メアリは咄嗟にウィリアムにすがりつき、思わず叫んだ。
「駄目です!」
メアリに抱きつかれ、ウィリアムがほんの僅かに戸惑ったような顔をする。自分の行動を全く意に介さず、必死になってメアリが言った。
「この窓を破ると爆発が起こります! だから……」
はっきりとした、断言だった。まるで見てきたような物言いに、ウィリアムが低い声で訊き返す。
「爆発?」
突然のメアリの言葉を疑っていると言うよりも、確認するような訊き方だった。どうしてそうなるかを、メアリには巧く説明できないのだが、しかし、確信は揺るがない。
「はい。間違いありません」
「真逆、君にはそれが『見えた』のか?」
奇妙な問いだった。しかし、その問いに、メアリは確信を持って大きく頷く。
「はい。見えました」
自分でも奇妙なくらい、断然と断言する。どうしてここまで頑なに、しかも確信を持って断言できるのか、自分でもわからない。
それは、一週間前のあの日、時間を稼げば必ず助かるという、あの根拠の無い確信に何処か似ている。
ウィリアムが納得したように呟いた。
「なるほど、君は、計算手だった。確かにこのように密閉された空間で急に空気穴が出来たら、一気に外気が入り込んでくる。そうなれば、君の言う爆発が起きても不思議はない」
そのままウィリアムは、窓から一歩下がる。ここから出ることを諦めたらしい。あまりにあっさりと自分の言葉を信用してくれたウィリアムに、思わずメアリが訊いてしまう。
「あの……、私の言うことを信じてくださるんですか?」
「ああ。君は計算手だから」
何故計算手の言うことなら信じられるのか。メアリには、ウィリアムが納得した理由が良くわからない。きょとんとするメアリに、ウィリアムが淡々と説明をしてくれる。
曰く、先刻メアリが『見た』ものは、その経験を元に無意識に計算された、一瞬先の未来の予測であるという。計算手の『特徴』のひとつでそうだ。
「虫の知らせであるとか悪い予感という言葉がある。根拠はないのに、よくないことが起こりそうだと感じることだ。それはかつて、ただの思い過ごしや迷信だと思われていたものだったが、しかし、計算手の出現により、現在の医学では、それは過去のデータから、無意識に脳が未来の予測を計算した結果なのだと考えられている。通常の人間のそれは、脳の処理能力の限界で、そこまで信用に足るものではないが、計算手の場合は少し違う。――計算手のその凄まじい計算能力は、起こり得る『未来』を垣間『見て』しまう場合があるんだ。勿論それは、常に起こり得るものではない。命の危機が迫った折などの、そういうときに限定されて、それは『出る』。君が見たのは、その計算の結果だろう。君は超共感覚の持ち主だと言うし、であるならば、未来予測などは軽々こなせる」
軽々かどうかは解らないが、しかし、悲惨な未来が見えたのは事実だ。自分のまったく知らないところで、計算手の能力というのは、そう言う奇跡も起こせるというのを知ってかなり驚く。
「計算手って凄いんですね……。そんなに信憑性があるだなんて」
自分のことなのに、メアリはまるで、他人事のように呟いてしまった。実際、自分の計算能力が特別だと感じたことも無いメアリには、ウィリアムの説明が何処か他の世界のことのように感じるからだ。階下の火事の様子を見ながら、ウィリアムがぼそっと言った。
「別に、計算手の言葉だから信じたという訳じゃない。僕は君の言葉だから信じたんだ」
「えっ?」
極々小さく呟かれたその言葉に、メアリは一瞬驚いてウィリアムを見上げてしまう。
しかし、当のウィリアムは顎に手をやり、何かを思案しているようだ。炎から目を離さないまま、メアリに訊いた。
「しかし、そうなれば、逃げ場がないな。唯一の出入り口は蒸気自動車で塞がれた上に炎上している。仮に、二階へあがって他の部屋から逃げだそうとしても、もしその部屋の窓が開いていれば、同じように空気が一気に流れ込み、ドアを開けた瞬間にその爆発は起こる。二階の窓が開いているかいないかまでは、君にだって見えないだろう?」
「はい、それはやっぱり……」
窓が開いているのか、締まっているかは、流石に実際に見てみないとわからない。確率は二分の一だが、賭けをするには危険すぎた。ウィリアムの解説が真実ならば、計算手の幻視は実際には未来を見ているわけではない。飽くまでも未来の『予測』が映像になって見えるだけだ。二階の窓が開いているのかどうかなんて、データが少なすぎて、計算の仕様がないのである。
「なるほど、八方塞がりか」
そう言いながらも、ウィリアムの声に特に絶望は無かった。もっともこの青年は、常に自分の感情を声に出す事は殆どないのであるが。
未だに自分の腕を掴んだままのメアリに尋ねる。
「君が『見た』爆発は、窓さえ開けなかったら起こらないと、そう思うかい?」
その問いに、メアリがこくりと頷いた。あの時見えたものを思い出す。運良く、細かいところまで詳細に記憶出来ていた。
「はい。私が『見た』光景は、部屋の中心に吸い込まれるように、外から凄まじい風が吹き込んで、その直後に爆発すると言うものでした。ですから、開けなかった場合は爆発は起こらないはずです」
しっかりとそう告げると、ウィリアムは静かにメアリの方を見た。その、優しい色の蒼い目には、特に希望も無いようだが、絶望のような色だって微塵もない。
あるがままのような、そんな色だった。その目を見つめるメアリに向かい、ウィリアムが静かに言う。
「仮に、だけれど、もし、これらの火を消せたとすれば、ここから逃げることは可能だろう。だが、それには君の力が要る」
淡々とした、事実だけを告げる声だ。そこには、賭けであるとか、祈りのようなものは何一つ無かった。一切ブレのない銀の声は、今の雑多なメアリの視野にも真っ直ぐ届く。
「私の力……?」
戸惑うようにメアリが訊くと、ウィリアムはそこで初めて躊躇うように言った。
「君が真実の計算手であるのなら、僕を使いこなせるはずだ。けれど、君がただの計算手であるのなら、僕らは勿論、ここにいる人たちも助からない」
ウィリアムの言葉の内容より、『ここにいる人たち』という言葉にメアリが反応する。
「もしかして、皆も助けられるんですか?」
メアリはウィリアムに駆け寄って、思わず訊いた。ウィリアムが小さく、しかし、しっかりと頷く。
「ああ。君の力が本物ならば。但し、それでも多分、チャンスは一度きりだ。失敗すれば、これよりもっと酷いことになる」
ウィリアムは、どことなく躊躇うようにそう言った。逆にメアリは何ひとつ躊躇わずに即答する。
「やります!」
答えの迅さに、ウィリアムは少し驚いたようだった。淡々と訊く。
「君は、怖くはないのか? 失敗すれば、総ての命に対する罪を、犯人ではなく、君が背負う事になるかも知れないのに」
「私が、背負う?」
「……現状を変える、ということは、つまりは意図的に状況を加速させることでもある。加速の方向が最悪の方へ向いてしまったら、それは加速させた者の罪、状況を変えた者の罪に転換してしまう事になるんだ」
理不尽な言葉だったが、言いたいことはよくわかる。状況を移動させる力というのは、吉にも凶にも容易く変わると言うことだ。
しかし、だからこそ、メアリは断然と答える。
「このままでも、皆死んでしまうんです。だったら、少しでも可能性のある方法を試します」
爆発に巻きこまれた人々は勿論、さっきの蒸気自動車の事故でさえ、かなりの数の人が亡くなっているだろう。これ以上、人が死ぬのを見るのは嫌だった。火を消せる可能性があるのなら、それを試すのに躊躇などない。断固とした物言いに、ウィリアムは小さく頷いた。今までの茫とした表情が一変している。
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