王都東の貧民街で、王立騎士団の護送車が襲撃され、移送中のユリス・ゲンティアナが姿を消したという情報は、すぐに稲木筆頭政務補佐官のもとへ届けられ、吉報を待つ彼女を激昂させた。
「地元住民から、黒の外国車の目撃情報が確認されている。現場に落ちていた薬莢も、米帝のもので間違いないそうだ」
王立騎士団副団長のロルカ・タギカは、執務室で稲木にそう報告した。団長が国王に同伴して留守にしている間、王立騎士団の指揮は彼に一任されている。
「例の密売組織の犯行の可能性が考えられる。奴らも米帝の武器を使っていたからな」
「それはないでしょう」
稲木は副団長の推測に首を振る。
「米帝の銃だから米帝が絡んでいるなんて、気が早すぎますよ。あの国は新世界に武器をバラ撒いていますから、手に入れるのはさほど難しくありません」
「なら誰の犯行だと?」
「それが分かったら苦労しませんよ」
苛立ちを誤魔化すように、稲木筆頭政務補佐官はため息を漏らした。
「とにかく、黒の外国車ということが分かっているのなら、検問を張ればすぐに見つかるでしょう。至急王都周辺に検問所を設置してください」
「了解した。憲兵隊への協力要請はしなくて良いな?」
「結構です。これは王立騎士団の問題ですから」
指示を受けたロルカが執務室を後にすると、稲木はため息を漏らして、額を押さえた。
「やっと始末できると思ったのに」
忌々しげに呟いて、思い起こすのはあのエルフの騎士のことだ。
このグラディア王国の政務補佐官として着任した時から、ユリス・ゲンティアナという女は目の上のたん瘤でしかなかった。
先代国王から全幅の信頼を置かれ、政務補佐官からの提言とあのエルフの意見が対立した時、決まって先代は後者の意見を採用した。面白くないのは、その意見の通りに政策を実践して、ほぼ理想に近い成果を挙げられたことだ。おかげで先代の時代、政務補佐官は冷飯を食わされ、前任と前々任の筆頭政務補佐官も、省内での出世競争から外れる憂き目に遇った。
目障りな女を、やっと処刑できると思った矢先に、この騒ぎだ。心中は穏やかではない。
稲木は備え付けの電話の受話器を掴むと、外線番号をダイヤルする。かかる相手はグラディアの主要都市の一つで、大規模な炭鉱街に拠点を置く、ビジネスパートナーだ。
「一つ頼まれてもらえますか? こないだ依頼した例のエルフが拉致されてしまったようでしてね。見つけ出して、今度こそ片をつけてください。もうどんな形でも構いませんから。えぇ、それでは」
ほぼ一方的な依頼だが、相手は渋々ながら応じてくれた。先方の下手で前回の依頼を果たせなかったのだから、当然だろうと、稲木はほくそ笑んだ。
◇
「私の身を案じてくださったことには感謝します。ですが、これは明確な犯罪行為ですよ。分かっているのですか?」
大通りを走り抜けるシボレーの後部座席で、ユリスは手枷を外してくれた夏目にそう詰め寄った。
「分かってるわよ。でも、こうでもしないとユリスさんを助けられなかったの」
「こうまでして助けてほしいと頼んだ覚えはありません!」
ユリスが憤慨する理由が、自身の立場を顧みない決断にあることを察して、夏目も言い返せなかった。
「そう怒んなよ、女騎士さん」
運転席の鎖地がバックミラー越しに一瞥して割り込んだ。
「桐生もあんたのことを思ってやったんだし、そもそもあんた処罰されるようなことしてねぇんだろ? なら堂々と脱走すりゃ良いんだよ。世間はあんたの味方するんだから」
「堂々とするのは脱走ではありません。というか、誰ですか?」
「鎖地さんよ。ほら、仕堂くんと護藤くんが話してたでしょ? 私の前の班長」
夏目が補足すると、鎖地がそこへ食いつく。
「え、俺のこと知ってんの? 何て聞いてる?」
部下からの称賛を間接的に聞けると期待しての質問に、ユリスは答えた。
「酒に酔ってナツメさんと関係を持った方と聞きました」
「おい、そのデマまだ流れてんのかよ!」
「シドウさんからそう聞きましたが……」
「ユリスさん、それ誤解だから。二人でバーで酔い潰れて寝ただけだから」
「それは関係を持ったことになるのでは……?」
「ならないから!」
釈然としないユリス。と、シボレーが信号に捕まったちょうどその時、ユリスのお腹が可愛らしい悲鳴を漏らした。
「え、この状況でお腹空くか?」
不意打ちに吹き出した鎖地が笑いながら言うと、ユリスは顔を赤らめつつ、
「今日はまだ朝食を摂っていませんでしたから」
「いや、それでも普通この空気の中でお腹鳴らねぇよ。どんなメンタルしてんの?」
ユリスはムッとしつつ、ナツメに小声で不平を漏らす。
「何なんですか、この方は? 失礼ではありませんか」
「そういう人だから」
宥める夏目を尻目に、鎖地は信号が変わるのを待ってアクセルを踏み、横断歩道を跨いだ先にあるファミリーマートに入った。
「まぁ腹が減るのは悪いことじゃねぇわな。ちょっと待ってろ、食いもん買ってきてやるから」
ガラガラの駐車場に停めて、サイドブレーキをかける。
「何かリクエストは?」
「ありません」
「ユリスさんはおにぎりが好きなので、三つくらい買ってきてあげてください」
「はいよ~」
意固地なユリスににやけ顔を見せてから、鎖地は車を降り、店内へ小走りで向かった。
「まぁでも、元気になったみたいで良かったわ」
憮然とするユリスに、夏目はそう笑いかけた。
「笑っている場合ではありませんよ。本当に、自分達が何をしたか分かっているのですか?」
「だから、分かってるって。逆に訊くけど、ユリスさんはあのままだったらどうなってたの?」
「国王陛下より、新宮殿公開の場での処刑を申し渡されました。なので、その通りになっていましたよ」
「しれっと言うことじゃないでしょ、それ」
新世界の騎士道というのは奇怪なものだと、夏目は半ば呆れ顔だ。
「そんな状態の人を放っておけないわよ。だから助けるの。分かる?」
「そうやって罪人に情けをかけていては切りがないでしょう」
「ユリスさんは罪人じゃないでしょ。それに、こんな言いがかりで殺されるなんて、いくら何でも納得できないでしょ?」
それが騎士というものだと、いつもなら即答していただろうに、今日に限ってユリスはそれができなかった。
命が惜しいわけではない。死などもう恐れてはいない。だが、どうしても、国王の言葉が引っかかって、それが死を受け入れることを拒んでいるようだった。
回答に窮するユリスが顔を上げると、夏目の関心はユリスの背後に向かっていた。
振り返った先には、スモークを貼ったガラス越しに見える大通りと、路肩に停まったミニバン、そしてそこから降りた二人組の王立騎士団の団員。一人がミニバン備え付けの無線機を手に持ち、もう一人が腰に差した剣に手をかけ、シボレーに向かってくる。
「バレちゃったみたいね」
夏目はそう言って、拳銃を抜く。
「早まったことはしないでください」
ユリスがそれを制す。
騎士は後部座席の窓ガラスに顔を近づけ、中を覗き込もうとするが、案の定よく見えていないのだろう、苛立ち気味の顰めっ面で二人を見下ろしている。
「私が出ていけば、丸く収まります」
「収まるわけないでしょ。もう手遅れよ、諦めて私達の言う通りにして」
「脅すようなこと言わないでください」
「だったら大人しくして」
声を潜めて言い合う二人を尻目に、外で動きがあった。
コンビニ袋を提げた鎖地が戻ってきた。騎士と困り顔でやり取りを交わし、渋々といった風にリモコンキーで車のロックを外す。騎士がドアを開けようとした瞬間、頭を掴んで車体に叩きつけ、崩れ落ちたところに顔面を拳で殴りつけた。
「おいおい、もうバレちまったよ。グラディアも中々やるもんだな」
運転席に乗り込んだ鎖地がそう言って、おにぎりの詰まったレジ袋を夏目に投げ渡す。
「女騎士さんよ、高速道路の警備って、今は騎士がやってたよな?」
シートベルトを締めつつ、バックミラーで後方を確認する。ミニバンの脇にいたもう一人の騎士が、剣を抜いて無線機とやり取りを続けている。
「一昨年から王立騎士団の傘下部隊が引き継いだはずです。それが何か?」
「なら良いや。桐生、予定通り行くぞ」
そう言うと鎖地はサイドブレーキを外して、車をバックさせる。そのまま入り口まで直進して、止めようと飛び出した騎士を轢き、車体を揺らしながら大通りに飛び出す。
「あ~あ、事故車になっちゃったよ」
半ばやけくそ気味に言って、鎖地はアクセルを踏んだ。
「予定通りって、このまま高速に乗るんですか?」
加速するシボレーの車中。夏目が運転席に身を乗り出して問い詰めると、鎖地は助手席を一瞥してから、
「あぁ、そうだよ。憲兵隊が警備をやってるならともかく、王立騎士団相手なら楽勝だろ」
「でも高速だと逃げ道ないですよ?」
「邪魔するんだったら轢き殺せば良いんだよ。お前も、それ準備しとけ」
顎で差した助手席には、シートに立て掛けた薬莢受け付属の自動小銃が三挺に散弾銃が一挺、それにシート上に十本近い弾倉と弾薬箱が三箱、まるで財宝のように置かれていた。
「これじゃテロリストですよ……」
呆れた風に言いつつ、夏目は自動小銃を掴み取り、弾倉を三本ばかり拝借する。
スライド式の銃床と切り詰めた被筒が特徴のカービン銃・M4。M16とともに長らく米帝全軍の主力小銃として活躍した小銃だ。帝国軍の新制式銃採用に伴い、行き場を失ったものが新世界の犯罪組織に流されているというが、鎖地が持ち込んだこれらの銃は、そうして押収されたものだろう。
シボレーは大通りから脇道に入り、湾曲した坂道を登って高速道路の料金所に差し掛かる。
「何だよ、読まれてたか」
料金所では黒い羽毛の騎竜を五匹も引き連れた、王立騎士団が検問所を設けようとしている最中だった。王立騎士団のそれと分かるミニバンとセダンが、騎竜と同じ数だけ停まっていて、槍を持った騎士達が職員達を顎で使い、準備を急がせているところだ。
「検問の設置くらいてめぇらでやれよ、なっ!」
偉そうに声を張る髭面の騎士と目が合った瞬間、鎖地はアクセルを踏みしめる。髭面の騎士をボーリングのピンのように跳ね飛ばし、設営途中のバリケードの間をすり抜け、料金所のレーンを突き破り、高速道路に突入した。
「この車どっかで乗り換えないとなぁ。女騎士さん、誰か知り合いいない?」
「いませんよ!」
「だろうな、知ってた!」
笑い飛ばして車を加速させる鎖地を、ユリスが憮然とした顔でシート越しに睨みつける。鎖地はそんなこともお構いなしに、
「追っ手の数は?」
「鳥みたいなのが二羽に、車が二台。返り討ちにするしかなさそうですね」
「じゃあ頼んだ。窓ガラスはぶち抜いて良いぞ。どうせもう事故車だしな」
やけくそ気味に丸投げされると、夏目は銃身上部のレバーを引き絞ってそれに答えた。
「ユリスさん、ちょっと耳塞いでて」
「え?」
戸惑うユリスを尻目に、夏目は後方に身を乗り出して、銃床を肩に押し当て、猛追してくるセダンに照準を合わせる。鎖地が両側のドアの窓ガラスを下ろしきると、それを合図に引き金を絞った。
後部ドアのガラスが砕け、氷のように崩れる。セミオートで十三発、立て続けに撃ち込むと、真正面から被弾したセダンは進路を狂わせ、防音壁に激突した。
「お~、しばらく見ないうちにライフルの扱いも上手くなったなぁ」
さらに九回引き金を絞って、もう一台のセダンをパンクさせ、射線に入ってきた騎竜を一羽仕留めると、夏目は先輩からの賛辞に適当な相槌を返す。
「それはどうも」
と、ここで残った一羽の騎竜が急加速して、シボレーの横についた。
グラディア王国のある平原地帯に生息する騎竜は、騎士を乗せた状態で時速一〇〇キロに迫る速度で走ることができる。自動車相手にも見劣りしない速度に加え、その強靭な脚から繰り出す蹴りは、車体を凹ませることだってできる。グラディアの騎士達はそうして、近代化以降の犯罪者とのカーチェイスを制してきたのだ。
「ったく、しょうがねぇな」
めんどくさそうにぼやいて、助手席のシートに立て掛けておいた散弾銃を取る。レミントン社製のセミオートモデルで、法執行機関向けにピストルグリップと折り畳み式の銃床に交換されたものだ。
「失せろ、腐れチョコボ」
そう吐き捨てて、鎖地はレミントンを右手で構え、引き金を二度引いた。けたたましい銃声とともに放たれた散弾が窓ガラスを粉砕し、その先にいる騎竜と騎士を蹴散らすのを認めると、得意顔でアクセルを踏み込んだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!