世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第30話

公開日時: 2021年5月30日(日) 18:12
文字数:3,209

 サロサタワー上層階の大広間に突入した憲兵隊は、三十名を超える王立騎士がたった一人の魔道士に叩きのめされた現場を目の当たりにし、困惑した。


 王立騎士の得物の剣は全て根から折られ、全員仲良く顔のどこかにアザを作り、手足のどれかをへし折られていた。対して、魔道士は無傷同然で、疲労の色を毛ほども見せず、ステージ上の玉座で寛いでいた。


 よほど強力な魔法を使わなければ、こんな一方的な展開にはならないだろうが、憲兵隊と同行して公安庁の仕堂だけは、その理由がすぐに分かった。


「まさかこんなところで先輩にお会いするとは思いませんでしたよ」


 玉座から降りてきた魔道士のレイ・ミレットに、仕堂は恐縮した様子で言った。


「僕もこんなところでお国に貢献できるとは思ってなかったよ。まぁ、久しぶりの乱闘だったから、テンション上がってやり過ぎちゃったかもしれないけどね」


 人の良さそうな笑顔のうさ耳青年。こんな優男が野蛮な騎士を相手に、素手であそこまでやれるものかと、護藤は訝った。


「護藤も挨拶しろよ。俺の高校の先輩だぞ」


「どうも、仕堂の同期の護藤です」


「ご丁寧にどうも。レイ・ミレットです」


 朗らかな笑みで一礼する魔道士に、


「あの……仕堂《こいつ》の高校の先輩ってことは、風紀委員とか?」


「当たり前だろ。先輩は委員長だったんだぞ。めちゃくちゃ喧嘩強かったんだから」


 この優男が? 見るからに喧嘩とは無縁そうなのに?


 戸惑う護藤だったが、自他共に認めるヤンチャ坊主だった仕堂がここまで平身低頭な辺り、妙な信憑性があった。実際、王立騎士三十人を、無傷で制圧しているのだから、その実力は本物だろう。


「でも仕堂くんがちゃんと警察官やれてるみたいで安心したよ。君は半グレか警察かの二択だったから」


「いやぁ、先輩方にはご心配をおかけして……」


 班長や課長にも見せない媚び媚びの笑みで頭を掻きながら、何度も小さく頭を下げる仕堂。違和感しかない構図に、護藤は気色悪さを覚えていた。


「あ、戻ってきた」


 魔道士がそう言って、入り口から入ってきた二人組に目をやった。


 桐生夏目と、ユリス・ゲンティアナ。王国の裏で蠢く陰謀を暴いた功労者だ。


「班長、お疲れ様です。ユリスさんも、ご無事で」


 護藤が言って、仕堂と一緒に直立で敬礼する。


「二人とも、来てくれてありがとう。助かったわ」


「いえいえ。班長こそ、休暇中なのに大変でしたね」


「まぁね。でも、仕事ってことでもう少し居させてもらえるだろうし、まぁ良いかな」


 仕堂に答えた夏目に、レイ・ミレットが近づく。夏目は気が抜けかけたところ姿勢を正して、


「ミレットさん、ご協力ありがとうございました。おかげでこの人を助け出すことができました」


 そう言って、ユリスの方を向く夏目。廊下で出会した時はどうしたものかと思ったが、身分を明かし、事情を説明して、二つ返事で協力を申し出てくれたのは、街で彼を助けたことが大きかったのだろう。


「いえいえ。祖国に貢献できたみたいで、僕の方こそ光栄ですよ」


 レイ・ミレットはそう笑って、腫れ上がった夏目の頬に右手をかざす。


「守り癒し解き放て。蒼海《そうかい》」


 右手から蒼く淡い光が漏れ出し、見る見るうちに腫れが引いていく。痛みと消えているのか、夏目もそれを自覚して、驚いた様子だった。


「このくらいの怪我なら、すぐに治せますよ」


 得意気に笑うレイ・ミレットに、仕堂が横から解説する。


「これ魔道部っていう僕の高校の部が作った魔法なんですよ。凄いでしょ?」


「えぇ、うん……ていうか、仕堂くんとお知り合いなの?」


「彼と同じ高校の出身です。仕堂くんがちゃんと警察官として働けているみたいで、良かったです」


 世界が二つになっても、世間は狭いものだと、夏目は思った。


     ◇


 サロサタワーで予定されていた完成記念式典は当然中止となり、招待されていた報道陣はエントランスから追い出され、代わりに憲兵隊による大規模な摘発の模様を報じることとなった。


 現場は仕堂達に任せて、夏目はユリスを自宅へ送り届けることにした。本来ならミレット青年と同様に、当事者として事情聴取を受けるところだが、連日の疲労を考慮して、帰してあげたかった。責任者の憲兵隊少佐に頼んでみたところ、二つ返事で快諾してもらえた辺りに、彼女の信頼のほどが伺えた。


「あの、ナツメさん」


 地上階へ降りる高速エレベーターの中で、ユリスは久しぶりに口を開いた。


「ありがとうございました。助けてくださって」


 ボタンパネルの前に立つ夏目は、ユリスな方へ一度振り返ると、小さなため息を吐いてから、前へ向き直る。


「良いわよ。勝手にやったことだし。でも、あんな電話だけ寄越していなくなるのは、さすがにないんじゃないの?」


 忘れかけていた苛立ちがぶり返してきて、夏目は棘のある物言いをしてしまった。


「急いでいたので……すみません」


 珍しくしおらしい態度のユリス。


「何か考えがあるなら、言ってくれれば良かったのよ。私や鎖地さんだって協力したんだから」


 言い過ぎたかと反省しつつ、諭すように言うと、エレベーターが一階に到着した。


 憲兵隊によって出入り口を封鎖されて、報道陣はエントランス前の広場でカメラを回し、そこかしこでリポーターが混乱の模様を伝えている。上空を行き交うヘリの羽音と装甲車の重たいエンジン音が、そんな光景に余計な華を添えているようだった。


「そういえば、ナツメさんの上司の方は?」


 エレベーターを降りて、憲兵隊員に先導され、裏口へ向かう。


「鎖地さんなら、こっちには来てないわよ。別件だって言って、どこか行っちゃった」


 磯村課長が手を回し、稲木筆頭政務補佐官による日系暴力団を介したドイツ諜報機関との黒い繋がりを伝え聞きた憲兵隊の協力によって、パルデュラまでヘリで移送してもらってから、夏目は鎖地と分かれて行動してきた。「別件」としか聞かされなかったが、それ以上言わないということは関わるべきでないことだろうと察して、深掘りは控えたのだ。


「お礼を言っておきたかったのですが……」


「伝えといてあげる。見返りに飲みに誘われるかもしれないけど、断っておくから」


「酒席くらいなら構いませんよ。ナツメさんも同席していただけるでしょうし、間違いは起こらないでしょう」


「そうじゃなくて、ユリスさんの酒癖の悪さを見せないためよ」


 またその話か。ユリスはムッとして、


「だから、私はそんなに飲みませんよ。先日のことはホラツィの件もあってのことですから」


「送別会の時の感じだと、結構怪しかったけどなぁ。また騎士道について説教してたし」


「その事ならちゃんと覚えてます。記憶がなくなるほど酔ってはいませんでしたから」


「あんなに顔真っ赤だったのに? じゃあ、あの時飲んでたお酒の種類、覚えてる?」


「そ、そんなの覚えてませんよ。覚えているわけないでしょう……ナツメさんは覚えているんですか?」


「モスコミュール」


 即答され、面食らうユリス。そういえば、飲んだことがないからと、夏目と一緒に注文したのだった。


「あの人、お酒バカみたいに強いんだから、付き合ったら身が持たないわよ。だから、飲み会は禁止。分かった?」


 まるで母親のような夏目の言い様に、釈然としないものを覚える。


 裏口の扉を隊員が開く。武装した憲兵隊が一帯を封鎖し、道路には巡回用のセダンが停車していた。


「とにかく、今日はゆっくり休んで。事情聴取は明日の午後くらいにしてもらうから」


「分かりました……」


 隊員がセダンの後部ドアを開け、乗り込もうとしたユリスは、足を止めて振り返る。


「ありがとうございました」


 エレベーターでの言葉を繰り返して、ユリスは恭しく頭を下げた。夏目はそれを見て、何かかけてあげる言葉を探したが見つけられず、


「どういたしまして」


 そう笑いかけることしかできなかった。


 ユリスは夏目に笑みを返して、後部座席に乗り込む。ドアが閉まると、それを合図にセダンはゆっくりと動きだし、サロサタワーを後にした。

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