「――ユリス・ゲンティアナ死刑囚」
大広間に、稲木筆頭政務補佐官の声が響き渡る。威圧的で勝ち誇ったようなその声は、手枷を填められたユリス・ゲンティアナに向いていた。
「今回、国王陛下の寛大な措置により、処刑前にこのような場を設けていただけたことに感謝してくださいね。本来であればあなたは、申し開きをする資格もないのですから」
ステージ中央に置かれた華美な玉座。そこに座るサロサ八世の側に、筆頭政務補佐官が立ち、両者の脇を固めるように、王立騎士団長のバロラ・ハイサと、副団長のロルカ・タギカが並んで立っている。
そして彼らの脇では、総勢三十名ばかりの騎士達が、鉄の柱と鎖に捕らえられたユリスを見下していた。
「良かったな、ゲンティアナ。一度ならず二度も陛下を裏切ったお前に、寛大なる温情を賜っていただけて」
バロラ・ハイサは嘲笑し、それにロルカ・タギカが続く。
「先代にも媚びへつらって今の地位を得たんだ。下らん矜持を振りかざして、見栄を張るのは止めることだな」
そして大広間の空気が落ち着いたところで、国王が口を開く。
「ゲンティアナよ、お前が自首したことは知っている。自らの過ちを省みてここへ戻ってきたこと、私は嬉しく思う」
ニヤケ顔のサロサ八世は、肘掛けに頬杖を突きながら、舐めるようにユリスを見下ろす。
「しかし、お前は私を裏切った。それは紛れもない事実だ。この罪を贖うには、最早私の妻として、この国の未来を担う子を産むより他あるまい」
退路を絶つような物言いに、ユリスは毅然と国王を見据え、
「それについては、既にお答えしたはずです。私の行いが罪だというのであれば、この命をもって償います。恩赦など無用です」
この期に及んで、またしても拒絶されるとは思っていなかったのだろう。サロサ八世は絶句し、そしてシュークリームのような顔面を紅潮させていく。
「ですが、私を処刑する前に、一つだけ教えていただきたいことがあります」
「よくもぬけぬけとっ、この私の情けを無下にしておきながら!」
「先王を殺したのは、あなたですか?」
あまりにも唐突で、脈絡のない、言いがかり同然の問いかけ。だがそれを受けて虚を突かれたかのようなサロサ八世の顔は、ユリスの疑念を一気に確信へ傾けた。
「あなたが殺したのですね?」
「あなた一体何を言っているのですか? 陛下を裏切るに飽き足らず、根も葉もない言いがかりで侮辱するなんて、正気ではありませんよ」
「そういうあなたも知っていたのではありませんか、イナキさん?」
睨みつけるユリスに、筆頭政務補佐官が怯む。
「先王の死因は、急性の肺炎でした。ですがその前に見受けられた急速な衰えと免疫の低下に、心当たりがあります」
感情を押さえ込みながら話すユリスを、サロサ八世は口許を震わせながら睨む。
「キーファソ南西の森に群生する、サスマタユリ。この植物の蜜は、人間に対して毒性を持ちます。毒を受けた人間は日に日に痩せ衰え、髪が脱色し、最後には些末な風邪ですら命を落とすほどにまで弱る」
今になって思えば、典型的な兆候だったではないか。それを見落としたのは何故か。国王の暗殺を企てる者が、近くにいるなどと考えもしなかったからだ。
「共生省の権力を使えば、暗殺の疑いを揉み消すことも容易かったことでしょう。そうまでしてこの国を好き勝手にしたかったのですか?」
「当然だ! ここは私の国だぞ!」
稲木へ投げかけた問いに、サロサ八世が鼻息を荒くして叫んだ。
「この国が私のものになるのは決まっていたことなのだ。だというのに父上は、私を認めようとせず、いつもいつも私を叱りつけてばかり! 挙げ句の果てには、『このままでは王位は譲れぬ』と言い始めたのだ! そんなことがあって良いはずがないだろ!」
唾を飛ばし、捲し立てる国王を、ユリスは最早主君としてではなく、敵として睨みつけていた。
「私はこの国の正当な継承者なのだ。いずれこの国を統べる運命だった。それが僅かばかり早まっただけのことだ、何が悪い!」
「何だその言いぐさはッ!」
獣の咆哮に似た怒号に、サロサ八世は怯み、背もたれに背中を張りつける。
「先王が……陛下がどれほどあなたを思い、愛しておられたか、何故それが分からない? 何故理解しようとしなかった? 答えろ!」
「貴様誰に口を聞いている!」
「黙れ!」
前へ踏み出たバロラに、歯を剥いて叫ぶ。
「お前達も共犯だろう。この期に及んで平然としているのが何よりの証拠だ。最早お前達は忠誠を果たすべき主君でも、仰ぐべき上官でもない。私欲によって国王陛下を手にかけた賊だ!」
叫ぶユリスに気圧されながら、国王が笑う。
「世迷い言を言うな! ここで処刑される国賊は貴様だ、ゲンティアナ! もう貴様など不要だ、死んでしまえ!」
立ち上がって宣言し、息を乱すサロサ八世に、稲木筆頭政務補佐官が進言する。
「陛下、公開処刑の場で今のことを喋られては厄介です。残念ですが、この場で始末するのがよろしいかと」
「そうだな。まぁ良い、私がこの目で死に様を見届けてやろう」
勝ち誇ったようにサロサが笑い、ユリスが激情に顔を歪める。
「この女を切り捨てよ!」
バロラ団長の号令とともに、脇の騎士が二人、剣を抜いてユリスのもとへ駆けていく。
その時、奥の扉が押し開かれ、そして呪詛が大広間に響いた。
「――貫き腐らせ消し滅ぼせ! 黒影!」
ユリスの目の前まで来た騎士達の足下から、黒い槍が伸びる。まるで矢印のようなそれは、騎士の腹を斜め一直線に背中まで貫いた。
「え――」
二人の騎士は呆気に取られ、そしてその矢印がガラス細工のように砕け散って消えた瞬間、
「い、いたっ! いたいいたいいたいいたいいたいいたいッ!」
「ああああああっ! あっ、あああああああああッ!!」
まるで刃物で刺されたかのように、腹を抱えてのたうち回る。
「一体何だ!」
バロラ・ハイサが狼狽しながら叫ぶ。そこへ、奥の入り口から入ってきた影が、それに答える。
「安心してください、死にはしませんから。ただ明日まで、死ぬほど痛い思いをするだけです」
灰色のローブを着た、うさぎに似た耳を垂らす青年は、悠然とした足取りでユリスのもとへ向かっていく。
「貴様、司祭の!」
記念式典のために呼んだ魔道士――レイ・ミレットだと気づいて、バロラ・ハイサが叫ぶ。
「どういうつもりだ! 誉れある王立騎士団を相手に狼藉を働いて、死ぬ覚悟はできているんだろうな!?」
「そんな覚悟ありませんよ。こんなつまらない国で死ぬつもりもありませんし」
人畜無害を体現する童顔に、人当たりの良い笑顔を浮かべて、レイ・ミレットはユリスを繋ぐ鉄の柱に触れる。
「ただ、僕は大日本帝国の出身ですから。どっちにつくかって訊かれれば、そりゃあ答えは決まってますよ」
「ええい! この狼藉者を斬り殺せ!」
癇癪を起こしたサロサ八世が怒鳴り散らすと、騎士達が剣を抜いて、床を蹴る。
次の瞬間だった。けたたましい銃声が連なり、横一列に走り出した騎士達を、銃弾が薙ぎ倒した。
「なっ……!」
大広間二階で、マズルフラッシュが瞬く。フルオートによる自動小銃の掃射が、王立騎士達に鉛玉を叩き込み、ボウリングピンのように弾き飛ばしていく。
「ナツメさん……!」
阿鼻叫喚の中振り返ったユリスは、掃射が途切れたその瞬間、襲撃者の顔を見据えた。
桐生夏目が重たそうな銃火器を柵に乗せて、ポケットに詰め込んでいた弾倉を差し込んでいる。
「あの人、ご友人ですよね?」
レイ・ミレットがユリスに笑いかける。
「待っててください、今助けますから」
そう言うと目を閉じて、鉄の柱を握りしめ、新世界の呪詛を編む。
「お、おのれえええええ! さっさと殺せ! 私に逆らう者は皆殺しだあぁ!」
「あ、あの男を止めろ! ゲンティアナを逃がすな!」
狼狽える国王を二人の騎士に護衛させ、ステージ裏へ逃げ込む。その後ろをついていきながら、バロラ・ハイサが生き残りの騎士達に叫んだ。
だが残念なことに、ちょうど夏目がボルトキャッチを押して、装填を終えたところだった。
ユリス達へ斬りかかろうとした騎士達が、またバカの一つ覚えのように、自動小銃の掃射に薙ぎ倒されていく。
「はい、終わりました」
レイ・ミレットが言うと、鉄の柱が朽ち果てて、そこに繋がれていた手枷も錆びて、土塊のように床にこぼれ落ちる。
「死ねえぇぇぇ! 亜人めがあぁぁぁ!」
そこへ弾雨を逃れた騎士が、まっすぐに斬りかかる。
「硬化」
振り下ろされた一閃を、魔道士は左手で受け止めた。正真正銘の生身の細い腕。本来なら切り落とされるのが筋だが、硬化の魔法がそれをねじ曲げた。
「履歴書には書いてませんでしたけど、こう見えて僕、結構強いんですよ?」
そう笑いかけ、ミレットは右手で拳を作り、それを頬に叩き込んだ。騎士は弾き飛ばされて、足下に剣がこぼれ落ちた。
「は、早くしろ! 退避だ! 応援も呼べ!」
事の顛末を見届けたバロラ・ハイサが、ステージ裏に逃げ込んで叫ぶ。
反対側の職員用の扉からも、稲木筆頭政務補佐官が、恐怖で震える足を引きずりながら、逃げていく。
「あなたは、ナツメさんのご友人ですか?」
解放されたユリスは、戸惑いがちに訊ねるが、
「いいえ。まぁ、詳しい話はご本人から伺ってください」
そう言って顎で促した先では、階段を降りてきた夏目が、憮然とした面持ちで迫ってきていた。
「ナツメさん……」
明らかに、怒っている。ユリスから見ても、ミレット青年から見ても、それは明らかだった。
「あの、ナツメさん、どうしてここに……」
ユリスの前まで来た夏目が、何か切り出そうとした時だった。
「いたぞ!」
援軍を呼んだか、それとも廊下で叩きのめした二人を見つけたか。剣を抜いた王立騎士が、大挙して雪崩れ込んできた。
「言いたいことは山ほどあるけど、後で言うわ」
夏目はそう言って、床に落ちている剣を拾い、ユリスに差し出す。ユリスは唇を噛んで逡巡し、やがて剣を取った。
「私は筆頭政務補佐官を追うわ。あなたは国王を」
弾倉を差し替え、職員用扉を見据える夏目の背後に立って、国王が逃げた扉の方を向きながらユリスが剣を一振りする。
「分かりました。そちらはお任せします」
二人を守るように、レイ・ミレットが騎士達の前に立ちはだかった。
「じゃあ、僕はあの人達を片づけておきますよ。こんな大人数の人間相手に喧嘩なんて、久しぶりだなぁ」
この人は心配ないだろう。ついさっき拳で叩きのめしたのを見て、夏目とユリスは確信していた。
「行くわよ」
「えぇ」
二人は同時に、走り出した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!