世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第33話

公開日時: 2021年6月7日(月) 02:39
文字数:6,211

 学習院初等科の正門を出た牧島惣治まきしま そうじは、都道四一四号線にかかる横断歩道を駆け抜けると、そのまま道なりに赤坂離宮沿いの歩道を走っていく。


 路肩に停められた黒のアルファードの後部ドアをノックして開けてもらうと、そこにランドセルを放り込んで、そそくさと乗り込む。


「ランドセルを投げるのは止めるよう言ったはずですが?」


 投げ込まれた黒のランドセルを受け止めたユリス・ゲンティアナは、隣に座って一息吐いた少年に困り顔を向ける。黒地のスーツを着た金髪碧眼のエルフの諫言に、


「もう、小言は言わないでよ」


 惣治少年はそう言って、膨れっ面を作る。紺の制服がどことなく不似合いな華奢で痩せ身の体格に、毒気のない顔立ちは、十一歳という実年齢よりも幼く見えてしまう。


「惣治さん、ドア閉めますよ」


 運転席に座るエルフのフィラ・ストーナが断って、スイッチでドアを閉める。生糸のようなクリーム色の髪を後ろで結った若者だ。


 アルファードが車列の間に割り込んで、都道を走り出す。邸宅があるのは文京区だが、この後の目的地は反対方向にあるので、いつもとは違う帰路を進む。


「パーティなんて、僕が行く必要ないのに。父さんも気が早いよね」


「そんなことありませんよ。家督を継ぐ身なんですから、今から華族や財閥のお歴々に顔を売っておかないと」


 フランス人の血を引くクォーターの諌矢流音いさや るねが、助手席から窘める。フランス系の母の顔立ちと日本人の父親譲りの黒髪が調和した美女だ。


「どうせ開拓華族で参加してるのは牧島うちだけで、悪目立ちするんでしょ」


 そんな愚痴を溢して、不満顔を外へ向ける。


「今日も大貫の奴らに絡まれたんだよ。自分達は襲爵できないくせに、僕に当たってきて、バカみたい」


「まぁ公爵家の子息とはいえ、まだ小学生だからなぁ。惣治さんほどの分別がなくても、致し方ないですよ」


 フィラはそう言って笑い、ハンドルを切る。


 新世界の開拓と発展に寄与した功績で叙爵し、華族の仲間入りを果たした者は、堂上華族や大名華族のような区分として「開拓華族」と称される。これに該当する華族は五十を数え、牧島家はその中でも特に政治的発言力を有する一族だ。


 元は屯田兵として北海道開拓に参加し、その後標津で酪農を営むようになった牧島家は、新世界開拓に当たって北海道で同志を集め、彼らを率いて祖界の畜産技術を広めていった。新世界の畜産の父と讃えられ、惣治の祖父が興した牧島乳業を中核とする牧島財閥は、新世界のみならず大日本帝国においても、その名をよく知られている。


 そのようにして富と名誉を一度に手に入れ、平民から華族へ転身した者達の栄華を、旧来の華族達が面白く思うはずもなく、彼らと開拓華族との間には、新世界開拓から半世紀が過ぎた今もなお、深い溝があるのが実情だった。


「今日のパーティって、あいつらも来るんだよね? 行きたくないなぁ」


「堂々としていれば良いでしょう」


 憂鬱な様子の惣治に、ユリスは淡々と言った。


「相手方は単なる嫉妬で絡んできているだけなのですから、そんなものを相手にして気分を害する必要はありませんよ」


「害する必要はなくても、害しちゃうものなの! ユリスは分かってないね」


「それはあなたがまだ未熟だからです。お父上は常に、毅然としていらっしゃいますよ」


「父さんと一緒にしないでよ。あんな風になれる自信なんてないよ」


 半ば自棄になったような卑下に、見兼ねた流音が割り込む。


「ユリスって、キーファソ出身でグラディアの騎士だったよね? 結構周りからの嫉妬ってあったんじゃないの?」


「何故そんなことを訊くのです?」


「どんな風に受け流してたの? 私差別されたことはあっても、嫉妬されたことはないから、その辺聞いてみたかったんだよね」


 変なことを訊くものだと、ユリスは困り顔で考えてから、


「そもそも、自分より劣る者の敵意など、実害を受けない限り意に介す方がおかしいのではありませんか? 誤った言動に対する諫言と、自分勝手で上辺だけの綺麗事で取り繕った言いがかりとは、簡単に見分けられるはずですので、後者の場合はハエの羽音とでも思えば良いのです」


「だって。ということで、今日から大貫一味は、ハエだと思いましょう!」


「それが良いかもしれませんね。惣治さんの話を聞いた感じ、大貫一味は頭悪そうだし、どうせ家督も継がないんだし」


 そう言って元気付けようとするフィラと流音に、惣治は曖昧な相槌を打ちつつ、ユリスの方へ向き直る。


「実害って、例えばどんなの?」


「暴力行為のことだとお考えください。叩いたり、蹴ったり」


「そういうことをされたら、ユリスならどうするの?」


「二度とそのようなことができないよう、痛めつけます」


     ◇


 木曜会は自由主義の華族議員による貴族院の院内会派だ。爵位による隔たりを設けず、志を同じくする者達で構成され、所属する議員は八十八名。二五〇名の貴族院議員の中にあって第一会派であり、与党の立憲政友会とも繋がりがあることから、政策を左右するほどの影響力を有している。


 この日、立憲政友会の推薦によって大命を拝し、一月から史上三人目の女性宰相となった天城茉華あまぎ まつりか公爵の就任記念パーティが、二ヶ月遅れで帝国ホテルで催された。


「お帰りなさい、惣ちゃん……お帰りなさいは変かな?」


 護衛兼世話係のユリス達を伴って、会場に入った惣治を、同じく制服姿の少女が朗らかな笑みで迎える。惣治の姉で学習院高等科に通う、晴子《はるこ》だ。惣治とよく似た艶やかでまっすぐな黒髪で、落ち着き払った振る舞いは華族の令嬢らしい気品が漂う。


「うん、変」


 惣治に容赦なく切り返されるが、晴子は意に介さずという風に笑って、


「流音さん達も、ご苦労様です。お酒は飲めませんが、皆さんもお料理は召し上がってくださいね」


「そうさせてもらいます、晴子さん」


 流音がいたずらっぽく笑みを返す。使用人や護衛と名前で呼び合うのは、牧島家の先代からの決まりだ。叙爵前から新世界では「旦那様」や「若様」などと呼ばれることもあったが、そんな呼ばれ方をするほど偉くないからと名前で呼ぶようにさせ、華族として貴族院に力を及ぼすようになってからも、その風習を今も守り続けている。


「父さんは?」


「芝塚さんと話し込んでるわ。ほんと、仲が良いんだから」


 晴子はそう言って肩を竦めると、奥の会場へ一行を促す。


 貴族院の最大勢力のパーティとあって、三千人を収容することのできる大宴会場には、木曜会の華族議員のほか、与党・立憲政友会の面々やその恩恵に与る財界人も集まっていて、そこかしこで政治・経済に纏わる歓談を繰り広げている。野心的な平民が羨む光景だが、惣治にしてみれば退屈で窮屈な場所でしかない。


「お、後継者のご到着だ」


 会場を奥へと進んでいき、父親の大きな背中を認めた惣治に、歓談相手の男が冷やかした。黒地に縦縞を編み込んだ上等な生地の背広を着こなす壮年の男は、配慮のない惣治の表情に一方的に笑顔で会釈をする。そしてそれに続いて、黒の燕尾服を着た父の惣助そうすけが振り返った。


「おぉ、早かったな」


「うん。ご無沙汰しています、芝塚大臣」


 父親に相槌を打って、壮年の男に一礼する。


 内務大臣を三つの内閣で歴任した立憲政友会の若き実力者。それが、父の学友でもあるこの芝塚義宣しばづか よしのぶだ。彼を始め、父と親しい政財界のお歴々には、惣治もとうに顔が知れているし、どんな人物かも頭に叩き込まれている。


「勉強は捗ってるかい? 聞いたところによると、算数が得意だそうじゃないか」


「他の科目より出来が良いだけです。そこまで自慢できるほどじゃありませんよ」


「謙遜することないだろ。もっと自分に自信を持ちなさい」


 そう言って惣治を激励すると、芝塚大臣は傍に立つユリスの方へ向き直った。


「ご無沙汰しております。その節は、ありがとうございました」


「ゲンティアナさんも、お元気そうで何よりです」


 恭しく一礼するユリスに、芝塚も感慨深げに応じる。


 国粋主義者による爆弾テロを阻止した功績で表彰したのも、グラディアが共和制に移行し、王立騎士団が解体となった時に真っ先に声をかけて、牧島家の警護という職を紹介したのも、この芝塚大臣だ。


 ユリスにしてみれば、芝塚大臣は恩人だった。


「牧島から聞いていますよ。非常に勤勉で毅然としていて、頼りになると」


「うちの者は皆そうだ。フィラと流音も、クロナもな」


 傍にいるフィラと流音を気遣って、牧島惣助がフォローするが、当の二人もユリスの評判には頷くばかりだった。


「実のところを言えば、ゲンティアナさんには皇宮警察に職を用意したかったのですが、宮内省は何かとお堅い連中でね。せっかくなら、自由に忠義を果たせる場が良いと考えて、役不足かもしれないとは心配しつつ、牧島を紹介したんですよ」


「ここまでケチつけられる華族なんて、俺くらいなもんじゃないか?」


 苦笑する惣助につられて、晴子が笑い、フィラと流音も静かに笑う。ユリスは慌てて、


「滅相もありません。私は今の職務に誇りを持っています」


「冗談ですよ。まぁ、この男は何かと血気盛んなので手がかかると思いますが、見捨てず助けてやってください」


 生真面目なユリスに、芝塚大臣はそう笑って、手にしていた赤ワインで喉を潤す。


「――これはこれは、芝塚大臣」


 会話が落ち着いたところで、大礼服を着た初老の男が二人、芝塚達のもとへ近づいてきた。二人して厳かな口髭を蓄え、鋭い目つきには気品と一緒にある種の威圧感を漂わせている。


「あぁ、大貫さんに、御法川さん」


 芝塚大臣は恭しく頭を下げ、惣治がユリスの後ろに身を隠す。


 同じ堂上華族で公爵の大貫と御法川は、この木曜会の屋台骨ともいえる貴族院の大物であり、牧島惣助にとっては政敵同然の相手だ。


「おや、牧島卿の坊っちゃんも来ておられましたか」


 大貫の当主が今さら気づいた風に、惣治を見下ろす。一見柔和なその物腰に反して、見下ろす目つきは穏やかでない。


「うちの子から聞いておりますよ。坊っちゃんは成績優秀だとか?」


 まるで段取りを決めていたかのように、大貫公爵の背後から、彼の息子が三人、出てきた。学習院大学に通う長男と次男、それに惣治の同級生の三男だ。


「大貫さんのご子息ほどではありませんよ」


「ご謙遜なさることはない。華族たるもの、勉学に優れるは責務のようなもの。誇るべきでしょう」


 それが本心からの称賛でないことは、惣治も惣助も心得ている。他でもない、大貫本人の表情がそう言っているのだ。


「何だ惣治、お前も来てたのか」


 政敵同士の両家が空気を強張らせる中、足下では大貫卿の三男が、同級の惣治を見つけて絡みに行った。


「君も来てたんだ」


「当然だろう。僕の家の格を考えれば、来ないことの方が異常だ」


「そうなんだ、知らないけど」


 露骨に避けようとする惣治を庇うように、ユリスが三男の前に立ち、惣治を背後に引っ込める。


「何だ、お前?」


「申し訳ありませんが、ソウジさんはお疲れですので、また明日学校でお話しください」


「雇われのくせに、華族の僕に逆らうの?」


「私はソウジさんのお父上に雇われているのであって、あなたに雇われているのではありません。よって、あなたに従うも逆らうもありません。お引き取りを」


 長身で見下ろされ、不快感を顔に出す三男。


「あぁ、大貫卿。あちらは、噂のゲンティアナ氏では?」


 そこへ小判鮫のように傍につく御法川が、聞こえよがしに言った。使用済みのマッチ棒が大礼服を纏ったような色黒で痩せ身の男だ。


「そういえば、初顔合わせでしたか」


 うっかりしていたとばかり、惣助はユリスは手招きをして、


「ユリス、このお二方にご挨拶を」


「はい」


 ユリスは一歩前へ出て、二人に一礼する。


「ユリス・ゲンティアナと申します」


「存じていますよ。グラディア王国の王立騎士だったとか?」


「御法川卿、あの国は最早王国ではない。その肩書きは古くて不適切やもしれん」


「あぁ、そうでしたか。いやはや、失敬」


 慇懃無礼な苦笑を浮かべる御法川は続ける。


「それにしても、今時政変とは。グラディアは小国だったと記憶していますが、帝国が後ろ楯にありながら、嘆かわしい限りです」


「いやはや、全くだ。ああも容易く屋台骨が崩れることになるとは……主君に仕える者の力量不足もあったのでしょうかな?」


 聞こえよがしのやり取りに、三男が反応する。


「何だ、こいつ噂の無能騎士か。こんな役立たずを雇うなんて、お前らほんとダサいな?」


 ユリスの背後に隠れていた惣治は、訳が分からず、ただ嘲笑されて俯く。


「屋台骨が腐敗していては、当然の末路でしょう」


 惣助が言い返そうとするのを制して、ユリスが忌憚のない意見を口にした。


「あれは国王としてあまりにも不適格でした。そこに自らの力量を弁えない者達が集まり、あの男を欺き、私欲にまみれた政治の真似事を許し続け、そうして根から崩れた結果が今のグラディアです」


「それはつまるところ、貴殿のような臣下の力量不足だったということであろう?」


「えぇ、その通りです」


 言質を引き出したとばかり、得意気な態度の二人に、ユリスはさらに続けた。


「イナキやバロラのような悪党の奸計を見抜けず、あのような不適格者もろとも排除するよう先々代に強く進言できなかったのは、私の至らなかったところでしょう」


「それは、稲木卿への侮辱ではないか? あまりに無礼だ」


「お言葉ですが、あの方はそれだけのことをしたのでは? そうでなければ、華族の身で死刑にはならないかと」


 浅黒い肌を紅潮させ、表情を強張らせる御法川。明らかな敵愾心を前にしても、ユリスは怯むことなく、平然としていた。


「よせ、御法川卿。みっともない」


 今にも喚き出しそうな御法川を諫めると、大貫は平静を取り繕って惣治の方へ向き直った。


「――ところで牧島卿。今日は余興をしようと思うのだが、お手伝いいただけるかな?」


「余興、ですか?」


 乗り気でない惣助の態度など意に介さず、大貫公爵は続ける。


「天城卿も決闘は好きだと伝え聞く。この不安定な情勢下、政権に弾みをつけるためにも、必要と考えるが、如何かな?」


「そうですな……ただ、今日はクロナの調子が芳しくありません。うちは辞退させていただきたい」


「おや、その必要はあるまい。そこに勇壮な騎士がおられるではないか」


 そう言って、大貫がユリスの方を促す。


「いやしかし、彼女は剣を持っておりません」


「剣なら我が家の者の予備を貸し与えましょう。なに、家宝でもないので、折っていただいても気にはしません」


「ですが……」


「承りました」


 返答に窮する惣助に、ユリスが助け船を出した。


「その余興には、私が参加いたします。些か腕前は鈍っていますので、上手く戦える保証はできませんが、それでもよろしいですか?」


「あぁ、ありがとう。なに、単なる余興だ。構いはせんよ」


 では、また後ほど。


 そう言い残して、大貫は御法川を連れて去っていき、まもなく同じ堂上華族と合流した。


「じゃあな、惣治。お前の護衛が死なないよう、精々祈っとけよ」


 そう吐き捨てて、三男も父親達を追いかけていく。


「ユリス、分かってるのか? 奴らは、お前のことを陥れるつもりだぞ」


 見兼ねた惣助が問い詰めるが、ユリスは澄まし顔でそれに答える。


「そうでしょうね。しかし、勝てば良いだけのことですので」


「しかしお前……」


「お家の名に泥を塗ることのないよう努めますので、どうかご容赦ください」


 頭を下げるユリスに、惣助はそれ以上何も言うことができなかった。

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