世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

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第4章 帝国の頂

第54話

公開日時: 2022年1月1日(土) 00:10
文字数:5,570

 十月の朝は肌寒く、会社勤めの一般庶民が起床を始める早朝ともなれば、背広に袖を通さないと外に出るのも辛い。


 朝焼けに照らされる午前七時。スズメとカラスの鳴き声が響く田端の住宅地を、チャコールグレーのセダンが進んでいく。控えめなエンジン音を朝の雑音に紛れ込ませ、学校へ向かう自転車通学の学生や、眠たげに歩いていくサラリーマンとすれ違いながら、緩やかな一本道を山手線と並走し、横断歩道に差し掛かったところでぎこちなく左折する。


世良せらさん、大丈夫?」


 助手席に座る護藤が、運転席でハンドルを握る女性に声をかける。焦げ茶の長い髪をゴムで結った華奢な女で、身長はゴブリンの護藤に辛うじて優る程度。黒縁のメガネは度が強く、翡翠色をした瞳がやたらに目立ち、その目にはかわいそうなほど不安の色が滲んでいる。


「な、何とかなりそうです」


 冷や汗を額に滲ませながら、狭い路地に曲がり込む。前回車体を電柱に擦りつけてしまっただけに、ちょっとしたトラウマになっていたのだが、どうやら克服できたらしい。


「はぁ、良かった……皆さん、ご迷惑をおかけします」


「構いませんよ。本来なら私が運転すべきところなんですから」


 後部座席の白人が、申し訳なさそうにペコペコする女に言った。金髪碧眼の典型的な西洋風の顔立ちで、目鼻立ちがくっきりとしている。それでいて喋る日本語は、若干のロシア訛りがありつつも聞き取りやすく、穏やかな調子で女を安堵させる。


「世良は運転歴ゼロのペーパードライバーで、カッシーに至っては無免許。運転手育成が急務だなぁ」


 白人のミハイル・カシヤノフと並んで座る仕堂が、眠たげな顔で言うと、助手席の護藤がそれに突っ込む。


「お前も免許持ってんだろ」


「俺はほら、今班長だし」


「桐生さんだって運転してたろ」


 呆れた調子で護藤が返す。


 セダンは突き当たりに差し掛かったところで停まり、車内の一行は左手に建つ二階建てのアパートを覗く。


 築半世紀はとうに過ぎている、古ぼけた木造アパート。二階の奥の角部屋に住む中年男性が、欧州から戻ってきた共和主義者だという情報提供があったのは、数日前のことだ。


「さて、本番だな」


 セダンのエンジンを世良が停めて、仕堂が咳払いをしてから告げる。


「俺と護藤で正面から行く。世良とカッシーは二階のベランダを監視。逃げるようなら撃って構わないが、できるだけ生け捕りな」


「了解!」


「了解」


 気張る世良に、冷静なカシヤノフ。対照的な二人の返事を頷いて受け止めると、


「よし。じゃあさっさと済ませて、今日こそ飲みに行くぞ!」


 一行は車を降りて、散開した。


     ◇


 桐生夏目は枯れ木だらけの森を抜けると、三メートルほどの高さの塀に辿り着いた。それに沿って進んでいき、鎖を巻いた鋼鉄製の扉の傍まで来ると、曇の張る夜空を見上げてインカムに声を吹き込む。


「――こちらアルファ。裏口に到着」


『こちらブラボー。西側の搬入路に到達。ここからは見張りの姿は認められない』


 ロシア訛りの米語が返ってくると、それを待って三人目が会話に割り込む。


『こちらアークエンジェル。裏口に見張りはいないけど西側には三人いるよ。ブラボーから見て左に八メートルってとこね。短機関銃SMGらしきもので武装してる』


『了解。俺達がハズレを引いたらしい』


『そうでもないよ。裏口からすぐの建物には構成員が六人。アルファはまずこっちを制圧しないとね』


「骨が折れるわね。こっちは四人なのに」


『搬出準備は終わってるみたいね。もうすぐ出発しちゃいそう。弱音吐いてる暇はないよ、警部』


「それもそうね」


 空からの忠告に肩をすくめて答える。


『よし、キックオフ。目標地点まで三分』


「了解」


 やり取りを終えると、背後に控えていた仲間に相槌を打つ。


 ドワーフの隊員・ヤーボがボルトクリッパーで鎖を切断し、重たい扉を軋ませながら押し開く。夏目を先頭に敷地に潜り込み、目の前の建物へ小走りで向かっていく。


 人数は四人。夏目を筆頭として、全員が同じ紺色の戦闘服と防弾ベストを着込み、暗視ゴーグル付のヘルメットを被って、頼みの武器のクリス・ベクターにはホロサイトと減音器を取りつけている。


 錆びた扉から建物の裏口までは五メートル。その間合いが詰まりきろうという時、裏口が開いて人が出てきた。


 先頭の夏目がそれに反応して、地面を蹴る。自分達を視認するまでの一瞬で素性を判断すると、身構えようとした敵の首に拳を叩き込み、襟を掴んで背負い投げる。


 アスファルトに脳天を叩きつけて気絶した男の手が、銃把を離す。年季の入ったAKMを足で蹴って遠ざけると、三人に相槌を打って建物内に先行させる。


『一階クリア。二階へ向かいます』


 気絶した男に手錠をかけながら、劉曙紅リウ・シューホンがインカム越しに報告する。夏目も先行した彼女達を追って、建物に入る。


 突き当たりの階段を昇る一団と合流し、二階へ進む。吹き抜けの作業場を囲むように設けられた長い廊下の奥から、のろのろと人影が出てきた。銃を携えて煙草を蒸かす様を認めると、白人の隊員・タイラーが引き金を絞る。


 減音器で押さえ込まれた銃声らしからぬ銃声が、通路に響く。弾き飛ばされた人影のもとへ音もなく駆け寄り、虚ろな目を空けたまま胸の銃創から血を流すのを認めると、曲がり角の向こうから現れた気配に銃口を向ける。


 訛りの入ったロシア語を話すのが二人。金属を叩いたような銃声を、ロッカーを蹴った音と誤認した呑気な調子のやり取りを、ホロサイト越しに聞き取り、引き金を絞る。指切り射撃でボーリングピンのように二人を弾くと、その奥の事務室から逼迫したロシア語が聞こえてきた。


「二人制圧。奥にも二人いる。この建物にいるのはあれで全部だ」


 一区切りつきそうとばかりのタイラーの報告を嘲笑うかのように、敷地内に警報が響く。事務室に逃げ込んだ二人組の仕業だ。


「アークエンジェル、敵に見つかった。今二階の東側にいて、敵は反対側の個室に隠れてる。支援をお願い」


 夏目がインカムに告げると、


『こちらブラボー。同じく支援を要請する。こいつら機関銃マシンガンまで持ってやがったぞ!』


 別動隊が必死の声を紡ぐ。窓の向こうからは重たい銃声が絶え間なく響いてきて、彼らの状況を伝える。


『こちらアークエンジェル。了解、ちょうど良いわ。耳塞いでてね』


「え、ちょっと、そっちじゃないわよ!」


 期待したのはミニガンの支援だったのだが、まるで違うものが来ようとしている。相手は聞き入れるつもりがないらしく、応答はない。


「耳塞いで!」


 隊員達に米語で叫び、両手で耳を塞ぐ。目を閉じて下を向き、口を大きく開けると同時に、手のひらを貫くほどの甲高い咆哮が響き渡り、窓ガラスが爆風に煽られたように砕け散る。


 五秒。頭の中で数えて、それから咆哮が止んだのを手のひら越しに認めると、夏目は頭の上に降り積もったガラスの破片を手で払って顔を上げる。


「タイラー、ヤーボ、突入! 制圧して!」


 指示を受けたタイラーとヤーボが、通路を走る。


 事務室の扉を開けると、窓ガラスが砕け散っていて、床では破片を下敷きに男が二人、芋虫のようにのたうち回っていた。耳と目から血を流す彼らに、クリス・ベクターで止めを刺すと、タイラーは通路の奥に控える夏目達に向かって叫んだ。


「クリア!」


「二人は事務室を捜査。私達はブラボーと合流する」


「了解です、隊長」


 返事を受け取り、曙紅とともに階段を駆け降りる。


国家安全局うちより無茶苦茶ですよ」


「ほんとですよ」


 愚痴をこぼし合いながら作業場に入り、玄関から外へ出る。


 搬出作業中のトラックが五台、横一列に並び、搬入路から侵入したブラボーチームが、トラックを境界にして銃撃戦が繰り広げられている。


 夏目達の位置は、ちょうどブラボーチームの配置とは反対側で、なおかつ敵の真横。奇襲を仕掛けるにはちょうど良い配置だ。


「構成員は捕まえなくて良いんでしたっけ?」


 確認した曙紅に、夏目が頷いて銃口を持ち上げる。


「情報提供者はまだ喋れる状態ですからね」


「了解です。じゃあ、気兼ねなくやっちゃいましょう!」


 曙紅はクリス・ベクターを構えて、引き金を引く。夏目達に気づかず身体を丸出しにしていた敵の構成員が、脇腹に45口径を撃ち込まれて倒れる。


 側面からの追撃に、敵が怯む。さらに三人倒れると、残りが抗戦を諦めて遁走を図る。


『アルファ、援護感謝する』


「どういたしまして……」


 インカムに応じながら、道を挟んだ先の資材まで走り出そうとしたその時、敵が放り投げた手榴弾が目の前に転がってきた。


「グレネード!」


 曙紅が叫び、二人同時に反対側へ駆ける。建物の物陰に飛び込み、同時に炸裂し、乾いた爆発音に鼓膜が殴られる。


「っ……」


 戦闘服越しにアスファルトで肌が傷つき、肘と膝が疼く。夏目は起き上がって、逃げようとする残党に食い下がる。


 そこへ空から風を切って、灰色の竜が急降下した。逃走を図る一人の腹に齧りつき、背中に乗せた主を下ろして急上昇する。


 竜の背中から飛び降りて、逃走を図る一団の前に立ちはだかったのは、黒ずくめの女。夜の景観に溶け込むキーファソの民族衣を着て、ヘルメットと航空眼鏡を着けている。


 逃走を図った者達のうち、二人は竜の強襲で腰を抜かして転び、ゴーグル越しの視界に入るのは四人ばかり。先頭の二人はAKを構えようと動き出し、それに女は反応する。


 黒いマントを翻して、ハニーバジャーを引っ掴む。大型の減音器を取りつけた銃口が閃き、金属を叩くような甲高い音を四つ奏でると、目の前の男達は胸に二発ずつ銃弾を撃ち込まれて倒れた。


 足下で尻餅をつく二人の動きを視界に捉えると、続けざまに銃把を放して、腰の短剣を抜く。流水のように透き通った刃で、一人が抜いた拳銃を弾き、胸を突き刺す。男が呻くと同時に引き抜いて、起き上がろうとしたもう一人の襟を掴み、引っ張り込んで首を切り裂く。


 返り血を袖で乱暴に拭うと、残った一人に目をやる。得物は錆びの浮いたAK-47。腰だめで引き金を引くと、銃声が絶え間なく響き渡る。


「パリエ!」


 女が叫び、キーファソの文字を刻んだ魔法陣が銃弾を受け止め、弾き飛ばす。飛び散った銃弾に男が怯むと、その隙を突いて魔法陣の脇から飛び出す。


「プルラ!」


 間合いを詰め、橙色の髪を靡かせ、脇腹に蹴りを叩き込むと同時に詠唱。


 平均より少し恵まれたがたいの女の、平均より鍛えた肉体の男へのミドルキック。だが、まるでトラックに跳ねられたかのように吹き飛ばされ、シャッターに激突して凹ませ、男は地面に倒れた。


「相変わらず派手ですね……」


 夏目のもとへ駆け寄った曙紅が、そう呻く。


「リールーさん!」


 夏目は曙紅とともに、橙色の女のもとへ向かった。


「あ、警部。怪我はない?」


 橙色の髪の女は、航空眼鏡を外して夏目に訊ねる。


「えぇ、大丈夫。助けてくれてありがとう」


「どういたしまして!」


 得意気な女に、夏目は笑顔で続けた。


「ミニガンを使ってくれたら、もっと嬉しかったけどね」


「わがまま言わないで。あの子、ミニガン嫌いなんだよね」


 リールーがそう言うのを待ち構えていたかのように、灰色の竜が彼女の背後に降り立った。黒い瞳に獰猛な光を宿して、長い首を柔軟に曲げて主と目線を合わせる。長い牙と太い前肢の爪は、捕まえた獲物を食い殺した名残か、血と肉片で汚れている。


 日本においてジャルマンオオトカゲと称されるそれは、体長三メートルの巨体と一メートル近いパイプのような首が特徴の竜だ。ライフルの弾を弾く皮膚に三トンほどの荷物を運ぶことのできる強靭な身体、休息なしで二〇〇〇キロの距離を飛び続けられる底知れない体力から、新世ロシア帝国では軍事目的で飼育・運用されている。胴体にはミニガンを取りつけていて、夏目が期待した航空支援はそれだったのだが、実際に使われたのは強靭な声帯と肺活量から繰り出す咆哮だった。


 それが力不足というわけではない。むしろ過剰だ。まともに受ければ鼓膜が破けるばかりか、脳にダメージを与えるほどの威力があるのだ。


「そのくらい言うこと聞かせてくれなきゃ困るわよ。飼い主なんだから」


「飼い主じゃなくて、相棒。これ大事だから」


 リールーの言葉を肯定するように、竜が吼える。攻撃目的でもないのに鼓膜が刺されたように疼いて、夏目は思わず頭を押さえる。


『――こちらアルファ3。事務室にて取引データを発見。回収しました』


 そこへタイラーがインカムから報告してくると、トラックの荷台を開けたブラボーチームがそれに続く。


『積み荷を発見。結構な人数だ』


 夏目達はブラボーチームのもとへ向かった。ウサギを模したロゴが描かれた中型トラック。その荷台には、この工場が自称する家具メーカーらしい白のクローゼットが積み重ねられ、その最上段から隊員がエルフの子供を抱き上げた。


「もう一人入ってる。一つ当たり二人ってとこですね」


「一台につき十個積んでるとして、それが四台だから……」


「八十人も誘拐してたんですか」


 唖然として呟いた夏目に、ブラボーチームの隊長が頷く。


「このトラックの行き先は、まぁ大方スラキスだろうな。あそこはグアンタナモと繋がってるから、そこからギアナ辺りを経由して、欧州かアフリカに売ってやがったんだ。クソ野郎どもが」


 吐き捨てた隊長の傍で、ブラボーチームの三人が子供達を救出していく。細い手足を縄で縛られ、薬で眠らされているのか、死んだように静かだ。どの子も白い肌にどこかアザを浮かべ、薄汚れて窶れ、エルフ独特の尖った耳に、バーコードのような札を縫いつけられている。


帝政中華私の祖国でも問題になってますけど、新世ロシアだとやはり規模が違いますね」


 苦い顔で言ったのは劉曙紅だ。夏目は相槌を打つかのように頷いて、インカムのスイッチを入れた。


「本部へ。こちらアルファ。荷物は回収。数は推定八十。救急車と警察の応援を要請する」


『本部了解』

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