世界の最果てに佇む猟犬と新世界の彼方で吼える忠犬

退会したユーザー ?
退会したユーザー

第1章 大日本帝国公安庁

第1話

公開日時: 2021年5月2日(日) 23:55
文字数:6,204

 晩秋の東京は日増に空気が冷えていき、雨の日ともなるとその寒さはいっそう身に滲みる。ニュースでは暖冬になるという気象庁の見立てをそのまま報じているが、果たして本当なのだろうか。


 桐生夏目きりゅう なつめは窓の外を流れる景色に視線を投げながら、そんなことをぼんやりと考えていた。外は朝からの雨が降り続いていて、早稲田通り沿いのありきたりな景色も、妙な色気を出している。耳に入ってくるのは車体を叩く雨音と規則的なワイパーの音、それに運転席と助手席の部下の雑談だ。


「そういえば護藤ごとう、お前こないだの街コンどうだった? あの辺年食った奴が来ないから、割と良いのがいたろ」


「二人と連絡先交換したけど、まぁ脈はねぇな。人間しかいねぇもん、ゴブリンにはキツい」


「その二人は脈あんだろ? とりあえずキープしとけよ」


「そいつらも国家公務員だからって食いついた手合いだ。そういうのは要らねぇ」


 運転席の人間と助手席のゴブリンは、前を向いたままそんなことを話していた。どうも以前話していた街コンの成果報告らしい。


「最初にかけてきた言葉が『名前の漢字がかっこいいですね』だぞ? どう考えたって俺に興味ねぇやつの反応だろ。高校の時の自己紹介思い出したわ」


「そりゃそんな小難しい漢字使ったらそう言いたくもなるわなぁ。ゴブリンの名字ってやたら画数多いから、目立つんだよ」


「だよなぁ。親父とお袋が新世界あっちの生まれだからこんななっちまったけど、日本生まれ日本育ちの俺としちゃしんどいだけだわ」


 ゴブリンはそう言ってため息を吐く。複雑な見た目の漢字を好むのは、彼らの使っていた文字が、絡まった毛糸の束をそのまま書き起こしたような見た目をしているからだ。見慣れた文字に似た漢字を気に入った彼らは、漢字文化圏に多く移住している。


「ていうかなぁ、俺地元に婚約者いるからな。街コン行ったなんてバレたら殺されるわ」


「婚約者って、例のエルフの娘?」


 暇を持て余した挙げ句、二人の会話に割り込んだ。質問の相手は、助手席で寛いでいるゴブリンの護藤だ。黄緑の肌にウサギのように尖った耳、鋭く大きな目に規則正しく並んだ牙と、面構えだけは悪鬼そのものだが、背丈は人間の成人男性より頭一つ以上低く、下手をすれば中学生と良い勝負だ。濃紺に白のストライプを入れた背広は、独り暮らしの適当な生活ぶりを表すように草臥れていて、煙草の臭いもすっかり染み着いてしまっている。


「そうです。これがめちゃくちゃかわいいんですよ。使う方言がわざとらしいとこが特に」


「わざとらしい博多弁喋るエルフの女の子って属性入れすぎじゃね?」


 運転席の仕堂しどうが冷やかす。癖っ毛の黒髪を社会人らしい落ち着きを持ったセイムレイヤーでまとめた、毒気の薄い今時の若者といった風情の青年だ。背広姿にぎこちなさのある痩せた体躯に垂れ目と小顔で、五歳は若く見える童顔気味の整った顔立ちも相俟って、中年の女性事務員からの評判は頗る良い。尤も、渋谷や池袋に繰り出しては毎月三人は引っかける女誑しという、見た目と評判に見合わない性分の持ち主でもあるのだが。


「仕堂くんもそろそろ落ち着いたら? 来年で社会人五年目なんだし、遊びにも飽きてきたでしょ」


「そうしたいんですけど、結婚しようって気になる娘がなかなか見つからないんですよね」


 窘めてみるが、いつも通りに切り返される。


「まぁ、僕より三割くらい稼ぎが良くて、自立心と上昇志向と負けん気が強い、バリッバリのキャリアウーマンって、あんまりいないんですよね。いつもはクールなんだけど笑った時の笑顔がちょっとかわいくて、スレンダーなモデル体型で腰がスラッとした感じの娘。班長の知り合いにいたりしません?」


「そんな超人いないわよ」


 呆れたように夏目は笑った。


「班長はどうなんです?」


 護藤が訊いた。


「私の話なんて聞いてもしょうがないでしょ」


「とんでもない。班長の色恋話は、二課の野郎どもの一番の関心事ですよ」


 実のところ、夏目は異性の目を惹きやすい。大きく丸い瞳に細く端正な眉、小さな鼻に艶やかに膨らんだ唇。出会った男性のほとんどが目を奪われる豊満なバストに、学生時代からの剣道と入庁後に習い始めたクラヴマガで鍛え抜いて引き締まった肢体。明るい茶髪の地毛と人当たりの良さも相俟って、性に奔放な性分と誤解されたのも一度や二度ではない。


 愛らしさと男を狂わせる魅力を兼ね備えながら、そんなものはお構いなしに職務をこなす。最低限の見栄えを保つための儀礼的な化粧と遊び心に欠けるストレートヘア、おまけにお人好しなきらいのある面倒見の好さもあって、彼女はお堅い気風の職場の男性陣の注目の的だった。


「班長といえば鎖地さじさんですけど、ほんとに忘年会の後は何もなかったんですか?」


「何もないわよ。忘年会のはみんなの誤解だって。鎖地さんも言ってたでしょ?」


 このやり取りもこれで何度目だろう。うんざりしていた夏目は、前方の建物を見てこれ幸いとばかりに声を上げた。


「あ、ほら、着いたわよ」


 新宿は大久保の都営アパート。真新しいオフィスビルの足下に建つ十四階建ての集合住宅だ。一階には飲食店が入り、居住エリアは二階から上。外観は立派だが、実態は居住者の大半を高齢者や外国からの出稼ぎ労働者や亡命者が占めており、傍に立つオフィスビルの住人とはまるで住む世界が違う人々の建物だ。雨の中で煌々と明かりを灯すオフィスビルは、神聖さのようなものを醸してすらいるが、部屋から漏れる明かりすらくすんでいるこの高層アパートの雰囲気は、まるっきりホラー映画のそれだ。


 アパートの入り口脇に、夏目達を乗せたセダンが停まる。スライドドアを開けて車を降りると、夏目は後方をついてきたワゴンに駆け寄る。


 チャコールグレーのワゴンからは、三人の男が降りてくる。そのうちの一人が前へ出てきて、夏目に声をかけた。


「何ともまぁ、実物となると本格的に陰気だな。突っ込むならあっちの、新しいビルの方が気持ちも昂るもんだが」


「仕方ありませんよ、大牙おおが隊長」


 夏目がそう返した相手は、二メートル近い巨躯のオークだ。筋骨隆々の体格は人間には到底真似できない代物で、そこへ防弾チョッキを着込み、厚みを増している。瞳が区別できない真っ黒い眼と、下顎から上顎まで伸びた立派な牙は、ステレオタイプな暗黒世界の住人のそれだが、彼が所属するのは魔王軍ではなく、公安庁の機動警備隊――公安事件において発生する荒事に対処する専門部隊であり、その中で一個中隊を任される身だ。


「作戦内容に変更はないな?」


 大牙の問いに、夏目は頷いて答える。


「犯人グループは、共和主義派の学生。正確な人数は不明ですが、目撃情報では三名以上いることは確実と思われます」


「了解だ、班長」


 大牙の背後では、同乗した機動警備隊の二人が、荷台から短機関銃を用意している。イスラエル製のUZIを近代化したモデルで、小柄な本体には不釣り合いなダットサイトとフラッシュライトを取りつけている。


 隊員の一人がUZIと予備の弾倉を大牙に渡す。折り畳まれていた銃床をまっすぐに広げると、外観のアンバランスさが増した。


「それにしても、高い金で大学まで行かせてもらっといて、その果てが反体制のテロリストか。親が泣くな」


「できれば親子ともども反省してもらいたいですね」


 そうはならない可能性が高いからこその言葉だった。機動警備隊に出動を要請し、選りすぐりの人員を連れてきてもらい、その彼らが短機関銃まで持ち出したことが、何よりの証拠だ。


「作戦は十分後に開始します。では、よろしくお願いします」


「あぁ、任せろ」


 頼もしい言葉に一礼を返し、夏目はセダンの方へ戻っていく。


 十分後。


 仕堂と護藤、そして機動警備隊の大牙の三人は、アパートの敷地に正面から踏み込んだ。三人ともに防弾チョッキを着込み、得物は大牙の短機関銃の他に、先頭の護藤が散弾銃を提げ、後衛の仕堂も官給品の92式拳銃を抜いている。


 アパートの一階には飲食店が立ち並び、さながら場末の商店街の様相を呈している。この中の空きテナントの一つに学生の集団が集まり、何やら良からぬことを企てているというのは、このアパートに住むドワーフからの通報で明らかとなり、数週間の調査の末にそれが事実と断定され、今宵の摘発に至ったのだ。


 アパートの正面玄関から三軒隣にある空き物件。掠れて文字の読めなくなった看板がかかったままの、小さなテナントだ。窓には木の板が打ち付けられているが、両開きの玄関にかけられていたであろう鎖と南京錠は外され、隅に打ち捨てられている。


「俺がぶち破ったら護藤から先に突っ込め。油断するなよ」


「了解」


 ゴブリンの目は暗闇でもよく見える。明かりを使わずに先制をかけられるだけに、人間相手では有利だ。


 大牙は背負っていたラムを手に取る。思いきり助走をつけ、扉の中心に叩きつける。


 玄関のガラスが砕け散り、建物の中に広がる。鍵がちぎれた扉を蹴破り、護藤が散弾銃を手に突入した。


「公安庁だ! 武器を捨てろ!」


 大牙と仕堂がそれに続き、暗闇に飛び込む。


 同時にけたたましい銃声が響き、暗闇がマズルフラッシュに一瞬塗りつぶされた。


「一発もらった」


 散弾銃のポンプを絞って、薬莢を吐き出させた護藤が、舌打ちとともに呻く。


「どこに当たった?」


「肩だよ。地味に痛ぇ」


 問いかけた仕堂は、護藤の返事と語調に安堵して笑う。最近の防弾チョッキは中々の優れもので、被弾の衝撃と痛みも緩和してくれる。新世界の蜘蛛から取り出した、人間でも手足を絡め取られてしまうほど堅牢な糸の為せる技だ。


「おしゃべりはその辺にしとけ」


 二人を諫めた大牙が、前方をUZIのフラッシュライトで照らす。


 ジャージ姿で無精髭を生やした青年が目を開けたまま仰向けで倒れていた。腹に散弾を撃ち込まれて血溜まりを広げていく青年の傍らには、ロシア製の拳銃が転がっていた。


「当たりだな、こりゃ」


 大牙が言った。


「奥へ!」


 仕堂が叫び、護藤とともにバックヤードへ突っ込む。


「動くな!」


 手狭な休憩室はもぬけの殻。何やら急いで飛び出した形跡はそこかしこに散見できたが、既に誰もいなかった。


「いない! 逃げたぞ!」


 仕堂が言った、その時だった。


「どりゃあああああ!!」


 叫び声とともに、背後から男が飛びかかった。手にしているのは鉄パイプが最後尾の大牙に振り下ろされ、そしてその太い腕に呆気なく受け止められてしまった。


「相手が悪かったな!」


 大牙は鉄パイプを剥ぎ取ろうと、乱暴に腕を引いた。青年もそれなりに覚悟を決めていたらしく、そう簡単に鉄パイプを離すことはなかった。その代わりに、細身の身体が横に振られてしまい、ついに得物を取り上げられると同時に、壁に背中を叩きつけられて床に滑り落ちた。


「おい、こっちに扉がある! あっちから逃げたんだ!」


 迎撃とともに勝手口を見つけた大牙が叫ぶ。


「こいつは俺が押さえる。班長に連絡して、残りを追え!」


「了解!」


 大牙の脇を通り抜けて、仕堂が勝手口を開ける。


「うおっ!?」


 ドアノブの十数センチ上を、軍用小銃の弾が三つ立て続けに穿つ。仕堂はすぐさま手を引っ込め、銃声とドアを穿つ騒音の中で、無線で班長に報告を入れる。


「犯人と交戦中! 相手の装備は自動小銃と思われます!」


 屈んだ護藤が猛攻の中に散弾銃の銃口を出し、セミオートで数回発砲する。自動小銃の銃声が収まると、仕堂達は外へ出ていく。


 犯人はアパートの裏口にいた。一人は既に地面に伸びていて、自動小銃を引っ提げたもう一人は、被筒を目の前の夏目に取っ捕まれて、顔面に掌底を叩き込まれたところだった。よろけたところへ固定式銃床の頬当ての辺りを捕まれて引っ張られると、右手が銃把から引き剥がされて得物が奪われてしまう。本人が気づいた時には小銃の銃口が自分の方を向いていて、命乞いをしようとした矢先に鳩尾を槍のようにして突かれ、有無を言う暇もなくその場に崩れたところへ、銃床で顎を殴られ、意識を手放した。


「お見事……」


 一瞬にして重装備の男を二人も制圧してしまった班長に、仕堂は思わずそう呟いてしまった。


「他のメンバーは?」


 部下からの賛辞に気を良くすることはなく、夏目は報告を求める。


「大牙さんが押さえてます。見張りを一人射殺しましたが、銃を持っていたので正当防衛です」


「分かった」


 夏目は首肯して、同伴してくれた二人の機動警備隊員へ向き直る。


「隊長の援護に向かってください。ここはもう大丈夫です。ありがとうございました」


「分かりました。気をつけて」


 隊員は踵を返して、大牙のもとへ向かう。夏目は二人の後ろ姿を見送ると、


「二人とも、手錠」


「え? あぁ、はい」


 仕堂が腰に提げてあった手錠を取り出し、夏目の足下で伸びる青年にかける。護藤ももう一人の手を取り、後ろ手に拘束した。


「学生には贅沢な玩具《おもちゃ》ですね」


 取り押さえた青年のポケットを探りながら、仕堂は夏目が奪い取った小銃に関心を向けた。


 フランスやイタリア、ロシアとともに欧州連合の中核を担うドイツ連邦共和国で開発され、欧州連合の主力火器に名を連ねた突撃銃アサルトライフル・G3。二十一世紀の今、国防の最前線を後継に譲り、アフリカや中東の植民地軍でも使われなくなり、こうしてアジアの革命勢力に流れてくる中古品。ロシアのAKやベルギーのFNCと並んで、この銃は共和主義者の愛用品だ。


「こっちのは、俺が殺ったのと同じロシアの拳銃。こりゃ後ろにはそれなりのがついてそうですね」


 護藤が手袋をはめた手で、傍に落ちていた自動拳銃を拾う。


 この手の学生団体は潰しても潰しても出てくる。大学生にとって欧州というのは魅力の塊で、そこへ留学した者はお約束のように共和主義に傾倒し、そこからさらに先鋭化すると、ここの連中のように武器を取り、かつての共産主義者のような暴力革命を訴求するようになる。


 彼らは天皇制や華族制を否定し、死刑制度を是とする人権意識を嫌悪し、地球環境を軽視する企業を敵とみなし、それらの打倒を目標とし、その実現のためにロシアを経由して流れてくる武器で武装している。入手経路になっているのは共和主義系の政治団体であり、その背後にいるのはBNDやFSBのような欧州の諜報機関だ。


 これは言うなれば戦争だ。世界が三極に分割され、核兵器が抑止力として台頭して以降続く冷戦の一端。ここはその戦場なのだ。


「あの、班長」


 気絶した青年の持ち物を調べていた仕堂の声に、夏目が向き直る。


「これ、何だと思いますか?」


 ポケットから引きずり出したそれは、赤い色をした手のひらほどの大きさの鉱石だ。掘り出されてから研磨されていないらしく、輝きは放っていないが、まるでマグマをそのまま石に閉じ込めたかのように力強く、禍々しい赤色をしていた。


「まさか、変異石オルタイト?」


 思わぬ異物の登場に、夏目は目を疑った。欧州から流れてくるはずのない、新世界の代物だ。


「これで爆弾を作ったら、ビル一つ吹っ飛ばせそうですね。こいつら、バックに何がいるんですか?」


 共和制に夢見がちな世間知らずの子供と、それを唆す悪い大人の摘発。そんな単純で飽き飽きした案件で終わりそうにないことを悟り、三人の間にどんよりとした空気が漂う。


「明日にでも本人達に聞いてみましょう。どんな名前が出てくるのか、楽しみね」


 少なくとも、危険極まりない石が凶行に用いられることはひとまず防げた。その吉報を糧に、今宵の捕物の締めとした。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート