世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第17話

公開日時: 2021年5月24日(月) 04:20
文字数:6,268

 ユリス・ゲンティアナは剣を抜いた。背後で背中を斬りつけられた母親と、彼女に抱えられて怯える少女を守るために。


「何のつもりだ、ゲンティアナ?」


 対峙する王立騎士団の青年は、階級で優るユリスを相手に、不遜な物言いで投げ掛ける。


「この者達は難民だ」


 ユリスは凛然と応じる。


「王立騎士団といえど、無辜の難民を切り捨てる権利はない。その剣を収めろ」


「ここは人間の国だ。エルフには何の権利もない」


 若き騎士は吐き捨て、そして切っ先をユリスに向けた。


「ちょうど良い。お前も一緒に切り捨ててやろう。国を滅ぼされた無能の分際で、このバロラ・ハイサに歯向かった罪の重さ、思い知らせてやる」


 青年騎士は、このグラディア王国で名の知れた一門の惣領だ。あと十年もせずに家督を継ぎ、王家の忠臣として騎士達を率いることとなる身の上だ。


 だがその高慢な笑みには、将来背負うことになる重責への自覚など微塵もない。あるのは、それらの見返り与えられる名誉への下心だけだろう。家名を鼻にかけた名乗りと、背後の母子へ向けた理不尽な殺意が、その何よりの証拠だ。


「ならば仕方ない」


 ユリス・ゲンティアナは諦念とともにそう呟くと、剣を構えた。グラディア王国で採れる透過岩から作られた諸刃の刃は、ガラス細工のように透き通り、陽射しに神々しく輝く。


「少し痛めつけてやる。命までは取らないが、覚悟するんだな」


「ほざくな、売女がッ!」


 青年騎士が地面を蹴り、斬りかかる。


「ッ!」


 ほんの一瞬。母親の震える肩の向こうで繰り広げられた、ほんの一瞬の出来事に、少女は見入ってしまった。


 言いがかりをつけ、母親を切りつけた凶悪な騎士は、剣を撥ね飛ばされ、腹に柄の底を叩き込まれ、地面に膝を突く。腹を抱えて踞る騎士の顔面を、龍革のブーツを履いた右足で蹴り上げると、白眼を剥いて空を仰ぎながら、失神した。


「ゲンティアナさん!」


 そこへ男が走ってきた。騎士よりは一回りほど年上で、身形からして騎士ではなく役人であることは明らか。口ひげを生やした小太りの、丸い眼鏡の似合う男は、膝を抱えて息を整えながら、ユリスを諫めた。


「こ、これは一体何事ですか?」


「この男が、難民を切りつけた。あの女性の傷の手当が必要だ。憲兵隊を呼びなさい」


「難民を……どうして、そんな……」


「理由など憲兵が聞くことだ。早くしなさい!」


「は、はい!」


 一喝とともに、役人の青年は踵を返して再び走り出した。


 ユリスは気絶した騎士には目も繰れず、エルフの親子の方へ向き直った。


「傷を見せなさい」


 踞る母親の背中に入れられた切り傷は、存外浅く、背骨や内臓は傷ついていないようだった。手心を加えたのだろうが、その理由が真っ当なものでないことは、先ほどの物言いから明らかだろう。


 ユリスは魔法石を手に取ると、斜め一線の傷に触れて、


「サナタ」


 キーファソの魔法を静かに紡ぐと、傷口に触れた魔法石が仄かに輝く。背中の痛みに震えていた背中は落ち着きを取り戻し、それと同時に、輝きを失った魔法石が土塊になってユリスの手からこぼれ落ちた。


「これでしばらく痛みは抑えられる。病院で手当てを受けなさい」


「あ、ありがとうございます……」


 母親の謝辞に相槌を打ったユリスは、視線を娘の方へ向けた。怯えきっていた幼子は、涙を滲ませた目を輝かせながら、ユリスを見つめていた。


 どうかしたのかと戸惑っていると、OD色の車両が二台、畦道に揺られながらやって来た。大日本帝国から派遣された憲兵隊の軍用乗用車・くろがねと救護用のトラックだ。


 車列はユリス達の前で停まり、トラックの荷台から憲兵が降りてくる。二人は担架を抱えてユリスのもとへ駆け寄り、背中を切られた母親の介抱を始め、もう二人は地面で伸びるバロラを引きずっていった。


     ◇


「――あ、起きた?」


 身体が揺れる感覚と鈍い頭痛に、ユリスは苦い顔を上げる。


「あ……ナツメさん……?」


 ぼやけた視界を擦って、起こしてくれた人物を見る。ほんの数日前、東京で見送ってくれた女性の顔に、ユリスは当惑した。


「どうして、ここに……」


「旅行よ。行くって言ったでしょ?」


 気だるそうに額を押さえるユリスに答えて、夏目は酒瓶とコップを取り、階下の台所へ持っていく。


「酒癖悪いんだから、あんまり飲んじゃダメよ。戸締まりもしてなかったし」


「この辺りに物盗りなんていません。だから、戸締まりなんて不要です」


「それでも用心に越したことはないでしょ。実際、私が起こすまでいびきかいて寝てたんだから」


「だから、いびきなんて……」


 階段を昇ってきた夏目は、無機になるユリスにおかしげに笑う。ユリスはそれが無性に悔しくて、押し黙った。


「まぁでも、元気そうで良かったわ」


 夏目はそう言って、ユリスの向かいに座る。さっきまで泥酔の末に突っ伏して寝ていたテーブルは、この木の家の中身で作ったようで、仄かに部屋の中の樹木の香りを纏っている。


「一応訊くんだけど、ユリスさんってそんなにお酒好きなの?」


「嗜む程度ですよ。ほんとに酔うほど飲むのは、滅多なことでもないとありません」


「じゃあ滅多なことがあったのね」


 喋り過ぎた。ユリスがそう気づいた時には、手遅れだった。


「やけ酒なんて、ユリスさんらしくないわよ。何があったの?」


 誤魔化す必要はないだろう。ユリスは観念したかのようにため息を吐いて、


「昨日、友人が亡くなりました。それで、その友人のことを偲んでいたんです」


「フォルティさんみたいなエルフ?」


「人間ですよ。城に仕える役人でした」


 酔いが覚めきっていないのか、ユリスは眠たげな目を窓に向けて、静かな語調で続ける。


「不器用な男でした。この国の生まれでありながら武芸が苦手で、それが原因で勘当されかけるような有り様で。騎士達からも軽んじられていました」


「でもユリスさんが仲良くしてたのなら、悪い人じゃなかったんでしょ」


 お見通しとばかりの夏目に、ユリスは静かに笑う。


「正義感は、この国の誰よりも強い人でしたよ。日本の憲兵隊や文官も、彼のことはグラディアで最も信頼していたと思います」


「惜しい人を亡くしたみたいね」


「えぇ。この国にとって大きな損失です」


 ユリスが表情に陰を落とす。


「良かったら、明日街に行かない?」


 何とか元気づけたい。そんな思いで、夏目は提案した。


「さっき見てきたんだけど、よく分からなくて。現地の人に案内してもらえると助かるんだけど、どうかしら?」


 しかしユリスは、ばつが悪そうに笑って首を振った。


「申し訳ありませんが、街には行けません」


「お友達の葬儀?」


「そうではありません。謹慎中の身ですから」


「え?」


 告げられた理由に、夏目は耳を疑った。


「謹慎って、どういうこと?」


「公安庁に捜査情報を提供したことを咎められました。ナツメさん達は悪くありませんから、気にしないでください」


「ユリスさんだって悪くないわよ!」


 内務大臣から表彰までされ、その功績を認められたのだ。称賛されることはあっても、謹慎を命じられる理由などないはずだ。


「公安庁から正式に抗議するよう、課長に頼んでみるわ。大臣が表彰した人にそんな真似するなんて、ただじゃ済まないわよ」


「落ち着いてください、ナツメさん」


 怒り心頭の夏目を宥めるように、ユリスは落ち着いた声で続ける。


「グラディアにはグラディアの法律というものがあります。私はそれに反したから罰せられる。それだけのことです」


「それでもおかしいって言ってるの。そもそも、捜査情報を開示しないことがおかしいんだから。ユリスさんは悪者扱いされて、それでも良いの?」


「私はこの国の王に忠誠を誓いました。主が裁きを下すのであれば、それを受け入れる。それが騎士というものです」


     ◇


 誰に対するものなのか、よく分からない苛立ちを抱えたまま、ユリスの家を出た夏目を、先輩は出迎えてくれなかった。


 砂利道に停まったシボレーはエンジンをかけたまま、主不在となっていた。一体どこへ行ったのかと辺りを見回し、連絡を取れるかと携帯を取り出すと、画面に鎖地の番号からの着信が通知されていた。


 夏目は通知から、折り返しの電話をかけた。三度目の呼び出し音の途中で、鎖地は受話器を取った。


『あ、もしもし?』


「桐生です。鎖地さん、今どちらですか?」


『あー、悪い。ちょっと急用ができちまってな』


 愛車をほったらかす用事なんてこの人にあるのだろうかと訝る夏目に、鎖地は続ける。


『悪いんだけどさ、その車ちょっと預かっててくれね?』


「嫌ですよ。左ハンドルなんて運転したことないし」


『そんなもん慣れだ、慣れ。後でお前の宿まで取りに行くから』


 この人は一度言い出すと聞かないし、徒歩で戻るというのも億劫だ。


「駐車料金は払ってくださいよ?」


『あぁ。今夜酒奢ってやるから、それでチャラな』


「はいはい。じゃあ、後で宿泊先の住所送りますから」


 電話を切ると、夏目は携帯電話をポケットに戻して、運転席に回り込む。鍵もかけずにほったらかしにしておいたのに、取られるどころか車内を物色された形跡もない辺り、ユリスの言い分は正しいのだろう。


「さて、と」


 夏目はハンドルを握ると、気分を切り替えるためか、そう呟いた。


 ユリスの頑固さには根負けしたが、やはり彼女の言うままにはしておけない。条約違反を棚に上げて、彼女を悪者に仕立て上げるようなことを捨て置けるほど、夏目も柔軟ではなかった。


「待ってなさいよ、ユリスさん」


 大木の家に一瞥を繰れてそう呟くと、ユリスはハンドルを握って、アクセルを踏んだ。


     ◇


「――あ、悪い悪い。後輩からだったわ」


 通話を終えた鎖地は、河原の砂利に座らせた三人の方へ向き直った。


「で、どこまで聞いたっけな……あ、そうそう。お前らの目的だったな」


 三人の顔色は様々だが、共通しているのは三点。結束紐で縛られ、服を脱がされ、そして仲良くコブと痣ができるまで痛めつけられていることだ。


「お前ら、ヤクザだろ。兼久一家だっけ?」


 三人の中で最年長らしい、坊主頭の日本人が、鎖地を睨む。


「炭鉱街にある売春宿は、全部お前らが仕切ってるんだろ? 新世界じゃ、羽振りが良いんだってな。何せこんなもんまで堂々と着けられるんだから」


 そう言って、鎖地は坊主頭の男から剥ぎ取ったピンバッジを見る。「兼」の文字を金で誂えたそれは、この国の裏社会に根を張る日系暴力団・兼久一家のそれだ。


「本土でこんなもん着けて歩いてたら、即逮捕だ。暴対法がない新世界に、日本のヤクザが流れていってるって、中国や韓国からも指摘されてんだぜ?」


 鎖地はそこまで言ってから、雑談は終わりとばかり、真ん中に座らせた坊主頭の前で屈み、目線を合わせる。


「で、お前ら何しにあそこに来てた?」


 鎖地と三人との出会いは、二十分ほど前に遡る。


 夏目が大恩ある騎士の自宅に入っていった矢先、シボレーのすぐ後ろに、この三人の車が停まったのだ。これ見よがしの黒塗りのセダンで、一目で乗っている人種を察した鎖地は、市街地での乱闘に対する報復と読んで即応。車を降りて向かっていき、ものの数分で三人を制圧すると、連中の車を借りて、木の家から数キロ下流に降った先の河原まで来たのだった。


「旅先でちょっとイキった男女二人組に対する仕返しにしては、お前ら随分と道具を揃えてきてるな?」


 三人組の標的が自分達でないことは、セダンの中を調べてすぐに察しがついた。


 拳銃に短刀、それに二人分の目出し帽に手袋、そして黒のレインコート。まるで押し入り強盗でもしようかという道具の数々を、紙袋に詰め込んで後部座席に置いていたのだ。


 暴力団が野放し同然の新世界で、旅行客にケジメをつけさせたいのなら、適度に恐い思いをさせてやれば良いし、殺すなら見せしめになるよう公然と始末するだろう。


 強盗でも始めようとばかりのこの装備の数々は、目的と噛み合わないのだ。


「あの家に住んでる女騎士が狙いか?」


 坊主頭の男が目を逸らす。鎖地は愉しげに笑った。


「羽振りの良いお前らが強盗なんてする必要ねぇよな。となると、お前ら誰かから頼まれたんじゃねぇのか? 『強盗に見せかけてあの女殺してくれ』って」


「何のことだかさっぱり分からねぇな」


「あ、今までだんまり決め込んでたのに、これは否定すんのか」


 バカにしたような物言いの鎖地に、坊主頭の男は冷や汗を滲ませながら、顔を上げて睨みつける。


「新世界のヤクザって苦労してねぇから、ほんとバカばっかなんだよなぁ。どうせカタギ脅す時も組の名前使ったりすんだろ? 頭悪いよなぁ」


 鎖地はそう言ってから、ジーンズに差していた短刀を抜いて、鞘を放り投げた。抜き身の刃を地面に向けたまま三人の背後に回り、茶髪の若衆の捩れた髪を掴んで、


「脅しってのはこうやんだよ」


 頭を上げさせると、さらけ出された首に刃を滑らせる。


「な、何やってんだおい! おおぉい!」


 何の前触れもなく始まった殺戮。若衆は濁った悲鳴を上げながら、首を切られる。傷口にずんずんと刃が沈んでいき、その度に押し出されるかのように赤黒い血が溢れ出て、若衆の肌と砂利に流れ落ちていく。


 やがて声すら出なくなり、空気の漏れるような音しか出なくなったと思ったら、若衆の頭は完全に切り離された。鎖地は苦悶と混乱に固まった顔を坊主頭に見せつけるように、目の前に差し出す。


「て、てめぇ、イカれてんのかあぁ!?」


「何でヤクザにそんなこと言われなきゃなんねぇの? 身の程弁えろよ、ボケ!」


 声を荒げる坊主頭の顔面に蹴りを叩き込む。砂利に頭を打ちつけて、悶える様子に鼻で笑うと、鎖地は若衆の頭を川に放り込んで、もう一人の若衆のもとへ足を運ぶ。


「や、止めろ、来んじゃねぇよ!」


 もう一人の若衆はグラディアの現地人のようだ。鎖地は構わず、若衆の髪を掴んで水辺に引きずっていく。


「で、お前らに女騎士の殺しを依頼したのは、どこのどいつだ?」


「離せ! 離せよおい!」


「お前に聞いてねぇんだよ。ちょっと黙れ」


 喚く若衆の顔面に膝を叩き込み、高い鼻をへし折って気絶させる。


 坊主頭の男は、頭の裂傷から血を流しながら、鎖地を睨むことしかできなかった。


「てめぇ、こんなことしてただで済むと思ってんのか?」


「済むけど?」


 男には極道者としての威厳は残っていなかった。得体の知れない殺人者を前に、ヤクザの肩書きは悲しいほどに脆かった。


「じゃあ答えたくねぇなら良いよ。当ててやる。当たったらこいつ殺すからな」


 一方的にそう告げると、鎖地は間髪入れず答える。


「筆頭政務補佐官だろ?」


「……っ」


「やっぱバカは顔に出るから分かりやすいなぁ」


 目を見開いて、口元を震わせたのを、鎖地は見逃さなかった。


「こないだ殺された大臣も、そいつの差し金だろ。ヤクザ使って都合の悪い奴を消すなんて、一昔前の政治家だな」


 一笑に伏すと、若衆の首にナイフを突き立てた。真正面から喉仏の下に突き込まれたナイフが抜けると、傷口から壊れた蛇口のように血が流れ出し、身体を伝って砂利を赤く染めていく。


 死に行く若衆を川に蹴り込むと、血濡れた短刀も川に投げ捨てて、もう一つの得物をポケットから取り出す。短刀と一緒に紙袋に入っていた、手のひらサイズの回転式拳銃だ。


「まぁ何で女騎士を消したいのかは知らねぇけど、とりあえずもう良いわ。ありがとな」


 脇腹を踏みつけて押さえ、銃口を頭に向けて、親指で撃鉄を起こす。


「い、一体何者だ、てめぇ……」


 鎖地は答えず、思い出したかのように、問い返した。


「そういやお前、フロレスタ観光って会社、知ってる?」


 恐怖に震える瞳が写した、微かな動揺。鎖地はそれを認めると、愉しげに笑みを浮かべて、引き金を絞った。

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