐官は呆れた風に苦笑する。


「過大評価が過ぎるな、ホラツィ」


 背後から、異論が飛んでくる。応接用のソファに座り、腕を組むのは、ユリスの上司に当たる団長のバロラだ。


「あいつのやったことはただの背信行為だ。陛下から勲章を与えられるような立派なことじゃない」


「叙勲されるべきなのは、テロを防いだことについてです。情報提供はその手段の一つに過ぎない」


「屁理屈を抜かすな!」


 声を荒げ、テーブルを叩く団長。ホラツィは冷めた目を向け、間もなく稲木の方へ向き直った。


「署名活動を始めてまだ数時間ですが、既に千件程度集まっています。明日には一万を超える見込みです」


「それだけ民衆から支持されている王立騎士の古株を、法廷で罪人として裁くのはおかしい……そう言いたいのでしょう?」


 全てお見通し。稲木はそう言いたげに問いかけ、


「それなら、陛下にご自分で上申すれば良いでしょう。お戻りになられる頃には、三万程度なら集められるでしょう? それだけの署名を持ち込めば、陛下もご一考くださるのでは?」


「よろしいのですね?」


「私にお伺いを立てる必要なんてありませんわ」


「いえ、そうはいきません。何せあなたは、筆頭政務補佐官。陛下の頭脳であられるのですからね」


 愛想笑いの一つも見せず、無機質な調子でそう言うと、ホラツィは一礼して執務室を後にする。


 一方、心中穏やかでないのは、筆頭政務補佐官の方だ。大臣の皮肉に目を丸くしたのも束の間、沸き上がる怒りに唇を噛み、右手の羽ペンをグッと握りしめた。


「ホラツィめ、偉そうに。何様のつもりだ」


 そんな稲木の心境を代弁するかのように、バロラは吐き捨て、ソファに座り込む。


「……まぁ、構いませんよ。どれほど頑張ったところで、聡明な陛下は愚民の声など聞き入れはしません」


 何とか余裕の笑みを取り繕い、稲木は澄ました調子で言った。


「それに、民衆の声など、届け手がいなければただの雑音でしかありません」


     ◇


 大臣としての職務が一段落すると、ホラツィは王宮を後にした。


 新世界の一日は、奇しくも祖界と同じ二十四時間。時間の刻み方も、今では祖界のそれに倣っていて、時刻は午後九時を回ったところ。


 ホラツィの乗り込んだ公用車は、王都郊外を流れる川沿いの道路を走り、大樹の前で停まった。グラディアの言葉で「木偶の坊」と呼ばれるその大木は、米帝に住処を追われた森のエルフが住まいとして使い始めるまで、この国では何の役にも立たないと思われていたものだ。


「済まないが、少しだけ待っていてもらえるかな?」


 運転手にそう告げると、ホラツィは幹に構えられた扉を三度ノックした。


 窓から漏れる蝋燭の灯りからして、家主は在宅のはず。そう踏んだホラツィの予測は、それから間もなく的中した。


「夜分遅くに申し訳ない。少し、話せますかな?」


 家主のエルフ――ユリス・ゲンティアナは、突然の訪問者に一瞬目を丸くしたが、すぐに頷いて奥へ促した。


「いきなり来られるとは、あなたらしくもありませんね」


 先導して階段を昇り、テーブルへ促す。ホラツィは帽子を取って手元に置くと、椅子を引いてゆっくりと座った。


「それだけ急ぎの用事ということです」


 そう切り出したホラツィに、ユリスは向かいに座って用向きを促す。


「筆頭政務補佐官は、あなたを処刑しようとしている。国王陛下にも、極刑に処すよう進言するつもりでしょう」


「そうでしょうね」


 ユリスは静かに頷いた。


「それが分かっているなら、何故もっと強く反論しなかったのです?」


「あの場で反論したところで、意味はないでしょう。私の味方をしてくれそうなのは、あなた以外には見当たりませんでしたよ」


 それは確かにそうだが。返答に困るホラツィに、ユリスはさらに続けた。


「それに、私はグラディアの王に忠誠を誓いました。その主が私に命を捧げよと命じるなら、従いますよ」


「ユリスさん……」


 凛然たる蒼い瞳が、まっすぐにホラツィを射抜く。その迷いのない眼光に、ホラツィは力なく笑うしかなかった。


「全く、あなたは三十年間、全く変わりませんな」


「そういうあなたは、随分と肥えてしまいましたね。もう馬にも乗れないでしょう?」


「馬どころか、家内にも乗れませんよ」


「は?」


「あぁ、いや。今のは聞かなかったことにしてくだされ」


 笑って聞き流せば良いものを、真面目に受け取らないでほしいのに。そんなところも相変わらずだと、ホラツィは冷や汗をハンカチで拭いつつ笑った。


「ここへ来ると、あなたと初めて会った時のことを思い出します。エルフの母子に斬りかかったバロラを、あなたは驚くほどあっさりと、しかも華麗に返り討ちにした」


「そんなこともありましたね」


 ユリスは静かに笑って、窓に目をやる。今日は月がきれいだ。


「あんな野蛮人ではなく、あなたが団長になるべきだった。貴族の嫡男だからとサロサ様が贔屓したばかりに、あなたに割を食わせてしまった」


「王立騎士団の団長は、この国の騎士の長たる存在です。私には過ぎた役目ですよ」


 目を閉じて、謙遜するユリス。だがあの当時、ホラツィのような思いを抱いた者は文官には少なくなかったし、駐留する大日本帝国の将校に至っては、全員が口を揃えてユリスでないことを訝っていた。一応の実力と家柄を理由に何とか言い繕ったが、顔を合わせる度に同じことを説明させられるのは、さすがに堪えた。


「ユリスさん」


 達観しきった物言いのユリスに、ホラツィはそんな過去を振り払うかのように、毅然と言った。


「私はあなたを、何としても救って見せます。だからどうか、ご安心を」


 しかしユリスの反応は――いや。案の定、ユリスの反応は好意的でなかった。


「何を考えているのですか、ホラツィ? 陛下に逆らうようなことをすれば、あなたの立場が……」


「あなたはこの国の英雄だ。間違いなく。それを政務補佐官やバロラが処刑しようというなら、私はこの国での立場を失っても構いません」


「何をバカなことを……あなたには家族がいる。余計なことはしないでください。これは私の問題ですよ」


「あなたの問題であり、この国の問題でもあるのです」


 今までに聞いたことのない、強い語気。ユリスは、説き伏せる言葉を見つけられなかった。


「では、私はこれで。安心してください。私はこの三十年で、ただ太っただけではありませんから」


 そう笑いかけると、ホラツィは帽子を取って立ち上がった。


     ◇


 王都中心地に建ち並ぶマンション群。その中心部に建つ三十階建てのタワーマンションが、ホラツィの住まいだ。


 大臣として辣腕を振るうようになった十年前から、当時完成したばかりのこのマンションに入居した。新世界の高層建築はあまり好みではなかったが、妻と二人の娘にねだられては敵わなかった。


「今夜はありがとう。明日も頼むよ」


 午後十一時。


 マンションの前庭に停まった公用車から降りたホラツィは、顔馴染みの運転手にいつも通りの言葉を告げ、玄関へ向かう。


 遠退いていく車のエンジン音を背に、カードキーで自動ドアを開けたその時だった。


「――ホラツィさん」


 呼び止めた男の声に、振り返る。


 瞬間、右の肩と左の胸に、殴られたような衝撃が打ち込まれた。熱を帯びた痛みがじんわりと広がっていき、タイルの床に尻餅をつく。


 撃たれた。そう自覚するのに、さほど時間はかからなかった。


 呼吸もままならず、痛みと息苦しさに弱々しく悶えるホラツィ。少しずつぼやけていく視界に、下手人が映り込む。


 黒い背広に黒のネクタイ。弔問客のような出で立ちで、黒いグローブを着け、その手には消音器を取りつけた拳銃。


 硝煙を燻らせる銃口が、ホラツィの額に向く。その奥にあるぼやけた輪郭が、微かな笑みを湛えているのを認めたが、次の瞬間、マズルフラッシュとともに、ホラツィの意識は霧散して消え失せた。


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